三. 思い出

 「…ありがとう、ございました。」


 カンナとミライは、口に飴玉を放り込んでからしばらくして、ようやく言葉を発した。


 藤さんは、満足そうに笑うと、「どういたしまして。」と小瓶の蓋を硬く締めた。


 「あの、なんていうか。とても美味しかったです。一粒400円なのも納得っていうか…。」

 「ああ、全くだ。この気持ちが400円で味わえるのなら安いものさ。」

 「まあ、そんな風に言っていただけるなんて。この子達も喜んでますわ。」


 藤さんはそう言いながら、小瓶の蓋を指先で優しく撫でた。その瞳は、愛する我が子を見守るような、愛しい恋人を見つめるような、慈愛に満ちた瞳だった。


 そうか。彼女にとってこの飴玉達は、我が子であり、恋人であり、世界なのだ。

そのことに気付いたカンナは、大切な飴玉をくれたことに、再び感謝の意を述べた。


 「ありがとう、藤さん。大切な飴玉を分けてくれて。」

 「いいえ。そういえば、あなたたちの名前をまだお伺いしていなかったわ。よろしくて?」

 「あ!ごめんなさい。私が谷内ミライで、この喋り方がちょっと古風な子は、山咲カンナです。」

 「ミライちゃんに、カンナちゃんね?貴方達、とても素敵な関係ね。まるでこの子達みたい。」


 そう言うと、藤さんは先ほどの風呂敷から何かを取り出した。その中に入っていたのは、店に並べられている瓶たちよりも一回りも二回りも大きな瓶。

さらにその中には透明なガラス玉が詰められていた。あまりにも透明で、背景に混ざってしまいそうなくらいだった。

こんなに澄んでいるガラス玉に私達が似ているなど、とんでもないことだった。


 「これ、貴方達に一つずつ上げるわ。」

 「ええ?えっと、何故ですか…?」

 「さあて。でも私は貴方達を気に入ってしまったの。」

 「ありがとう藤さん。大事にするよ。」


 そう言うと、藤さんは透明なガラス玉を、先ほどの飴玉のように二人の手のひらに乗せた。すると、どうだろう。みるみるうちに色が変わっていく!


しかし、隣のミライは何の反応も示さない。ミライのガラス玉は燃え滾る焔のような深紅に、カンナのガラス玉は光の差し込んだ海のような静かな青に確かに変わっていた。

目の錯覚か、と。目を擦ってみたが状況は変わらない。ミライは藤さんと、このガラス玉がまるで空気や水のようだと、感嘆していた。

カンナは、何となくその変化を二人に告げなかった。自分一人だけに見える特別なものならば、それは受け入れるべき運命だと思ったからだ。


 「ふふ。驚かせてごめんなさいね。」


 藤さんは、突然カンナの方を見て微笑んだ。どうやら藤さんはこの状況を理解しているらしかった。しかし、透明のガラス玉が、それぞれの手に渡ったときに色が変わった理由に、一切触れなかった。理由は何故か聞けなかった。

そして藤さんは、長い黒髪を耳にかけ、耳元のイヤリングを見せた。薄紫の、まさに藤色のガラス玉だった。こちらを見てふふと笑うと、髪を元に戻した。


 私達はその後、小一時間ほど飴玉について語って帰路に着いた。ミライとは駅前で別れ、カンナはしばらく一人になりたいと言って、駅一つ分を歩くことにした。


 この間に、カンナは懐かしい事を思い出していた。初めて私が「物」に興味を抱いたときのことだ。



 幼い頃から、カンナは周囲に全く興味が持てなかった。


 普通、子供というものは初めて見たもの、聞いたもの、触ったものにとにかく興味を示すものだ。これは何、あれは何と誰それ構わず聞きまわる。


 しかし、カンナはその子らとは全く違かった。

 カンナは、『大人も人間である』ことを理解していた。子供にとっての『大人』は、何でも知っていて、何でもできる。言うことを聞かなければ怒られるし、言うことを聞けば認めてもらえる。子供にとっての『大人』とは神にも等しい存在だ。

 

 そんなカンナは、『大人も自分と同じ人間である』ことを知っていた。大人は間違いを犯すし、理不尽な一面を持っている。自分の思い通りにならなければ、理屈など関係無しに子供のように拗ねる。それを隠すのが子供よりも一枚上手なだけであって、中身は自分たちと同じなのだとカンナは思っていた。


 であるから、カンナは疑問に思ったことは周囲の大人に訊くより、本で解決した方が正しいと思っていたのだ。この図鑑や辞典は、『大人』が造ったものだが、それ専門の知識を蓄えている大人ならば間違いは最小限だ。

 カンナは、図鑑さえあれば友達も、親すらも必要ないと考えた。




 『本当に気持ちが悪い子だよ。』


 今でもその声が脳内で再生される。ついさっき浴びせられたかのように。



 

 カンナの親は、カンナを確かに産んだが、ろくに育てもしなかった。

 家にいるのは週二日いればいいほどで、赤子の頃はベビーシッターに預けられていたらしい。正直、今も両親がどこにいるかわからないし、まともに名前を漢字で書ける気持ちもしない。

 カンナが八歳の頃、両親はカンナを施設に預けて行方を眩ませた。

 あの言葉は、最後に両親が言い放った言葉だ。最後の別れだからと、カンナの母はガラス玉のセットを、父は宇宙に関する図鑑を数冊カンナに渡した。

 しかし、『感謝』を感じなかったカンナは、無表情にそれを受け取った。

 すると、母は顔を歪ませた。


 『…私、また、何かを間違えましたか。』


 カンナがそう尋ねると、両親はあの言葉を吐き捨てたのだ。



 『あんた、本当に気持ちが悪い子だよ。』

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