第2話
ゴワゴワしたジャンパーは私の膝下まで覆えるぐらいに大きい。熊に包み込まれているみたいだ。まさか下着の上に直接熊を着ているとは誰も思わないだろう。私だって思いたくない。
私は着替えに使っていた船室から外へ出た。低い手すりの向こうに広がるのは静かな黒い世界。冷静になるとすぐにわかった。ここは小さな漁船の上、その周りには漆黒の海が広がっているのだ。
ちいさな船の狭い通路を通って、船の後ろ側へと向かった。そこにジジイの無駄に大きな後姿を見つけて、私は声を掛けた。
「着た、けど」
「おう」
ジジイは先ほど私が持っていたバールのような物を手にしていた。私は反射的に構えを取って距離を開けた。棒状の武器が相手だと、最悪片手を犠牲にする覚悟は必要だろう。
「ん、なにしてんだ」
ジジイはブンブンとバールのような物を振り回した。なんという腕力だ。あの重い鈍器を片手で悠々と振り回すとは常識で測れる筋力ではない。片手を犠牲になどという余裕もないだろう。なんとしても回避できるように腰は落とさずに立ち回った方がよさそうだ。
「なんだその動き。いいから、はやくどけ」
――私は数歩下がって、船の横を走る狭い通路からジジイの動きを見ていた。
私の後ろにあった機械、小さなクレーンを操作してジジイは海から何か丸い物を引っ張りあげた。黒と黄色のボーリング玉のようなそれに太く丈夫そうな縄が繋がっている。ジジイはその縄をクレーンの先端の金具へと掛けた。その横のクレーンと繋がった機械がギリギリと軋みながら縄を巻き上げていく。
私はジジイが作業する様子を黙って見ていた。
冷静さを取り戻した頭でも、今の状況を理解する事は出来なかった。
夜の海に飛び込んだはずの私が、なぜここで熊となって生きているのだろうか。
ギリギリとテンポのよい音が船内に響く。縄の巻き上げは機械が自動でやっているため、ジジイは特にすることはなくて暇そうにしていた。
気になること、聞きたいことは幾らでも頭に浮かんでくる。しかし、聞いてどうするというのか。むしろジジイからなにも聞いてこないのは何故だ。
普通、夜の海で女を拾ったら少しは不審だと思わないか?
ジジイは私に何も言わず、巻き上げられる縄をじっと睨みつけていた。バールのような物を右手に持ったままで。ガサツで無様な風体と合わせて何世紀も昔の海賊のようにしか見えない。
このジジイも相当に不審なのだから、私と似たようなものなのかもしれない。
暗黙の了解のような物が不審者の間にも存在するのかもしれない。
私もジジイに倣い、腕組をして縄を睨みつけた。
傷を持つもの達を乗せた船はゴンゴンと縄を巻きあげる。
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