第7話

 翌日十一時前に幸之助の病室に入る、温和な雰囲気だが鋭い目付きで大柄な体格の六十台くらいの男と天野が先に来ていた。時計を見るがまだ約束の時間まで十分もある、ここの一族は時間厳守を心得ているようだ。


「遅れてすいません」

「いや、気にしないで下さい。私達もさっき来たばかりです。坊っちゃんから神崎さんが私に会ってみたいと聞いたもので」

 といい名刺を差し出してきた。俺も名刺を交換する。


「お忙しいのに呼び立ててしまってすいません、山口さんとだけは会った事がなかったので、少し時間を貰いました」

「私もお会いしたかったのですが、すれ違いばかりでしたね」


 温和だが何か固い意志の様な物を感じる。


「会長からも坊っちゃんからも、一匹狼と聞いて、寒川組の事件の事も聞いていたので、どんな野蛮な人が来るのかと思っていましたが、人当たりの良い方で安心しました」

「まあ、危険な事もしますがね、仕事が仕事なもので」


 聞いていた幸之助が笑い出す、


「祐介から聞いた話じゃが、うちの傘下に入らないかと聞いたら、考えてもいい、と返事したらしいじゃないか。グループに入れてくれと泣きついてくる奴は多いが、こんな返事は初めてだ。ますます気に入った」

「俺のやり方に口を挟まならければ考えてもいいと言う事ですよ」

「山口、今までこんな奴いたか? 面白い人じゃろ」

「私も初めての経験です、実に愉快ですね会長」

「俺は俺のやり方に誇りを持っています、傘下に入れば反発するかもしれませんよ」

「それくらいの度胸がある方がいいわい、全員飼いならされた羊より余程面白くなりそうじゃないか」

「私も会長の意見に賛成ですね、で実際私に会ってみてどうですか神崎さん?」

「こんな言い方をすれば失礼ですが、俺は山口さんを信用出来る方と判断しました」

「それは光栄ですな」


 話が一段落したところで美雪が口を挟む、


「山口さん、神戸美雪です。覚えてらっしゃいますか?」

「ええ、数年ぶりですがよく覚えてますよ」

「幸之助さんから安くで土地を譲って貰った時に必要書類や手続きに走り回ってくれたのを今でも覚えています、ありがとうございました」

「お気になさらず、わたしもあのレストランは気に入ってましたから、今でも月に一度は食べに通っています、店で会った事はありませんがね」

「そうでしたの? 気が付かず申し訳ありません」

「いやいや、タイミングが悪かっただけでしょう」

「山口、この二人は先日婚約したばかりなんじゃ、式を上げるならその時は頼むぞ」

「これはおめでたい、何でも言って下さい」


 話が逸れて来たので話を戻す。


「敏腕の山口さんでも真知子の暴走をとめられませんか?」

「会長に出来ない事は私もどうする事も出来ません。坊っちゃんが殺されないよう、私からもお願いします。何か情報が入ればここにいる天野弁護士を通して連絡差し上げます」


 天野が今日初めて口を開く。


「初っ端から話を聞いているが、お前の口の悪さにビクビクしていたよ。会長と山口さんの凄さを軽視するなよ。お二人の一言でどれだけの人と金が動くか知らないみたいだな。ここの地方議員でも頭が上がらないんだぞ」


「天野、神崎君にはそんな話は興味ないじゃろう、他の者とは考え方が別次元じゃ、好きにさせとくのが一番じゃ」

「まあ、会長がそこまで買っているのなら口は出しませんが」

「それでいい、祐介も神崎君には一目置いている。あいつはまだ子供だが人を見る目は確かなようじゃ、数年後には私の後継者じゃ、祐介と瞳さんが上手くやるじゃろ、その時は天野と神崎君にも顧問弁護士と顧問探偵としてサポートを頼むぞ」

「会長がそうおっしゃるなら、わかりましたが神埼にはもっと社会人らしくして欲しかっただけです」

「さて、神崎君もういいかね? 私が入院中この二人は多忙じゃ」

「時間を作ってもらいありがとうございました」

「美雪さんは何かあるかね」

「いえ、この人は口は悪いですが、男の誇りというのをしっかりと持っています、なのであえて口は挟みませんでした」

「じゃろうな、私もひと目見て気付いておったわい、そこらのイエスマンなんかよりも一味違うんじゃ頼りがいがある。さあ、今日はもうお開きじゃ」

「先に失礼させて貰いますよ」


 といい下に降り車に乗り込む。


「こんなに緊張したの久しぶりだわ」

「美雪でも緊張するんだな」

「天野さんが言ってた事は本当よ、幸之助さんか山口さんの一言で地方議員も警察も何でも動くのよ、他の街にまで影響が出るくらいの大物よ、その二人を前にして堂々としているあなたも素敵だったわ」

「そうか、まあ俺には関係ないな、それより腹が減ったな」

「うちのレストランで何か食べましょ。緊張が解けたから私もお腹が空いたわ」


 車をトライアングルに滑り込ませる。


「ちょっと待っててね、すぐに用意するわ」


 ちょうど携帯が鳴った。


「祐介かどうした?」

「今、父から連絡がありました。一部始終聞きましたが、神崎さんあの二人を前に堂々と自分の主張を通したそうじゃないですか? 俺ですらあの二人を前にあそこまで出来ませんからね、天野さんは胃が痛くなったと言ってましたよ。父もお前は人を見る目はあると珍しく褒めてくれました、あんな男になれあれが男って奴だと言っていましたよ。」

「俺は普段通りにしてただけなんだが」

「それが他の人には出来ない事なんですよ、神崎さんだから許される特権みたいな物ですよ、父も山口さんも、神崎さんが帰った後上機嫌だったみたいですよ」


 祐介は普段より嬉しそうに話している。


「気に入られた事は嬉しいが、事件はまだ解決していない、今の状況ではお前を殺すのが手っ取り早い、と考えているかもしれないんだ気を引き締めろ、いいな?」

「はい、こういう状況も視野に入れていたので、落ち着いてるだけです。そしてどんな状況に陥っても神崎さんが助けてくれると信じてますから」

「わかってる、俺も最善を尽くす」


 電話を切る頃にはスパゲティは完全に冷めていた。

 美雪が作り直すと言ったが、断り覚めたスパゲティを平らげた。


「さっきの電話、祐介君からでしょう? いつもよりトーンが高かったから電話越しに聞こえたわ」

「事件も解決していないのに、今日の事を聞いたらしくやたらと褒められて、更にあの親父さんと山口からも気に入られたようだ」

「水谷グループトップの二人に気に入られたのなら、いい事じゃない」

「今まで通りにするだけだ」

「それでいいのよ」




 翌日、事務所へ行くと中身が空になっていた。荒らされた感じではない。壁に張り紙があった、鍵もテープで止めてある。


「神崎さんへ、ここも水谷グループのビルですが、ここは狭すぎて殺風景です。事務所は右隣のビルの三百一号室に勝手ながら移転しました。祐介」


 とりあえず外に出る、右側って向かって右なのか、事務所から見て右なのかは分からないがどちらのビルも大きい。向かって右側のビルに入る八階建ての一階のネームプレートを見る三百一号室、神崎探偵事務所、と出ている。とりあえずエレベーターで昇りドアが開く、目の前には磨りガラス製の扉に俺の事務所名が張り付いている、新しい鍵でロックを外し中に入る、前の事務所の三倍はあるのだろうか? 奥の俺のデスクは今までの簡易式なのから、凄く豪華なデスクへ変わっている、椅子も折りたたみではなく豪華な椅子になっている、腰を下ろすと座り心地はいい、背後はガラス張りで日差しがよく入る、ブラインドも設備されている、前の事務所は窓さえ無かったのだ。事務員用のデスクも二組あり、磨りガラスで仕切られた応接室も立派なソファーとテーブルに変わっている。パソコンやファックスはそのままだ。


 しばらく見とれていたが、祐介に急いで電話を掛ける、出た瞬間に問いただす。


「俺の事務所を移転させたのはお前で間違いないか?」

「一昨日の夜には移転させましたよ、今気付いたんですか?」

「ああ、たった今新しい事務所に入ったが、見違えるような事務所だ、デスクも応接セットも豪華だ、しかし普段の俺の儲けからはこんなに広くて綺麗な角部屋の家賃は払えないぞ」

「安心してください賃貸料は今までと同じで結構です、と言うのも前の事務所は狭いし暗いし窓もなかったじゃないですか? あそこは数年後に取り壊しが決まっていたのです、そうなればまた探さなければいけないので山口さんにも見てもらって、これじゃあ仕事にならないだろうから移転しようと言って手配したのがそこの新しい事務所です。デスクや応接セットは父からの移転祝いです。空調設備も整っているので快適でしょう」

「とりあえず、家賃が変わらないのなら安心した、しかし広すぎるし事務員のデスクまであるが雇う気はないぞ」

「広いのはすぐに慣れますよ、事務員のデスクは飾りにでもして下さい」

「事務所の場所を決めて用意したのが山口さんで、デスクなどは親父さんからのプレゼントって事だな? 俺はそんな事も知らずに昨日会っていたのか?」

「そうです、移転場所は山口さんが近い方がいいだろうと、そしてその事務所に見合ったデスクなどをプレゼントしたのが父です。俺はパソコンとファックスを運んだだけです、神崎さん珍しく混乱してますね」


 笑い声が聞こえる、


「当たり前だろう、一気にこんな豪華な事務所だ。混乱しない方がおかしい」

「気に入って貰えましたか?」

「当然だ、なんて礼を言えばいいのかわからん」

「お礼なんていいですよ、どの道前のビルは取り壊しが決まっていましたから、他に入ってた方たちも徐々に移転してもらってるんですよ、知ってました? 移転届も天野さんが手続きしたので、もう好きに使って下さい。駐車場は地下です」

「とりあえず、ありがとよ。もう少し見てから帰る事にする」


 電話を切り、すぐに美雪に電話をする。


「今時間作れるか? 事務所へ来て欲しい」

「大丈夫よ、何か普段のあなたと違うみたいねいい事があった時の声だわ。あなたの事務所に行くのは何年ぶりかしら? すぐに出るわ五分もかからないと思うけど」

 外に出て車を地下に停めビルを見上げる、昨日までのビルと見比べるアパートと豪華マンションとでも言うべきか? まだ実感が湧いて来ない。

 そうしてる間に美雪のポルシェが到着し、

「何を見上げてたの?」

「俺の事務所だ」

「暗くて陰気なのよね」

「見てからのお楽しみだ」


 新しいビルに入ろうとして、美雪に止められる。


「あなたこっちよ?」

「いいから付いて来い」

エレベーターで三階に上がり、三百一号室の前に立つ、プレートを見て美雪が驚いた顔をする。中に招き入れる。

「今日からここが俺の事務所だ」

「素敵、広いし明るい」


 珍しそうに隅々まで見て回る


「そう言えば賃貸料はどうするの? あなたの稼ぎから払うと稼ぎが全部飛ぶわよ」


 俺は今日あった事をゆっくりと美雪に話して聞かせる。


「驚いて声も出ないだろ? 俺も同じだ」

「ええ、なんて言っていいかわからないわ、とりあえずおめでとう、でいいのかしら?」

「これから時間あるか?」

「私も同じ事を聞こうとしていたわ、電気屋に行きましょ」

「ああ、俺の車を出すよ」


 エレベーターで地下駐車場へ入り、車を出す。これで雨に濡れる事なく車に乗れるし、砂で汚れる事も少ないだろう。


 近くの電気量販店に行った、新しいパソコンと留守電と録音機能の付いた電話とコピー機とファックスを選ぶ、美雪はコーヒーメーカーと電気ポッドを選んだ。レジに持って行くと店員は喜んでいる、俺が財布を取り出す前に、美雪がクレジットカードを出す。


「これは私からの移転祝いよ、婚約者の私だけが何もしないのはおかしいわ」

「ありがとう、何か人に任せっきりだな」

「あなたは一匹狼だけど、人は常に誰かに頼り頼られないと生きていけないわ。たまにはこういうのもいいじゃない」

 たくさんの荷物を抱え事務所に戻ると、買ってきた物を開けて行く、美雪は。


「ちょっと待ってて」


 と言い出て行く。 


俺は壊れない様注意しながら並べていく、古い電話もパソコンもファックスも捨てる。これで心機一転やる気が湧いてくる。


 三十分程で美雪は荷物を抱えやってきた。


「とりあえず、コーヒーとカップ類と来客用の日持ちするお茶菓子をレストランから持ってきたわ、これでいつお客さんが来ても大丈夫ね」

「ありがとう、助かるよ」

「ここなら私も顔を出せるわね、今までのとこは取調室みたいで嫌だったから来なかったけど、ここなら平気ね」

「ああ、誰が来ても恥ずかしくない事務所になった」

「記念撮影しましょ」


 カメラも持ってきていた、椅子に固定し、俺のデスクの前に立つ。


「十秒タイマーよ、笑ってちょうだい」


 フラッシュが光る。


「見ていい感じで撮れたわ、このカメラも中古品だけどプレゼントよ、仕事で使ってちょうだい」

「このデジタルカメラ高いんじゃないのか? いいのか?」

「料理を撮るデジカメは他にもたくさんあるわ、遠慮しないで使って」

「祐介と出会ってから何もかも上手く行き過ぎている、悪い事の前触れじゃなきゃいいんだが」

「大丈夫よ、偶然が重なっただけよ、それにあなたはもう水谷グループに半分入っているも同然じゃない、いい事も悪い事も続く時は追い打ちを掛けるようにやってくるものよ、私もそういう人生だったわ」

「そんなものか」

「そうよ、それより早く三人にお礼をしなくっちゃ、お金では太刀打ち出来ないから、私が美味しい料理でも振る舞うわ」

「何から何まですまんな」

「あなたの婚約者ですもの、まだお昼過ぎよね、レストランに戻るわ十五時に来てちょうだい、今日は忙しくなるわ」


 美雪は慌ただしく出ていった。


 俺はデスクに座り新しいパソコンにこれまでのデータを移し替えた。座り心地が良すぎて眠くなりそうだった。


 電話が鳴る、祐介からだ。


「まだ事務所ですか?」

「ああ、居心地がいいもんでな」

「美雪さんにはもう見て貰いました?」

「すごく喜んでいたよ、ところで親父さんは今日も病院だよな? 山口さんにもお礼がしたい、山口さんに都合のいい時間帯を聞いてお前と一緒にレストランに来てもらえるように頼んでおいてくれないか?」

「はい、父は病室です。山口さんには俺から聞いておきます、折り返し電話します」


 五分と待たずに連絡が来た。


「十九時以降なら大丈夫だそうです、俺も十九時に行かせて貰います」

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