第2話 吉村さん

 1



 今日も会社だ。出勤をしてみんなに、形式的な挨拶をする。無機質な空間は相変わらずで、僕は淡々と与えられた仕事をする。まず社内メールをチェックだ。会社で仕事を始める時は必ずする。儀式的でほとんど何もないが、たまに嫌なメールも入っている。だけど今日は、特別なことはない。良かったと胸をなで下ろした。



 「おはようごさいます」



 少し甲高い声が聞こえてきた。吉村さんの声だ。僕はチラッと目線を動かして形式的に、挨拶を返した。彼女は少し僕を見ている。目線は合わせないが、何故だかわかる。



 吉村さんは自分のデスクに行って、椅子に座った。パソコンを開く音がする。そしてメールチェックをしていた。


 

 「え! なんでよ! どういうこと?」



 吉村さんの声が聞こえてきた。小さい声だけど、隣は僕にはしっかり耳に入る。僕は視線を彼女に向けた。取り乱しているためか、僕には気づいていない。声をかける。すると彼女は少し息を整えて言った。



 「何でもないです」



 構わないで! そんなオーラが全身を包んでいる。どんなエラーがあったかはわからない。だけど僕を必要とはしていない。いや、おそらくは誰も必要とはしていないみたいだった。彼女は躍起になっているのは、僕の目からもわかる。



 吉村さんは部署では数少ない女性だ。一人ではないが、女性は数えるほどしかいない。その環境のためだろうか、会社にあまり馴染んではいなかった。ただ会社に馴染まないのは、僕もいっしょだからそこは似た者だろう。



 「これは私のことです。お気遣いだけ、頂きます」



 目が笑わない不自然な笑顔を、僕に見せる。その姿に、彼女の今が見えていた。どうやら僕には吉村さんの力にはなれないようだ。彼女が好んではいない。



 2



 僕は書類を作成している。書類を詳しく言うと、企画稟議書なんて難しい言葉だ。堅苦しい言葉が並ぶけど、要は簡単な見積書で難しくはない。そんな書類なら、僕のような下っ端に触らせはしない。それもほとんどが、お得意様で継続のモノばかりだ。つまり手を加えることもあまりない。



 「おい、まだか?」



 課長の声をした。僕への催促で、急がせている。僕は軽く会釈して完成した書類を、メール送信する。少しして、課長がメールを開いた。



 「おい、ちょっといいか」



 課長が僕を呼ぶ。みんなは知らん顔をしているけど、恐らくは聞き耳を立てているはず。席を立つと、吉村さんがいないのに気づいた。だけど今はそんなことより課長が優先だ。



 「ここの値だが、もう少し抑えろ。ここは少し前に、やり方が変わったらしい。言えばこんな時期の人事異動だ、次の担当者に話す機会があったがかなり厳しい人間のようだ」



 課長がキツく、上目に言う。椅子に反り返り手すりに体重をかけて、態度はお世辞にもよくはない。だけどこんなのもいると、僕は思うことにしている。


 

 「もう少しここのコストを考えろ」



 僕は内容を把握する。難しいかも知れませんが、やってみます。しかし力量不足なところもありますので、その時はお知恵拝借してよろしいでしょうか? 伺いを立てておく。



 「コレくらいは、簡単な見積だ! 全く! まあ、その時はアドバイスをしてやる」



 思いきり人を見下し、そしてニタリと笑った。頼らない方がいいのだろうか? それに、難しいくない簡単なのに厳しい人間なんだと言われたところも、なんだかしっくりとこない。だけどやるしかない。



 席に戻るとみんな、よそよそしい。同僚の一人が僕を見ると笑っていた。僕は不思議に思いながら、椅子に座る。そしてもう一度見積をやり直しをしようとした時に、いきなり大声が聞こえてきた。



 「なんでここからこんなメールが入ってくるんですか」



 声の主は、吉村さんだとわかった。みんなが声に反応して、そこを見る。すると同じ部署で他課の課長に詰め寄っていた。



 「そちらの課長から、あなたの修正依頼を送信してのは私だが……」

 「なんでアナタから入るんですか」



 何かトラブルがあったのは間違い。だけど今はそれを詮索している暇はない。数人が吉村さんに行く。僕も少し遅れて、混ざりに行った。止めるつもりはないけど、行かないと周囲が許さないみたいに見えた。つまり野次馬に近い。



 「吉村さん、こちらの課長から送信してもらった。昨日の夕方に、会社のパソコンがフリーズしたんだ」



 課長が止めに入る。面倒くさい顔が、今の吉村さんの一部始終を物語っていた。パソコンのフリーズは確かにあった。どうやら近くの会社で、ウィルス感染があったとかの情報がありそれに伴うフリーズでは? と昨日話題になったのは日の暮れた時間だった。ちなみに吉村さんは帰っていた。仕事が終わったのだから、それは仕方ない。



 「パソコンは随時回復したが、私の課は後回しになった。そのために、余分な仕事をしてもらった」



 吉村さんが黙って聞いている。目つきはいまだに鋭く、まるで全ての人間を威嚇していた。私の味方はいない。違う、私は味方なんか要らない、そんなオーラが出ているように僕には見えた。


 

 「見ろ、ここに私のサインがあるだろう」



 課長が言う。だけど少し不思議な話ではある。何故隣の課長に、話を付けたのか? 理由は簡単である。課長同士が同期で、よく飲みに行く仲らしい。たまに二人があだ名で呼び合っているのを、耳にする。その日も何やら約束していたのかも知れない。課長同士がいっしょに帰るのを、僕を含め何人かが見ていた。



 言ってしまえば自分が帰りたいから、隣の課の人間のパソコンと労力を借りた。課長のサインがあるから、別に問題はないと思っていたようだ。だけど吉村さんが、大きな声を上げた。どんな内容の書類かはわからない。でもおもしろくない結果が、彼女の感情に火を点けたみたいに見えた。それが第三者から入って来たのでおもしろくなかった。そう僕は推測する。



 「課長それなら私が出社したときに、どうして私に一言くれなかったんですか!」

 「悪かった。今度からは、気をつける」



 課長がため息まじりに謝罪をする。面倒くさいことに、蓋をするような感じがヒシヒシと伝わってきた。少し沈黙があり、彼女が口を開く。



 「本当に、気をつけて下さい」


 

 そして背中を向ける。おもしろくない、そんな雰囲気が背中からもわかる。それでいて、みんなが呆れかえっている。もちろん僕もその中の一人であった。



 3



 お昼休みを僕は後にもらった。会社の昼休みは少しのズレがあり、前と後がある。後にした理由は、課長の手直しを言われた書類を再編していたからだ。意外に簡単だったけど、手間は少しかかった。課長の指示も貰いながら、書類の承認が下りた時は前に入る昼休み時間中だった。課長を後休みに僕がしてしまい、そのことを謝罪し、他の雑用を済ませそして今がある。


 

 因みに雑用は印刷する紙がなくなりそうだから、総務部にメールにて紙の補給依頼をした。今、会社は紙から全てをメール化にしようと考えている。だけどすぐは無理だから、今は二つを共有していた。来年は紙の使用率を、現在の半分以下を目標にしているようだ。つまり今は、書類等が紙とメールに別れている。



 もう少し補足説明すると、僕はメール中心の仕事をする。どうやら世代が関係しているようだ。だけど今回は、紙での提出だった。課長の手直しがあったからだ。僕はメールでもできるけど、課長はそうはいかないみたいだ。



 さてとお腹が減った。昼食は食堂の日替わりランチだ。会社が少し金額負担をしてくれているから、かなり安く食べられる。味は、こんなものかな? これが目安になると思う。



 今日の日替わりのオカズは、小魚の唐揚げ甘酢餡かけ、春雨サラダだった。なんだか少し損した気分だ。昨日の晩ご飯、並びに朝ご飯のオカズに良く似ている。朝ご飯は夕ご飯の半分を朝にまわしている。それでいつも朝を済ます。


 

 それにしても、夜、朝、昼、全てがほぼ同じなんて……文句を心で呟きながら、日替わりランチを持ってテーブルに座る。周囲を見渡すと、なかなか盛況だ。会社のみんなが、何かしら食べていた。



 いただきますと手を合わせ、僕も小魚を一口食べる……正直、努力が足りない。つまり昨日のおばちゃんのお惣菜とは、比較にならないくらいに美味しくない。



 こんなものかな? これより、美味しくない。なんだか運がない。だけど食べよう、仕方ない。



 それにしても食堂は盛況だった。忙しい時間帯に当たってしまったらしい。疎らな時間もあれば、今日みたいな日もある。みんなはどう思って、ご飯を食べているのだろうか。



 「相席いいですか」



 いきなり声が聞こえてきた。いや僕がぼんやりとしていたから、気づかなかったが正しいだろう。



 えっ!



 声は吉村さんだった。お盆に小さめのどんぶりがあり、湯気が上がっている。僕は四人テーブルに座って居るのだけど、彼女は僕の対角線状にいた。つまりは一人占めにしていた。



 断る理由はない。僕はどうぞと、頭を下げた。吉村がそれを見ると四人テーブルの一番遠い場所、つまりは対角線状に座った。



 吉村さんが食べているのは、ラーメンのようだ。啜っている麺がうどんにしては細く、蕎麦にしては色が黄色をしている。美味しいのだろうか? まあ僕には関係ない。僕は日替わりランチを食べてるだけだ。



 しばらく重い空気が流れている。二人だけの四人テーブル、対角線で距離があるけど、なんだか落ち着かない。どうやら僕は無意識に彼女を、意識しているようだ。デスクの決められた席とは違い、食堂のテーブルは空いている席を自分の意思で決める。



 吉村さんが僕の居る席に座ったのは、ここしか空いてなかったからだろう。だけど今の立場が反対だったら、つまり彼女が座っていて、僕が相席をお願いする。断りは……やめとこう。そうはならなかったんだ。



 「あの」



 いきなりだった。吉村さんが声をかけてきた。僕は春雨サラダを口に入れた時だ。箸を口に押し込みながら、彼女を見る。少し怪訝な表情でいる。何か気に入らないことに触ったのか。



 「どうして、みんなと、そしてあの課長と上手く付き合えるんですか?」



 質問をされた。僕は少し考える。何故なら吉村さんに声をかけられたことに驚き、それ以上に口にした言葉に困惑したからだ。僕は上手く課長とやっているのか? 



 「はい、どうして?」



 少し、いやかなり困った。何故なら、わからないんだ。僕は人付き合いは得意ではない。昔から『仕方ないから』と、こんな程度でやっている。嫌われたくはないからだ。



 「なるほど、起用なんですね。ありがとうございます。先に仕事に戻ります」



 吉村さんが笑って席を立った。その姿からは仕事中の無愛想で、誰にでも突進していくいつもの様ではなかった。本当に可憐な花一輪が、課に咲いていると思ってしまった。



 吉村さんが食堂から居なくなると、僕は再び定食を胃袋にかき込むように食べた。確か、こんなものかなランチって名前、はたまた残念ランチ、別にどちらでもいい日替わりランチを食べていく。



 ふと思った。僕は食べるのが遅いのか、はたまた吉村さんが早いのか、どちらにしても彼女はいない。なんだか知らないが、出遅れ感が悔しかった。




 4



 僕はトイレにいる。それも大きい方だ。だけど用足しをするわけではない。背広から小さな手鏡を取り出した。そして鏡を覗き見る。そう、僕は『俺』を呼んでいた。



 鏡の中の僕が、いきなり笑い始める。僕は少しムッとする。なんだよいきなり!



 「麻衣子ちゃんと相席、良かったな! まあ、対面なら満点だけど」



 ハイハイ、そうですね。僕は冷めたように、『俺』を見ている。



 「花一輪だろ」



 おい! 確かにそう思った。だけど、『俺』には関係ないだろ。それに彼女のあの性格が、やはり引っかかる。午前のあれだって、そんなに怒鳴ることじゃあない。



 『確かに、俺も同じ意見だ。しかしそれは麻衣子ちゃんが、悪い訳ではないぜ。あのバ課長が絡んでる。自分が予定があるからと、隣の課長に頼むのはいいさ。問題は後フォローが、まずいんだ。書類を見られたことへの憤りが今回の発端だろう。別に見られても、どうなる訳ではないさ。訳ではないが、先にフォローしておく必要があった」



 『俺』が力説をして、僕はそれを静かに聞いていた。こいつは説教が好きで、ありもしない言葉を使う。だけど……



 「つまり、バ課長は麻衣子ちゃんを良く理解していない。だから今回のような信じらんない行動も理解できない。彼女の見てくれは気になっているかはわからないが、心は理解していない」



 引っかかることも言う。ここは確かに、賛成だった。課長は吉村さんを理解していない。もし理解があれば、あれはなかった。『俺』はどうやら、課長が悪いときめいるよいだ。



 「おい! それは違う。麻衣子ちゃんも悪い。麻衣子ちゃんも、柔らかい姿勢を見せればみんなが変わる。そしてそれを受け入れるみんなが優しく迎えたら、すぐにでもできる。お前もその一人だぜ」



 僕も絡んでいるのか?



 「そうだ、組織の歯車の一つとして、お前も絡んでいる。なあ先駆者になれ! まずはお前が、麻衣子ちゃんを変えるきっかけを作れ! そろそろ消えるぞ誰か来るかも知れない」



 そう言い残し、『俺』は消えた。全く簡単に言う。これがどれだけ難しいか、わかっているのだろうか。とにかくトイレから出よう。



 課に戻る。無機質な空気が、辺りを包む。みんなに戻ったことを伝えて、椅子に座りパソコンと向き合う。そこには吉村さんもいて、少し優しい表情でキーボードを叩いていた。良い表情だ。本当に可憐な花一輪が、ストレスの空間に力強く咲いている。そう思えた。



 















 



 





 





 



 





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る