第19話 エースだった。
「そうだよ。いすみは神戸の安西事務所にいた。しかも、当時は結構大きな物件も任されてたエースだったな」
池袋の豚肉料理のお店で田尾さんと会って、今日の専務と本間氏との出来事を話していたら、専務の前職を聞いて驚いた。
安西事務所の安西正孝氏と言えば、オリンピックのメインスタジアムコンペの座長を務める世界的な建築家だ。
あたしが建築の世界に入るきっかけになった、北海道の教会の設計者でもある。
「ええええ!!!安西事務所ってスゴイじゃないですか!しかもエースって!!そんな人が、東京の。なんで工務店なんかにいるんですか?」
「工務店なんかとはひどいねえ、それに、俺も彼と同じ大学出で、工務店やってんだけどね。」
「あ、すいません。失言でした。でも、神戸の事務所にいて、なんで東京へ?」
「あいつはもともと、神戸に住んでたんだよ。両親・・・。今の社長な。がいすみが小学3年のとき離婚して、社長の元奥さんの実家が神戸だったんで、神戸に一緒に帰った。」
「で、社長の元奥さんの旧姓が高根・・・。」
「K大学の建築学科に合格して、毎年、何人か安西事務所に入るゼミに所属してな、そこに入るには、ものすごい競争だ。でも、やつはそれを突破して、安西事務所に入った。それはそれは優秀だった。」
「そういえば、田尾さんって、専務と同期なんですよね?関西弁的な話し方されないですけど?」
「おれも安西事務所に入りたくて、その入所ルートのあるK大学に入ったのさ。元々の出身は東京。でも、あいつほど優秀じゃなかったから、件のゼミには入れず、東京のSK設計事務所に就職した。」
就職活動の時を思い出す。
あのときも、有名事務所に入るには、毎年、入所者をだしているゼミがあって、そこに行くのが最善のルートだった。
高みを目指す学生は、目指す設計事務所に入るために、受験勉強をし、入学したら、講義と課題を着実にこなし、そのゼミに入ることを目標とする。それでも、田尾さんのようにかなわない人もいる。
でも、日本の2大名門国立大学の名のひとつを当たり前のようにあげ、安西事務所に負けずとも劣らない、有名建築を数多く手がける東京のSK事務所に入所したことをさらっという田尾さんもすごいなあ。
「田尾さんって実はすごい人だったんですねえ。」
「そうだよ。ナリじゃいすみにはかなわないけど、結構優良物件だよ?」
「購入検討しときますね。」
「で、安西事務所に入ってからも、やつはすごかった。聞いたかもしれないけど、入所1年目で1級建築士を取って、20代で担当物件を持つようになった。まさにエースだった。そんな順風満帆な時に、アイツに絡まれた。」
「本間さんにですか?」
「そう。ある公民館のコンペがあって、安西事務所が仕事を受注した。
その時の担当がいすみで、当時は安西事務所も、奴を売り出そうと、メディアにもよく露出させていた。
ルックスもいいし、優秀だし、人柄もいいから、気難しい安西先生も気に入っていて、どんどん仕事を任せて、事務所を継がせようとも考えていたみたいだ。本間がからんだのは、その物件を受注したころだった。」
「本間を動かしたのは、コンペに落ちた他の設計事務所のやつって噂だが、真相はわからない。いすみが以前、設計した住宅を<欠陥住宅だ!>と言って大騒ぎしたのさ」
「当時は、今ほど欠陥住宅で騒ぐ施主なんか少なかったし、欠陥と言ったって、雨漏れしてるわけでもないし、傾いてもいない。確認申請も降りてるし、検査もすべてクリアしてた。
欠陥なんかいいがかりだから。と最初は安西先生も軽く考えて、すぐに解決できるだろうと踏んでたらしいが、本間が次から次へと欠陥を見つけるもんだから終わらなかったらしい。」
「最初は<柱の太さがおかしい、土台の納まりがおかしい>っていう構造の欠陥の指摘。
設計審査も構造計算もクリアしているが、<自分の計算では>それはおかしい・・・。とやってたんだが、だんだん<建具の立てつけが悪い、クロスのしわが多い、屋根の板金を固定している釘のピッチが不規則だ!>なんていう難癖レベルになっていった。施主さんも、あんまり言われるもんだから、<このウチはほんとに欠陥住宅なんだ>と洗脳されたみたいになったみたいだ。
最後は<欠陥>が100か所を超えたって言ってたな。普通に問題なく住んでいる家でだぜ。」
「・・・それはちょっとすごいですね」
「実際に、現地に来てみりゃ、そんなのいいがかりってすぐわかるレベルだ。
もし、建具の立てつけが悪かったとしたって、そんなもんすぐ直る。実際に指摘されるたびに、いすみは職人と一緒に直してたらしいしな。」
「ただ、本間がテレビにそのネタを売って、センセーショナルにやったんだ。日曜にやってる<噂のニッポン雑誌!>って番組知ってるか?」
「あ、知ってます。番組の最後に通りすがりの女の子たちにいろいろ家事をやらせてみて、できないのを笑う番組ですよね」
「そう、その番組のなかで紹介されたのさ。
レポーターのタレントがその家に行って、<うわ!こんなに建具の動きが悪い!こんなにクロスに皺がある!釘の打ち方がきたない!>ってカメラの前でやって、本間が壁や天井を解体して、その中身を撮影した写真を納めた分厚いファイルをスタジオで見せて、建築のことなんか知らないタレントが、写真を見もしないで、<うわあ!こんなに欠陥がたくさんある!ひどい!>ってパラパラやったのさ。
印象操作ってやつだな。そのときは、事務所名を出さなかったんだけど、テレビ局としては、有名建築士事務所が欠陥住宅を建てた。なんていうのは、おいしいネタだからとびついた。
そして、本間と施主は目に見える誠意と、いすみがすみやかに責任をとることを要求したのさ。
受け入れられない場合は、事務所名を出すってな。
裁判やれば、それは勝てるだろうが、一回そうやってメディアに貶められたら、人気商売の設計事務所はリカバリーが難しい。本間はそこまで計算してたみたいだな。
安西先生も徹底的に戦う。と言ってくれたらしいが、結局、安西事務所が目に見える誠意の提供、いすみが辞めるってことで終わった。」
「ちょうど、いすみのオヤジも、先代から工務店継いだものの、経営がうまくいかなかったらしい時期だったから、東京に戻って、舞波工務店に入った。
仕事上、3代目ってしたほうが通りがいいからということで、姓も変えて、現在に至ってる。
いすみは、お宅の社長には、安西事務所をやめるときの経緯は話してないみたいだな。」
「その後は、本間は絶好調さ。あいつにかかれば、どんなにちゃんと建っている家でも、欠陥住宅になっちまう。本当に欠陥があるのなら、それでもいいが、安西事務所の事例みたいに、なにがなんでも家を欠陥住宅にしたい施主・・・。工務店と工事以外のことでもめたとか、監督が生意気だとか、建てた費用の残金支払いをしたくない。・・・。なんて施主の御用達になったみたいだ。」
「なにしろ、あいつのスローガンは<住んでるあなたが欠陥住宅と思えば、欠陥住宅です>だからな。欠陥が実際にあるかないかは関係ないんだよ。」
「関西では、あいつに絡まれて廃業したり、いすみのように、会社を辞めざるをえなくなった奴も結構いるらしい。安西事務所の件は、売り出しのスタートだったんだろうな。でも、あいつがこっちに来るとはな。東京も荒れそうだ。」
甘辛く煮込んだ豚肉の塊を食べながら、田尾さんは話す。
あたしも、そんな仕事をすることになるのかな?
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