空想という紙飛行機に私は概念というプロペラを付けて空へ飛ばした。
和田蘆薈
Il mio significato — 人は何を求め ―
今現在この拙い文章を読んでいる君達は普段様々な街を歩いているのだろう。
きれいな街や汚い街、洒落た街や寂れた街。
私は散歩が好きだからしばしば頭を空っぽにして街を歩く。そうすると思いがけない発見や体験をすることがある。これはそんなある日の話。
それは風が強い日だった。風で皆飛ばされてしまったのかと思ってしまうほど、辺りは閑散としていた。それでも私は街に出た。家に籠っていてもネガティブな気分が増長するだけだから。
しばらく無心で歩いていると一軒の喫茶店を見つけた。
英国アンティーク調の雰囲気のいい店だった。マスターとアルバイトの青年の2人の店のようだ。私は店に入り、マスターの目前のカウンター席に座った。注文はウィンナーコーヒーとフレンチトースト。無難なチョイスだと思う。
私が注文をし終えるとマスターは手動式のコーヒーミルを使って豆を挽き始める。
これもまたアンティークなのだろう。木箱にホッパーが付いていて、一般的な横に回すタイプのものだ。
私の分の豆を挽き終わると、ドリッパー・ペーパーフィルター・サーバー、
そしてステンレスのポットを用意し、ドリップを始める。
まずは蒸らし、抽出する。その一連の流れをしばらく眺めていた。
彼は何百回、何千回とこの作業を行ってきたのだろう。いや、作業と表すのは無礼かもしれない。何故なら彼の動きにはあらかじめプログラミングされたような無機質な様子は一切なく、むしろ今の感情がコーヒーの出来に現れるのではないかと考えてしまうくらいに、温かみのある動きだった。
トーストを待つ間、店内のBGMに耳を傾ける。流れている曲はイヴァン・カルダーノの「Luce solare attraverso il caffè」。カルダーノはタイタニック号が沈没した1912年にイタリアで生まれた。幼いころからクラシックを学んでいたが、WWⅡの際に徴兵され参戦。降伏後は捕虜として各国を転々とし、最終的にアメリカ、ニューオリンズへたどり着いた。そこでJAZZに惹き込まれたようだ。この曲は彼のデビュー作。
クラシックの伝統的な音色とラテンのリズムが融合した面白い楽曲だ。
「失礼します。フレンチトーストです。」
ありがとうと言って、清潔という言葉を身にまとった様な彼女から皿を受け取る。
従業員が他にいたんだっけな。
トーストに舌鼓を打ちつつ、カルダーノの陽気なリズムに心躍らせていると、停止ボタンが押されるように、リズムを遮り、肩を2,3度叩かれた。振り返るとそこには白髪の英国紳士と言えるような格好をした男が立っていた。見たところ5.60代だろうか。
この時間にいるという事はフリーの仕事か隠居生活を送っているのだろう。と、実にお節介な推測をした。
「突然申し訳ない。この曲の名前を知っていますかな?」
あぁ、これはイヴァン・カルダーノのMatinee barですよ。と私はさらりと答えた。
「ありがたい。とても洒落た曲だったからね。この年になるとちょっとしたことにも私の人生に何らかの意味を与えるのではないかと感じてしまうんだ。そういうものは記憶しておきたい。君は若いからまだ分かんないだろうがね。」
彼はカウンターの前に置かれた棚を見つめつつ言った。
いつの間にか彼は隣に座っていた。
彼の見つめる先には、生豆や器具が始業前の列車の車庫の様に静けさと野心が混在するようにして収まっていた。
「私は人生に意味を求めたら負けだと思っています。」
今思えば狂おしいほど素っ気無い受け答えだった。
彼は白い歯をチラと見せ言う。
「懸命な姿勢だな。でも君も意味というものから逃れることは出来ないぞ。どんなに速く走っても、巧く逃げても、意味という印を押すためにそれは追ってくる。忍び寄ってくる。」
私達は一体何を討論しているのだろう。
「表現が抽象的過ぎてうまく理解できないけど、私は意味のないものをそれでも愛していきたいし、逃れることを諦めたりはしない。利益主義へのささやかな抵抗としてね。」
自分でも何を言っているか分からなかったし、何のために話したのか分からなかった。突き返すこともできたのに。
「抵抗や意思表明が好まれない現代においてはそれは困難かもしれないが、賞賛に値するね。無駄ではない。ただし、君は奥底でこう思っている。『こんな話になんの意味があるんだ!』ってね。」
私ははっとした。その顔をみて彼は笑みを浮かべ店を出ていこうとする。
「あるいはね」
彼がいた場所にはその憎たらしいというか鬱陶しいオーラが残っていた。それを掻き消すかのように風が一吹き。それらを連れ去った。
そしてカルダーノは私に歌う。
「Non puoi sfuggire al significato. D'ora in poi.」
―君は意味から逃れられない。これからも。―
空想という紙飛行機に私は概念というプロペラを付けて空へ飛ばした。 和田蘆薈 @aloe-yu
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