第30話 魔王さまと魔族の進行


 三百人に上るグラード軍が要塞の前に集結していた。

 レベルは総じて高く、最低でもレベル6以上の魔族たちが出揃っている。

 出陣はまだかまだかと足を踏み鳴らし、苛立ちからか各々が持つ装備品をぶつけ合わせ、まるで戦いの歌のように打ち鳴らしている。


 血に飢えた軍勢の前に、グラードが立つ。


「全ては、この時の為! 全ては、この為の伏線! 剣を掲げよ! 声を上げよ! そうだ、機は……熟した!」


 グラードは剣を抜き、天高々と掲げる。

 そしてその切っ先を、学校に向けた。


「見よ! 今こそ『城墜としの魔法』が発動する時! 後に残るは、貴様らが求める血袋のみだ! 聞け! 我が下す命令はただ一つ! かつて父上が作り上げた血の川を、ここに再現してみせよ! ――全軍、突撃!!」


 地を揺るがすような雄叫びと共に、グラード軍は欲望のままに行軍を開始した。



 ◇----------------◇



「今日も訓練だなんて、ダルいなぁ」

「最近レベルが上がったような気がする」

「昼飯はなんだろう」

「なんか眠い」


 教室での自習時間、生徒たちはいつもと変わらない日常を過ごし、他愛もない会話を交わしている。

 だが、それらの全ては、突如打ち鳴らされた鐘の音によって破られた。


「うるせーな! いったい何なんだ!?」


 机に突っ伏していたショッコが飛び起き、窓の外に向かって怒鳴り散らす。

 しかしその声は、鼓膜をつんざくような連音の前では無意味だった。


 十回目までは、ただのイタズラだと思う生徒がほとんどだった。

 しかし、二十回、三十回と、おおよそイタズラとは思えない必死さに、ふつふつと危機感が沸き上がってくる。


 五十回以上鳴らされる意味を、生徒たちは知らない。

 しかし、それが正真正銘の警鐘である事は本能が理解していた。

 そして、その意味も――。


「ウソ、でしょ……!?」


 血の気が引いた顔で、アルクワートは窓に飛びつく。

 続いてリンチェ、コンパンも。

 他のクラスメイトたちも――まだ信じられないのか、どこか浮ついた様子で――ゆっくりと窓に近づいていく。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、森から上がる煙だった。


「火事だ!」


 反射的に誰かがそう叫び、生徒たちは騒然となる。


「アレは、火事なんかじゃありません」


 鼻をひくつかせながら、リンチェは冷静に否定した。


「焦げてる臭いがありません。……むしろ、そうであって欲しかったんですが」


 リンチェは顔をしかめながら言った。

 漂ってくるのは、濃い土の臭い。

 絶えず大地を穿っているような、そんな臭いだ。

 そう、それは、火事などという生易しいものではない。


 煙を――土煙を巻き上げながら迫ってくるのは、欲望の塊であり、恐怖の象徴であり、人間たちの宿敵。


「やっぱり、アレは魔族なのね……!」


 アルクワートは苦虫を噛み潰したような顔で、うめくように呟いた。


「は? 魔族?」


 クラスメイトの一人が、素っ頓狂な声を上げた。

 他の生徒たちも、顔を見合わせては「何で魔族が?」と首を傾げていた。

 攻めてくる理由が思い浮かばないのだろう。


 まるで授業中のように、腕組みをしては右へ左へと頭を揺らしている。

 だが、刻一刻と魔族は近づいてくる。

 警鐘は依然として鳴り止まない。

 徐々に生徒たちは、何かが蝕まれていくのを感じていた。

 鐘が一つ鳴らされる度に、一秒経つ毎に。


 やがて――それは限界を向かえた。


「おい……おい!? マジなのか、これ!? 訓練じゃないのか!?」

「ちょっと、何でなの!? 誰か説明してよ!?」

「何これ? やだ、何なのこれ? やだ、やだやだ……」


 ある生徒は悲鳴に近い声を上げ、ある生徒は怒鳴り散らし、またある生徒は頭を抱えてしゃがみ込み、ほろほろと泣いている。

 まるで受け止めきれない現実にひれ伏すように、教室内はパニックに陥る。


「みんな落ち着いて!」


 クラスの代表ともいえるアルクワートの一喝により、教室内はピシャリと水を打たれたように落ち着く。

 しかし、それも数秒しか保たなかった。

 更に押し寄せてくる恐怖によって上書きされてしまう。


「先輩たちは何をしてるの!? 一年生を守るのは、上級生の仕事でしょ!?」


 女子の一人がそう叫ぶと、まるで救世主が現れたかのように、「そうだ早く先輩を呼ぼう!」と多くのクラスメイトたちが明るい顔で言った。


「……忘れたんですか? 三年生は、つい二日前に遠征訓練に出かけています。二年生も……突然襲ってきた魔族から村を守る為に、全員出払っているんですよ?」


 悲痛な面持ちで、リンチェはそう告げた。

 つまり、今この学校に居るのは――低レベルな一年生のみ。


 勇者を目指す以上、魔族と戦う道は避けられない。

 前々から分かっていたハズなのに、改めて突き付けられた現実に生徒たちは戦慄する。


 突然、コンパンが腹を抱えて笑い出す。

 恐怖のあまりにおかしくなってしまったのかと、皆が不安な視線を向けた。


「バカだなぁ、オレらって。学校の重要な設備を忘れるなんて」


 それを聞いた瞬間、皆はハッとなり、照れ恥ずかしそうに笑い合った。

 魔族は絶対に通れない、『八枚の防壁』がここに備わっていたことを忘れていたのだから。

 何人かの生徒は、以前もこの結界の前に敗れ去った話を思い出していた。


 そう、一年生だけを残していったのは、ここがどこよりも安全な場所だからだ。

 冷静を取り戻した生徒たちにとって、森の向こうから迫ってくる魔族の軍団は恐怖の塊ではなく、ただのアトラクションのようにしか思えなくなっていた。


 調子に乗った一人の生徒が窓から身を乗り出す。


「おーい、このバカ魔族め! 結界がある事をもう忘れたか!? 力でばっか解決してるから、頭が悪くなるんだよ!」

「そ、そうだ! この学校を堕とせるワケがないんだ! 低脳魔族め!」


 死ぬほど怖い思いをさせられたからか、普段はそんな事などしないような生徒までその行為に加わっていた。

 先程のパニックが嘘のように、教室内は安堵のため息で満たされている。


 助かった、と。

 もう大丈夫だ、と。


 アルクワートは、警戒心を解かないまま魔族を睨み付けている。

 本当に結界の事を忘れているのだろうかと、疑問に思っているからだ。


 そして……何故ストラは私にあんな話をしたのかと、あの夜の事を思い出していたからだ。


 アルクワートがふと空を見上げると、灰色の三角形のようなモノが浮かんでいる事に気が付く。

 雨雲にしては変だと思っていると、徐々にその三角形が大きくなっていき、やがて灰色の帳が降りるように、森の中に音もなく落ちていった。


「あれ? あの辺って、結界の境目じゃね?」


 コンパンがふと、そんな事を口にした。


 結界の境目。

 リンチェはそのキーワードでハッとなり、仰け反るようにして学校の真上を見る。

 そして、1、2、3と数え始めた。


「7、8……。ああ、そんな……」


 リンチェは喘ぐようにうめいた。


 灰色の三角形。

 それはちょうど、八分の一の大きさだ。

 そう、『八枚の防壁』の一枚が――灰色に染まっていた。


 灰色の壁にピシリ、ピシリとヒビが入り始め、やがて――生徒たちの希望と共に、それは粉々になって消え去っていった。

 あまりの出来事に、生徒たちは口を開けたまま、ただ呆然としていた。

 いつの間にか、警鐘も鳴り止んでいた。

 聞こえてくるのは、腹に響く地鳴りのような音だけ。


「結界が……壊れた?」


 誰かがポツリと呟いた。

 それが切っ掛けとなり、教室内は再びパニックに陥ってしまう。


 絶対に安全だと思っていた船が沈没し、絶望の海に叩き落とされたようだった。

 それはとても深く、二度と浮かび上がれないと思わせるには充分だった。


 アルクワート、リンチェ、コンパンは辛うじて冷静さを保っていた。

 とはいっても、暗闇の海に浮かぶ板きれのように、ひどく危うく、か細いものであったが。

 しかし、その板きれは絶対に沈まないだろという信頼が三人にはあった。


 三人の視線が、自然と中央の机に向けられる。


「……居ない?」

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