第5話 実況3

 石野アナウンサーが、

「岩井さん?」

と呼びかけると、画面は中継先の兼六園前に切り替わった。


 桜色のスーツに、ベージュのダウンジャケットを着た岩井アナウンサーが、兼六園と金沢城公園を結ぶ石川橋の中央に立っている。重要文化財・石川門を背にしていた。


 やや緊張した面持ちでマイクを握り、

「はい。私は今、石川橋にいます。今日は、本当にいいお天気となりました。眩し過ぎるほどの青空。そして時折、桜を散らす強い風が吹いています」


 チャームポイントのえくぼを披露して、媚びるように微笑む。

 やや大げさに、

「ご覧下さい」

 右腕を大きく横に広げた。


 すると、その先にあるはずの桜並木が、黒の革ジャンで遮られた。それを着ている男の後ろ姿が、画面の半分を占めている。緩いパーマのかかった長髪を、無造作に束ねていた。


 慌てたカメラマンが、男をフレームから追い出す。心の動揺が、画面の揺れとなって表れた。


 すぐに、お堀通りに面した満開のソメイヨシノが映る。

 淡いピンク色の並木が続き、風に揺られてはらはらと、着物のがらのように花びらが優雅に舞う。


 スムーズな進行がわずかに狂い、ここから、岩井アナの調子が崩れ始めた。


「こ、このお堀通りをはさんで向かい側に、日本三名園の1つ兼六園があります。や、約400本の桜があり、桜百選にも選ばれております。7日からいっちゅうかん・・、い、1週間、無料開放となっているため、ここぞとばかり、大勢の観光客が訪れています」


 映像は、桂坂かつらざか方向を映し出していた。


 茶店や露店の前を、観光客が行き交っている。

 ここだけは東京並の人口密度で、各地の方言に混じって、中国語も聞こえてくる。

 夏祭りの縁日のような賑わいだった。


 再びカメラは、ガチガチの岩井アナをとらえる。


「選手は近江おうみ町市場があります、む、武蔵ヶ辻むさしがつじから、百万石通りを通って、この兼六園したまでやってきます。その先、27キロ過ぎの兼六坂では、さらに体力を消耗させる第8障害、あ、失礼しました。第7ですね、第7障害が待ち受けています」


 岩井アナが欄干らんかんに視線を移す。


 立てておいたはずの温度計が、忽然こつぜんと姿を消し、一瞬頬が引きつった。


 そのとき、斜め後ろからタイミングよく温度計を渡され、そのままつかんで、顔の高さまで持ち上げる。

 卒塔婆そとばのような大きさだった。


「現在の気温は11.7度。湿度は・・」

 温度計を見ずに、リポートを続ける。


「岩井さん?」


 石野アナの呼びかけに、岩井アナは持っている温度計を下ろし、その手でイヤホンを押さえた。


「はい」

「逆さですよ」

「・・」


 数秒の空白のあと、慌てて温度計をひっくり返す。

 石野アナが、


「マラソンに適した気温が12、3度ですから、絶好のコンディションといえますね」

と、気を使う。


「は、はい。湿度は49パーセント、風速は3.5メートルとなっています」


「沿道に大勢の人がいます。これだけの人から応援されると、選手も心強いですね」


「えっ、ええ、しかし、ほとんどの人は花見がメインで、マラソンの応援は、暇つぶしだそうです」


「ああ、なるほど。所詮しょせん、人生とはそういうものなんでしょうね」


「お、恐らく、この辺りで選手がリタイアした場合、花見で一杯、という可能性も出てきます」


 至極真面目な口調だった。

 すると、画面の左から、うつむき加減の男が姿を現し、そのまま岩井アナの肩にぶつかった。


「キャッ・・!」


 短い悲鳴が茶の間に流れ、岩井アナが画面から消える。

 そのとき、カメラの前を横切ったのは、黒の革ジャンを着た細身の男だった。太陽を背にしているためか、顔全体が陰っている。


 ガサガサとマイクがノイズを拾い、岩井アナの頭頂部が画面下から現れると、


「い、石川橋からは以上です」


 強引に中継を切った。

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