二. オソレ

 その日の講義をすべて終えた二人は、最近出来た飴玉屋に寄ってみることにした。


 このご時世に飴玉屋?と思うかもしれないが、その飴玉屋はどうやらただの駄菓子屋ではないらしい。店のオープン情報や店舗情報をインターネットでどれだけ探しても出てこなく、この東雲(しののめ)大学に流れる噂だけが頼りだった。


 「あ、あれじゃない?」

ミライは前方を指さした。

 「うん?…飴玉屋、銀河。うん、いい名前だね。非常に私の好みだよ。」


 その飴玉屋の名前は『銀河』。非常にカンナの探求心を擽る、本当に良い名だった。昔からよく、宇宙や天体が好きで調べ物をしに図書館に立て籠もっていたカンナにとって、子供の頃に戻ったような気になれた。


 「ごめんくださあい。」


 ミライがいつもよりもトーンとボリュームを落としてガラス戸を引いた。ガラガラと有機質な音がして、ピシャリと戸が合致した。かなり大きな音がしたと思ったが、人が出てくる気配は無い。それどころか、人がいる気配すら無い。


 「…本当に、今日が開店日なのかい?」

 「間違い無いわ。」


 ただの噂に何の根拠があるのだか知らないが、ミライの目はキラキラと子供のように輝いていた。おそらく私も。


 そして、二人は店頭にぽつりと並ぶ飴玉に目を一瞬にして奪われた。


 深海のような青、月光のように優しい黄、薔薇のような深紅。この世に存在する色の他にも、吸い込まれてしまいそうな夜空色、心が透き通るような朝霧色。言い表せない色もたくさんあった。


 「…一つ一つが、天体みたいだ。」


 いつもはカンナが言いそうな言葉だが、今日はミライが発した。

 そう言いたくなる気持ちも分かる。飴玉の中に散りばめられた金箔のようなもの達は、まさに銀河の星を表現していた。私達人間のようにも見える。

 その奇麗な天体たちを囲むには相応しくない暗い店内を見渡してみる。


 「こちらはまるでブラックホールみたいだな。」

 「ねえカンナ!この飴玉『地球』って名前だよ。一個380円だって。」

 「良いネーミングセンスだね。しかし高いな…。」


 飴玉ひとつひとつの名前と色を確認しながら、かなり時間が経った。


 「あら、ごめんくださいまし。」

 「あ、もしかして店主さん?」


ミライはキラキラとした瞳を、飴玉から、突然現れたご婦人に向けた。


 「ええ。銀河の店主、藤(ふじ)と申します。よくここを聞きつけたわねえ。」


 どこかに出掛けていたのだろうか、藤色の風呂敷を店の奥の座敷に置いた。店主、というわりにはやけに若い。20歳後半というところだろうか。白い陶器のような肌に突如現れる切れ長の目、鮮血のように赤い唇、青みがかった黒髪。この世の者ではないようにすら思わせる美しさだった。


 「あなたたちは…大学生さん?」

 「ええ、そこの東雲大学の。今日ここが開くって噂になってたんです。」

 「そうなの?その割には、あなたたち二人だけなのね。」

 「あれ、そういえば確かに…。」


 ミライと藤さんが話を進めていくうちに、私は店内を見て回った。初めての人と話すのはいつもミライの役割なのだ。

 本当に綺麗な店だった。直径10cmほどの小振りな瓶に、色とりどりの飴玉が詰め込まれている。まるで、子供たちの豊かな発想や夢を詰め込んだもののようだ。一粒単位で値段がかかれ、東京内でも田舎の方である東雲地方には似合わないような高価なものに見えた。

 恐ろしささえ感じた。この鮮やかな色は一体、何で着色をしているのだろう。


 「藤さん、この赤い飴玉…『薔薇』は何で着色されているのだい?」


 藤さんは、カンナの、姿に似合わない口調に一瞬驚いたようだが、すぐに笑顔になった。


 「これは、フランスで採れた薔薇の花びらを使っているのよ。三日三晩砂糖と花びらを煮込んで、ローズウォーターで香りづけと着色をして…。説明するより食べてもらった方が安心するかしら?」


 カンナは一瞬ギクリとした。着色の仕方を疑っているのがばれたからだ。そして、藤さんは小瓶から深紅の飴玉を二粒出して、カンナとミライの手にコロンと乗せた。

 手に乗せただけなのに、鼻腔を通り抜ける薔薇の香り。瓶から飛び出た飴玉は、まるで花嫁がヴェールを脱いだ時のように、華やかで怪しげな色を魅せた。カンナとミライは、感謝の言葉も忘れ、己の欲望のままにその飴玉を口に放り込んだ。

 

 下に広がる甘い味。少し遅れてくる薔薇の爽快感。甘酸っぱい青春のようにあっという間に舌の上で溶けて消えていってしまう。

 どんどん小さくなっていくその飴玉に、手があったら掴みたいとさえ思えた。飴玉でこんなに感動したのは生まれて初めてのことだった。いや、飴玉だけではなく、感動したこと自体が、カンナにとっては初めてのことだったかもしれない。

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