おはよう、別人の自分

城崎

さよなら、今迄の自分

「本当に、いいの?」

最後の問いに、彼は深く頷いた。元より、場所が彼の家の寝室である。互いの唇は、どちらのものかももはや分からない唾液によって濡れていた。状況だって状況だ。この確認に、意味はあるのだろうか。きちんと興奮状態にある脳みそでは、正常に判断出来そうにない。

「ーー」

彼が口を開く。何を言ったのだろう。その声は、ベッドに私たちが沈んでいく音でかき消された。逆光で、彼の表情が見えない。それは、暗闇の中にいるよりも恐ろしいような気がする。

「電気を消してよ」

自らの声は届いたらしく、電気が消された。ああ、夜が始まってしまう。



目が覚めると、先に起きていたらしい彼と目があった。次に、窓から射し込む光に目が眩む。彼の身体へと隠れて、光から逃げた。

「おはようございます」

時計を見れば、時刻はもうお昼へとさしかかっている。鳥たちは、もう飛び立ってしまったのだろうか。鳴き声が聞こえてこない。建物の立地なのかもしれないけれど、分からないことは置いておこう。

「うん、おはよう。もう昼だね。ご飯はどうしようか」

そう言って立ち上がろうとしたが、全身が気怠く腕に力を入れることが難しい。かわいた笑いが、自らの口から溢れた。

「ごめん。こういうのって、慣れてなくて」

再び立ち上がろうとする私を、彼が制する。その顔には、明らかな不満が浮かんでいた。

「なんでこういう時までしっかりしようとするんですか」

そうだね、ごめん。脳内では同意するが、そういう性分なのだからどうしようもない。

「うーん、そうだねぇ。こういう時って、どうすればいいの?」

「ゆっくりしてていいんですよ。あ、お腹すいたなら、コンビニ行ってきます。何がいいですか」

水という言葉が思い浮かんだが、彼のキッチンに置いてあるウォーターサーバーを思い出して考え直した。

「うどんがいいな」

「分かりました」

そのまま着替えて出て行った彼の背中を見送り、手馴れてるなぁとしみじみ思う。すぐに着替えたということは、先に起きてシャワーを浴びたのだろうか。その後、またベッドへと戻り私のを見ていたと。恥ずかしいことをする人だ。もっと恥ずかしい行いを、昨日一緒にしてしまった自分が言うのもどうかと思うが。

そう言えばと思い肌を見ると、自らの身体に付着していた液体も綺麗に拭き取られている。そもそも、シーツが濡れていない。

いつの間に。

すごい。

……我ながら、感想が酷すぎる。大学生だって、もっとちゃんとした言葉を使うだろう。いや、まず感想を述べないかもしれない。それよりも、こうやって転がっていて本当に良いんだろうか。彼が含みのあることを言うとは思わないけれど、なんだか落ち着かない。

ああ、ダメだ! 昨夜のうちに世界が変わったみたいで、どうにかなってしまいそたう!

でもきっと、彼にとっても世間にとっても、普遍的で些細なことなんだろう。自らにとっても、普遍的な行為になる日がくるのだろうか。そんなことを考えていると、スマートフォンから通知の音が聞こえた。手を伸ばして画面を見ると一言。

「好きだよ」

帰ってきてから、ちゃんと言ってよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おはよう、別人の自分 城崎 @kaito8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説