第16話 清水家の娘
「だから言わんこっちゃねぇ」
仁は必死に笑いをかみ殺した。箸の先が小刻みに震え、プチトマトがうまくつかめない。
「ブヨブヨの体で、マラソンは自殺行為。大体、嫁なんて来るわけねぇし・・」
とうとう我慢しきれず、ケラケラとバカにして笑った。
「あ、あんた、担任やないんか? 何で言わんげん」
「いちいち言うかよ」
「どいね、応援に行ってあげればいいがに。すぐそこやろ」
悦子はアゴで、競技場を指したが、まったくの逆方向だった。
「期末テストの点数、訂正してくれんかった。アイツが採点ミスしたくせに・・」
「訂正したところで、赤点は赤点」
ルイはいつもの癖で、つい言葉の爆弾を落とす。すると、仁の箸が止まった。図星だったようだ。
「あの体で見合いも、自殺行為やね」
ちょっと揺らすだけで、チャプチャプと水の音が聞こえてきそうだと、ルイは思った。
テレビはコマーシャルに替わり、体脂肪を燃やすと銘打ったウーロン茶を、デブを売りにしているタレントが、おいしそうに飲んでいた。
「おデブって、夏は暑苦しいし、冬にドライブしようもんなら、倍は酸素とられる。車内で高山病」
ルイが調子に乗ると、
「あんたどうや?」
「はぁ・・?」
「公務員は安定しとる。この際、見栄えは目を瞑ってやね・・」
悦子は、冗談とも本気ともつかない口調でふってきた。
そう言いたくなる気持ちは、十分にわかっている。
去年の11月に、清水家の根幹を揺るがす大事件が発生し、その後の、爪に火をともす生活を考えれば、年が離れていようとも、見た目がタイプでなかろうと、公務員は結婚相手の職業として、理想的に違いない。
結婚は就職の1つであって、相手に望むことは、まず第一に、経済力なのだ。
ルイがそう考えるようになったのも、父の影響が大きい。
大金を稼がなくてもいい。少ないながらも安定収入。それが幸せに暮らすための最低条件だということを、しみじみと悟った。
カネのない父親ほど、みじめなものはない。
家族から白い目で見られ、ソファーの真ん中に、デンと座ることも許されない。
話し相手はラッキーだけになってしまい、そのラッキーも、ぬくもりを執拗に求めてくる父が鬱陶しいのか、最近は寄って来るなと吠える。
かくして、家のローンを払い続けてきた父の序列は、犬以下となった。
ルイがため息を漏らす。
昨日、父とケンカしたことは反省している。
辛いのは父のほうだと、頭では理解しているが、カッとなってしまうと、人の気持ちも考えずに、心を踏みつけてしまう。
そして、いつも後悔する。
しかも、ごめんなさいと、正面切って謝るほど、ルイは素直に育っていない。
テレビは、第2集団を映していた。
50人ほどがひと塊になって、大集団を形成している。
画面の左端に、ルイと仁が通った中学校の校舎の一部が見えた。
「あっ・・!」
ルイが急に声をあげる。
びっくりした仁が、口に運んだ茶をこぼした。
「何だよぉ」
独り言のように呟き、雑巾を取りにいく。
「映った映った、有紀の弟」
ルイの指差す方向に、悦子が目を向ける。
「えっ、どこ?」
「黄色と黒のウエア、ほら、タイガースカラーみたいな人」
悦子がしきりに瞬きをする。そのあと、品定めをするような目付きに変わった。
「やっぱり知り合いがおると、妙に力入るわ」
ルイはやや沈んだ心を持ち上げるように、元気に言った。
ご飯茶碗の横に置いたスマホを見る。まだ有紀からの返信はない。
気分転換に、
(そうだ、有紀と待ち合わせて応援しよう)
そうと決めたとたん、居ても立っても居られず、ご飯をかっ込んだ。
「この子はどうや?」
悦子が、再び画面に映った隼人を目で指す。
ルイはむせた。ご飯粒が、口から飛び出る。
「今度は年下? もう、このマラソンって、結婚相手を探す番組じゃないげんから・・。しかも救いようのない、負け犬ばっかりやがいね」
ルイには、付き合い始めて3ヶ月の彼氏がいる。
このまま、ゴールインするかどうかはわからない。だから両親には話していなかった。
歳は1つ上で、見た目は悪くない。引っかかるのは、やっぱり経済力だ。
ふとテレビを見ると、その彼が・・、走っている。
ゴクッとご飯を呑み込んだ。
一旦視線を横の壁に移し、瞬きをしてから、もう一度見直す。
すると、第2集団の真ん中に、その姿はあった。
髪は天然パーマ。色白で、頼みごとをされると、嫌とは言えないような優しい顔つきをしている。アゴに米粒大のホクロがあるから間違いない。
ほかの選手の影で、姿は見え隠れする。しかし、ルイには誰だかはっきりとわかった。
すでに顔は紅潮し、口元が苦しそうに歪んでいる。
呑み込んだはずのご飯が喉に引っかかり、ゴホゴホと咳が出た。
「もう、慌てるから・・」
母親から水の入ったコップを受け取り、一気に飲み干した。
「どう・・?」
「えっ、何が・・?」
「何がって、有紀ちゃんの弟」
それどころではない。
ホラー映画を見るように、恐る恐る目を細めてテレビに向き合う。
幸か不幸か、画面は先頭集団に切り替わっていた。
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