僕の恩人

時計は四時を指している


しかし、実際は辺りは暗く

消えかけた街灯の灯りのみが

遠くに…見える


左腕に巻いたそれは壊れていて

朝なのか夕方なのか夜なのか


景色を見ることでしか

判断できない状況下にいる


そして、現在の視点は低く

アスファルトの冷たさが頬に伝わってくる


突発的に家を飛び出してニ日


突発的と言っても

自分の弱さを懐に抱えたまま逃げてきた


通帳、黒いカード

…小切手



自分に与えられていた財



寒くて手がかじかんでいる

手を擦り合わせて暖をとる気力すらなく


胃は消化できるようなものが入らなくなって久しく、ただただ、気分が悪い



それでもこの金は、使えない


使いたくない 使ってはいけない

使ったら、居場所が分かってしまう



持ってきたくせに、使えない



使わないから、こんなに苦しいのに



使う気になれない



というか、そもそも手遅れかも


意識が、薄らいでいく

ふわっとして、ぼうっとして

少し心地よさすら感じられた


このまま、僕、死んじゃうのかな




「おい」



上から声がした



少し高めの男の声

お迎えでもやってきたのだろうか


その声に応えようと右腕を少し動かし、身体を起こそうとしたが

うまくいかない



「何転がってる。てめえには地面を蹴る力はあんのか」



声質に似つかわしくない口調

漠然とした問いかけ

よく磨かれた革靴が目の前にあった



「今は無いけれど…そうできたら、どんなにいいだろうとは思います」


きちんと声になっていただろうか

僕の、心の内


もしも僕にも

生きる価値があるとするならば

生きていることを赦されたならば



他の誰かが決めた

造られた未来ではなく



自分で決めたそれを、生きてみたい




問いかけに勝手な解釈をして

そんな事を答えた…気がする



へえ、と気の抜けたような相槌

相変わらず、僕の目には革靴しか見えていない


顔を動かす体力すら

残っていないようだ


「じゃあ、俺と一緒に来い」



「お前に翼が生えてくるまで、見ててやるよ」


そこから先は、よく覚えていない


目が覚めたら、知らない場所にいた


ベッドの上

大きな窓からは大きな木が見える


病院だろうか


点滴でも打たれたのか

身体を起こす事はできた


空調の音だけが響く、静かな部屋


少し手狭だが、自分が寝ているベッド

やチェストや机など

取り敢えず過ごせるだけのものが置いてある


「気がついたね」


ドアの向こうから声がした


「あ、貴方は…?」


思わずどもった。

もし僕の身元がばれたら


いい人間なら実家に知らされるだろう


悪い人間なら人質に金をゆするだろう


…どんな人間にしても、

いい方向に事は運ばない


恐怖が背後に張り付いてくる

嫌な感情が見つめてくるのが分かる


音もなく開かれたドア


手が震える

僕はこれからどうなってしまうんだ


そこに居た声の主は



なんか…可愛かった。


「へ?」


脳が状況に追いつかない


例えるなら

クラス対抗リレーに出てくれと言われ

その気になってスタートラインに立ったらいきなりパン食い競争が始まったくらいのものだ


あ、そういう運動会には参加した事ないけど


高校3年生くらいの小柄な青年が、

俺がお前の事助けてやったんだよ?

…といった雰囲気を醸し出しながら

立っている。よくわからない。


「君が、オレのこと助けてくれたの?」


一応聞いてみる



「?そうだけど?」


小首を傾げて開いた口から出たのは、

やや高めの声

聞き覚えがあった


気を失う前、あの時の声だ



まさか、こんな人間に助けられるとは


「あー…言いたい事は何となくわかるけど、俺が君の事を拾って来たんだよ」


頭を掻きながら青年はそう答えた。


触り心地の良さそうな

淡い色合いのルームウェア姿

ふわふわの靴下を履いている


とことこと擬音が聞こえてきそうな

そんないでたちでこちらへ歩いてきて

僕の前に静かに腰かけた



「俺は二階堂 霧彦。若い子に投資して成功したらその分金を貰う、エンジェル投資家だよ」


「…若い子?」


□□□


ショックを隠しきれなかった


頭を後ろから

何かで殴られたような気分だった

思わず目の前の人間の顔を

五度見くらいした



この顔で?

このいでたちで?



「三十五の…おっさん…」



「おっさん言うなバカ。若干気にしてんだよ」


目の前の青年…

いや、モコモコを着た中年男性は

ジトッと俺の顔を睨んだ



「ま、世の中には吸血鬼疑惑があるくらい歳を取らない漫画家もいるし。某アーティストだってそうだろ」


彼はそうあっさりと言ってのけたが、なかなかにわかには信じがたい話だ

しかし…今はとりあえず信じるしかないだろう。悪い人では無さそうだし、僕が置かれている状況を説明しなければ


実家の素性は隠しつつ今までの経緯を話した。


名前も、偽名で通すことにした。


白羽 世一から、羽黒 睦に


そう、僕は今から羽黒 睦なのだ。


独りの世界で一番ではなく

みんなと仲良く、睦まじく…


そんな、願望を込めて決めた名前


時々相槌は打ってくれるが、眉ひとつ動かさない。全て彼の中で想定内の事項だったのか一度聞いた話をもう一度聞いているかのようにひどく落ち着いている。


大人の余裕ってやつなのだろうか。

異様に若く見えるが、年齢の話はどうやら本当のようだ。



僕が話を終えて口を閉じると、

今度は彼が口を開いた


「お前、どこからでもいいから実家に連絡してこい」


「で、でもそんな事したら」


「いいから連絡してこい。今連絡寄越さずにこれからを過ごせるのか?まともに生活できねえぞ」


幾らか口調が荒くなっている

外向きには気取った口調でも

元々はこういう人なのかもしれない


目つきの悪かった目がさらにすわり

こちらを見据えている


「追っ手が来て、連れ戻されたらお前は…一生籠の中のカナリヤだろうよ」


その通りだ。


今、向き合って正々堂々と立ち向かわなければ


きっと一生、自分で生きていけないまま、過ごすことになる。

自分の人生を、

自分で生きられないままに


この時僕は気づいていなかった


何故、

僕の追っ手が来るとわかったのか


連れ戻されたら最後

自由も何もなくなるとわかったのか


どうして、僕を助けてくれたのか


わからないまま、気づかないまま

小さく頷いた


居場所がわからないように、少し遠くの公衆電話の場所を教えて貰って、

五百円分の十円玉を借りて飛び出した。



しかし、

直ぐに戻って来る羽目になった



「お、連絡してきたか?…どうしたしょんぼりして」



「すいません二階堂さん…何度入れてもお金が戻って来るんです…壊れてるんですかね…」


「…お前、受話器取ってからお金入れたか」


「えっあれってそうやって使うんですか!?」


「馬鹿野郎!!!!!」


二階堂霧彦はどうやら大変なものを拾ってきてしまったようです

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