第15話 着ぐるみの連獅子

「では次にですね、先程、東京歌舞伎座で引退興行された、歌舞伎俳優の森川浩蔵さんをお呼びしました。皆さん、盛大な拍手を」

 ステージに森川が出て来た。

「皆さん今晩は。森川です」

「歌舞伎ファンも、そうでない人もしっている有名な役者さんです。皆さんを代表して聞きます。何で引退したんですか。もったいない」

「田所さんねえ、こうして皆さんに惜しまれるうちに去って行く。この潔さがいいんです。大体、今の歌舞伎界は、老獪ばっかり。ほとほと、もう嫌になりました。後進に道を譲るためにも、定年制を設けるべきです」

「でもお言葉を挟みますが、歌舞伎界は死ぬまで芸の精進だとお聞きしますけど」

「それは、あなた綺麗ごと。あなた、九十歳の老いぼれの女形見たいと思いますか。ねえ皆さん」

「会場の皆さん、ツイッターやフェイスブックにアップしないで下さいよ」

「私は、別にかまやしないけど」

 会場から笑いが漏れた。

「で、今日は何を」

「これから、連獅子ダイジェスト版をご披露します。ただ踊るのでは面白くないので、私が獅子に変身するまでの拵え、化粧の所をお見せします」

 そう云うと、森川は、ステージで化粧を始める。

 その間田所は、連獅子の説明や、化粧の様子を解説した。

「連獅子と云いますと、親獅子と仔獅子ですけど、仔獅子がいないんですけど、どうするんですか」

「今夜は、平安特別バージョンとして、仔獅子は、タラップちゃんにしてもらいます」

「突然ですけど、タラップちゃん、ステージへどうぞ」

 いきなり呼ばれた桃子は、頭を脱いでいたので、被ろうとした。

「時間ないから、そのまま出て」

 と陽子が押し出した。

「はい」

 慌てて、素顔出したまま桃子は飛び出した。

「タラップちゃんは、若い可愛い女の子でしたか」

「いえ、私は全然可愛くないです」

 即座に桃子は、否定した。

「可愛い」

 会場から早速、声援の声がこだまする。

「あなた、仔獅子やってね」

「でも衣装が」

「その着ぐるみでやるのよ」

「変でしょう」

「それがいいのよ。元々歌舞伎って、奇妙で変わったいでたちでやっていたのよ」

「じゃあ皆さん、どうでしょうか」

 拍手喝采。

 こいして前代未聞の連獅子が始まる。

 桃子は、南座で一度、この狂言(演目)は、見た事がある。

 だから踊りの流れはわかる。

 しかし、ラストの一番華やかな、頭を振って獅子の毛を回す、毛ぶりはタラップちゃんには出来ない。

 そこは、森川の独壇場だった。

 引退するには、惜しいほどの獅子の舞いは、気迫迫るものがある。

 何度も何度も、獅子の毛を振り回す。

 毛ぶりは、森川の命と共鳴するかの如く、段々と速度が増して、先っぽの毛が数センチ、回転しながら、垂直に立っていた。

 その光景は、見る者の心を完全に制覇して、こころの振動をも奮い立たせていた。

 ここで本来、森川が足をポンと、叩けば長唄の演奏が変わる。

 しかし、今回はテープだ。

 じっとその行方を見つめる上岡は、いつ音のチェンジすべきか注視していた。

 桃子は、やはり何かしないかと考え、森川に合わせて被ったまま、頭を振り続けた。

 しかし断然、森川の速度の方が速い。

 無謀にも桃子は、その速度に追いつこうとした。

 しかしそれは、所詮無理な事だった。

 二人のこころを鼓舞するための長唄の音楽が鳴り響く。

 被り物をしていても、桃子の耳元にも入って来ていた。

(いつまで続くのよ)

 生涯、これほど頭を振ったのは、もちろん初めてである。

 すっと目まいがして、そのまま気を失った。

 めが覚めると「平安」の救護室のベッドにいた。

 うっすら目を開くと、田所とエリカが目の前にいた。

「目を開けましたよ」

「ここはどこ」

「救護室です。あなたは踊りの最中、呼吸困難になり、ここへ運ばれました」

 医者が説明した。

「もう大丈夫ですね。私は、じゃあこれで」

 一礼して田所は、出て行った。

 救護室で、三十分ほど休んで、エリカらに連れられて自室に戻った。

「張り切って、頭を振るからだよ。やり過ぎ」

 ステージで桃子が倒れても、森川は、毛ぶりを続けて連獅子の舞いをやり遂げた事。

 陽子が誰よりも早く、ステージに駈け寄って、室内の緊急ボタンを押した事。

 スペシャルルームには、このシステムがあり、専属の医者が駈け付けるようになっていた。

 駈け付けたドクターチームで、すぐに桃子は、この救護室に運ばれた。

「でもお客様の拍手喝采受けてたから、必要以上に張り切ってしまうのね」

「本当、桃子は面白いねえ。これ、田所さんから預かって来たから」

 エリカは、桃子の手に渡した。

 祝儀袋で、表に「さばき」と書かれてあった。

「さばきって何?」

「桃子、あなた本当に南座で照明やっているの」

「やってる」

「さばきって、つまり、まあご祝儀みたいなもんよ」

「へえ知らなかった」

「それだけ頑張った事よ」

 その夜、またエリカは出かけようとした。

「どこ行くの」

「野暮な事を聞かないの」

 振り向きもせずにエリカは出て行った。

 ベッドで横に寝そべってさばきの袋を開けると、ピン札一万円が十枚入っていた。

「十万円!」

 がばっと飛び起きた。

「もっとやります!」









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