第9話 亭主の居場所

「奥さん、ご主人を探して下さいよ」

「いえ、いなくなってせいせいしたわ。菊池さん有難う」

 笑いの渦が、ステージを取り囲む。

「冷たいなあ、奥さん」

「今夜から、私の部屋には、あなたに来て欲しいのよ」

 雅子は、菊池に身体をぴったりと密着させて、腕を絡ませて来た。

「遠慮しときます。今度は、僕が、奥さんによって消されそうだから」

「大丈夫、ここには断崖絶壁ないから」

「でも夜中デッキに立っていたら、うしろから急に押されそうなんで」

「そうねえ。夜中はご用心」

「だって!小林雅子さん、有難うございました!」

 爆笑の渦で、大成功のうちに、マジックショーは幕を閉じた。

「幾ら考えてもわからない」

 後片付けしながら、桃子は何度も繰り返した。

「だから、マジックなのよ」

 エリカが答えた。

「一秒で、ステージからここのうしろまで、瞬間移動なんて出来ない」

「あまり深く考え込まないで」

 片づけが済んで、自分の部屋に戻り、ドアを開けると、ベッドに小林がしょんぼりと佇んでいた。

「うわああああああ!」

 思わず桃子は、金切り声をあげた。

 エリカが走って来た。

「どうしたの」

「消えた小林さんがいてます」

「消えたんじゃなくて」

 エリカは説明した。

 ステージの床には、穴があり秘密の通路があり、その下が丁度桃子らの自室の天井だった。

 云われて天井を見上げると、縦横50センチぐらいに切り取られた点検口の蓋があった。

「そう云う事だったの。何だ、単純な種ねえ」

 桃子は、一人納得した。

 スタッフで知らなかったのは、桃子だけだった。

「そうよ。大体マジックの種明かしってそんなもんよ。ご苦労様でした。お疲れ様でした。もう戻ってもいいですよ」

 本来この手のマジックは、事前に消える人と打ち合わせをして、脱出経路の確認を行っている。

 今回は、ぶっつけ本番でありながら、小林の機転でうまくいった。

 小林自身、本当は消えたかったかもしれない。

「戻りたくないなあ」

 頭をかきむしり、深いため息を何度もついて、小林はつぶやいた。

「そんな事云わずに。奥さんとの仲も会話も復活して下さいね」

 二人でなだめて部屋から出させた。

「また、ここにお邪魔してもいいかな」

 ドアの所で、一度立ち止まり、振り返り小林は名残惜しそうに部屋を眺めまわした。

「もちろん、ねえ」

 エリカは桃子を見て、同意を促した。

「ええ、まあ・・・」

 桃子は答えた。

 クルーズ客船は、沖縄を目指していた。

 船が南下するにつれ、五月のさんさんと輝く太陽の光は、増して、昼間は乗船客は、甲板に備えられたデッキチェアに座ってトロピカルフルーツジュースを飲んだり、お喋りしたり、読書したりしていた。

 半透明のシェルター付きのプールも開放されていたが、泳ぐのは少数だった。

 今回のツアーは、子供の乗船は断っていたので、子供のはしゃぐ姿はなかった。

 泳ぐ人が少ないのは、乗船客の大半が、日本人だったかもしれない。

 と云うのも、外国人乗船客は、少しでも太陽の光を見ると、すぐに水着に着替えて泳いだり、サングラスをかけて、プールサイドのデッキチェアに座ってのんびり過ごす。

 日本人は日焼けを凄く気にするが、外国人は、逆に日焼けを求めていた。

 夏に日傘さすのは、日本人ぐらいである。

 クルーズの旅の大半は、時間とお金に余裕のある熟年夫婦だったが、一人での参加者も多かった。

 男性一人での参加も多い。

 世間では、男一人では、参加しても面白くないと云われるが、参加している当人から云わせるとそうではなかった。

 家で一人暮らししていると、朝昼晩、三食の準備、洗濯、掃除、買い物全て自分で行わないといけない。

 船に乗っていると、三食全て賄ってくれる。

 洗濯もしてくれる。

 そして手ぶらで、観光地まで連れて行ってくれる。

 毎夜、趣向を凝らしたアトラクションの数々も提供してくれる。

 それも強制じゃないので、しんどければ、部屋で寝ていればいいわけだ。

 少数だが、「平安」乗船客の中には、常連さんもいた。

 陽子に、何人かの男性客が、

「よお、頑張ってるねえ」

「元気かあ」

「彼氏出来たか」

 と声をかけて来る人がいるが、全て常連客だ。

 陽子も「平安」には、ここ数十年ずっと乗り込んでいるので、顔馴染みとなるわけだ。

 桃子は、陽子、エリカとステージの照明の仕込み替えを行っていた。

 基本明かりはあるが、出し物によって、照明器具を追加したり、撤去したりした。

 乗船客の最大の楽しみは、観光地へ行く事、船の中での食事、そして日夜繰り広げられるショータイムである。

 スケジュールは、最終日を除いて、事こまかに記載されている。

 最終日は、毎回特別ゲストを招いている。

 これが好評で、これ目当てで「平安」ツアーに毎回乗船する人もいる。

 毎回、ゲストはチケットが中々取れない、大物歌手、芸能人がやって来る。

 そのゲストは、どこからか途中の港で乗船して来て、人知れず歌手なら練習して、ファイナルサプライズデーに備える。

「ねえ、今回のスペシャルゲストは、誰ですか」

 桃子は陽子に尋ねた。

「知らない」

 素っ気ない返事しかない。

 そのあと、エリカや上岡に聞いて回っても、同様の答えしか返って来なかった。

「じゃあ、明かりはどうするんですか」

「それはねえ・・・」

 曲の感じに合わせて、幾つかの照明の明かりのパターンを作ってあるそうだ。

 今は、調光は全てコンピューター制御なので、記憶させられるのだ。

 最新のAI搭載の調光は、

「バラード」

「フォーク」

 等とつぶやくだけで、幾つものシーンを勝手に作ってくれる。

 また曲目を入力するだけで、勝手に作ってくれる。

 しかし、幾ら時代が進んでもステージの演者にスポットを投射する作業は、昔ながらの人間が、スポットライトを操作している。

 照明は最新技術とアナログの両者が混在する、不思議な領域でもあった。










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