第7話 マジシャン登場
「だから、勘違いしないでおくれよ、さっきのは、単なる水遊びだったんだから」
先程から、森川は、居合わせた皆に釈明していた。
「まだ五月でしょう。海に入るのはどう考えてもおかしいでしょう」
まず桃子が口火を切る。
「それに水遊びにしては、どんどん沖に向かって行った」
濡れた衣服の入った袋を見ながら、上岡も同調した。
森川は、レモンスカッシュを口にした。
今いる、松山市の銀天街商店街にある喫茶店は、森川の案内で来た。
新しく、衣服を買うためである。
「ここは松山巡業の時によく来てね。昔と変わらない。だから落ち着く」
「話を逸らさないで下さい、森川さん」
上岡が睨みつけて云った。
「おいおい、尋問取り調べかい」
「本人が、否定してるんだから、もうその辺で勘弁してあげたら」
エリカは、頼んだクリームソーダのストローをかき回し、ついでに自分の髪の毛もかき回しながら、やや笑みを浮かべて下を向いてつぶやいた。
「甲板からじっと海を眺めているとね、無性に海と同化したくなってね」
「じゃあ自殺しようとしたんじゃないですか」
桃子もエリカも、あえて口にしなかった、フレーズをいとも簡単に上岡は、云ってのけたので、二人は、睨みつけた。
森川は、わざとらしく、ひとしきり大きな声で笑った。
「違うに決まってるだろう。死にたかったらさっさと身を投げた方が、簡単じゃないか」
確かに、云われて見れば、その通りである。
「じゃあ私達の早とちりだったわけね」
「どうもすみません」
桃子らは、率直に頭を下げた。
「いやあ、びっくりしたのは、こっちだよ。いきなり後ろから羽交い絞めされたから、逆に殺されるかと思ったよ」
「でも上岡さん、あの時、消えてなくなればいいと云ってましたよね」
「うーん、そんな事云ったかなあ」
「云いました」
「上岡君、もういいじゃない。桃子も、あわてんぼうなんだから」
急にエリカは、矛先を変えた。
「エリカだって、私と一緒に走って、海の中に飛び込んだじゃないのさ」
「そうだったかしら」
しれっとした顔を見せる。
「まあまあ、仲間内で揉めるのは、なし」
「しかし、惜しいですねえ。まだまだ歌舞伎やっていけるのに、突然の引退だなんて。勿体なさすぎです」
深い吐息をついて、上岡は本音を吐露した。
「そうやって君の様な、若い人からも、惜しまれるうちが花。大体、皆死ぬ間際までやるなんて、恥ずかしい」
「お言葉ですが、芸を極めるために、死ぬ間際までやるのが、本当ではないでしょうか」
桃子が質問した。
「確かに、そうかもしれませんね」
と云った後、森川は次の言葉を探すかのように、目を天井にやる。
「変わらないのはいいよねえ」
「歌舞伎だよ。目まぐるしく変わる世の中で、基本的に変わらない歌舞伎がある。それを持ってる日本人は、幸せだよ」
「未練はないのですか」
「この世にかね」
森川は、じろっと桃子に目をやった。顔から、笑顔が消えていた。
「違います、歌舞伎にです」
「ないと云えば、嘘になるかな」
少しはにかみながら、森川は返答した。
松山観光を終えて、乗船客が再び船へ戻って来る。
その頃、桃子らは一足早く戻って、今夜のショーの準備に取り掛かっていた。
メインホールでの、マジックミュージカルである。
これは、「平安」のとっておきの目玉企画の一つでもあった。
観客参加型のマジックとミュージカルである。
稽古は、夕方過ぎから行われた。
マジシャンの菊池のぼるは、今、最も注目されているマジシャンの一人であった。
菊池の行うマジックは、トランプ等のカードマジックではなくて、大掛かりなものだった。
且つ、分かりやすいマジックだった。
一瞬にして、人を空中に浮かんで見せたり、突如目の前に、大きな奈良の大仏を現れたりするものだった。
テレビを見ていた一部の視聴者からは、
「あれは、CGではないか」
と疑問の声が上がり、インターネット、インスタ、ブログ、ツイッター、フェイスブックにも同様の声、つぶやきが殺到した。
菊池は、照明に対して、駄目出ししていた。
桃子も、照明が菊池のマジックの心臓部分でもあると認識していた。
「この時、私が大きく右手を挙げますから、すぐに全身フォローから、顔抜きにチェンジね」
(顔抜き)とは、その名の通り、スポットライトの丸いエッジを小さくして、演者の顔の部分にだけ、投射する事である。
「はい、わかりました」
「センタースポット、今回は誰なの」
「うちの若手の者です」
素早く陽子が、答えた。
「大丈夫?」
と菊池が聞いた。
その顔には、困惑と一抹の不安が同居していた。
「大丈夫です!」
今度は、先に桃子は大きな声で返事した。
「そう。大きな声で有難う」
ステージから、菊池は深々とお辞儀した。
その動作に釣られて、桃子もスポットを操作しながらお辞儀した。
その途端、スポットもお辞儀をして、菊池の姿が、光の輪から消えた。
「スタンドプレーもいい加減にしてね」
スタッフルームで、陽子が叫んでいた。
てっきり、桃子は菊池のフォローを外した事を怒られると覚悟していたが、そうではなかった。
先程の、大声の「大丈夫です」の返答に、陽子は過激に反応していたのだ。
「あのう、だったら、あの時何と返事すればよかったんですか」
「少しはにかみ、そして無言で小さくうなづく。ですよね」
横でコーヒー飲みながら上岡がつぶやく。
「正解です」
「まあ、桃子ちゃんは、今回初めてだから、あいつの本性わからないから無理もないかも」
「菊池マジシャンの本性って何ですか」
率直に桃子は、上岡に聞き返した。
「まあ僕がここで、口で説明するより、今夜のステージ体験したら、よくわかると思いますがね、ねえ陽子さん」
「その通り」
「一体何があるんですか」
桃子のこころの叫びとも取れる言葉に、二人は笑っていた。
桃子のこころの不安は、時間と共に増幅して行った。
唯一のこころのよりどころの、エリカに云ってみても、
「マジシャンのショーなんて、私も初めて」
と突き返す返事だった。
スマホで検索してみても、その通りで今回の就航が初めてだった。
(だったら、何故上岡や陽子は、あの知ったかぶりしたのだろうか)
(上岡は、まだ外現場で仕事を共にしていたかもしれない)
しかし、陽子はほとんど、船の上で過ごしているから、接点はないはず!)
わからない事だらけのこころの雪崩の中で、桃子は本番を迎えた。
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