第4話 ウエルカムパーティ
夕陽が沈み、すっかり夜の世界の中に入りこんだ「平安」は、漆黒の海の中を突き進む。
昼間見る、あの青い海と同じものとは、思えないくらい別の顔を見せていた。
ジェームス船長主催の「ウエルカムパーティ」が始まる。
「皆様、今晩は。今回、クルーズ客船(平安)にご乗船下さいまして、誠にありがとうございます。では、只今よりジェームス船長主催の、ウエルカムパーティの開催です」
ステージで司会者が挨拶する。
そのスポットは、桃子がフォローする。
シャープなエッジで全身フォローである。
スポットフォローには、もう一つあってエッジがぼやけたソフトにする場合がある。
二つとも、手元のレバーで切り替えが出来る。
主に芝居の時に、ソフトを使う。
船内は、ショー中心なので、エッジはシャープが多い。
「では、ジェームス船長登場です。皆さん大きな拍手でお出迎え下さい」
円卓にいる客が拍手する。
すでに、ボーイ、ウエイトレスが料理を運び出す。
エリカのそばを通る時、何人かのボーイがウインクしたり、ハイタッチしたりしていた。
そのほとんどが、フィリピン人だった。
もちろん、桃子に対しても同様だった。
どこまでも、フィリピン人は、陽気で人懐っこいのだ。
日本人は、数えるほどだった。
「皆さん、今晩は」
ジェームス船長が、流暢な日本語で挨拶を始めた。
ステージには、乗組員が登場。自己紹介を初めていた。
「皆、日本語が上手いなあ」
と桃子は、つぶやいた。
「もう長年、日本人と話していると、自然と覚えるわよ」
エリカがほほ笑んだ。
「私は、学校で英語習ったけど、全然喋れてない」
「それは、喋れなくとも生活出来るし、生きていけるからよ」
ステージでは、女性クルーたちのダンスが始まった。
ふと、桃子は自分のスポット位置から、一番近い席のテーブルに視線を落とした。
初老のカップルは、先程から一言も話していない。
「ねえ、ねえ、あの夫婦、さっきから全然喋ってないんだけど」
「ああ、よくあるよ。日本人なら」
「そうなの。折角の船旅なんだから、もっと楽しくやればいいのに」
「日本の男は、どうしてああも無愛想なんだろうと、思うよ。あれっ」
エリカは、少し視線をピンスポットライトから、テーブルに移した。
「あの男の人、桃子が着ぐるみ着てて、倒れた時に、助けてくれた人よ」
「へえ、そうなの。エリカ二本焚きちょっとお願いね」
二本焚きとは、通常ピンスポットライトは、一人一台ずつフォローするが、場合によっては、一人で二本のピンスポットライトでフォローする。
これは、かなり熟練を要するが、エリカはすでにその域に達していたようだ。
すたすたと、桃子はそのテーブルに近づいた。
「先程は、有難うございました」
夫婦とおぼしき二人は、桃子に怪訝な顔を見せた。
「ああ失礼しました。顔を見せるのは初めてでしたね。さっき、タラップちゃんの着ぐるみ着てて、倒れた時に、起こしてくれましたよね」
「ああ、あの時の」
会話の途中で、婦人はすくっと席を立った。
「あのう奥様、どちらへ」
「お手洗いに行くのに、いちいちあなたの許可がいるんですか」
まるで、食い掛るかのように、ぐいっと桃子に近づき、云った。
「ああ、すみませんでした。どうぞ、ごゆっくりと」
「それから、この男とは、夫婦ではありません。詳しくは、その男から聞いて下さい」
婦人は、足早に去る。
「すまないねえ」
「奥さん、ご機嫌ななめですねえ。何かあったんですか」
「僕たち、実は夫婦じゃないんだ」
「あらまっ!ごめんなさい。じゃあ、今流行りの不倫カップル。失礼しました」
男は、からからと笑った。
「そうじゃなくて、元夫婦。もっとも数時間前まで夫婦だったんだ。神戸で離婚式を挙げたばかりなんだ。僕たちは、船内のあちらこちらで、見受ける幸せな熟年夫婦の旅じゃないんだよ」
「これは、プライバシーまで踏み込んでごめんなさい」
「僕たち、離婚旅行なんだ。六五歳と五五歳のね」
「離婚旅行ってあるんですか」
「うん、あるよ。離婚式で、互いに恨みつらみを手紙で読み上げて、最後に結婚指輪をハンマーで叩き潰すんだ。そして、最後のセレモニーが、この離婚旅行。昨今割と人気が出て来てるんだ。若い人には、わからない、無縁の旅行かなあ。君は、この船で働いているんだ」
「はい。着ぐるみは、余興で、本来は、ステージの後ろで、ピンスポットライト焚いています」
「照明の仕事かあ。大変だねえ。頑張ってくれよ」
「おじさんも頑張って下さい」
「おじさんは、しっくり来ないなあ。小林克彦。これも何かの縁だ。よろしく」
小林は、桃子の手を掴んで、固い握手をした。
「こっちはもう、頑張りようがないけどね」
深いため息をつきながら、小林は答えた。
「いえ船旅は、まだまだ始まったばかりです。失礼しました」
一礼して、桃子はすぐに戻った。
「遅かったじゃないか」
ピンスポットライトは、上岡がやっていた。
「たまにね、上岡さんが手助けしてくれるの」
「エリカちゃんの頼みなら、断れないしなあ」
「で、おじさんを口説き落としたの」
「馬鹿、そんなんじゃないわよ」
「それにしては、えらく二人仲良く話していたじゃないか」
上岡が、茶々を入れる。
「そうじゃなくて」
桃子は、先程の離婚旅行の件を話した。
「ああ、よくあるよねえ。今、日本では流行ってるらしいねえ」
別段、驚く様子もなく、エリカは答えた。
クルーによるパフォーマンスは終わり、暫くは、テープによる音楽となった。
陽子が、調光室から戻って来た。
「桃子さん、本番中に持ち場を離れて、お客様のテーブルに行くのは、どう云う事なのよ」
初めから、喧嘩腰だ。
「あっ行って来いと云ったのは、私です。あの方、着ぐるみで倒れた桃子さんを助けてくれた人なんです」
エリカが助け舟を出して、一気にまくし立てた。
「お礼をしに行っただけです」
「そうだったの。でも最小時間で戻って来なさい」
それだけ云い捨てると再び、陽子は出て行った。
「怖い!お母ちゃん、助けて!」
エリカと上岡は、同時に同じフレーズで叫んで、桃子に抱きついた。
まるで、息の合ったコンビだった。
「こらあ、どさくさに紛れて桃子に抱きつくのは、駄目」
エリカは、上岡を払いのけた。
やがて、パーティーも終わりを告げ、後片付けをして、桃子とエリカは自室に戻った。
「ねえ、洗いっこしようよ」
「何それ?」
「二人でバスタイム」
云いながら、エリカは、さっさと服を脱ぎ、桃子の服を脱がせにかかった。
「ちょっと、やめてよ」
「無駄な抵抗はやめろ!お前はすでに我々に囲まれている」
エリカは、自分の喉仏に手のひらを幾度も当てながら、宇宙声を出していた。
「わかったから」
観念して、桃子は任せた。
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