第29話 魔王さまの予言
石造りの階段を、カツン、カツンと降りていく。
地下牢屋というからには、さぞかしカビ臭い所だろうと思っていたが、定期的に掃除しているらしくゴミやホコリは見当たらない。
所々に通気口があるため、風通しが良く、常に新鮮な空気が循環しているようだ。
一番下まで降りきると、広場のような丸いフロアがあり、そこを中心にいくつもの細い通路が扇状に広がっている。
鉄格子が並び、生者を妬む亡者のように手を伸ばしてくる――そんな光景を想像していたが、覗き窓が付いた木造の扉が向かい合わせに並んでおり、まるで同じ人間の捕虜のように丁重に扱っているようだ。
その待遇の良さに呆れもしたが、同時に尊敬もした。
≪ストラ様! こちらです!≫
レアルタの嬉しそうな声が、耳元と通路の奥から同時に聞こえた。
≪ああ、今行く≫
呼びかけに応えると、さざ波のように牢屋のあちこちからざわめきが起き始めた。
人に近い声質から、ヘドロが泡立った音のようなものまで。
レアルタの案内に従い、ストラは一番左端の通路に入る。
扉一枚を隔てた雑踏を感じながら、奥に、更に奥へと。
≪そこです、ストラ様!≫
一番奥の部屋で、ストラは立ち止まる。
今度は扉の向こうからだけで、耳元のレアルタは黙ったままだった。
見れば、ただの木彫り人形に戻っていた。
ストラは鍵を差し込み、回す。
カチリ、と音が鳴った瞬間――扉が勢いよく開けられ、レアルタが飛びつくように抱きついてきた。
≪ああ、この時をどれほど待った事でしょうか! 眷属越しでは得られない、貴方様の温もり! ああ……幸せです!≫
≪そ、そうか……それは何よりだ≫
身体全体でそれを感じ取りたいのか、レアルタは全身を余すことなく密着させてくる。
さすがのストラも困った顔をしていた。
≪……は!? あ、う、失礼しました!≫
我に返ったレアルタは、慌てて離れ、膝を付いて恭しく頭を下げる。
≪構わん。それよりも……待たせたな≫
≪いえ、ストラ様の為ならば、私は百日でも千日でもここでお待ちいたします。この身は既に、ストラ様の為にあるのですから≫
仮初めの身体ではなく、本物の身体で、レアルタは死ぬまで忠義を尽くす事を改めて誓った。
その強い意志を感じ取ったのか、ストラはレアルタの頭をくしゃりと撫でる。
≪共に覇道を歩むとしよう≫
嘘偽りのない言葉で、それに応えた。
≪はい……!≫
レアルタは頭を上げずに答えた。
いや、上げられないでいた。
これ以上、ストラに泣き顔を見せたくはなかったから。
初めての家来として、強くなければならないのだから。
≪ふーん、お前さんがストラなのかい?≫
ストラはついと視線を動かし、ワラの上に寝転がっていたもう一人の住人に目を向ける。
≪ハァー……緊張して損したよ。魔王の息子って言うから、いかにも強そうなヤツだと思ってたのにさ……≫
茶色の髪に、ややつり上がった目。
頭からは犬耳が生えており、一見するとリンチェに近い女性の亜人に見えるが、掌は犬のソレであり、モンスターの一種――ワーウルフとしての証拠だった。
面倒臭そうにむくりと起き上がると、ストラより頭一つ分身長が高く、また体付きも一回り大きかった。
文字通りストラを見下しながら、
≪レアルタの嬢ちゃん、お前さんダマされたんだよ。魔王の息子って言ったら、全員が部隊長以上ってウワサだぜ? コイツのどこが強そうなんだか……≫
深い失望のため息を、ストラの頭に浴びせかける。
慣れているストラは、涼しい顔でそれを受け流していた。
しかし、主君の侮辱に耐えきれなかったもう一人が、すくっと立ち上がる。
≪パラミドーネさん……。いかに私たちの長ともいえど、ストラ様の侮辱だけは許しませんよ……?≫
怒りを押し殺した声で、静かにそう言った。
パラミドーネはゾッとすると同時に、あれだけ嫌っていた魔族をここまで盲信している事に驚いていた。
いったい何が彼女をここまで変えたのか、と。
ストラは気にしていない、とでも言うように手で制する。
≪突然の訪問、失礼する。私はストラ=ティーゴ。疑うのは無理もないが、正真正銘、魔王ブルート=セストゥプロの千番目の息子だ≫
≪こりゃご丁寧にどうも。アタシゃ、パラミドーネ。一応、ここにとっ捕まっているモンスターたちの長代理だよ≫
≪代理?≫
≪前の長は、ここに来る前に死んだのさ。そしたら、当然次の長を決めなきゃダメなんだが……≫
パラミドーネはわざとらしく肩をすくめる。
≪この通り、仲間は全部牢屋の中なもんでね。話し合いで決めることもままならないってワケさ。しょうがないから、歳が一番上なアタシが長をやってるのさ≫
歳が一番上といっても、恐らくストラの二つか三つ上ぐらいだろう。
他のモンスターたちもそうだが、幼いからこそこうして訓練用に飼い殺しているのかも知れない。
≪それで、今日は何の用だい? 自称・魔王の息子様? アタシらをここから出して、また利用するつもりかい? そして、また裏切るんだろ? 薄汚い魔族らしく≫
パラミドーネは吐き捨てるように言った。
レアルタ同様、彼女もまた魔族に裏切られた一人だ。
≪ストラ様はそんな事をしません! 絶対に!≫
≪どーだかね。レアルタのお嬢は、すぐに相手を信用しちまうからねぇ。そんなお嬢のお願いだから辛抱して聞いてるけど、本当は今すぐにでもお前さんをここから叩き出したいよ≫
言い方は比較的温和だが、ストラを睨み付けるその瞳は完全に仇として捉えていた。
≪それで結局、お前さんは何しに来たんだい?≫
パラミドーネは単刀直入に聞いた。
だがストラには、また一族を利用するつもりならただじゃおかないよ、と間接的に脅しているように聞こえた。
代理とはいえ、彼女は長なのだ。
一族の危険になるようならば――排除する義務がある。
≪私は、貴方たちを利用する為に来たのではない。そして……残念だが、救出しに来たワケでもない≫
驚きの声を上げたのは、レアルタだった。
てっきり、全員をここから出してくれるものだと思っていたからだ。
≪正確に言えば、それは別の『誰か』の役目だ≫
≪お前さん、何を言っているんだい? じゃあ、誰が助けに来てくれるって言うんだ?≫
思わぬ言葉に、パラミドーネは怪訝な顔をして尋ねた。
≪……そうだな、一つ予言しよう。今日ここに来たのは、その予言をする為でもあったからな。もしもそれが的中したのなら、私をほんの少しだけ信頼して欲しい。外れたのならば、次に会うときに――裏切られたときの恨みを、全て私にぶつけるが良い≫
それは遠回しに、殺しても構わない、と言っているのと同じだった。
パラミドーネはその度胸の良さに、呆れながらも感心したように笑う。
≪命知らずだね、お前さん。なら言ってみな? その予言とやらを。ここに居る百体のモンスターたちの前で≫
周囲がシンと静まりかえる。
動く音も、呼吸音も聞こえず、キーンと耳鳴りがするほどだ。
皆、ストラの声に耳を傾けている。
ストラは目を閉じたまま天井を仰ぐ。
深く息を吸い、そしてゆっくりとはき出していく。
緊張しているワケではない。
怖じ気づいているワケでもない。
楽しすぎて昂ぶっていく気持ちを、抑える為だ。
≪今より一週間以内に……いや、十日後に、ある特徴を持った者がここの鍵を全て開けてくれるだろう。その特徴とは――≫
※
用事が済んだストラは、コロシアムの入り口にカギを置き、その場を後にした。
息を殺し、音を立てないように自室の扉を開ける。
「お帰り」
だが、寝ていたハズのアルクワートは、いつの間にか目を覚ましていた。
「……驚いたな。いつもは耳元で大鐘を打ち鳴らしたとしても、起きそうにないというのに」
「抱いてたハズのレアルタちゃんが居なくなれば、そりゃね」
そう言ったきり、アルクワートは黙ってしまった。
どこに行ってたの、何をしてきたこのヘンタイ。
そう烈火の如く問い詰めてくるだろうと思っていただけに、肩透かしを食らった気分だった。
――相変わらず、私の予想を裏切ってくれるな。
ストラはため息混じりにそう思った。
――であればこそ、私の予想を遥かに越えた動きをしてくれるに違いない。
「時に、アルクワートよ」
ストラは切り出す。
「お前は、『戦術論』に興味はあるか?」
最後の、下準備を。
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