第2話「奴隷市場にて出会う 後編」
「あの……六。六!ないんですかい、六!」
群集を見渡す競売人。
「六……ないんですかい、六……」
誰も競りに参加する者はいなかった。華族の男は悪ふざけをしていただけで、買おうとなぞおもっていなかった。
皆が皆、買い手が現れたのだから、早く終わって欲しいと願うばかりで、沈黙だけが流れる。
「六……六……ろ」
「もう良いじゃろ!」
なかなか終わらせない競りで苛立っていた葛城老人の文句で遮られると、これが皮切り、
「そうだ次に行け!山賊が!」
「早く終われ!」
「とっとと売ってしまえ!」
「ああ、静かに、静かにお願いいたします。五ランイ、はい、決まった!五ランイで決まり!落札でございます!」
と、競売人の息子がへこへこしながら裏から出てくると、少年を台から優しく丁寧に降ろしていく。
裏に入り客から見えなくなると途端荒々しく扱かいながら少年を隅にあった台まで連れていくと、売り渡し証に値段とサインとを書いて判子を荒々しく押した。
そこへ、
「おい、こっちじゃ。ここで貰おう!」
声に打ち振り向くと、杖を突きながら葛城老人が席から離れ、御者と共に少年の元へ歩いて来ているのが見えた。
競売人の息子は丁寧に葛城老人の側まで商品を連れて行くと、葛城老人はその書類の空欄に、自分のサインと判子を押した。
これで売買成立である。
「おい、トイ車の準備じゃ。帰るぞ」
「畏まりました、カツラギ様」
御者にトイ――と呼ばれる細い足が四本、毛の殆どないずんぐりとした体に、小さい頭がちょこんとついたモンスターが引っ張る――車の準備をさせ、老人は少年を見た。
少年は黙って突っ立っていた。
恐怖だけが、少年にはあった。
この老人が自分の新しい主人なのだと、達観か諦観か、これから来るであろう苦難に対して冷静に対応していた。
少年の背中にある無数の細長い傷跡。それは、少年に奴隷としての立場を、慣習を、そして何より、生き延び方を叩き込まれた跡でもあったのだ。
葛城老人は少年の肩を持つと引き寄せ、
「来るんじゃ」
とキスレブ語で、深刻な表情をして言いながら、疲労と栄養失調で歩くこともままなっていない少年に歩調を合せ、体を支え歩く。
「ガンキから連れられて間もないのか?」
そう老人は優しく少年に声をかけた。
「……えっと、ずっと……飛空艇に乗って……、出てきて……、えっと……、初めて外に出れました……」
少年は少しビクッと反応した後、俯いて、謙遜しながらそう答えた。
それに対して、怖がる少年を何とか解そうと、老人はほほ笑んで、
「ああそうかい、今な、太陽が出てはいるが、実はな、夜なんじゃよ」
「……?」
「太陽が沈まない現象なんじゃ。今は夜の第三分節前。ちなみにガンキは今真冬だが、ここミラは真夏じゃ。夜の第四分節の間だけ沈むという、ほぼ夜がない日々が続いているぞい。これも世界の構造上起こる現象でな、不思議じゃろう?フッフ」
「……」
「日差しは厳しいが、湿度がない分夏でも過ごしやすく、冬でも暖かい。ミラは一年通して暖かい国でな。すぐに気に入るぞい、ハハハ」
「……」
「……どうした?」
「……、あっ……あの……教えていただき、……ありがとうございます……」
「……、うん……まあの……」
何も話さなくなった二人が自由広場を離れ、トイ車が引っ切り無しに往来する大通りまで出てきてしばらくすると、全て木製で鮮やかな三角形の幾何学模様の彫刻が施されたトイ車が、二人の前に止まる。
乗っていた御者は手綱を放し、素早く降りて、
「お待たせしました。」
と、観音開きの扉を開いた。
「その少年を寝かしてやれ」
「はい」
優しく、ソファに寝かす御者だったが、少年は、寝かされた瞬間に起き上がろうとする。奴隷である自分が寝転ぶなんてことが許されるわけがない、と刷り込まれていたからであった。
危機感を持って、恐怖により体中に入る力、歩く事もままならない体が嘘のように、ばっと起き上がる。
「おい、どうした。無理しなくて良いんじゃぞ」
「……」
「……。
もう良い、早く出発するぞい」
葛城老人は、少年の向かいのソファに座った。扉が閉められる。少年は、奴隷である自分が乗って良いのかと、ただ戸惑うばかりである。
御者は、
「急げ」
との葛城の命令に従って、大通りから石畳の道を、空を干した洗濯ものが隠す小路、近道を縫うとみて、寂しい所幾曲がり。
葛城の住処は情緒あふれる下町の一角にあった。普通に下着で歩き回れ、立ち小便はし放題であり、石灰岩でできた長方形の彼の家の、敷地内を必死に隠すように建てられている高い壁は、その良いしどころとなっている。家は町に不釣り合いに大きく、一二階合わせて個室が十五室、ただだだっ広いだけの何もない庭があるが、今住んでいるのは住み込みのメイドを含め、三人だけであった。
少年の様子を観察するように見ると葛城は御者を呼び、
「着いたら、わしの治療は今日は中止にして、セミナにこの子の治療しろと伝えろ。それとこの子の食べる食事の準備じゃ。私も共に食べるぞい」
「はい、畏まりました」
「あと、フーリにこの子の通訳をさせろ」
「はい、畏まりました」
と、それだけ伝えると、再びじっと少年を見る。
そして、何のジャスチャーも交えずに、ゆっくりと、
「寝る。早く、寝転ぶ。この言葉わかるなら、早くする。これはお前の主人だからの、命令だ」
と厳しく言い放った。
少年は目を見開いて、周章狼狽してしまっていた。
目の前の老人の口から母国語が放たれたからだ。
驚きっぱなしの少年が、ふと我に返ったような素振りをした後、徐に横になるのを見て、
「ふっふっふっふっ」
と、葛城は笑みを零した。
「後で話そう、今は治療。もう大丈夫。大変な目を会った様だ。もう、何も心配要らない、落ち着け、私も日本人、この世界に来たんだな、お前もだからなんだな。もう大丈夫。はっはっは」
と発音の少し可笑しい、少し拙い日本語で語りかける。さすがに何十年も使ってないと、母国語でさえ覚束無くなっていた。
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