第6話訪問者
1
「キミの話をまとめるために、今度話合おうよ。土曜日の午後にいいカフェを見つけたからそこでいい?」
吉村さんの言葉が、僕のメールに入ってきた。この前のあれ以来かなり親しくなり、アドレスも交換した。はじめはSNSを教えたけど、なんだかおかしな雰囲気だった。それでダメ元でメールの交換を言うと、彼女の顔が明るくなった。
吉村さんとの距離が近くなっている。鈍い僕でも、すぐに気づく。なんだか男らしくない。そう思った。彼女を引っ張ると言うより、上手くのせられている。だけどそれが今の僕だ。情けない。
メールを送信する。もちろん快く受けた。彼女の可憐な笑顔が見たいからだ。本当に一輪の職場の花だと、この頃は意識するようになった。おそらく僕は……。
ピンポーン
チャイムが鳴る。吉村さんへの想いを断ち切るかのように、僕の耳に入った。僕が立ち上がりドアを開ける。そこには、凛々しく少し厳つい顔があった。
凛々しく厳つい顔は、どこか僕に似ている。当たり前だ。兄さんである。
「久しぶりだな、ちょっといいか?」
兄さんが言った。外は雪がパラついているようで、頭にはうっすらと雪を被っていた。僕が中に勧めると、無言で部屋に入ってきた。
兄さんが部屋に入ると、右手にビニール袋がある。どうやら近くで買い物をしたようだ。
「二人で食べないか?」
兄さんが誘う。僕は断るつもりだった。断るつもりだったけど、いっしょに食べることになった。つまり押しが弱いことを意味している。それにしても、大きな袋だった。
「寿司屋の寿司だぞ、但し自転しているけどな」
兄さんが笑う。回転寿司なら素直に言ってほしい。晩ご飯代は浮きそうだから、あまりキツくは言わないけどさ。僕の買ったお惣菜は明日の朝と昼ご飯にしようと心に決める。そしてお茶とアルコールの用意をする。
「俺は酒は要らない。呼び出しされたら行かないと」
兄さんが気合を入れながら答える。顔が仕事モードになっていた。
兄さんの仕事は、お医者様だ。専門は内科らしい。もう少し噛み砕くと確か……忘れた。今日はどうやら緊急外来の日でもあるようだ。
兄さんが言うには、「本来は仕事が終わったが、急な呼び出しがある。そのためにこのアパートは、中継点になる」とのこと。大変な仕事だと思うし、やりがいがあり、将来を約束された場所とも感じるのが僕の印象だ。
「大変なんだよ。患者さんのこと、上司のこと、疲れるんだ。患者さんの疲れは嬉しいよ。頼られると、嬉しいじゃないか。しかし内部のゴタゴタは嫌だ嫌だ」
兄さんがそう言いながら袋を開ける。そこにはホームパーティーサイズの入れ物に、たくさんの寿司があった。少なくとも二人サイズではない。
「たっぷり食おう」
兄が笑う。僕は少し戸惑っていた。
2
お茶を飲みながら、寿司を摘む。ネタは高いのも少しあるが、ほとんどはリーズナブルだった。だけど味はいい。僕が普段食べている惣菜も美味しいけど、寿司は回っている店のであれ別格だ。オバチャンの笑顔に、少し申し訳なさを感じた。今日もいい笑顔だったから尚更心が痛い。
「たまの贅沢も大切だ。それに日持ちするだろ」
兄さんの言葉に、僕は素直に従う。ここはご馳走を優先させる。回転寿司とは言え稼ぎがまだまだ心細い僕にとって、ご馳走を置かれて無視する意志の強さはない。
意志の強さ……なぜか吉村さんの顔が目に浮かぶ。キリリと引き締まった彼女の姿に、寿司の味が少しぼやけている。いやぼやけているのは、僕の今の姿だろう。
「たくさん食えよ、これは二人用じゃない。店には家族用と言ったから」
兄さんがそう言うと、スマホをいじり始めた。おそらくは奥さんへの電話だろう。兄さんは父さん母さんと同居して、奥さんはそこに嫁いできた。結婚して数年は経過している。看護師さんで職場結婚は良くある話。僕と吉村さんも同じ職場だ。意味はない。意識はあっても、意味はない。
「もしもし、ああ、弟の所だ。子供は寝たか?」
兄さんには子供が一人いる。いや確か奥さんのお腹には、二人目がいる。だから二人が正当だろう。
「そうか、親父がか……わかった。一度医者の顔と看護師の顔を使おう」
親父、つまり父さんの話に、顔が上がる。サーモンのマヨネーズが塗られた寿司を口にいれながら、兄さんを見ている。曇った表情からは何かあることが一目瞭然だった。だけと僕には関係ない。
僕は父さんから、愛想尽かされたんだ。あの家には残れないのは知っている。兄さんが居るし、その家族も居る。こう言われたことがある。
「いつになったら、一人前になるのか?」
これは何を意味しているのか? 結婚して、子供ができることがそれなのか? 僕はそれを聞けなかった。ただ沈黙を守りそして家を出た。いずれは出ないといけないのはわかっている。だから出ただけだけど、なんだか寂しかった。
「じゃあな、今日は弟の場所にいる。しかし呼び出しはありそうかな……わかっている聞いてみる」
兄さんがスマホを切る。おそらく呼び出しに備えているのは、僕にもわかった。寿司の量がたくさんあるのは、お駄賃をくれたようなものだろう。ただ少しひっかかる。「聞いてみる」と言ったときに、僕を見たからだ。一体何があるのか。
僕はアナゴを口に運ぶ。それを見た兄さんが、少し吹いた。不思議な顔でいると、答えてくれた。
「今の姿、そして表情、親父に似ている」
兄さんの言葉に、少し気分を害する。僕が父さんと蟠(わだかま)りがあることを知っているのに、そんなことを言われたからだ。
「なあ、親父はお前が出て行った時、誰よりも心配していたんだぞ。親父はお前が兄弟で一番可愛く思っていたから」
兄さんの口癖が出た。「一番可愛く思っていた」は、ことあると聞かされる。兄弟の中でデキの悪い僕が、一番可愛いなんてありえない。父さんは兄さん、姉さんが好き。それだけだ。
「お前だっていい会社にいるんだ。見る目がある。親父は喜んでいたんだぞ!」
兄さんが玉子を口に入れ、お茶で胃袋に流すように食べた。少し渋い顔をしたのは、僕の入れたお茶のせいか? それとも?
「親父だがな、少し体調が優れない。医者の立場から、俺は精密検査を勧めているが、学校が大変とかで応じてくれない。頼むお前からも、言ってくれないか。嫌でもなんでも、お願いする」
兄さんが、真顔で言った。このとき、今日、ここに来た理由がわかった。第一理由は仕事だろう。だけどもう一つの理由があった。それが今の言葉に間違いない。
「俺の目から見た親父は、かなりの重症に映る。検査はしていないが、医者の感と、息子としての感、これが一致している。お前も見てほしい。今の親父を」
僕は言葉がなかった。黙ってただ聞いているだけだ。逃げるつもりはないけど、攻めるつもりもない。だから黙っている。優柔不断がそのまま出ていた。
「まあ、考えてくれよ。ただ時間はないだろう。今はいいが、返事は早めにな」
そう言いながら、兄さんがトロを摘む。そして僕に大トロをくれた。おそらく一番高いネタだ。驚いていると、半開きの口に押し込まれた。無理やりに、食べてしまった。とろけてなくなる寿司に、美味しいかどうかの判断ができなかった。なんだか悔しい。
3
兄さんは居ない。約束通り、病院に戻った。僕のアパートに泊まりに来るときは、ほぼ呼び出しがかかる。凄い重労働で、お医者様も大変なんだと同情していた。
寿司はもうない。兄さんと結構食べた。はじめは残ると思っていたから、少し意外だった。但しお腹は重い。胃薬が必要かも知れない。
胃薬を飲むと時計を見た。時間は遅い。だけど鏡を見ることは、今日も止めない。僕は『俺』が現れるのを待った。するといきなり冴えない顔が目を閉じた。そして開く。
「親父と向き合う機会ができたな。良かったじゃないか、逃げてばかりじゃどうにもならないぜ。その前に食い過ぎだ」
顰めっ面を、『俺』に指摘される。食べ過ぎの影響ではない。これは父さんのことへの、渋い顔だと言い返す。
「まあそれもあるな。ずっと、会わないでいて、都合よく済ませようとしたお前への罰もある」
『俺』がはっきり言った。その口調は厳しく、冷やかしの姿はなかった。
「どうするんだ、合うのか?」
『俺』が言った。僕はいずれは合うと頷く。どうやら避けては通れない。当たり前だが、悟っているつもりだ。
「わかった、それなら麻衣子ちゃんとも、いい思い出を!」
そう言うと、変顔のまま『俺』は消えた。オイオイ、何が麻衣子ちゃんといい思い出だよ。彼女が……麻衣子ちゃんが、どうしたんだよ。
……!
僕はびっくりする。吉村さんのことを、麻衣子ちゃんと想った。今までは吉村さんは吉村さんだった。だけど彼女が麻衣子ちゃんに変わった。
僕は胸を掴む。そして言い聞かせる。やはり僕は……
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