第4話 あっちの水、こっちの水

 1



 駐車場に僕と安田、そして彼の家族が戻ってきた。母さん、つまり安田の奥さんが少し買い物をしたいらしく、しばらく安田らクルマを借りる。今気づいたけど、少しゆったりした服装だ。



 「お腹の子供、気を付けてな!」



 優しい言葉で奥さんを見送る。クルマには子供二人もいて、みんなが手を振っている。安田も大きく手を振る。親として充実しているんだろな。



 「余計な気を聞かすな! アイツさ俺の同級生で同じ学級と聞いた瞬間に、いきなり買い物したいって言いやがった。弁当は作ってきたのに、こんな所で何を買うんだか」



 少しため息を吐いている。今まで見たことないくらいに、良い表情だった。こんな姿、学校では見たことなかった。違う、それを大人になり自然と身につけたが正しいのかもしれない。



 「さっき、海ではしゃいでいたろ? あれな俺が海をみたいなんて呟いたから、アイツが気を聞かせて海に来たんたぜ。冷たい風が吹くのに、お腹にたくさんの温かいカイロやら腹巻きやら……」



 呆れ顔をしている。だけどどこか嬉しそうにも見えた。安田は昔から社交的で、誰とも仲良くなれた。受けもよく、みんなの人気モノだった。



 当時の僕はいや今もか、消極的で内向的であり友達と言う友達は一人もいなかった。そんな中で、安田だけは僕に声をかけてくれた。安田からしたら僕も声をくれる一人だったけど、僕からしたら唯一僕に声をかけてくれるヤツだった。



 「お前は頭良かったから、うらやましかった。だから俺にとって憧れだった」

 


 安田が言う。なんだか嬉しかった。そんなことを、今まで一度も言われたことはない。だけど僕も安田が羨ましいかったことを伝える。みんなの人気モノだったことや、明るくみんなを勇気づけてくれたこと、そんなことを言った。



 「俺はバカだったからな。世間知らずと言うか、なんと言うか……」



 少し照れながら、答えてくれた。笑った顔は当時のままで、やはり安田は安田なんだと確信する。


 

 太陽は高く気温は暖かい。冬の澄んだ空気と、暖かい日差しに僕達は少し立ち話を続けていた。駐車場は相変わらず閑散としていて、人気は誰もない。おそらくはしばらく、誰も来ないだろう。道路には少しのクルマが走り抜けてはいるが、僕達に気にとめることはなかった。当然と言えば当然ではある。



 「ここな、今年の夏に家族で遊びき来た海でさ、忘れられなくてさ。冬のこんな時期に来たんだけど、やはり寒かった」



 安田が苦笑していた。僕は冬の海も良い表情がある。夏みたいに情熱的ではないが、どこか感情的になると伝える。安田は相変わらず笑顔を絶やさず、僕を見ていた。気を使っていないか、少し不安になる。



 安田の長所は明るく元気だったこと、反対に欠点は気を使いすぎることでお節介でもある。今日も僕に気を使ってくれている。



 「俺だって嫌なヤツはいた。そいつは無視(シカト)さ! お前は違うけどな。なんて言うか、守ってやりたいそんな気持ちにさせるんだ」



 鼻を掻きながら、笑顔で応える。守ってやりたい? 何故そんな気持ちになるんだ。僕は不思議そうに安田を見た。



 「お前は気づいてないだけさ」



 安田はそう言い、ますます鼻を掻く。僕が気づいていない? そうかな? 困惑していると、安田のスマホが鳴りだした。画面を見て「嫁から」と言うと耳をあてて会話を始める。



 「もしもし、うーん……そうだ! 同級生に聞いてみる。少し失礼かもしれないな、けど聞いてみるわじゃあ」



 少し待ちぼうけながら、安田のスマホのやりとりを聞いていた。相手は奥さんのようで、何やらありそうな感じだ。


 

 「この先に市が経営する無料休憩所があるんだけど、そこで家族が待ってるらしいんだ。子供が動かないらしい。腹減ったとかでさ……頼む、送ってくれないか」



 何やらとはクルマで送って行くことだった。僕は構わないと頷いた。安田はアハハハと笑い、僕の肩を叩く。変わってない、厚かましい所も変わってない。だけど不思議と許せてしまう。僕も人が良すぎるようだ。



 2



 レンタカーに僕と安田はいる。彼の奥さんがいる場所までは、クルマで約十数分くらい。それを考えると思いの外、長話をしている。運転手は僕で、助手席には安田、後部座席に弁当入りリュックが居た。



 「このクルマ、レンタカーか?」



 安田の言葉に頷く。理由を説明すると、納得はしていたが苦笑もしている。だけど今はこれでいいと、はっきり言い切った。



 「そうか、ストレス解消か。それもありだな。俺が海を見たい、いや行きたいだけっか? まあどちらでもいい。言いたいことは海に来ているお前と出会った」



 安田がやるせない顔をする。その表情からは、さっきみたいな垢抜けた彼ではなかった。どこか思いつめていみたいに僕の目からは映るからだ。



 「実はさ、この前、オカンといろいろあってな、家を嫁と二人で家出してな」   



 ポツリと安田が言った。もう少し詳しく聞くと、嫁と姑の間でのいざこざらしい。そして彼は次男で、長男も同居だった嫁も居る。いやこの場合は次男が居候になる。時代は変われど、どの家も長男が家督を継ぐ。しかし長男夫婦には子供がなく、そのために彼は居れたらしい。 


 

 だけど春先に長男の嫁に子供ができ冬に出産して、ますます風あたりが悪くなった。そして家を出たらしい。今は奥さんの実家に居候している。嫁さんの実家とは言え関係は良好と笑っていた。



 僕は静かに安田の話を聞いていた。彼は彼なりの不安を抱えている。それを話すことで、ストレス解消をしていた。だけど別にそれでもいい。頑張っているのは、間違いないから。少しくらいは捌け口になってあげないといけない。



 そうこうしているうちに、目的地に到着した。景色を楽しみたかったが安田にすべて持っていかた。彼のストレス解消を手伝いできた実感と、景色を楽しめなかった少しの不満を抱えながらレンタカーを降りる。



 「さてと、行こう!」



 安田が一人張り切っている。僕はそれについて行く。太陽から伸びる影は、短かった。それは太陽が南の一番高い場所にあることを意味している。要は昼になったということであった。



 3



 休憩所は海水浴場の近くにあり、なかなか大きな建物だった。夏場は海の家にもなり予約状況ではあるが宿泊もできるようだ。ただし夏限定で、素泊まり、風呂は近くにある市が経営する大型銭湯に行かなくては行けない。海の家としては合格だけど、宿泊先としては不合格である。僕はそう思った。



 中には安田の家族と僕だけで、冬場だからかそれ以外の人は誰も居なかった。そこで彼の子供達が、大声を上げてはしゃいでいた。



 「はーい! 父ちゃんだぞ!」



 安田の声を子供達は無視している。貸切になっている休憩所は、温かくどうやら暖房が効いているようだ。



 「こら、無視すると飯にありつけないぞぉ」



 安田がそう言い、子供達を追いかける。怒ると言うよりも、いっしょになって遊んでいるように映る。奥さんが、アハハと笑っていた。なんだか温かい。その温かさに、僕もほころんでいた。



 「つかまえた」



 安田が子供達をつかまえると、父子で笑う。その顔はそっくりだ。強い絆を感じる。だけど顔が似ていると言う理由だけではない見えない糸を僕は感じた。一口に家族と言っているが、口では言い表せないとてつもない存在であることを教えてくれていた。



 僕は出遅れている。安田のように、家族がいない。独身は楽だと言い聞かせているけど、間近くで絆を見せられると間違っていると気づかされる。



 間違いなく僕も温かい家庭が欲しいのだ。だけど僕の生まれ育ってきた家庭は、そして家族はどこかギスギスしていた。まるで錆び付いたモーターを、汚れたオイルで動かしている発電機のようだった。発電しても温かさではなく、不自然な距離感しか生まれてない。



 なんだか悔しい、そしてなんだか居心地が悪くなった。僕はそれではこの辺でと、頭を下げた。安田はいっしょにご飯を食べていかないか? と声をかけてくれたが、レンタカーの返す時間が近くなったと嘘をついた。まだ大丈夫なのだが、居心地の良い空間に居たくない。



 安田が携帯番号を教えてくれる。僕も逃げることへの申し訳なさから、携帯番号を教えた。いずれ二人で酒でもと、いつになるかわからない約束をする。おそらく、二人してその気なんてまるでない。一応の社交辞令だと思った。おそらくは電話もかからないであろう。



 僕は休憩所を後にすると、レンタカーに乗り込み。見送ってくれる安田の家族に一礼しながら、笑顔を作った。今では自然に頬がほころんでいたが、何故か別れるときはそれがなかった。



 4



 さっきの駐車場に戻ると、リュックの弁当を食べている。味気ない。そして冷たい弁当だった。いろいろな意味で冷たい。手から舌から感じる温度や、寂しさ孤独感による心の不安、五感が全て冷たかった。それを水筒の温かいお茶で、清めるように胃袋に流す。少しだけホッとした。



 弁当を食べ終わると、僕はバックミラーを見た。さえない僕の顔が、いきなり目を瞑りそしてゆっくりと開く。



 「安田の家庭は温かいな。まるで犯罪者だ。見せつけ罪という犯罪だ」



 『俺』がからかいながら、皮肉っている。僕は何も言わないでいる。何故なら賛成意見だからだ。


 

 「お前と意見が合うとはな。しかし! 一つ勘違いをしている」


 

 『俺』は言い切った。僕はいきなり顔が曇る。



 「お前の家庭と家族も、安田と同様に温かいんだ。それを感じないのは、お前に原因があるからさ」



 『俺』が真顔になる。僕はおかしなことを言う『俺』を睨みそして笑った。コイツは何もわかってないと、呆れながら。



 「わかってない……か、わかろうとしないお前に、笑われるとはな。しかしな一つ忠告しておく。いいか、あっちの水は甘くこっちの水は苦いんだ。あっちは他人で、こっちは自分だ。つまり自分の水は苦いんだ。じゃあな」



 そう言うと『俺』は、消えた。なんだかあっさりしていて、拍子抜けする。だけど『俺』が言った、あっちの水、こっちの水、その意味がよくわからない。よくわからないことを、残して消えた。なんたんだ一体それは! 



 スマホを見ると、昼は過ぎていた。まだ少しだけ時間があるから、海岸線を走ってみよう。エンジンをかけると、レンタカーを運転する。もう少し、ストレス解消をしよう。



 



 



 


 



 



 










 


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