第17話「裏切り」


「……ねぇセミアさん。何が起こったの?他のみんなは?」


 質問されたセミアは答えようとせず、じっと抱きしめたまま動かなかった。


「……」

「……」


 やがて、


「……宗一郎様、カツラギ様は……亡くなって……しまいました……」


 抱き着いたままセミナは、顔を見ながらは言う事ができず、宗一郎の小さな首筋に顔を埋めて隠しながら、静かにそう伝えた。


 宗一郎は凍り付いたように身を固くした。


「……」


 宗一郎は単純に、お父さんの死を受け止められずにいた。そして、父の死が生身を気づ付けないように、空気を読む良い子になった。


 道徳は生きるための武器である。


 その使い方を宗一郎は知っていた。道徳は我が生身を守る鎧にもなるのだ。お父さんの死は良い子の自分でいる限り、傷つくのも悲しむのも、常に鎧である良い子の自分の方になるのだ。


 少年がこの時真っ先に考えたのは、自分の事を考えて苦しんでいるセミナに、余計な気を使わせないようにする事であった。


しかし、何をすれば良いかがよくわからなかったので、ここは泣くのが普通で、泣いても良いんだけれど、そんなことはせず、セミナを気遣うようにしようとおもい及んだ。


「大丈夫ですか?」


 そして、それでも、


「お父さんが……えっ?」


 と、とぼけた演技を織り交ぜて、もう一度尋ねてみてしまう。


「カツラギ様が……亡くなったんです……毒を自ら飲んで……カツラギ様は……レジスタンスの……スパイだったんですよ……」


 セミアは相変わらず抱き着いて顔を埋めたまま言った。


「レジスタンスの……スパイだった……死んだ……。

 …………。

…………」


 (お父さんは死んでしまった。

お父さんは死んだ。

お父さんは死んだ。

お父さんは死んだ。)


 少年は繰り返しそうおもう事によって、良い子の自分の方に、その事実を刻み付けようとした。

 しかし、宗一郎はだんだん心が苦しくなってくる。


 (もう会えないと、考えたくない。

 でももう、会えない。

 もう会えないんだ、お父さんには!)


 宗一郎は家出した日の事をおもい出した。最後に話した事をおもい出した。懇願するお父さんの顔をおもい出した。


 (あのお父さんの顔は、きっと明日にでも自由広場前にさらし首にされるんだ。)

 宗一郎はその光景が頭に浮かんだ途端、激しくこみ上げる涙にわっとセミナに泣き伏してしまった。


 (どうして言う事を聞かなかったんだ。最後にもう一度会いたいよ。謝りに帰って来たんだよ、お父さん)


 結局、宗一郎は良い子にはなれなかった。


 泣きに泣く宗一郎をセミナは優しく抱きしめる。


 葛城の死は、宗一郎の数ある傷の中に癒えぬ傷として、その生身に深く刻まれる事となった。


 かなり時間が経ってから、少年は顔を上げて涙をぬぐうと、ゆっくり顔を上げた。


 (お父さんは死んでしまった。じゃあ、これからどうすれば良いんだ?)

 宗一郎は、最後に無理やり付けられた腕輪を見た。


 (お父さんはこれを渡す時、たしか……)


――わしの形見とおもってくれ。

 そしていいか。こいつを、飛空艇サカン号の船長、アギラ・ヴァカンツァという男を見つけ出して、見せるんじゃ。そしたら、わしからのメッセージを受け取ってくれる。そして他の国へ連れていってもらうんじゃ、帰るためにな――


 (そうだ。お父さん約束を守るよ。僕、ちゃんと会いに行くよ。)


「セミナさん、僕もう大丈夫です」


 セミアは顔を上げ、宗一郎の泣き止んだ顔を見るともう一度強く抱きしめた。


 そして暫くして、


「とりあえず……ここから逃げるのが先です」


 宗一郎を放し、肩に手をやってそう伝える。


「うん、逃げるんですね。でもどうやって?」

「さっきと同じ方法で行くしかありません」

「えっ?」

「我慢してください宗一郎様」


 吹っ切れたようにすっくとセミアは立ち上がると、


「違和感なく歩けるように今から練習しますよ」

「え、いやあ、恥ずか……他に何か――」


――ビシィ!


 セミアはどこからか取り出した鞭を叩きつけた。


「ヒィ!」

「早くおし!宗一郎!」

「はい!わかりました!」


 宗一郎は素早くスカートをめくり、中に入っていく。


「あっでもどこへ逃げるんですか?」

「……そうね……」


 セミアはスカートの乱れを整えながら暫く考えていると、スカートの中で、


 (上は見ないように、上は見ないように)


 と思いながらもチラチラと目を凝らして見ている宗一郎が、


「ならシンシアさんの所に行きましょう。フーリのおばあさんですよ。きっと力になってくれますよ」


 と提案した。


「……わかりました、そうしましょう宗一郎様。

――では前に歩きますよ」

――ビシィ!


「はい!イッチニイッチニ!」


   ◇


「そんなことして抜けてきたのかい」


 なんとか切り抜けてカルカット・バーまで来た二人は二階の居間に上げられ、ぐーすか寝ているフーリを横目に、シンシアに顛末を話した。


「こっちにも来たよ、軍人がね。警備兵もあっちにもこっちにも居て、ここら中調べまわって良い迷惑さ。お前さん一人のためにまあよくやることだよ」

「なぜ宗一郎様を、こんなにも執拗に追うんでしょう」


 セミアはずっとそれが疑問だった。


「その小僧の腕輪に付いてる魔石のためさ。そこにあいつらの欲しがっている情報があるんだ」


 シンシアは宗一郎の方へ向き直ると、


「だからその腕輪をとっとと渡しちまいな。さもないと一生追いかけられる羽目になるよ。

 さあ、私に渡しな」


 言われて宗一郎は、無理やり付けられた腕輪を見た。


「ダメです、シンシアさん、これは軍になんて絶対渡せません」


 宗一郎はシンシアを真っすぐ強く見つめる。


「一生追い回されたって構わない、一生逃げきってやります!

 お父さんの形見なんですシンシアさん。そして僕はこれをサカン号の船長、アギラ・ヴァカンツァさんの所にまで持っていかなければならないんです」

「……お前さん何を言って……、いいかい、何を反抗してるんだよ、盾突いて無事でいられる相手じゃないんだよ。ここで逆らっちゃ、お前さんの身分も奴隷に落とされるかもしれないんだよ」

「別に構いません。お父さんが言ってました。わしが死んだらその人の所へ行けって、そして他の国へ連れていってもらえって。きっとレジスタンスの仲間なんですよ。だから僕を匿ってくれます。そして、きっと――」

「ああ、何を言ってんだい……レジスタンスなんて……。一人のガネリサがどうやって巨城に挑めば良いんだい?(どんなに力があってもできないことはできない、無謀という意味の諺)」

 

 シンシアは説得よりも懇願するようであった。


「宗一郎、渡しちまいな。それが一番なんだよ。あいつらが狙ってるのはその腕輪なんだ。それさえなくなりゃ何時ものように暮らせるんだよ」

「何時ものようにはなりません。お父さんが居ません。これはお父さんのなんです。これを渡したら、もう本当に居なくなってしまいます」

「……」

「……協力してくれないんですか?」

「……」


 助力を求められた事にシンシアは顔を曇らせた。暫くあって、


「……わかったよ、そこまで言うなら……」


 老婆は決心して、そう言った。


 宗一郎は晴れやかな顔になった。


「ありがとうございます」

「ああ」

「その船長の居場所はご存じなのですか?」

「造船所に、メンテナンス中のサカン号がありました。……それだけです、あそこに居ないでしょうか?」

「メンテナンス中の船には居ないでしょう。どこかホテルにでも泊まっていらっしゃるんじゃありませんか?」

「となるとどうすれば……」

「……客にサテン号の乗組員が居たね、今も下に居るよ」

「えっじゃあ聞けば教えてくれるかも」

「うーん、どうだろうねぇ……でもまあ、聞いてみるだけみるかね」

「あの、その役目、ぜひ私に任してもらえないでしょうか」

「ん?良いけど……服があれだね、店にあるの貸してあげるよ。いっぱいあるから好きなの選びな」

「ありがとうございます」


 シンシアとセミナは早速と立ち上がった。


「……よし、ついでに腹減ったろう。セミアさんを案内するついでに何か下から持って来てやるよ」


 そう言って二人は階下へ降りて行った。


 シンシアは、セミアを更衣室の中の衣服部屋まで連れて行くと、部屋に居た女の子達に何かあったら手伝ってやるようお願いだけして退出した。


 そして、さきほど決心した通り、手の空いてる従業員に、探している子供がここに居る旨を警備兵に伝えるよう命令して、走らせた。

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