第5話「黒魔法、キージョンシサ」


 宗一郎の精神への傷は、深いものがあった。それは主に、悪夢の形を取って、表面に現れている。毎晩のように、宗一郎はうなされていた。


 そして酷い時には、


「ああ!うあああ!」


 と、宗一郎が眠ったまま叫び声を上げたため、その声でふと目覚めると、小さな体が震えているのに気がついた。


「――宗一郎」


 葛城老人は、叫び声が上がるとすぐに寝ている少年の下へ駆け寄って、


「大丈夫だ大丈夫だ」

「うう……あああ!」


 なおも、うなされている宗一郎に、


「安心して良い安心して良い」


 そうやって彼はずっと傍で、宗一郎が完全に眠ってしまうまで、声をかけてあげるのであった。


 やっとのこと眠った宗一郎の顔をしげしげと見つめる彼の脳裏に、ある黒魔法の使用がよぎる。


 何とかして、助けてやりたかったのだ。それには、記憶を消す方法しかないと、葛城は考えていた。葛城は国家魔術師しか習得が許されない黒魔法を使うことが出来る、数少ない一般人の中の一人であった。


 (たとえ助けるためとはいえ、これは許される事じゃろうか?)


 葛城は悩んでいた。


 白魔法と黒魔法、この区分けは単に人にとって害になるかならないかを、スベガミ教会が決めたものである。


 かつて記憶を操作するこの黒魔法、キージョンシサは白魔法だった。


 恐怖記憶により生活を送るのが辛くなった場合等や、さまざまな精神疾患へ積極的に使われた治療魔法だったのだ。


 そして同時に、諜報機関による洗脳や軍事作戦に積極的に使われた。


 さらに副作用も問題視された。犯罪被害に遭った記憶を消し去った場合、その人はその犯罪そのものをイメージしようと試みても、なに一つ浮かばなくなり、頭の一部分が空白になってしまう症状があったの

である。


 酷い一例は、暴行された記憶を除去してしまい、加害者と“初対面”で出会った彼女は、何も知らずに親しくなって再び暴行されてしまい、しかも、それが暴力行為だとは、よくわからなかったのだ。


 主にこの二つの理由により教会は黒魔法に変更、三十年前から医療目的に使うことが全面的に禁止される。


 しかし、今は緊急事態なのだ。


 (副作用が出ないことを祈ろう、セミアにも手伝ってもらって……)


 彼は、やっとのこと安らかに眠りについた宗一郎の顔をしげしげと見つめながら、善は急げと、次の日の昼食終わりからキージョンシサを宗一郎にかけていく準備をする事にした。


   ◇


「宗一郎、ちょっと来てくれ」


 キスレブ語で食事を終えた宗一郎に声をかける。二人の会話は話しやすいということで、キスレブ語で行われていた。


「何でしょうか、お父さん」


 宗一郎は明るく無邪気な笑顔で、しかし慇懃にそれに答える。

「ベッドに横になってくれるか?」


「はい、でも、どうしてでしょうか?」

「一緒に昼寝でもしよう、わしが魔法で眠たくしてやろうじゃないか」

「……はい、わかりました」


 と、てこてこと小走り。その後を続くように葛城はベッドの方へ赴くと、右人差し指と中指を額に当てて、<睡眠魔法>ウトグーの呪文を唱え始めた。


 やがて二本の指が濃い青色に照りだすと、さっと宗一郎へ向ける。少年の横たわっているベッドが青い半透明な球体に包まれ、それがすぐに消えると、少年はもう幸せそうに眠っていた。


「さて……セミア!」


 呼び声に答えてドアが開かれる。


「失礼しますわ」

「こっちへ来てくれ、始めるぞい」

「はい」

「まずは二人でポファルを連携強化し、記憶を調べられるようにする」

「はい」


 葛城は指を額に当てながら、セミアは手を胸の前で組みながら、同時にポファルの呪文を唱え始める。


「……よし、では始めるぞ。探すのは宗一郎を苦しめるトラウマ部分じゃ」 


 キージョンシサで記憶を消すにいたって、トラウマ部分の記憶以外の暴行の記憶はわざと残しておき、暴行という存在や、暴行への恐怖を確実にわかるようにしておく、という処置を行うために、まずは消す記憶を定める必要があった。


 眼を瞑った二人は、白く光った手で宗一郎に触れた。二人が、宗一郎の記憶の中に入っていく。


 少年の幸せだった頃の人生、対称的にこの世界での、主人による“悪い”精神への破壊行動によってもたらされた辛い人生。それらが二人の瞑った眼の裏いっぱいに次々と現れては消えていく


「よし遡っていくぞ」


 口だけを動かし葛城はそう言った。


「はい。カツラギ様」


 口だけを動かしてセミアも答えた。


 二人は自分達の魔力の限り、宗一郎の悲鳴の記憶だけを丁寧に遡っていく。玉のような汗が滴り落ちる。ぞっとするような記憶の数々を通り過ぎる事は、二人をぶるぶると身震いさせ、予想より異様に疲労させた。


 そして、二時間が経とうとした頃、魔力も底をつきかけるセミアに、葛城は、


「もう、やめよう」


 そう言って手を放した。


「駄目だ」


 と女々しい声で嘆きながら、疲れ切って椅子に俯いて座り込む葛城。セミアも身震いしながら、眠る少年の足元に俯いて座り込んだ。


「……考えてみれば……、わかったはずだ。苦しめてるような記憶が……一個や二個でないことぐらい……」


 葛城は頭を抱えた。


「全て消すのはあまりに危険な量でございます」

「ああ……、わかっとる」

「……何か案がありますのでしょうか?」

「……ない」


 首を振りながらそう答えた。


「……セミア」

「何でございましょう」

「……わしが居ない時は、一緒に寝てやってくれ。……うなされている時は、大丈夫じゃと、傍でずっと言ってやってくれ……寝付くまで、時間が掛かるじゃろうけれど……」

「……もちろんでございます。私に出来る事なら何でもしますわ」

「……ありがとう。


 悪夢が無くなる様には、ただ、新しい記憶を、楽しい記憶を作っていくしかない。そうじゃ、わしらにかかとるんじゃ。宗一郎がうなされないようにするには、この世界は愛で満ちていると、生きていくのは楽しくてしかたがないものだと、世界は美しいと、宗一郎にわからせなければならない。


 宗一郎の心の中心に居付く、反吐が出るものを替えなくてはならない。宗一郎の心の中心を、この世界の素晴らしきものに替えるんじゃ。心の中心を人間の……」


 葛城は言い淀んでしまった。


 彼は、少年の心の中心を人間の素晴らしきものに替えるんじゃ、と言おうとしたのだが……、彼には、それは言うことができなかった。

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