第12話「家出」


「宗一郎」


「何です、お父さん」


 ベッドで寝転んで本を読んでいた宗一郎は呼ばれて起き上がり、隣のベッドで安静にしていた葛城へと顔を向けた。


「こっちへ来なさい。話があるんじゃ」


「はい……」


 宗一郎は厳しいとはまた違う葛城の真剣な顔に、少し心配になりながら、傍へ寄って行った。


「何です、話って」


「お前、この世界と元の世界が行き来できるのは知って……おるな」


「……はい」


 急に目を伏せて、宗一郎は返事をした。


「……元の世界に帰りたいじゃろう」

「えっ?それは……別にですね。帰りたくはないですよ」


 葛城は予想外の宗一郎の反応に戸惑った。


「どうしてじゃ?戻りたくないのか?」

「いえ、帰りたいですけれど、今のままでも良いです。

 ……こうしてお父さんが居て、セミナ先生が居て、フーリ……もまあ良いや、居て、一緒に暮らして、楽しいです。僕、本当に幸せです」


 とにこやかに話す宗一郎。


「……」


 しばらく間があった。


(……。

 ……なるほど、そう言えば、そうか。

 だいたい帰ってなんになる。宗一郎にはもう家族も何も、誰もいないではないか。)


 葛城は宗一郎を凝視する。


 笑みを零しながら、幸せと答える宗一郎を見る事。それは葛城にとって自分が、なぜ帰りたいのかという望みを思案することと同じに結果になってしまった。


 葛城は、宗一郎のどこかあっけらかんとした姿から得たものが、自身の帰りたい気持ちをも失くしてしまう答え、正確に言えば、心の底では帰りたくないのではないかとの疑惑を、彼は持ってしまう事となってしまったのだ。


(……。

 今おもえば、わしの元の世界に帰る理由なんて、いつからか無くなっていた。

 ……。

 生活が安定して、ここでの生活に慣れて、ここで家族も出来きて、それなのに、それらを捨ててまで帰る理由なんておもいつかない。

 いや、そんなものはない。

 ……。

 きっと、そうじゃ。

 ……きっと今のわしは……単に感情的になって、帰らねばならない、とおもい込んで、懐古の美化された前の世界の景色への愛しみと、この世界への恨みを……きっと、晴らしていただけなんじゃ……)


 葛城は、そんな自分の事に思い当たり、頭を抱えた。


 そしてそのまま思案は、ずっとこのまま宗一郎と暮らす事を想像へと変化した。


 その想像はバッドエンドを迎える。


 自分が年を取りすぎていることに、自分も呆けたと、彼は笑いながら気づいたのだ。


「……宗一郎、お前、わしが死んだらどうするつもりだい?」

「……えっ、なん……ぅぅ……」


 宗一郎は、ぎょっとした様子になり、小さな音を少し出して、その後は、黙ってしまった。


「わしの考えでなく、もうこの年だ、どうなるのかわかったもんじゃない。生きても宗一郎が大人になるまでは持たないだろう」

「……」

「何年も後かもしれないし、フフッ、明日にも死んじゃってるかも、ハハハ」

「……」

「まぁとにかくだ。もし、わしが死んでしまったら……どうするつもりだい」


 黙りこくる宗一郎にかまわず葛城は続ける。


「難しい話かも知れないが、一応財産は、ある、それはやるよ。使い切ってしまおうとおもっていたから、そんなにはない、だから、この家に住むのはできなくなる。

 いいか、このミラは金が全てだ。だからわしら移民でも街で暮らしていける。金がなくなってしまえば、市民権のないわしらは……また奴隷に逆戻りじゃ――」

「ずっと一緒に居たい」


 宗一郎はゆっくりとそう言って葛城の言葉を遮った。


「いいや、それはできない」


 葛城も、ゆっくりその望みに答える。


「一緒には居られはしない」

「死んだら、僕は、また、奴隷になるしかない」

「違う!」

「違わない!

 助けてくれたのになんで居なくなるのさ、ずっとお父さんの子供で居たい、絶対ここから出ていかない」

「よく聞くんだ。説明する。もしわしが居なくなってしまったら、市民権のないお前は奴隷になるか、違法移民として逃げ続ける生活を送るしかなくなるか、最悪犯罪を犯し続けて暮らす事になる。

 その前に、わしの死ぬ前に、わしは知り合いの男にお前を渡すつもりじゃ。その男はお前を飛空艇に乗せてここから連れ出してくれる。そして――」

「嫌!」

「――そしてお前を、元の世界にへと行く手助けをしてくれるよう頼む。それまでは、そこの家族に今度はなるんだ」

「嫌、僕の家族はお父さんだよ」

「でももうすぐいなくなる家族じゃ。悲しいが、ここの家族はもうすぐなくなるんじゃ」

「そんな事ない!」

「……わしを見ろ。皮と骨ばかり、もうすぐ死する運命なんじゃ。

 だからそれまでにちきんとした人間になってくれないと困る。お前には今だに奴隷の部分が残っているんじゃ。文字を読めて、計算もできても、奴隷精神があるなら意味はない。良識を持った、自分の頭で考える、主体性の――」

「嫌!」

「……これがわしのできる最良の方法じゃ。わしはただ先延ばしにしていた。だけどもう時間がない。命令をするから黙ってやるんじゃぞ」

「出てけって言うの!?」

「黙りなさい。わしは、わしが居なくなったら、と言ってるんじゃよ。死んでしまったら、という意味じゃ。そしたら、お前はある男を探して、その男にわしからのメッセージを渡すんじゃ」

「……嫌ったら嫌です」

「……わしの言った通りできるな」

「死なないって約束してください。ならできます」

「死んだらって話をしてるのに、それは無理じゃな」

「なら嫌です」

「……」

「……ずっと一緒に居たいです」

「……聞き分けのない子じゃ」


 と、葛城はほほ笑んだ。喜んでいた。宗一郎の聞き分けがない事が、奴隷精神がなくなっている証拠だと、主人に反抗しているという事を嬉しく感じていた。


「受け取ってくれ」


 葛城は枕もとの棚から、緑色の小さな石を取り付けた銀の腕輪を取り出して、俯いたまま動こうとしない宗一郎に無理やり付けた。


「絶対に失くしてはいけないよ。わしの形見とおもってくれ。

 そしていいか。こいつを、飛空艇サカン号の船長、アギラ・ヴァカンツァという男を見つけ出して、見せるんじゃ。そしたら、わしからのメッセージを受け取ってくれる。そして他の国へ連れていってもらうんじゃ、帰るためにな」

「……」

「宗一郎、やはり帰らねばならない。この世界にわしらの居場所はないんじゃ。帰れるものなら帰った方が良い。あっちなら、ちゃんと国が保護してくれるし、奴隷制度も、独裁政治でもない、平和なあっちで暮らすのが一番じゃ」

「……」


 (ううん、お父さんと一緒なのが……一番だよ。なんでそんなこと言うの?)


 返事も何もしない俯いたままの宗一郎に構わず、わざと陽気に葛城は続ける。


「おそらく、各国が隠している秘密の魔航路の内一つがあっちの世界と通じていると考えておる。昔から噂はあった。まさか月間モーの言ってることにホントの事があったなんてな、年は取るもんじゃわい。飛空艇に乗っていれば、情報も得やすいじゃろう、アギラにも協力をお願いする」

「……」

「アギラはだいたい一年に一回くらいの頻度で、不定期でここミラにやって来る。

 エリクサン人でな、鼻筋が通っていて、とんでもなく色男なんじゃ。フフフ、若い時は家の前まで女の子が来てて、わしに、お父さんプレゼントを渡してきてくださいお願いしましたよ、と毎日言われて困ったもんじゃ、ハハハ……ああ、……まあ良い……、……こいつをちゃんと渡すんだよ、約束だよ」

「……」

「あっ、もしなんだらシンシアにもメッセージがあるんじゃ」

「……」

「えっ?ハハハなんじゃ、まだまだ増えていくんじゃないかって心配だって?」

「……」

「……、……すまないね、宗一郎……」

「……」


 その次の朝、少量の食物とお金と共に宗一郎が家から居なくなった。

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