第10話「奴隷の道徳」


 ここ、ミラは海に囲まれた島一島のみで形成された領域である。ガネリサ四世が治めるこの美しい領域は、海の領域と呼ばれていた。


 エメラルドブルーの海と、シーフード目当てに訪れる多くの観光客を目当てに、観光商や、売春婦、違法カジノ、もぐりの両替屋、国家公認の乞食などを営む平民で主に構成されている。


 華族階級の者たちは、すべからく嘘をつく事と盗む事で生活していた。全体の一割に満たない華族階級が、ミラの富の約九割を持つほどの、豪快な盗みっぷりである。


 奴隷の身分の者達は、すべからく嘘をつく事と盗む事で生活していた。主人からもらえるのは、その日ぎりぎり死ぬ程度の食料だけだからだ。礼儀を知らないと世間から制裁が来るように、嘘をつく事と盗む事を覚えないと、生命から制裁が来るのが奴隷達の社会であった。


 しかし皮肉な事に、主人側が食料を少なくしたのは、奴隷達が盗みを働き食べているのを知った主人側が、


 ――なら少なくしても良いだろう。


 という社会的制裁と経済的判断からなのであったりする。


 カルカットから帰った宗一郎は、葛城が今から寝ようかとする所へ、そうだ!とあることをおもい出し、ニコニコしながら、


「見てください、お父さん」


 と、誇らしげに、上着のポケットから財布を取り出した。


「……なんじゃ?……それは」


 葛城は驚いて、目を見開く。


「気づかれる事もなく、うまくできました」


 宗一郎は少し誇らしげに、言った。


「……落ちていたのか?どこで手に入れた?」

「いえ、違いますよ、お父さん。年寄から盗んだんです。これ、お父さんにあげようとおもって……、あの、どうでしょうか、喜んでもらえましたか?」


 そう尋ねる、宗一郎の得意げな、ニコニコ顔に不安の影が刺した。葛城がにこりともしてなかったからだ。


「ここに来てから、何回目だい、盗むのは」

「えっ……えっと、……えっと五回です」

「……」


 葛城は黙り込んでしまった。


 我が子が獣同然となってしまっている事の驚きより何よりも、この子に、今まで教えて来られなかった道徳を教えるにはどうしたら良いのだろうと、考え込んでしまったのだ。


「……宗一郎、これは悪い事だと、わかるか」

「えっ何がでしょうか」

「盗みがいけないことだとわからないのか!」


 その怒号に、びくっと体を強張らせ、俯いてしまう宗一郎。


「社会には道徳というものがある。道徳を知らないとは言わないな!」

「はい、知っていますよ。ちゃんと道徳的にやっています、お父さん。目があった人には全員、挨拶をしてますし、今回も、それで僕の事を安心した人が、僕の荷物を持ってあげますと言った言葉を信じた隙にやったんです」

「……お前は何を言ってるんだ?」

「絶対ばれてないですよ。だから大丈夫です、用心を重ねてますから、僕は、この腕前だけは自信があるんです」

「……」


 葛城はまたも黙り込んでしまった。今度は獣同然となってしまっている事に衝撃を受けてである。葛城は、宗一郎が道徳的行動をする意味をはき違えて理解していることに気が付いたのだ。


「んん……」


 そしてまたも、苦しむような声を漏らしながら考え込んでしまった。

「……」


(この子は、道徳的な行動は他の子よりできるじゃろう。しかしそれは、ただの手段としての道徳行為じゃ。

 この子は、道徳行為を自分に見返りがあるからやっとる。

 道徳というものを一番活用するのは、まぁ、不道徳な奴ら……。良い人とおもわれたいなら道徳の教科書を参考にすれば良い。宗一郎が言ったように、ちゃんと挨拶をしたりしてな……。いい子と評判だと聞いて安心していた……。周りの大人にそう教えられてきたんじゃろうな……、奴隷身分にいたんじゃから……仕方がない事とは言え……このままではいかん。もう宗一郎は奴隷ではない、市民なのじゃ。)


 葛城はもう、道徳、なんてものの前提に立って話し合おうとはしなかった。宗一郎に話し合う素地などないのは目に見えていた。


「刑罰があるのを知ってるか?捕まったらどうなるのか知っているか?また牢屋行きじゃぞ。問答無用じゃ」


「知っています。……でも、見てください、千ランイも入ってるんです、やる価値はありました。それほど心配なさるなら、今度は、小額で良いから、隙のある絶対必中の奴だけに致します」


 目を真っ直ぐに見つめながら提案する宗一郎。


「お前がそう考えるのはあたりまえじゃ。言っている事は、生きる上ではどこも間違っていない。だがな、そんな事が何時までもうまく行くはずがないじゃろ」


「だけど、絶対捕まらないように用心しますから大丈夫です」


 葛城は溜息をついた。そして


「そうか……。宗一郎、この家から出て行ってくれ」


 と、冷たく言い放った。


「えっ、どうしてですか!?」

「お前は、もう奴隷ではない。私の息子だ。息子の責任を親は取らなければならないんじゃ。そのうち私も罰を受けるだろう。そんな事は御免蒙りたいのでな!

 早く出て行け!」


 と、葛城は力いっぱい、宗一郎の頬に平手打ちをした。


「お前だけなら別にまだいいが、そんなはした金にしかならないもののために罰を受けるのはごめんじゃ!

 まったく!千ランイじゃ!?たわけが!とんでもない事をしてくれたな!」

「……うっうっ……」


 宗一郎は、しくしく泣き始めてしまった。


「すいません、すいません、ここに居さして、ください――お父さんと一緒に居たいんです!お願いします!」

「泣くんじゃないよ。これから一人で生きていかなくてはならないんじゃからな」

「嫌です!嫌ですお父さん!もう、絶対盗んだりしませんから!一人にしないでくださいお願いします!」

「……」

「……うっうっ……お願いします」

「……離しなさい」

「嫌です、お父さん」

「……」

「うっ……一人でなんて生きていきたくないです……。……ずっと、うっ……一生このままお父さんの息子でいさしてください……お願いします……うっ」


 みかねて、葛城は宗一郎の肩にやさしく手をかけた。


「宗一郎、じゃあ、約束じゃ」

「はい!もう盗みません!」

「良いか、どんな人のどんな持ち物も盗まない事。わかったか?」

「約束します」

「それは宗一郎のためにもなんじゃ、罰は怖いぞ、そんな目に合っちゃ嫌じゃろ」

「はい、約束します」


 そう、宗一郎はゆっくりと言ったのを聞くと、


「さぁ、もう寝ような」


 と、葛城は宗一郎をやさしくベッドまで連れて行ってあげた。そして、明かりを消し、自分も床に入った。


 葛城は横になって冷静になってみると、少しやりすぎたのではないかと気がかりになってきた。


 (……いや違う。

 考えてみれば、世の中の方が厳しすぎるんじゃ。この厳しい世の中をどうやって生きていくべきかを、子供に教えなけれればならないなんて)


 その時、ふと葛城はおもった。


 (奴隷たちが、見返りがあるから道徳行為をさせようとするのと、わしが、罰があるから道徳行為をさせようとするのは、本質的な所でやっている事が同じではないのか?)


 そして葛城は、


 (……

 ……しかし、宗一郎のためにも悪さをしないようにするのが先決じゃ。……それに、……罰があるからと教える方が、道徳的じゃ。決して同じではない……得してない分……道徳的じゃ。)

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