第5話 エリカの独白

 スタッフルームは、船底にある。窓がない。

 昼間は聞こえない、エンジン音が夜になると、目を覚ましたかのように聞こえる。

 広さは、五畳ほどで、小さなツインベッドだ。

 桃子もエリカも身長が155センチだから、充分収まる。

 そう云えば、フィリピン人は男も女も小柄が多い。

 まさに、船旅クルーには、うってつけだ。

「二人で入った方が、お水も時間も節約出来るでしょう」

「まあ、そうねえ」

 こんな近くで密着して女同士でお風呂に入るのは、桃子は初めてだった。

「まあ、服の上からは、想像出来ないくらい、ボインなんだ」

 エリカが、優しく胸を撫でまわす。

「ちょっと、ごめん。私、その気ないから」

 慌てて、桃子は身体をくねってそれ以上の愛撫を拒んだ。

「その慌てぶりが、また可愛い」

 また、抱きついて来た!

 その晩、二人は色々と話した。

「エリカ、彼氏は」

「いない。それより貯金、貯金」

「何でそんなにお金がいるのよ」

「実はねえ」

 エリカは、十人家族の大所帯で、親戚を入れると二十人くらいになると云う。

 それを、エリカは一人で支えているらしい。

「じゃあ、実家には帰ってないの」

「帰る暇あるなら、もっと働いて来いってママが云うのね」

「酷い話ねえ」

「桃子は、彼氏は」

「いたけど、別れた」

 本当は、振られたに等しい。

 エリカは、一年の大半を船で過ごすらしい。

「鳴れると、この生活もいいよ」

「そうかなあ、私は、今はやはり陸地の方が落ち着く」

「あんたとこの女ボス、陽子さんは、私と同じく大半を船で過ごしているわよ」

「ええ、聞いた事ある」

「昔、ハリウッド映画で(船上のピアニスト)ってあったじゃない」

「うん、知ってる」

「陽子さん、(船上のライティング・ボス)ね」

「何かそれ、恰好いい」

 二人とも一瞬、頭の中を喚き散らす、陽子の姿が駈け走ったらしく、同時に小さく笑った。

 陽子は、自ら会社に云って、優先的に船の仕事を入れて貰い、どうしてもない時は、休みをまとめて取っている。

 だから、桃子のような劇場勤務の人間とは、ほとんど交流がない。

 年に一度、大阪や京都で開催される社員交流会にも一切顔を出さない。

「あの人、何かあるのよ」

「何かあるって、何よ」

 桃子は聞き返した。

「船に乗る秘密がね」

「どう云う意味?」

「わかんない。解けたら云うわ」

 フィリピンでは、自国を出て海外で働くのは、普通で、こう云う豪華客船の給仕には中々、慣れないらしい。

 フィリピンでは、クルーズ客船で働くのは、エリートなのだ。

「そのための、専門学校もあるからね。あと、外国語出来たらいいのよ」

「エリカも英語ペラペラだし」

「フィリピンでは、英語は誰でも喋れるの。英語含まずにね」

 聞くとエリカは、英語、日本語、台湾語、中国語、フランス語が話せるそうだ。

 今は、韓国語を勉強中だとか。

「それだけ喋れたら、もっといい仕事があるでしょう」

「あるけど、今の仕事がいいの」

 桃子が、業務日誌をつけていると、静かになりエリカは先に寝てしまった。

 こんな時、ふと窓から夜の海を無性に見たくなる。

 夜だから、何も見えないはずだけども、窓があるだけでも、何か開放感が生まれる。

 ないと窒息してしまいそうな、閉塞感に時々襲われる。

 スタッフ専用のラウンジがあるらしい。

 しかし、今日は疲れたので行かない。

 またエリカに連れて行って貰おう。

 エンジンの音か、動力の音か。絶え間なく耳に入る。

 そんなに、うるさくて寝れないほどでもない。

 それに仕事してる時は、上にいるので、耳に入らない。

 この音もエリカも、あと数日で慣れるかもしれない。

 夜中、巨大な船の下敷きになる夢を見て、汗をかいて起きた。

「はっ!」

 何と、隣りで寝ているはずのエリカが桃子の身体の上にのしかかっていた。

「ちょっと、駄目だって」

「少しでいいから」

「私、その趣味ないから。何回も云ってるでしょう」

「わかってる」

「わかってるなら、隣りのベッドへ行きなさい」

「大人しくしてるから」

 弱々しい小さな声だった。

 桃子も疲れているので、それ以上云わなかった。

「エリカねえ、寂しいの。夜になるととっても不安なの」

「何が不安なのよ」

「もし船が沈没したら、一番先に逃げ遅れて死ぬのが、私達だって」

「私も一緒に死ぬからいいでしょう。お休み」

 くるっと桃子は、身体を反対向けて寝る態勢に入る。

 エリカは、桃子に後ろから抱きつく態勢で寝た。

 明け方、「平安」は、最初の寄港地、松山観光港に接岸された。

 乗客たちの朝食は、朝七時から始まる。

 その準備で、エリカは五時ごろ起きたらしい。

 食事の手伝いは、桃子はしなくてよいので、七時過ぎに起きた。

 すでに、エリカはいなかった。

(昨夜はごめんなさい。心配しなくても、今夜は一人で寝ます。エリカ)

 枕元に、小さな四角形の紙に書いてあった。

 桃子は、それを読んで、ほくそ笑んだ。

 午前八時から九時までが、朝食時間のピークである。

 朝食は、各自が食べたいものを選んで持って帰るビュッフェスタイルだった。

 和食から洋食まで、全て揃えてある。

 エリカたちは、食べられなかったが、桃子ら照明、上岡の音響チームは、後ろのスタッフテーブルで食べられた。

 桃子が食べていると、早速エリカがにやけながらやって来た。

「桃子女王陛下」

 と声を掛けて来た。

「何よ」

「何でもおっしゃって下さい」

「何でも云う事きくのか」

「はい」

「じゃあ今夜から、私をデラックススイートで寝かせてくれるか」

「はい、喜んで」

「嘘ばっかし」

「嘘じゃないから」

 それだけ云うと、エリカは立ち去った。
















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