第11話 情熱のスタッフルーム
皆が、沖縄観光に出かけている時、桃子は一人ステージにいた。
「あら、沖縄観光行かないの」
客席のうしろから姿を見せた陽子が云った。
「陽子さんこそ、松山でも沖縄でもずっと船の中。どうして外に出ないのですか」
「私はいいの。もう何回も船に乗ってるから、改めて観光なんていいの」
陽子は、一歩一歩桃子に近づきながら話した。
「でも昔から、途中下船しないって、有名ですよね」
「誰の情報?エリカでしょう」
「先輩、私の質問に答えて下さいよ」
「はいはい、わかりました」
半場呆れかえったような陽子だった。
「私はねえ、船に乗り込んだ時に決めたの。途中下船してお客様と同じように観光するなんておかしいと。だってそうでしょう、自分は働いてお金を貰う立場でしょう。お客様は、高いお金を払っての観光。同じ立場なんておかしいとね」
「でも、皆観光に行ってますよ。船長も乗り組み員もフィリピン人のウエイターもウエイトレスも」
「他人は他人。自分は自分」
「陽子さんは、どこまでもゴーイングマイウエイなんですねえ」
「あなた、たまには上手い事云うのね」
「これ、エリカの受け売り言葉です」
「だと思った」
「あと、まだ質問があります」
「何?」
「何故先輩は、ずっと船の照明やっているんですか。たまには、劇場や野外コンサートの照明やりたいと思わないのですか」
「正直に云えば、船はねえ、気楽なのよ。だって考えてみなさいよ。劇場でも野外でも、稽古やリハなんて遅くなるじゃない。電車やバス乗り継いで時間かけて家に戻ったり朝早く、遅刻を気にしながら、満員電車に揺られての生活なんて、それこそ息が詰まる。ねえ、そう思わない?」
云われてみれば、確かにそうかもしれない。
船の中なら、遅刻はありえない。
例え寝過ごしても誰かが起こしに来てくれる。ものの数分の遅刻だけで済む。
さらに気になるのなら、同室のエリカに起こしてくれるように、頼んでおけばよい。
その日の夜、桃子は初めてスタッフルームに足を踏み入れた。
まさに、ここは見にフィリピンだった。
テーブルには、ご馳走が並ぶ。
エリカの説明によれば、こちらは、余った食材で作るまかない食である。
夜中、仕事から解放されたウエイター、ウエイトレスが所狭しと、ぎゅっと塊り、酒を呑み、語らい、歌い、陽気にはしゃいでいた。
レストラン、ホールで見せる笑顔とはまた違う、本音の笑顔とも云えた。
エリカは、何人かの同僚を紹介してくれた。
いづれの人も好意的だった。
「ねえ、ねえ、フィリピンの人ってどうしてこんなに陽気なの」
桃子は、辺りの雑踏、嬌声に負けじと大声でエリカの耳元で叫ぶ。
「暑いから」
短く答えた。
(本当かしらん)と桃子は思った。
煙草と酒と、濃い化粧の匂いが充満する。
そしてフィリピン人の体臭なのだろうか。甘いココナッツの匂いの香りもする。
飛び交う言葉は、英語と現地語。
日本人は数名だった。
ダンスタイムになると、さらにヒートアップした。
「さあ踊った、踊った!」
エリカは叫ぶ。
見知らぬフィリピン人男性が、勝手に桃子の手を取り、フロア中央に進んで行った。
曲は、フィリピンで流行っているらしいが、桃子にとっては、初めて耳にする曲だった。
「ラブキス!ラブキス!」
何度も天井のスピーカーを指さしてフィリピン人男性が何度も叫んでいるので、どうやら、曲のタイトルらしいと桃子は推察した。
さらに、何やら英語で云っているが、全然聞き取れない。
こんな事なら、もう少し英語を勉強すべきだったと後悔するが、時すでに遅しだ。
踊りが終わり、桃子は席に戻った。
「桃子、モテモテよ」
「からかわないでよ」
「本当皆云ってるよ、色が白くて可愛いって」
「白人の方がもっと白いでしょう」
「うううん、そうじゃないの。日本人の、私達フィリピン人にはない、白いきめ細やかな肌がいいのよ」
「まあ、褒めてくれて有難う」
やがてチークタイムとなり、バラード曲「メリージェーン」が流れる。
「踊りましょう」
桃子の手を取ったのは、今度はポールだった。
「どうですか、船の仕事は」
踊りながら、ポールは色々と耳元で尋ねて来た。
喋る吐息が、耳の穴をくすぐり、少し恥ずかしながら気持ちよかった。
「もう初めてなんで、驚きの連続です」
「それは、羨ましいです」
「どうしてですか」
ポールの口から、意外な答えが返って来たので、聞き返した。
「世の中で、日々仕事をしている多くの人は、毎日そんなに大きな驚きもサプライズもなく、たんたんと過ごしています」
「確かに云われてみればそうです」
「だから幸せなんです。いつまでも、その驚きの初心を忘れずにいて下さい」
「初心忘れべからず。有難うございます」
「きっと、これからもガエス様のご加護がありますよ」
と云ってポールはウインクした。
「ガエス様、知ってるんですね」
「もちろん。これでも二十年は、船に乗ってますから」
「見たんですか」
暫し、沈黙を挟んで、
「見ました。でも、他の人には見えなかったみたいです」
「どんな人なんですか」
「普通です」
随分抽象的な答えだった。
「桃子もきっと見えるようになる事を祈ってます」
もう一度、ウインクするとポールは出て行った。
まるで牧師と信者との問答のようだった。
「珍しいわねえ」
席に戻ると、エリカがポールが出て行くのを目で追いながら云った。
「ポールが、このスタッフルームに来るのが珍しいのよ」
と付け加えた。
「ポールもガエス様を見たって」
「でしょう!」
エリカは、笑いながら答えた。
やがてお開きとなる。
フィリピン人らは、自分らで手際よく後片付けと掃除を始めた。
桃子も手伝おうとすると、
「桃子はいいよ、手伝わなくとも」
と云われた。
「でも悪いから」
率先してホウキを持つ。
「やはり日本人は、優しいねえ。大好きだよ」
エリカが抱きついて来た。
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