第2話 ~人種依存的麺文化~ ② 交換移植実験

 実習チューターの院生がスクリーンの前に立ち、各班発表の号令を出した。 

 それを聞いた学生達がUSBを持って前に集まり、実験結果をまとめたパワーポイントファイルをぞくぞくとパソコンの中に入れていった。

 自分達の班だけを除いて。

 ついにこの時が来てしまった。

「正史君の班は発表しないの〜?」

 自席から全く動かない自分と蘭子を不思議に思ったのか、他の班の女子が声をかけてきた。

「まぁ、自分らはパワポ使わないでやるんで‥、へへ」

「へ〜、いまどき珍しいね。パワポ使わないってことは直に黒板に書くの?リアルタイム解析?どうすんのかな〜」

 答えを期待して、首をかしげた疑問顔でこちらに目を合わせてくる同級生女子。自分も答えを知らないので、一緒になって首をかしげてみた。

 ほんとどうすんでしょうね。

「まっ、発表がんばってね〜」

 自分のイエスでもノーでもない顔を察して、同級生女子は自席に戻っていった。

 すみません。

 本当は間に合ってないだけです。

「こいつのせいで‥」

 振り向くと、昨日とは打って変わって、Planetから目を離さない蘭子がいた。両手で顔の下半分を覆い、息をひそめ、微動だにしない。午前中からずっとこの姿勢だ。

 自分が何を聞いても心配しても、

「うん、発表には間に合うから」と、サンプルを凝視したまま空返事。

 そろそろ本気で単位が心配だ。

 先ほど4月ぶりにカリキュラムを確認した。どうやら自分がこの授業を落とすと3年次留年が確定するらしい。さよなら4年生。

 自分たち10班の発表は最後だとはいえ、もう1時間もない。

「‥だいじょぶかー。」

 声をかけてもこちらを振り返らない。

 人生諦めも大事。おとなしく他の班の発表を聞いてよう。

「それでは、1班から」

 院生のだるそうな声で、楽しい楽しい発表の時間が始まった。


 どの班も与えられた課題実験をそつなくこなし、ちゃんと発表していた。また発表の良し悪しはあれど、流石にデータなしの班はいなかった。

「‥はい、9班の方ありがとうございました。それでは最後、10班お願いしまーす」

 院生が自分らのテーブルを見て発表するよう促す。

 他の班も自分らを見る。

 ううむ。どうしたものか。発表しようにも出すものが…

「はい!!!」

 ん?

 さっきまで、全く動きを見せなかった蘭子の目が輝いている。昨日、とんでも実験計画を宣言したときと同じ目だ。

 蘭子はPlanetを小脇に抱え、教室前方へと早歩きで出て行った。自分も追いかけるように前に出た。


「ドン!」


「それでは発表を始めます。班員は私、蘭子と正史君です」


 黒板の前の長机にPlanet観察用のCCD顕微鏡(カメラ直結型顕微鏡)をセットし、自分らの班のPlanetを据えて、発表を始めた。他の班とは打って変わったスタイルに驚いたのか、教室が少しざわついた。後ろで船を漕いでいた教授も目を覚ました。

「細胞の運命決定は自立的、非自立的の二つのパターンがあると考えられてきました」

「要は細胞の運命が、まわりの因子に依存せずその細胞自身で決まっているのか、それともまわりにある因子によって決まっていくのか。ってこと」

「これは20世紀及び21世紀の発生生物学で多くの学者が様々な生物、生命現象を例に出して実証してきました」

「あなた、どんなものがあるかわかる?」

 と言って、いきなり自分の方を指してきた。クラスメイトの視線も自分にシフト。

「えっと、何があったかな…」頭の検索履歴を漁ったら昨日日付のカテゴリに引っかかった。

「フォークトの交換移植実験とか?予定神経域と予定表皮域のやつ」

 ちょうど昨日、一般生物の授業のときに蘭子と話したじゃないか。

「随分な古典を引用したわね。素晴らしい!正史君はよく勉強しているわ」

 偉そうなやつめ。お前は先生か。

「そう。フォークトの話がわかりやすいわねっ。みなまで説明しないけど」

「要は、その細胞、および細胞集団の運命はいつ決まるのかって話」

「ほっとけば神経になる細胞が、予定表皮域に植えて、培養すれば表皮になる」

「更に発生進んでから表皮植えると、移植前の元の運命にしたがって神経になるといった具合に」

 クラスメイトの頭上にクエスチョンマークがぽつぽつと勃起し始めているのが見えた。

 蘭子、お前は何が言いたいんだ?Planetの実験なのに、さっきからしているのは発生生物学、細胞生物学の説明だぞ。

「でもね、私はその概念って、もっとマクロな世界にも拡張できるものだと思うの。例えば…」

 自分の世界に入り、斜め上やPlanetを見ながら話していた蘭子がやっと聴衆に目を向けた。

 流石の蘭子もクエスチョンマークの大量発生に気づいたらしく、思案顔になり、話を少し止めた。

「あっ、ちょっと背景説明が長すぎたかしら。とにかく私が今回行ったのは…」


「中国とイタリアの麺文化交換移植実験!」


 ぶぁあ〜ん


 ドンとある胸を張る蘭子。銅鑼の効果音はイメージである。


 みな口を開けてポカーン。エクトプラズムがとび出てきそうな勢い。

 教室は静まり返っているのに、なぜか得意げな蘭子。

 サッカーに例えるなら、一番奥のサイドに展開していたボールをゴール前にクロスで折り返すと思ったら観客席にロングシュート。ボールは戻って来なかった。という具合だ。野球派の方々失礼。

「説明するより見てもらったほうが早いわね。すみません、CCDの電源入れてもらってもいいですか?」

 蘭子は入り口近くの院生の方を向いて言った。

 院生がスイッチを押すと、CCDを接続したテレビ画面にPlanetの特定地域拡大コンソールが表示された。

「今、画面に映っているのが、ラーメン文化が確立される前の中国になります」

 そう言うと蘭子はPlanetの回転スイッチを押した。Planetが回転し、今度は地中海の映像が出てきた。

「で、こっちがパスタ文化が確立される前のイタリアです」

「原始的な手法ですが、今回は人を“文化伝達媒体”とし、民族交換移植実験を行います」

「なるべく民族以外の違いが出ないようにするため、交換移植する人数、性別、年代、体型の構成はなるべく同じになるようにしました」

「それでは移植後0.5日から文化形成までの両麺文化の発生をお見せします」

 蘭子はPlanetのスイッチを押して、これまでの文化発生過程を再生し始めた。

「まずは移植後0.5日の中国人から」

 特定地域拡大コンソールに地中海に面したイタリアに降り立つ中国人が映し出された。

 見知らぬ土地に強制的に連れてこられた中国人達が何か言い争っている。

「ははっ、みんな戸惑ってますね〜、じゃあこの日の夕食を観察してみましょう」


「突撃!移植後の晩御飯!」

 Planetが半周して、夕食を食べる中国人達が映しだされた。

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