小さな罪と

誰かを蔑む女子の笑い声。

教室を旅するノートの切れ端。

宙に舞った言葉の欠片。

意識を移した紙飛行機。



担任はきっととても辛い思いをしているはずだ。

本来ならこんな仕打ちを受ける必要なんて無かった。

今までは生徒と良好な関係を築けていた。

ある日、歯車は狂って、この教室を変えてしまった。

授業の終わりを告げるチャイムに一番喜んでいるのは彼だろう。


「青葉、どこ行くの?」

「どこって、お昼買いに行くんだけど」

「とか言って、あいつのところ行くつもりじゃないの?」

「仮に僕が彼のところに行ったとしても、君には関係ないじゃない」

「あるの!ともかく、絶対に駄目よ!」

「わかったわかった。じゃあ君も一緒に行こう」

「え?ちょっと・・・・・・」



「何買ったのよ?」

「あんぱん」

「なにそれ、それで足りるの?」

「君が変に突っかかってくるから、めぼしいものが売り切れてたんじゃないか」

「う・・・・・・それは、その・・・・・・」

「まぁいいけど、元々小食だし」

「わ、悪かったわね・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・な、なによ」


黒く艶めいた長い髪。

大きな漆の黒い瞳。

派手な要素は微塵も無い。


「それより、今度の青年の主張、辞退しなさいよ」

「嫌だよ」

「なんでよ」

「僕は全校生徒に温暖化のことを伝えたいんだ。フロンガスからのオゾン層破壊、さらには」

「わかった、わかったから。あんたの熱意は伝わったから」

「鈴井さんこそ、もう止めたら?」

「・・・・・・なにがよ」

「いい加減見苦しいよ」

「あんたにはわかんないわよ」

「君がこのまま続けるなら、僕にだって考えがある」

「・・・・・・あんたに何ができるの?」

「さぁね・・・・・・でも、元通りの動きに戻すことはできるかもね」

「なによそれ、意味わかんない」


不機嫌そうな横顔。

走り去っていく人影。

投げつけられたペットボトル。


「こんなところで何してるんだ?」

「あぁ、先生。いや、鈴井さんがジュースをくれたので」

「ここで飲んでたのか?はは、教室でやればいいのに」

「素直じゃないですからね、彼女」

「まぁ、確かにな。でも、優しい子だ」

「優しい・・・・・・そう思いますか?」

「ん?あぁ、彼女は人のことを思い遣れる優しい子だよ。愛情表現には難有りだけどな」

「・・・・・・そうですね」

「それより、今度の主張の原稿、できそうか?」

「はい、もうあらかたできてます。後で渡しに行くのでチェックしてもらっていいですか?」

「おお、もちろん。ま、お前ならそのままでも大丈夫だろうけどな」

「そんなことないですよ」



降り止まない雨。

空を覆いつくす黒。

灯される人工の明かり。


「よぉ、頑張れよ!」

「いやー、俺はあんな全校の前で話すとか絶対無理」

「本当、勇気あるよなぁ」

「ちょっと!」

「あ、鈴井さん」

「つまんない話したら、寝てやるから!」

「・・・・・・うん」

「な、なによ!」

「ありがとう、頑張ってくるよ」



自分めがけて降り注ぐ光線。

好奇、羨望、嫉妬、蔑視。

興味が無くとも、こなければならないことに同情する。

きっとつまらない話だ。


原稿は音を立てて二つに分かれた。

この空間に、自分の声だけが充満する。

彼も、彼女も、目を丸くして僕を見る。


言葉を紡ごう。

一つ一つ。

届くように、響くように、溶け込むように。



「・・・・・・いつもそこにあったものを嫌いになったことがありますか?」

「眩しいくらいの太陽。冷たく降り注ぐ雨。長い坂の通学路。声をかけてくる友人」

「嫌いになるとすれば、そこには必ず原因があります」

「僕もそうです」

「いつも当たり前のように存在していたものが、あるときから急に嫌いになりました」

「誰かを指差して笑う人の声。机の上で人から人へと渡される小さな紙。誰も反応せずに、ただそこに広がるだけの質問。配られたプリントで作られる紙飛行機」

「僕はこの光景をいつも、なんの感情も持たず、そこにあるものとして捉えていました」

「何も感じず、何もせず。彼もそれを受け入れている。ここはこういう場所なんだと」

「・・・・・・あるとき、僕は街を散歩していました。特にやることもなく、行く当ても無く、ただ足を動かしました」

「そこで偶然、彼を見つけました。彼は黒いスーツを身にまとい、花束を持っていました。左手で幼い子供の手を引いて」

「その光景を見れば誰だってわかると思います。僕も瞬間的に理解しました」

「ですが、僕は善良な一生徒です。それ以上彼のことを探ろうとは思いません。でも、探ろうとは思わなくとも、記憶が呼び起こされることもあると思います」

「僕はよくテレビや新聞でニュース記事を見るので、そのことを思い出すのも時間の問題でした」

「ここで多くは語りませんが、彼の気持ちは計り知れません」

「その日以来、僕はありふれていたその光景が嫌いになりました」

「彼は耐えていたのだと。ただひたすらに。色んなものを守る為に」


「・・・・・・さて、僕は彼のされてきた仕打ちについて考えました」

「彼は虐げられるようなことをしたでしょうか。僕の知る限り、そんなことはありません」

「ならなぜ、彼はこんな環境にいるのでしょうか」

「・・・・・・彼がこうなることを望んだ人がいるからです」

「それが何によるものかはわかりません。嫉妬か独占か被虐心からか」

「唯一つ言えることは、その感情が多くの人を巻き込んでいるということです」


「僕が今ここで元凶を作り出した人の名前を言えば、その人はきっと虐げられるでしょう」

「内外問わず、どこにいても、誰といても、見えない場所から攻撃されます」


「止めませんか。そうやって正義を振りかざすのは」

「止めませんか。誰かの為という大義名分で暴力を振るうのは」

「止めませんか。見えない場所から石を投げるのは」


「あなた達が正義だと思っているものは偽者です。正義であると錯覚した弱いものいじめです。誰かを守る為に誰かを傷つけていい理由はどこにもありません」

「本当にそれが正しいと思うなら、見えない場所から石を投げるはずがないんです。本当に自分が正しいことをしているなら、真正面からぶつかれるはずなんです」

「あなた達の中に、自分のしてきたことは正しいと、正面からぶつかっていける人がいますか」

「・・・・・・気付いてください。理解してください。あなたのしていることで傷ついている人がいることを。苦しんでいる人がいることを」



「以上、2年A組青葉桂」






涙目を浮かべる彼。

青ざめて震える彼女。

俯き、誰とも目を合わせようとしない大勢の罪人。


雷雨は未だに鳴り止まず。

部屋は暗く、閉じられたまま。

「・・・・・・泣いてるの?」

「っ、だって・・・・・・」

「僕にしてみればとんだ茶番だ」

「なんで、誰も私を責めないの・・・・・・」

「まぁ、僕のおかげだろうね。ほら、大丈夫?」

「うん、大丈夫・・・・・・」

「雷が酷くなってきたよ」

「・・・・・・ねぇ、一つ聞いてもいいかしら」

「・・・・・・なに?」

「先生が行こうとした場所、私も覚えてるの」

「・・・・・・」

「あなたが散歩で行こうとする距離じゃないでしょう・・・・・・?」


轟く雷鳴。

光っては消え、二人の顔を瞬間で照らす。

細く柔らかく温かい首。

徐徐に力がこもっていく指先。


「まさか、君が気付くとは思わなかった。でも、君になら気付かれても大丈夫だと思った」

「・・・・・・ふっ・・・・・・なん、で・・・・・・」

「先生の奥さんを刺した犯人はまだ見つかってない。でも、それは美しくない。本当は犯人がでるようにしちゃいけなかった。でも、そうなってしまった」

「あ、お・・・・・・」

「学級崩壊の主犯、良心の呵責に耐えかね自殺。良いシナリオじゃないか。誰も殺されたなんて思わない。それじゃあ鈴井さん、今度は地獄で会おう」




掌に残る体温。

彼女の最期の姿。

誰も不審に思わない。

いま、全てが完璧に紡がれた。


「青葉?まだ残ってたのか」

「あぁ、先生。見てよこれ、帰れないでしょ」

「まぁ、確かにな。雷が無ければ、走って帰れって言っただろうけど」

「いやだよ、こんな雨の中濡れて帰るの」

「で、迎え待ちか」

「そろそろ来るはずなんだけどなぁ」

「今までここで待ってたのか?」

「ううん、いつもの場所で」

「あぁ、なるほど」

「あ、来たみたい・・・・・・なんで、あんな遠くに停めるかな」

「ほら、傘使ってけ」

「え、いいの?」

「今日の頑張った賞ってことで」

「ありがと、有難く使わせてもらう」

「気をつけろよ」

「うん。いつどこで、何が起こるか、わからないからね。じゃあまた明日」

「おー、また明日。・・・・・・お前の発表、良かったぞ」



消えた彼女を嘆く声。

代わりに置かれた花瓶。

旅を止めた誰かを蔑むノートの切れ端。

こうして歯車は元通り。

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