第14話 清水家の嘲笑

 今度は肩を上下に揺らして、悦子は笑った。しかも、手を叩いて人の不幸を喜ぶ。


 ルイもククッと鼻を鳴らし、小バカにした含み笑いをする。豆腐とネギを浮かべた味噌汁の椀をテーブルに置き、

「かわいそ」

 これっぽっちも思っていないことを、ヌケヌケと言った。


 己の幸福をはかるのは、他人の不幸という物差しだ。


 仁は、鶏の唐揚げを口に放り込んだ。

 スーパーで買った濃い味付けの惣菜でも、今の悦子とルイには、料亭の味よりうまいに違いない。


 他人の不幸という、スパイスが効いている。


「親が開業医なら、裏口で入学すればいいがに」

「そんな入り方しても、本人は後味悪いやろ」

 どこまで本気で言っているのか、わかったものではない。


 裏口入学という不正の話云々うんぬんより、医者になりたくないから、ひきこもっているという話ではなかったか。


「どんだけのお金と時間を捨てとることか・・。まだ若いから、その無駄に気がつかんげんて。永遠にあると思っとる。大体、親だって、いつまでも元気とは限らん。結局、金持ちのボンボンのやることやな。甘やかされて育っとる」


 言うだけ言うと、悦子はズズッと味噌汁をすすった。


「あのな、親の考え押しつけられて、気の毒やろ。その息子は・・。料理の勉強がしたいなら、させてやるのが親やろ。応援せんと、何で足を引っ張る? 子どもは分身じゃねぇ。親のための人生じゃねぇぞ!」


 仁が口戦こうせんすると、

「じゃあ何でひきこもる? 自分の人生なら、もっとこうしたいああしたいって、何で主張せん?」


「それは・・」


 すぐに反論はできなかったけれど、おとなしい性格の人間は、

(歯向かってはいけないだろう)

と、仁は思った。


 行動力のある奴なら、バッグ1つで、家を去るぐらいは簡単かもしれない。だけど、そういう積極性がなければ、部屋にこもるのが精一杯の抵抗だ。

 まったく自立できていないところが、難点だけれど・・。


 みんながみんな、悦子みたいに空気も読まず、読み取れもせず、言うだけ言って主張を通し、ストレスを発散するタイプではない。


 きっとそいつの母親も、悦子みたいなタイプに違いない。


 大口を開けてご飯を頬張ったとき、仁の頭に、パッと電球が付いた。

 ああしたいこうしたいと、主張していいのなら・・、


「俺、ミュージシャンになる。高校卒業したら、東京へ行く!」

 ご飯茶碗を持ったまま宣言した。


「いいよねぇ、金持ちのうちって・・」

 ルイがしみじみと呟いた。


「医者なら食いっぱぐれん。夫の職は大事やな」

 2人は、まったくの無視を決め込む。


「聞いてんのかよぉ」

 仁がすねた声を出すと、ルイが目を細めて、

「あんた、今のうちの状況、わかっとるが?」

 さとすというよりは、脅しの口調だった。


「だ、だから、大学なんてカネのかかることはやめて、ギター1本で食べていくげん。手に職があれば、父ちゃんのようにはならん」


「どうせ、うるさい音楽やろ。叫んどるだけの」

「へヴィ・メタルと言ってくれ」

「余計食えんわ」

 ルイがグサリと言葉の針を刺す。


 蜂に刺されるより痛い。


 そのあと、どこでかじった話かは知らないけれど、毎年ミュージシャンは500人ほどがデビューして、1年後に生き残るのは、数人の厳しい世界なのだと語り出す。


 5年、10年と、長続きするのは一握り。


 バンドで活動するなら、そのうちメンバー同士で溝が深まり、音楽性の違いという、表向きの理由をつけて、解散するのがオチらしい。

 ソロデビューはボーカルのみで、ギタリストはスタジオミュージシャンになるか、音楽教室で、ちまちまと生徒を教えるしかなく、


「まぁ、作詞作曲ができれば、それで食べていくこともできるかもしれんけど・・」


 そんな才能があるとは思えない、と言いたいのだろう。珍しく遠回しな表現だった。

 万が一、あるいは億が一にも売れたとして、2曲目にも幸運が訪れるとは限らない。


 人気は長続きしないと、口を尖らせる。

 セミと同じ、はかなくも短い命なのだそうだ。


 いい加減うんざりした仁が、微妙に肩をずらしてルイを避けると、

「聞いとんがか!」

 横からギロリとすくめる。


 そのうち、『あの人は今』というテレビ番組で、醜態を晒すだけだと唾を飛ばし、


「そんな博打ばくちを打つような人生が、幸せと言えるがか?」


 どこで息継ぎしているのかわからないほど、まくし立てる。

 さすがに反論する気も失せ、背中を丸めてご飯を食った。炊き立てのはずなのに、おいしくない。


 所詮しょせん、女に男のロマンは理解されないのだ。


 父の伸夫は、昨日こんな調子で、一方的に言い切られたに違いない。

何で責められたかは、想像がつく。


「ミュージシャンって、ビジュアルも大事やろ?」


 身もふたもない悦子の追撃が加わった。

 伸夫も、悦子の加勢で、実家に避難したのだろう。


「夢は布団の中で見て」


 口に入れたトマトも、何だか味気ない。

 あまりの落胆に、かわいそうだと思ったのか、


「ま、大学に入れば、何をしようと勝手やけど・・」


 悦子は立ち上がって、ティッシュの箱に手を伸ばす。

 鼻をかむ母の顔を、仁は不安げに見た。


「だから、子供はお金の心配せんくていいが」

「東京でも・・?」

「国公立ならね。高卒より大卒のほうが、何かと選択肢は増える。間口は広いほうがいいやろ。高校卒業と同時に人生崩れて、こんなマラソンに出とる人らみたいになっても、母さん困るし・・」


 ほんのチラリとテレビを見る。

 そのとき、ラッキーが画面に向かって吠えた。


「あれっ、どうした? ラッキー」


 悦子が声をかけると、ラッキーはソファーに飛び乗り、テレビをジッと見つめる。微動びどうだにしなかった。


「かわいい雌犬でも映ったんじゃない?」

「珍しいね、吠えるなんて」


 すると急に、わざとらしい高笑いが聞こえてくる。

 すかさず悦子が、カゴバッグの中に手を突っ込んだ。スマホを取り出す。

いつの間にか、着信音を笑い声にしていた。


「もしもし?」

 会社の受付嬢みたいなトーンで出たが、

「えっ・・?」

 急に顔が曇った。


 テレビを見ながら、

「まさか、そっちに行ったんじゃ・・。えっ・・? 人違いですよ、人違い。まっ、一応見ときますけど・・。はいはい」

 顔をしかめて電話を切る。


「おばあちゃん?」

 悦子の応対で、ルイは気づいたようだ。


「とうとうボケてきた」

「何なん・・?」

「お父さん、テレビに出とるって」

「ヤバイね。おばあちゃん」

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