第8話 亭主を消して下さい!

「皆さん、今晩は」

 落ち着いた響きの良い声だと思った。

 今、スポットライトで桃子がフォローしてる丸いエッジの中に菊池がいた。

 喋りながら、ステージをゆっくりと歩き回り、客席のテーブルへ降りて来た。

「お客様は、どちらから」

「今回の船旅はどうですか」

「お連れ様とは、もう喧嘩されましたか」

 菊池が型通りの質問を三十秒ほどして、急にしゃがみ込んで、テーブルの下に入ったかに見えた。

 同時にステージ中央からもう一人の菊池が出て来た。

「エクセレント、菊池です」

「エリカ、フォロー」

 耳にはめた、インカム通じて、桃子の耳にも陽子の声が突き刺さる。

 エリカは、順次にステージの菊池をフォローしていた。

 場内からどよめきが、雪崩れ込む。

 一拍、拍子を置いて、割れんばかりの拍手の嵐と洪水が、場内を包み込んだ。

「えっ、どう云う事なの」

 まるで場内の客のこころを代弁する形で桃子は、叫ぶ。

「ねえ、エリカどうなってるの」

「さあねえ」

 答えながらにやける、エリカが気に入らない。

「あんた、何か知ってるでしょう」

「しりませーん」

 少しおどけた口調が、また癪に障る。

 もちろん、テーブルの下に潜り込んだはずの菊池は、一瞬にしていなくなっていた。

 客は、テーブルクロスを持ち上げて、パタパタして中を覗き込んでいた。

 これが、菊池マジックの真骨頂だった。

 今まで誰もやっていない。

 絶対に不可能な状況でのマジックだった。

 次に菊池は、一組のカップルをステージに上げた。

「お名前は」

「小林克彦です」

「小林雅子です」

「ご夫婦ですね」

「はあ」

 やや口ごもる小林に対して、

「いえ、正確には元夫婦です」

 とはっきりと雅子は、にっこりとほほ笑んで答えた。

「なるほど。今回の船旅を通じて、復縁旅行なんですね」

 いち早く場内の微妙な空気を察知した菊池は、いち早く会話の軌道修正に乗り出した。

「いえ、とんでもない。その正反対です」

「と云いますと?」

 菊池は、素朴な疑問を投げかけた。

「船旅終わったら別れます。つまり離婚旅行です」

「これ雅子、こんな他人様の前で云わなくとも」

「あらいいじゃない。はっきりと宣言して。ああ、せいせいした」

 客席から失笑が漏れた。

「奥様は、随分あっけらかんとしてますねえ。それに引きかえ、ご亭主は干し上がったイカのように、ぐったりと」

 今度は大きく場内から、笑いが巻き起こる。

「私は、色んなものを一瞬にしてきえさせるマジックを得意としてるんです。今、奥様の中で一番消えさせたいものってありますか」

「もちろん、あります」

「長年過ごした夫婦生活なんて云わないで下さいよ。幾らマジックでも思い出は、消す事は出来ませんから」

 笑いのさざ波は、続く。

「目の前の、元亭主を消えさせて下さい」

「ご主人も随分嫌われてますねえ。一体何があったんですか」

「まあ、色々ありまして」

 小林は、口ごもる。

「そうですか。じゃあご主人、私がここに用意した、黒布の中に入って下さい」

 菊池は、ポケットから取り出した黒布を、前へ被せる。

「菊池、顔抜きゴー」

 陽子の指令が入る。

 エリカがすぐにスポットライトを顔の大きさに絞る。

 意味ありげな音楽が、場内を覆う。

「小林さん、いますか」

 黒布を降ろした。

 小林の顔が出て来た。

「まだいますねえ」

「はい」

「あなたには、消えて貰います」

「はあ・・・」

「これは、私ではなくて、奥様からの強いリクエストなんです」

 再び、客席から笑いが漏れた。

「じゃあ覚悟して下さい」

「わかりました」

「ご主人、どこへ行きたいですか」

「どこへでも」

「わかりました。じゃあ行って貰いましょう、どこへでも」

「カットアウト!」

 陽子が叫ぶ。

 スポットライトが一瞬消えた。

 一秒後すぐに明かりがつく。

 ステージには、小林夫婦がいたが、菊池の姿はなかった。

 桃子のそばで、気配を感じる。

 はっとして、横を見ると菊池がいた。

「ごめんなさい。ご主人消すはずが、手違いで私が消えました」

 菊池は、すぐにステージに駈け寄った。

「小林ご夫妻、末永くお幸せに!有難うございました」

 菊池は、二人と固い握手をかわした。

「本当に、消えて欲しかったのよ」

 恨めしそうに、雅子がつぶやいた。

「俺が消えるわけないだろう」

 場内から笑いと歓声があがる。

「ご主人さん、今何と云いましたか」

「だから、消えるわけないと」

 と小林は、口ごもる。

「わかりました。その挑戦、受けて立ちましょう」

 場内から、再び拍手が鳴り響いた。

 再び菊池は、黒の布を小林に被せた。

「今回は、特別ですよ」

「奥さん、ご主人をどこへやりましょう」

「どこか、手の届かない所へやって下さいな」

 再び場内から、笑いが、あちこちで発生した。

「そんなに、嫌だったら船旅なんかしなければいいのに」

 横でエリカは云った。

「本当、私もそう思う」

 桃子もエリカの考えに同調した。

 日本は、少子高齢化が進み、若い人の人口が減った。

 それに伴い、当然、結婚、披露宴、新婚旅行と云った一連のブライダル産業も縮小の一途を辿った。

 それと、正反対に、熟年離婚が増加。

 そこに目をつけた、ブライダル産業が「離婚式・離婚旅行」と云う全く新しい業種を開拓した。

 最初は、そんなに需要があるのか、及び腰だったが、いざ、蓋を開けると、大盛況である。

 この離婚旅行に一番の人気が、船旅だった。

 若い時は、疲れもなく、荷物を持っての移動も苦もないが、年取ると、それが億劫になる。だから、船旅がいいのだ。荷物の移動もない。

 色々なパターンがあり、部屋を別室と云う夫婦もいる。

 最後の離婚届の業務までやってくれる。

「では、まいりますよ」

 音楽が鳴る。

「顔抜きと、黒の布も半分フォロー」

 陽子の声が入って来た。

「スリーツーワン」

 菊池がカウントを始める。

「ゴー!」

 陽子が叫ぶ。

 桃子とエリカが操作するフォローピンスポットライトの明かりもカットアウトとなる。

 一瞬暗転となり、すぐに明かりがつく。

 菊池が、黒布をステージで左右に振って見せる。

 小林の姿は、消えていた。










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