第6話 岩井アナと謎の男

「ちょっと、どういうつもりですか!」


 背後から追いかけてきた岩井アナウンサーが、語気を強めた。


 男は煙草をくわえたまま、視線をわずかに後ろへずらす。

 革ジャンのポケットに手を突っ込み、何も言わずに、蓮池門れんちもん口へとゆっくり歩き出す。


 ずっと、うつむいたままだった。


 その行く手をさえぎるように、すかさず岩井アナが回り込む。

 透明人間のような扱いに、チャームポイントのえくぼは消え、代わりに、眉間のしわがくっきりと刻まれた。


「謝ってください」

 口までとがらせる。


「ホント、困るんです。いくらファンでも、度を超してると思いませんか? たまにいるんです。いじわるをして、逆に気を引こうとする人が・・」


 横髪に手ぐしを入れ、斜め下から、得意の流し目を使う。

 男がフッと鼻で笑った。


「何がおかしいんですか!」


 携帯の吸い殻入れに、煙草を押し込むと、

「こんなファンなら、逆にいらねぇだろ」


 男が顔を上げた瞬間、岩井アナが目をき、ヒィと息を吸う。半開きの口のまま、表情筋が固まった。

 男は即座に、右の横髪を顔に垂らした。


 二日前に殴られて、右目の周りに青アザができている。アゴにもバンソウコウが貼ってある。薄く血がにじんでいた。ついでに、左の脇腹も蹴られていて、くしゃみをすると激痛が走る。


「お、温度計を、わざと逆さにしたでしょ?」

 目を伏せたまま聞く。


「リハーサルだろ?」

 そのひと言がよっぽどこたえたのか、食ってかかった最初の勢いが、急にしぼんだ。


「本番だったのよ」

 いじけた独り言を呟き、アザ男の肩すれすれに通り過ぎていく。


「ちょっと待った!」

「サインならお断り」

 クルリと身をひるがえす。


 しゃべりかけてくる人はみな自分のファンで、サインをねだるものと思い込んでいる。


「そうじゃなくて、シークレット障害って何だ?」


「はぁ・・? シークレットの意味、知らないの?」

「意味じゃなくて、中身を知りたい。いつどこで、どんな障害になるのか・・」


「そんなこと、こっちが知りたいくらいよ」

「知らねぇのか?」

「トップシークレットだから・・」


 男は催眠術でもかけるかのように、ジッと岩井アナの瞳の奥を覗き込む。

 一歩前に出ると、視線をかわした岩井アナが、パンプスをコツンと鳴らして、一歩後ずさった。


「ホ、ホントよ。担当する人しか知らないの」


 男はフンと鼻を鳴らし、革ジャンに手を突っ込み歩き出した。

 2、3歩進んだところで、背後からハァと勢いよく、息を吐く音が聞こえてくる。

まるで、


「何なのよ! この人は・・」

と、言っているようだった。


 わざと振り返ってやったら、今度はハッと息を呑んで、全身を固くする。『だるまさんがころんだ』の、鬼になった気分だった。


「そうだ、いいこと教えてやる」

「・・?」

「中継の邪魔したびに、特ダネを提供してやるよ」


 岩井アナの眉尻が、ピクリと動いた。

 お互いの体温を感じるほどに、アザ男は体を寄せる。ややアゴを引き、岩井アナの耳元で、


「爆発が起こる。コース上のある橋で・・」

と、ささやいた。


 その瞬間、思いっきり突き飛ばされた。


「うっ・・」


 屈み込んで脇腹を押さえる。キリキリする痛みに、思わず息が止まりそうになった。


 瞑った目を開けると、岩井アナの鼻の穴が膨らんでいる。ムッとした表情で、男の身なりを、頭からつま先まで、値踏みするように観察していた。


 革ジャンの下はドクロ柄のTシャツで、ジーパンの膝は破れている。しかも顔には、普通の生活ではこしらえることのないアザまである。


 そんな男の言うことを、誰が信じるものかと、その顔に書いてあった。

 きびすを返し、やたらカツカツとヒールの音を立て、花びらが舞う桜並木の下を、石川橋まで戻っていった。

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