色を奪われた花嫁と無力な青二才
発芽
第1話
母さん側の本家に足を運んだのは、ずいぶん前のことに思えた。
屋敷の建物をバックに、門から正面に広がる庭でちょっとした祝い事が催されている。白いテーブルクロスがかかり、その上に料理が並ぶ。従僕は手の平にお盆をのせ、ワインを勧めて歩いている。周りでは、招待されて参加者が楽しそうに会話をしている。
そんな良くある光景から遠ざかるように、僕は極力隅の目立たない所に立ってやり過ごした。
誰とも喋る気にもなれなくて、見事に三角形に刈り取られた常緑樹を眺めていると、聞き慣れた声で、僕の名を呼んだ。
「シン、久しぶりね」
「……そうでもないだろ。3ヶ月ぶり程度なら」
「そう?」
言われたメリッサは、少しだけ笑った。
今日は結婚と懐妊を祝って夫側ではなく、彼女側の親族が集まっている日だった。もちろん、主役であるメリッサの夫も呼んでいる。
「あなたが来るなんて、驚いたわ」
「来るつもりなんて、無かったけど母さんがうるさくてね。それより、僕に合わせて主役がこんな隅っこに居て良いのか?」
「今は休憩中なの」
とか言って、うるさい親族から逃げて来たんじゃないのかなって思った。それにメリッサと僕が一緒にいる所を、君の夫に見られても厄介なんじゃないかと思ったけど、僕もそこまで拒む気にはなれなかった。
「……妊娠したんだってね。おめでとう」
「ありがとう、って言うべきなのかしら?」
複雑そうに浮かべたメリッサは、"婚約した"と僕に直々に告白した日の顔に似ていた。
周りでは親族たちは、良くやったと喜びの声を上げ、華やかな音楽が鳴り響いているのに、僕とメリッサの空間だけは、無音で、背景まで凍りつき、まるで別世界だ。
「にしてもさ、えらく早い懐妊じゃないか。新婚生活を心配してけど、どうやら僕の危惧だったみたいだね」
「何が言いたいの?」
困惑したメリッサに、こんな事を言うのは最低だと自分でも思いながら、煮えきらなくて、どうしても我慢できない。
「案外仲良く、……いや、相当仲が良い夫婦でいるんだなって思ってさ」
結婚を嫌がってた割には、すぐに子供ができて、驚かずには居られなかった。彼女が物わかりの良い娘にしか映ってはいないだろうけど、もちろん、メリッサの本当の気持ちを僕だけは知っている。
だからこそ、誰にも言えない違和感を抱えていた。順応が早くて、抵抗しないでやり過ごしたメリッサの態度を簡単に想像できて、やってられない気持ちにさせられた。
もう少しくらい、拒んでやっても良かったんじゃないかと。
そうしなかったのは、なんでなんだ。
これはメリッサへの怒りじゃなくて、全てを横から攫って行ったあの男への怒りだ。そして、簡単に手放した自分にも。
だから、メリッサに当たるのは間違ってる。
そんな事は、分かっているのに。
自惚れた気持ちと邪魔なプライドが湧き上がっておかしくなる。
僕への想いが消えてないくせに、他の男を赦したのかと。
それとも本当に、忘れ去られたのか。
「……今、どんな気持ちだ?」
責めるような言い方にも関わらず、メリッサは僕に言われるのを予期にしてたのか、落ち着いた顔をして微かに笑った。
いつの間に、君は強くなったんだろ。
「すぐに妊娠できて、ほっとしてるわ。このお腹の子が男の子だったら、もっと嬉しい。だって、……もしそうなら、もうしなくても良いのでしょ?」
何かを思い出しように目頭に涙が溜まり始めた。
言葉にはしなかったけど、「嫌だった」と言われたようなものだった。
それでやっと、僕はメリッサの本心を悟って、憤ってた気持ちが消えていった。それから、気持ちを察して挙げられなかった自分が情けなくなった。
「……っ」
本当なら、自分の気持ちよりもメリッサの気持ちを汲み取って、一番にいたわりの言葉をかけてあげなくちゃ行けなかったのに、苛立っていた……。
「私の方こそ、貴方に会わす顔がないって思ってたの。嫌な思いをさせているのはわかってたから。みんなは喜ぶかもしれないけど、こんな朗報、シンだけには聞かせたくは無かったわ……」
「……しかも結婚して3ヶ月経たないうちなんてね」
「仕方なかったのよ。この子に罪はないでしょ?」
「あぁ」
「結婚して心の整理もつかないうちに、こんな報告聞かせて、シンには追い討ちかけたと思ってるわ。……でも、怖くて。逃げて……先送りにするほど、怖くてたまらなくなってね。だったら早く終わらせようって思ったのよ。そしたら、運良くすぐに子どもが出来たの。……怒る?」
「……僕に怒る資格はあるのかな」
嫁いだら、君はその男の物になるのは覚悟していたつもりだった。遅かれ早かれ、その男の子供を妊娠することも。
だけど、だめだな。
いざ聞くと、落ち着いては居られなくなる。
「可笑しなことを言うけど、貴方がそんな風に取り乱してくれたこと、嬉しい。こんな私に焼きもち妬いてくれたのよね?」
「……嫌になるほどな」
意地を張るのを降参した僕は、素直に言うことにした。お互い、まだ好きだと確認し合ったところで、どうにもならないことだけど。
もう君は早々に幸せを掴み、新しい愛でも見つけたのかと思っていた。だから、幸せにはなりきれない君の姿を見、まだ想われていたのを知れて、嬉しい気持ちになってしまったのは僕の方だよ。
まるで、狂ってる。
愛する人の不幸を喜ぶなんてさ。
メリッサの幸せを願っているはずなのに、最低な人間だ。
僕以外の男とは絶対に幸せになるなと、呪いをかけている。
「メリッサ、そろそろあちらにも挨拶に行かないと失礼になってしまう。おいで」
横から彼女の夫が現れた。
「えぇ」
多くを語らないものの、メリッサはその男の少し曲げた肘に腕を絡め、此処から席を外すことに、同意を行動で表した。夫婦として寄り添うその振る舞いを目と前で突きつけられるとは、残酷なことをする。
男は僕に気づき、まじまじと眺めた。11歳上の男には16にしかならない僕なんて、子供に映っているんだろう。男は貫禄も余裕もある。
「初めまして。式の時は挨拶出来ませんで、失礼しました。シンフォード・バーレイです。この度はおめでとうございます、Mr.ジョーンズ」
握手を求めて、手を差し出すと男は応じた。
「シンはね、弟みたいなものよ。昔はお庭でいっぱい走ったわねって話してたところなの」
「そうだったね。あの時は、連れ回されたものです。知ってますか?気をつけて下さいね。 すましてますが、彼女はこう見えてお転婆ですから」
くすくすと懐かしそうに笑うメリッサに、姉弟以上の関係に思わせないように、僕も合わせて笑う。それを見てか、男は警戒を解き眉間の皺が減った。
「ほぉー。君がね?」
意外そうに夫は妻の顔を見ている。
「いつの話をしてるのかしら。それは昔の話だわ。今は淑女らしくなれたでしょ」
「……心配していたんです。嫁の貰い手は見つかるのかと」
「お蔭さまでね。社交界で私を見つけてくれた人がいたのよ。ねぇ?」
そう言って、メリッサは夫に微笑みかけた。僕は直視する気になれなくて、目を逸らしたくなったけど、そこをぐっと堪え、心から祝福したように2人に向けて笑って見せた。
数人の男からダンスに誘われていたメリッサを、手に入れた恵まれた男は、誇らしげに口の端に弧を描く。メリッサの両親は選び抜いて、快く娘を託すほどだったらしいから、この男も尽力した甲斐があったのか、嬉しさは冷静を装った表情から零れていた。
僕から見れば、この男の誠意は多少あったとしても、両親の心を射止めた一番の理由は、家柄や資産、名声だったんじゃないかと思ってしまう。
「妻にもらうなら君しかいないと、一目見て思ったんだ」
あぁ。ダンス会場では一際、綺麗だっただろうね。将来を諦めたメリッサは、物静かで、儚げに咲く。それがより一層美しく見せ、一度目に留まれば、奪われたはずだ。そうでなくても、ただでさえメリッサは美しくいから。
くだらない。
そんな理由でメリッサを選んだかと思うと、尚のこと奪い返したくなる。
「Mr.ジョーンズ、僕からも彼女を妻に貰って下ったこと感謝します。それから、ジョーンズ夫人、妊娠おめでとうございます。元気な赤ん坊が産まれてくることを願ってますよ」
会釈をすると、2、3喋ると2人はこの場から立ち去って次のあいさつへと回っていく。寄り添う2人の後ろ姿を遠くから見届けて、僕は苦しかった息をやっと深く吐けた。
なぁ、メリッサ。
これで良かったんだろ?
ちゃんとさ、演じきれたと思うか?
何度自分に言い聞かせ、納得しようと思ったか。
どうして。メリッサの横にいるのがあの男で、自分は遠くで眺めてなきゃいけないのか。
あいつに言ってやりたい言葉はいっぱいあった。手に入れた気になってるけどさ、メリッサは結婚相手なんて、誰だって良いって思ってたんだよ。別にお前じゃなくても良かったんだ!
……なんてさ。
みすみす奪われた無力な負け犬は、心の中でしか吠えられない。
"彼女を幸せにできるのは僕だけだ"と、こんな立場になっても、あの男には負けた気がしないでいる。
メリッサの全て奪えても、あの男に心までは奪えない。メリッサの心は僕に向けられている。
この期に及んでつくづく馬鹿だと、自分でも思うよ。
**
その後、無事に長男を産んだことを親族から聞かされた。
母はメリッサの母親と仲のいい従姉妹だからか、メリッサと夫の話は筒抜けだった。聞きたくない話を僕にまで聞かせてくるもんだから、うんざりだっていうのに。
長男はすくすく育ち、メリッサとあの男に似ていいた。
結婚から4年が過ぎた頃、一度だけ逃げ出すように僕の屋敷にやって来た。
ドアが開いた瞬間、僕に向かって飛び込んでくるもんだから、避けるのは失礼な気もして慌てて受け止めるた。それを部屋までメリッサを案内したメイドが、僕らを困惑した目で見ていた。
それは、そうだろう。婚約以前ならまだしも、仮にも結婚した女性が未婚の男の部屋に一人で来るとは。その上、男に身を預けてる状態を目にしたら、言葉を失うのもわかる。
「えっと、あ…………、あ、あの。シンフォード様、相談もせず、メリッサ様をお通して申し訳ございません。……メリッサ様にもお待ち頂くようにお願いしたのですが……っ」
かなり動揺したようにメイドは、口ごもった。
「良いさ。メリッサが聞かなかったんだろから」
「も、申し訳ございません! それから、私は何も見ていませんからっ」
かなり誤解をされている。まぁ、正確には誤解でもなんでもなく、見たままなのも事実なんだけど。流石に、誤魔化さないと行けないだろうか……。
メリッサはしばらく経っても、僕の腕の中に埋もれたまま、離れる気配はこれっぽっちも無さそうだった。仕方がないな。今更、弁解もなにもないけど。
「まったく……。夫婦喧嘩でもしたのか? いくら昔のよしみだからって僕を頼られても困るよ?」
そう言って、ヨシヨシと頭を撫でて見せた。喧嘩なんて、したわけではないのは雰囲気から感じている。この夫婦の場合は喧嘩などしない。するほど、メリッサは感情を夫にはぶつけてない。抑え込んで、ただ幸せそうに装ってるから。
ちらりと、メイドを見ると完全には納得してないものの、動揺は少しだけ抜けたようだった。
「お茶を頼む。そうだな……、ハーブティーにして置こうか」
「は、はい!」
指示を受けるとそそくさと立ち去る間際、ドアを背にメイドは足を止め振り返った。
「シンフォード様は、紅茶がよろしいですか?」
「……いや、僕も同じハーブティーで」
屋敷にある一番鎮静作用のあるのがいいかも知れない。どうやら僕も、冷静を装っているけどそれなりに動揺してるようだから。
ドアが閉まり、部屋に2人きりになるのを確認すると、僕は小さめの声で呟いた。
「どうして来たんだ? 来たら不味いことくらい分かるだろ?」
「もう、苦しいの……っ」
「だからって、こんなこと」
婚約が決まった日から、あのキスを最後にメリッサに触るつもりなんて無かったし、会うのも遠ざけていた。
それなのに、押しかけて来るなんてさ……。
こっちの気持ちも考えろ。
そう言いかけたものの、言葉になるどころか僕まで強く抱きしめ返してた。
"愛してる"
そう想いを言葉にして告げられたのは、その夜の堅く鍵を閉めた自室の中だった。前にも後にもない。たったその一夜だけだ。すがりついてきたメリッサを、腕で抱き止めたままで満足しておけば良かったものを。
僕らは、とんでもなく愚かだった。
抱きしめていた腕を解くと、誰からともなく相手の衣服に触れた。そして、ネクタイやドレスの蝶々の結び目を緩める。コルセットを外し、身に纏うものを一枚だけを残し、そこで手が止まった。
白い素肌を出したメリッサを見て、少しだけ気が引けてしまう。
「正直、リードの仕方も分からないんだけど、なんとかなるもんかな……」
「……バカね」
あの男と比べてしまった僕に、手を伸ばし指先に自分のを重ね、メリッサは悲しそうに微笑んだ。
上手いだとか下手だとか気にしても仕方がない。どう足掻いても経験なんてないんだからさ。
「シンは知らないままでいて」
それはまるで、僕が代わりを誰かに求めるのを拒むような言い方でもあった。他の女性となんてなんて知らないで、……と。
「それに意味なんてないもの。好きな相手じゃないと、生きた心地なんてしないんだからね」
どんなものなのか知っているメリッサは、その時間をどんな思いでやり過ごしているのか……。
「こんな思いなんて、シンは知らなくて良いの……」
メリッサが少しでも心を保って居られるなら、せめて自由の利く僕は、全ての見合い話を断って、独身を貫こう。
それに、僕自身も分かっていた。
彼女以外を妻に迎えても、幸せな家庭は築けそうにないって。
「約束するよ。この先、他の女性の肌には触れないことを。触れるのはメリッサだけだって、約束する」
「……私だけ約束して……あげられなくて、ごめんなさい……っ。本当なら、私もシンに……」
「もう言葉にしなくても良い……!」
僕の前にあいつと何をしたかかなんて、メリッサを想えば仕方ない状況だったって、言われなくても、分かってる。言わせないように遮り、一度抱きとめ、そのまま口を塞いだ。
それでやっと、メリッサは落ち着いてくれた。
婚約が決まった日から僕らの心は、正常では無くなっている。
それを隠すため無理に正気に振る舞って、ますます狂っていった。
頭の片隅では、我に返れと警報が必死に鳴り響いてるのにさ、止める気になれなくて、それどころか、指先はメリッサの鎖骨の下辺りに触れて肌をなぞっていた。それと同時に、慣れているはずのメリッサの頬は恥ずかしそうに紅く染まるもんだから、僕もぐっと来て、ますますその気にさせられる。
「……っ」
ここまで来て今更、引き返せるわけがなかった。
この瞬間を、どのくらい待ち望んでいたか。
……僕らの長年の我慢は、とうに限界を超えていたみたいだ。
色を奪われた花嫁と無力な青二才 発芽 @plantkameko
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