第3話


 やがて海中から引き揚げられたものは黒くてゴツゴツした大きな塊だった。

「ふんっ」

 縄の先にぶら下がった2メートルぐらいある塊にジジイは気合いを込めてバールのようなものを叩きつけた。がつりと堅い音がする。バールのようなものの先端をえぐり込むように塊へ刺し込み、ジジイは力任せに引き寄せた。空いた左手で黒い塊の表面を掴み、そのまま力任せにむしり取る。めきめきと聞き慣れない音がした。

「ほれ」

「え、ちょっと」

 ジジイは剥がし取った黒い物を私の方へ投げた。けれど得体が知れなかったので私は手を出さずに身体で受け止めた。ごとんと床に落ちたものは手のひらより大きいぐらいの石だった。表面がでこぼこしていて黒い、所々にマーブル状の模様が見える。

「なんだ、いらんのか」

 ジジイは塊をクレーンに引っ掛けて固定してから、メリメリと表面からもう一つ剥ぎ取った。ジジイの大きな手で握られると幾分小さく見える。

「なに、それ」

 私の質問にジジイは片眉を動かしただけで何も答えなかった。代わりとばかりに腰のポーチから短いナイフを取り出し、私が戦闘態勢を取る前に手にした黒い石にナイフを突き刺した。刺したナイフを横に回すように動かすと、黒い石がぱかりと2つに割れた。

 プリっとした白いものが入っていた。そのなめらかに盛り上がった形には見覚えがある。牡蠣だ。ふわりと磯の香りを感じた。

 ジジイは腰のポーチからペットボトルを取り出した。栓を開けて中の液体を牡蠣へと振りかける。透明の液体はたぶん水で、牡蠣を洗っているのだろう。

 そしてジジイはクリっとした目をこちらに向けながら、おもむろに、一口で、つるりと飲み込むように、牡蠣を食べた。そして満足げに息を吐く。

 ジジイがこちらを見て、片眉を動かした。どうだ、と言わんばかりに。


 私はゆっくりと足元に落ちた黒い塊を拾った。岩の破片にしか見えないコレが牡蠣の殻なのだ。じっくりと眺めてみたけれどマスマス岩に見えてくるだけだった。

「貸して」

 ジジイから刃の分厚いナイフと汚い軍手を受け取る。多少汚れてようが今更だ、躊躇なく雑巾みたいな軍手に指を通した。ナイフを牡蠣(?)に押し当ててみる。堅い。軽く刃先を動かすと刃の当たった部分がポロポロと崩れていく。うーん、なんだこれは。

 ぬっと出てきた太い指が牡蠣を叩いた。そこに刃を当てろ、という意味だろう。指が太すぎてどこを差していたかよくわからないけれど、適当に刃をあてがった。ジジイを見上げると返事はジェスチャー。動きを真似して殻にナイフを突き刺してみる。パキリと小さな音がして、あっけない程簡単に殻が割れた。中に刃が入ると後は簡単、てこのようにナイフを動かすと自然と殻が開いた。

 とぅるりとした光沢、お店で見た事がある牡蠣の姿。強い磯の香りがした。

 ジジイから受け取ったペットボトルの水をじゃぶじゃぶとかけて牡蠣を洗う。あまりにも衛生的とはかけ離れた適当さだ。

「こんなんで食中毒とか大丈夫なの?」

 ジジイは鼻を鳴らした。

「俺はそんなもん気にしねえ」

「さいで」

 不思議に思う気持ちも起こらない。このジジイの胃で消化できないものなんてあると思えないからだ。その胃酸は鉄をも溶かし、鋼鉄の腸を傷つけられる虫はないだろう。

 まあ、食中毒など考えるまでもない。今宵の私は螺子が外れている。零れた螺子を拾う者なし、唯々オイルと鉄くずで跡を汚して進むのだ。

 ましてや、蠱惑的な宝石を目の前に尻込みする必要などないではないか。

 私はちゅるりと頂いた。口の中に広がるは海。太平のように穏やかで優しい海、反面でその実は荒ぶる大波を感じさせる程に力強い。海のミルクと呼ばれるまろやかな子は口に蕩けて身体の中へ染みていく。

 延々と文字に起こすまでもなく恍惚たる表情を浮かべているであろう私を見て、ジジイは満足そうにアゴ髭を撫でた。


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