第6話

中学校生活が終わりに近づいていた。年末になり、雪がいつちらついてもおかしくない季節になった。僕らは世間が騒ぐクリスマスとは、殆ど関わりのない日々を過ごした。かと言って、何の楽しみもなかったわけではない。学校はとても楽しかった。

二学期の終業式数日前。廊下で三年サッカー部の仲間達が集まっていた。僕とひかりもいる。

「俺らで忘年会やろうぜ。ファミレスで良いよな。受験ばっかで疲れたよ、本当」

「サッカーやりたいな。体育とか休み時間だけじゃ、体動かす時間足りないって」

「マジ?俺なんて推薦狙いだから、毎日筋トレとランニングしてるけどね」

こんな調子で彼らは至極ストレスを溜めているようだった。B組の加藤が口を開いた。彼は部のキャプテンだった。

「なあ、ひかりも来る?隆彦の相棒なんだから来いよ」

「もちろん、俺が連れてくよ!そんでさあ、サッカーもやろうよ。ひかり合わせて八人いるからさ。ちょうど四対四のゲームもできるじゃん!」

僕はこの頃、少し不思議な感覚を覚えていた。ひかりが他の友人達にとられて行くような寂しさ、そしてそれに伴う嫉妬心だった。この学校で、ひかりと最初に仲良くなった生徒は間違いなく僕だ。でも、そのひかりが他の生徒達との友情を育み、溶け込んでいる。初めは嬉しかったのだが、ひかりとの友情がその分だけ薄れていくような気がした。無論、そんなことはないはずだ。ひかりと連絡を取ったり会話をする時間は増えてさえいたからだ。だが、そんな勝手気儘な自分の嫉妬心に嫌気がさしていた。

忘年会の当日。大晦日の二日前とあって、家はとても忙しい。営業マンの父は休日出勤で夜まで帰って来ない。スーパーマーケットのパートタイムで働く母は、この日も仕事で夕方までは仕事がある。正月の準備をするため、買い物をして帰ると話していた。

さて、母の帰りを待たずに僕は家を出た。午前中は軽く部屋の掃除をした後で勉強をした。その後サッカーボールの空気の入り具合をチェックし、午後三時頃に家を出た。

集合場所の公園には既に五人が集まっていた。ひかりはまだ来ていない。五人は既に金網運動場の中でボールを蹴り合っていた。

「お疲れ。早くやろうぜ」

「行くぞ、隆彦!」

僕らは円くなってがむしゃらにボールを蹴り合った。特にルールはない。やっているうちに、仲間がまた一人来た。名前は北見。ポジションはゴールキーパーで、何度も彼のスーパープレーで失点の危機を免れた。

「あれ、ひかりはまだか?」

北見は開口一番、そう言った。僕は一旦、運動場を出た。

「連絡してみるよ。遅いよな」

僕は携帯を取り出した。LINEのトークルームですぐに彼のところに行き着く。

「どうした?」

とだけ送り、すぐにそれは既読になった。

「悪りぃ、遅れた」

「おっ来た!ひかり!」

僕は何も言わずにまた輪の中に戻った。ひかりはいじっていた携帯をすぐにしまって仲間の輪の中に入った。

「ごめん、富永。連絡ありがとうな」

僕は何も言わずにサムズアップした。

さて誰が言い出すでもなく、自然とミニゲームが始まった。何となく、四人ずつが別れてスタートした。僕らは歓喜しながら走り回った。時計は三時半を回っている。

僕は同じチームになったひかりへ何度もパスした。彼も何度もパスしてくれた。

一ゲーム目は僕らのチームが三点を先取して勝った。いつの間にか、三点先取で勝利というルールになっていた。

そして僕らは五時くらいになるまでひたすらボールを蹴り続けた。だが、この時にちょっとした事件が起こった。

「うわっ!」

四試合目だったと思う。スコアは二対二。ゴール前までボールを持ち込んだひかりがドリブルを仕掛ける。その時、サッカー部随一のフィジカルの強さ(サッカーではボールを奪うために体を横にぶつけることは良しとされている。だから、あたり負けしないように上半身の強さも非常に重要になってくる。そのようにあたりが強い選手を「フィジカルが強い選手」と言う)を誇るB組の竹下と、五分五分のボールを奪い合った。負けず嫌いの竹下はあろうことか思い切り、ひかりを吹っ飛ばしてしまった。ひかりは転がって、肘や膝を地面にぶつけていた。

「大丈夫?」

「ひかり、ごめん!」

本番の試合であれば、プレーは止められないだろうが遊びとなれば別だ。皆が彼に駆け寄った。

「大丈夫だよ。心配すんな」

少し顔を歪めた彼は砂だらけになっている。そして、左肘と右膝を擦りむいていた。かなり痛そうだった。少なくともすぐに消毒をしないと、辛そうだった。

皆、どうしたらいいか分からなくなった。続ければ良いのか、終わりにしてひかりの傷を手当てすべきなのか。

「もう…終わりにすっか…」

不穏な空気を察した僕の鶴の一声で、サッカーのひと時は終わりを告げた。

「良いよ!やろうよ!」

ひかりはそう言っていたが、誰も聞かなかった。公園から最も家が近い野間口の家に行き、彼の傷を消毒した。野間口の家には専業主婦の母親がいる。元看護師だというその母親は手際良く、ひかりの傷の応急処置をしてくれた。

「お世話になりました。どうもありがとうございました」

ひかりはこの上なく丁寧に頭を下げて挨拶をした。

「大丈夫?まだ若いから治りは早いと思うけど。気を付けてね」

母親は、にこにこしながらそんな優しい言葉をかけてくれた。

ほんの二、三十分の滞在時間で、野間口が温かな家庭の愛情で育ったのだということがよく分かった。

「よし、気を取り直して忘年会行くか!お金持ってるか、お前ら!」

僕が戯けてみせると、皆が笑った。僕と僕の親友達は駅前のファミリーレストランに向かった。楽しく談笑している中で、ひかりの声が聞こえない。そして、その表情すらも目に入らない。ふと見ると、ひかりは一人でとぼとぼと歩いていた。彼は気の抜けたような不思議な表情で歩いていた。口は閉じているが、目は瞬きすら殆どせずにぼーっとしている。

「どうした?ひかり?」

ひかりはちらっと僕を見てまたさっと目をそらした。彼は何も言わなかった。僕らは同じペースで歩いたが、ひかりは何も喋らない。僕も何を喋って良いのか分からなかった。彼の心中を読むことは困難を極めた。 そしてそのままファミリーレストランに着いた。幸い、八人が座れる席を確保できた僕らはメニューを開いた。ひかりは僕の隣に座ったが、何も喋らない。目の前に座った竹下が改めて謝罪した。

「さっきはごめんね、ひかり」

「あっそんな、気にするなよ。サッカーではよくあることさ」

謝られたひかりの表情に、ほんの微かな影がさした。だが、彼は表面上はにこっと笑っていた。その微妙な影に、竹下は気がついていない様子だった。

全員がドリンクバーを注文し、それそれがドリアやパスタを注文した。四人ずつ二つのテーブルはくっついていたが、それでも自然と、間近の四人ずつで会話をする構図になっていた。

「やべぇ、私立の推薦まであと一ヶ月切ったよ!」

加藤が言った。

「おいお前さあ、こういう時くらいは受験の話はなしにしろよ!受験で頭いっぱいかよ!だから今日、何回もチャンス外したのか?」

「うるせぇわ!」

しかし、この加藤キャプテンの一言で暫くはメンバー全体で談笑した。皆がそれぞれの進学先、部活動などの話をした。サッカーを続けるという者もいたし、高校では別の競技をやりたいという者もいた。恋愛や性の話は誰もしなかった。ひかりに気を使ってのことなのだろうか。それとも単に興味がないだけか。だが男子中学生の一番の興味の対象と言えば、それと決まっている。しかし、最後まで誰もその話はしなかった。ひかりは相槌を打つばかりで、殆ど喋らない。彼の存在感がそのせいで薄れるということはなく、むしろ彼に対してどのように振舞ったら良いのかに、皆が気を使っているように見えた。あの空間はひかりが中心だった。

「よし、夜も遅いしそろそろ帰るか」

幹事でもある加藤キャプテンの一言で、会はお開きを迎えた。僕はずっとひかりが気になって仕方なかった。と言うより、皆ひかりが気になって仕方なかった。

皆、空元気で釈然としない気持ちだった。

「良いお年を!」

そんな挨拶がどこか虚しく響いたこの日。僕らは、確かに見えない不安との戦いを覚悟し始めていた。受験が来る。人生がかかった試験が待ち受けている。そんな気持ちと、ひかりが胸の蟠りを抱えているのだという現実。誰かの為にこんなにも悩んだのは僕らにとって初めてだったのではないかという気がした。

年末、僕は三年のサッカー部員全員に年賀状を出した。もちろん、ひかりにも出した。部員達からは返事が来たが、ひかりからは来なかった。

「年賀状ありがとう」

始業式の日、ひかりに申し訳程度にそう言われただけだった。だがそれだけでも死の底から救われたような気分だった。僕は心底、ひかりを気にかけてい

たのだ。恐らく誰よりも。ある種の独占欲のようなもので、彼との友情を僕は育んでいた。

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