第15話 実況8

 福増町ふくますまちの交差点にあるコンビニの駐車場で、和太鼓の力強い演奏が高らかに響き渡った。


 県道8号、松任まっとう宇ノ気うのけ線に入り始めた先頭集団から、早くも選手の列は、2キロ以上も差がついていた。


 この辺りは、金沢の西部地区で、住宅地より田んぼの面積が圧倒的に広い。そのせいか、沿道で応援する人々はまばらだった。


『昨日は人の身、今日は我が身』


と書かれた、特別協賛企業ののぼりが風にはためく。隅に、生命保険会社の名があった。


 幟と沿道の雑草が見守る中、カエルやパンダのような着ぐるみや、戦隊ヒーローなどの仮装をした選手が走っていく。そのほとんどが、完成度の低いちゃちな衣装だった。


 先頭から遅れること2分。

 県道8号線へ右折する直前で、突然1人の選手が消えた。


「あっ、今1人消えましたね。これは・・」

「マンホールですね」


「ああ、はまりましたか。毎年コースのどこかにあるんですが、これだけベタな障害でも、毎回必ず落ちる選手がいますね」


「まぁ、大人数ですから、足元が見えにくかったということもあります。それにしても、すっぽりときれいに入りましたね」


 落ちた男の両手が、マンホールの中から現れ、ウインナーのような指で、がっちりと縁をつかむ。


 もぐら叩きのもぐらみたいに、何度も何度も頭を地面に出しては、ずり落ちる。5回目にしてようやく、海岸に上がるトドのように体を道路にわせたとき、リストバンドが地面に付いた。


「ああ、付きましたね」

「この選手が、人生マラソン最初の失格者となります。第1障害で不面目なリタイア」


 ぽっかり空いたマンホールの横に座り込み、首に巻いた白いタオルで、紅潮した顔と首筋を何度もふく。


 その間を、後続の選手たちが通り過ぎていった。


 汚れた背中のゼッケンに拍手を送るのは、ぺんぺん草と、パタパタはためくのぼりだけだった。


「ほかの選手はこうなるまいと、自分をいましめながら走っているでしょうね」

 解説者の瀬古が、しみじみと語る。


「人生にはいつどこで、どのような落とし穴が待っているかわかりません」

「常に備えというか、心構えが必要ですよ」


「まさに、備えあれば憂いなし。体型がちょっとマラソンに備えていない感じですが・・」


「そうですね。こういうメタボな人は、もう少し体を絞ってきてほしいですね。脚にかかる負担は体重の3倍ですから、足首や膝、あと腰も痛めやすいですよ」


「ああ、ゼッケンが見えますね。3259番はむろ達彦。石川県立緑ヶ丘高校で数学を教えています」


「県内有数の進学校ですね。しかも東大の不合格率は、群を抜いています」


「学校では、脂身あぶらみ先生と親しまれている室。39歳独身。40は目の前という焦りなのでしょうか、見合いを重ねること36回。現在も記録は更新中」


「そういえばスタンド席に、横断幕がありましたね」

「生徒も心配しています」


「まぁ、見合いの方の敗因は、太りすぎでしょうね。ようやくそれに気がついて、ジョギングでダイエットをしようと思ったのではないでしょうか」


「ジョギングダイエットというのは、なかなか難しいんじゃないですか?」


「長く続けられれば、効果は出るでしょうね。しかし消費カロリーの高い運動とはいえ、わずか1キロの減量に、100キロメートルのランニングが必要とされていますから・・」


「100キロですか? 金沢から、福井県の武生たけふぐらいまでの距離になるでしょうか」


「ええ、ですから体重が減り出す前に、苦しくて止めるケースがほとんどです。そのパターンにならなければいいんですが・・」


 室がでっぷりえた腰をさすりながら、歩道へと入る。


「ようやく立ち上がりました室達彦。がんばる姿を生徒と、それから未来のお嫁さんに見せたいと意気込んでいましたが、その姿もわずか30分で終了。んん、寂しい背中、悔しそうな表情。いかがですか、瀬古さん」


「恐らく明日、学校を休むでしょうね」

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