定番の法則

「さて春久くん、見てみい。残り写真が4枚や!」

「うわ、最悪ですね」

「おう。何の手掛かりもあらへん。こういうのを“詰んでる”て言うんやろ?」

「どこで覚えたんですか」


氏名の書かれた書類は拾った分は全て送り届けられたとのこと。しかしやはり写真が残ってしまった。死神との接触から約二週間が過ぎようとしている現在4月下旬。あと4人だけれど何の手掛かりもなく、当てずっぽうに探すわけにもいかない。


「その資料って再発行とかしてもらえないんですか?」

「あほな事抜かすな。個人のいわば機密情報やぞ、二部三部あってたまるか」


その機密情報を失くした奴が何を抜かすか。


「誰か頼れる人とかは」

「全員やないけど、大概の奴が資料を元に仕事を全うしとるから対処法なんか考えた事もあらへんかもしれん」

「それは…本格的に詰みですね」

「詰みや、詰み」


2人して盛大に溜め息を吐く。そして予鈴が鳴り響く。


「兄ちゃん! 次不二子先生やないか! 早よ戻らな!」


いやあんた授業受けないでしょうが。

死神に急かされて教室に戻ると本鈴が鳴った少し後に先生が教室に入って来た。そしていつも通りに俺は授業を受け、死神もいつも通り不二子先生の周りをうろちょろとして舐め回すように見ていた。時々黒板が見えなくて腹を立てつつ授業ももうすぐ終わろうとしていた。


「不二子さん その身体から エロス漂う。ジャスト!」

「(全然上手くないし)」

「下品極まりないですわ」


「え!?」

「(っ!?)」


死神につられて声を出しそうになるのを抑え、人がいるはずのない後ろに振り向く。しかしそこはロッカーと壁。今の声、一体何処から、というか明らかにあの言葉は死神の言葉に反応したもの。つまり視えているのか?

すると、突然窓際から強烈な光が射し、目を開けられないほど眩しい光に教室が包まれた。窓の外に、…女の人らしき影がある。


「うわっ、眩し」


しかしすぐに窓際の生徒たちによりカーテンを閉められ、その姿を正しく確認出来なかった。


「何やったんや、今の」


あまりの眩しさに全員が窓際を見ていた。ふと視線を戻して黒板の方を見ると楠木先生と目が合い、彼女は微かに微笑んだ。その大人の色気漂う笑みに心臓の跳ねない男はいない。何故微笑まれたか分からないが咄嗟に視線を逸らしてしまった。


「それじゃあ今日やったページの応用問題。これを各自次回までに解いておいてください。分からない事はそのままにせず、ちゃんと先生の元に聞きに来るように」


再び先生がこちらを見た気がしたが、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、先生は教室を後にした。

先程の女の人の影が頭から離れない。シルエットだけだったが、煌びやかというか何かふよふよと布のようなものがあったような…幻覚にしては姿形がしっかりしている気がした。あれは一体、何だったのか。


「さて、太一くんに中原くん。放課後の予定はお決まりかな?」

「いや、僕は別に何もないけど」

「俺も…「そうかそうか! なら一緒に勉強をしよう!」


若干被せ気味に聞いた三村くんの提案に2人で驚きを隠せない。勉強する事はとてもいい事だろうけれど、その言葉を彼から聞くとは思わなかった。


「楠木先生が言っていたじゃないか、“先生に聞きに来るように”…と」

「「ああ…」」

「くうっ、ドキドキするぜ」


「ああ! こんのエロガキ、不二子さんに何を教えてもらう気や!」


勉強だよ。


「董哉の考えはともかく、僕もこの応用問題少し苦手だから教えてもらおうかな」


職員室を訪ねたが先生はおらず、次にいると思われる数学準備室へ向かうとそこにもいなかった。校内を当てもなく探すわけにもいかず、仕方がないから今日は帰ることにした。クラス担任でもあるから明日にでも会おうと思えば会えるし、数学は明後日までなかったはず。三村くんは現実に肩を落とす人がいたのかというくらいあからさまに落ち込んで教室へ戻る。その後ろを杣谷くんが歩いている。俺も帰ろうと歩き出そうとしたら、


「おっおい、兄ちゃん…!」


死神の言葉に振り返ると、楠木先生がそこに立っていた。彼らを呼び掛けようとしたら口に人差し指を当て、しーっと制止を促される。そして手招きをする。首だけ振り返ってみても彼らは全くこちらに気付かず階段の踊り場へと向かってしまった。俺は彼らに悪いと思いつつ足早に先生の元へ向かう。


「どうぞ、中に入って」


準備室の中は誰もおらず、先生たちの座席とは別に仕切り板の先に設けられたソファとテーブルのちょっとした打ち合わせスペースのような所に案内される。まだ入学して間もない頃、初めて入る準備室を思わずまじまじと見てしまう。ソファに腰掛けると向かいに先生が座る。足を斜めに流して座る姿は何とも綺麗で少し艶かしかった。デニールの低いタイツは膝が少し透けて見えて、穿いているのにセクシーさが増す代物だった。


「で、中原くん。私に何か聞きたいことがあるんじゃない?」

「えっと」


これは、数学の課題のこと、だよな?

それにしては何やら楽しそうな企みでもあるかのように口角を上げて微笑みながらこちらを見ている楠木先生。その表情や仕草に戸惑いを隠せない。


「おい兄ちゃん、立場今すぐ代わってくれ。何やこの密室に不二子さんと2人というオイシイ状況…最高やん!」


いやお前いるから2人ではないよ。


「何や今日やたらエロく見えるのは気のせいか? 女性の発情期か?」


楠木先生に聞こえないからと言いたい放題言っている死神。もし聞こえていたらセクハラどころの騒ぎじゃない。最早、最低だなと思わざるを得ない。死神のあほな発言と楠木先生の読めない企みに板挟みにされ、どうすればいいか分からない。



「先日から下品極まりないですわ。死神は全員こうなんですの?」



「えっ、この声…さっきの奴か?」


先生の後ろの仕切り板から眩い光が差し込む。しかしあまりにも眩し過ぎて状況が確認出来ない。


「ちょっ…あんさんこの光どないなっとんねん!」

「ああ失礼、今この後光消しますわ」


急にぱっと光が消えて部屋の中が元の明るさに戻る。安堵したのも束の間、今この女の人、“後光”って言ったか? 楠木先生の後ろに現れた豪華絢爛な着物を身に纏い、長い黒髪が靡いて綺麗な髪飾りをいくつも付けているとても綺麗な女性。死神とはまた格段にこの学校という場所に似つかわしくない恰好だが、一体、


「あんさん誰やねん」

「同じ神とて口の利き方には気を付けてください。妾の名は七福神が一人、弁財天べんざいてんと申します」


「ええ!? べっ弁財天!?」


あまりの衝撃に声に出して驚いてしまい、楠木先生を見ると少し驚いた顔をしていたが、すぐにくすくすと笑い始めた。彼女から見ればこの部屋には2人きりなのに急に訳の分からない事を言って驚いたのはどう考えても普通じゃない。なのにそんな状況でも笑うというのは、


「弁財天、正体明かすの早過ぎるわよ」

「ああん不二子ごめんなさい。でもあの死神の不二子に対する言動、妾どうしても我慢出来なくって…」


「え、え?」


死神と思わず顔を見合わせた。弁財天様と楠木先生が仲良さげに会話をしている。死神が視える俺は弁財天様も視えている。その弁財天様と会話をしているという事は、楠木先生にも死神が視えている、という事…?


「あっあの、先生、俺ちょっと状況が理解出来なくて…」

「ああ、ごめんね中原くん。彼女は弁財天、数年前から私の傍にいたりいなかったりするの」

「本当は四六時中ずっと不二子の傍にいたいけれど、自分の仕事もあるから。けれど仕事の時以外は不二子の傍にいますわ」

「な、何故、というのは聞いてもいいのか…」

「不二子を初めて見た時、同じ神かと思いましたわ。それも格式ある女神かと。けれど不二子はこの通り人間でしたけれど、こんな身も心も美しい人間を妾は見た事ありませんでしたわ…こんなに人を見てドキドキしたの、初めてですわ」


「分かるであんさん、俺も不二子さん見るとドキドキとあとムラム…「黙りなさい、この変態死神!」


こいつ今までの素行を全て当人に見られていたというのにそれでもめげずに尚下ネタをぶっ込んでこようとするのか、ハート強すぎないか。普通の人間ならあの変態行動を見られていたと知れたら死にたくなるレベルだぞ、メンタルボロボロになるよ。いやまず変態行動をする時点ですごいのか。てかハート心臓あるのか死神って。

死神を変な方向に尊敬しつつ、話を戻そうとするが、


「妾はあなたよりも多く不二子の傍にいますし、不二子の事なら何でも知っていますわ!」

「くそうっ、何て羨ましいんや…!」


弁財天様は後ろから楠木先生の胸元に腕を回して顔を近づける。その姿はまさしく秘密の花園。目の前で見せつけられている俺が照れてしまう。


「ねえ不二子、こんなにずっと一緒にいるのですから、そろそろ一緒にお風呂に入りましょうよ…」

「ふふ、だーめ」


そもそも神様風呂入るのかという疑問も考えつかなくなるくらい目の前の光景が綺麗で妖艶で見入ってしまう。弁財天様の誘いを先生は断りながら、回された腕をそっと解く。


「私が裸を見せるのは、誰かに抱かれる時だけよ」


「「…!!」」

「不二子…!」


「兄ちゃん、俺トイレ行ってくるわ」

「ちょっとそれ生々しいんでやめてくれますか。耐えてください」

「この状況見て色々耐えろて、兄ちゃん鬼か!」


学校で突如繰り広げられている口説かれた時のセクシーな対処法。とにかくよく分からないが「ごちそうさまです」と心の中で唱えた。それと三村くん、本当にごめんねと謝ろうと思う。何でこの人教師なんだろう、色気とかそういうレベルでなく間違いなくが起こりそうなのに起きないのはきっと傍に弁財天様がいるからなのだろうか。楠木先生に彼氏が出来ようものならずっと祟られそうだな。


「あの、先生が弁財天様や死神さんの姿が視えるのは分かりました。でも、それなら何で今こうして弁財天様と姿を現したんですか…?」

「中原くんが事故に遭った瞬間、つまりその死神さんと衝突したのを目撃したわ。弁財天の判断でマットを移動させて間に合ったけれど、その後登校して来たあなたは死神さんを引き連れてるんですもの。驚いたわ」


「お二人の様子を拝見していましたが、どうやら魂探しをしていらっしゃるようですね。どうせそこの下品な死神があなたに無理言って付き合わされているのでしょう」

「何おう!?」


さすが弁財天様。事情を話さずとも全てを理解してくださっている。誰にもこんな状況を相談出来るわけもなく、何を脅されているわけでもないのに手伝わされていた俺。本当に今更ながら何で渋々とも言い難く当たり前に手伝っていたんだ。しかしそう思えるのは、全てが嫌な事ではなかったからだろう。感謝される事は、俺にとってすごく喜ばしい事だった。


「けれど何か様子がおかしいと思えば…あなた、亡者の資料落としましたね?」

「えっ、なっ何言うてんねん、あほなこと言いな…」

「では今ここでその方々の資料出していただけますか?」

「そっそれは〜…」


あからさまな様子で視線を逸らす。死神は観念したように写真だけをテーブルの上に置いて、案の定弁財天様から盛大に呆れた溜め息を浴びる。横目に顔を見ればばつが悪そうな表情。今まで何事にも自信ありげであまり困ったような顔を見たことがなかったかもしれない。まるで上司と部下だ。


「失くすとは何事ですか、全く。落としたのならさっさと再発行してもらってください」

「えっ再発行とか出来るん!?」

「正確には“手元に取り戻す”です。再発行を依頼して受理されれば地上に落ちた資料は消えて無くなります。死人とは言え大事な個人情報です、二部三部とあってはなりません」


「どこで再発行出来るんですか?」


「この世に生を成す人間には往けぬには我々神の集う場所があります。そこにはこの死神よりも上の立場にある者がいるはずです。その者に頼めばおそらくは」

「おう! に言えばええんやな! ほなちょっくら行ってくるわ」


「えっあの…」


死神は窓から飛び出して行ったかと思えばすぐに姿を消した。それは本当に一瞬でどこへ消えて行ったかも分からない。そして待つことたったの数分で窓の外から死神は帰って来た。


「いや〜…めちゃくちゃ怒られたわ」

「当たり前です」

「めっちゃ怖かった、殺されるかと思ったわ」

「その下品な性欲でも刈り取られれば良かったのに」

「そんな年中発情しとらんわ、ウサギか俺は!」

「ウサギの方が断然可愛らしいですわ。一緒にしないでくださる」


本当に怒られたのかこの人。立ち直り早すぎるだろ。何で帰って来て早々に弁財天様と口論しているのだ。それは弁財天様側にも死神に対して突っかかっているというのもあるかもしれないが、それにしたってだ。最早弁財天様は楠木先生の守護神かに思えてくる。


「ほんでも、これでやっと亡者んとこお迎えに上がれるわ。兄ちゃん世話かけたな」


「いえ」



「ほな、おおきに」



「え…?」


死神は再び窓から飛び出して行き、数秒間呆気に取られて固まってしまった。

今、“おおきに”って言ったよな。関西地方の方言で、確か意味はありがとうとかそんな感じだったと思う。ただ、今の死神の言い方はどちらかと言うと感謝よりも別れの言葉の意味合いを込めていた気がする。


“さようなら。お元気で”


それから死神は先程資料を取りに戻った時間を過ぎても戻って来ることはなかった。


「あの、弁財天様。もしかしてもう、死神さんは…」

「? おそらく今頃亡者の元へお迎えに上がっている頃でしょう。本来課せられた量の仕事も終えてこの地区で新たに魂探しをしているか、または別の地区を担当しているかと思われますが」

「え、あっそうですか…」


なんというか、何とも呆気ない別れだった。


つまり死神はもうここに戻って来ることはない。自動的に俺が手伝わされていた魂探しからも逃れられたということか。最初は無理やり付き合わされて、学校にもついて来るわで煩わしかった。楠木先生相手にセクハラ発言しまくりで煩いし、俺の友達にもやっかみ掛けて。終いには他人には視えない・聞こえないことをいいことに実況中継やら不用意に声を掛けてくるわで大変だったし。本当、やっと解放されたんだ。たった二週間とはいえ苦労したんだ、そう思うのに。


「何故、貴方はそんな寂しそうな顔をなされているのですか」


「…!?」


自分でも分からない。何でこんなにもやもやした気持ちなのか。たったの二週間だぞ、友達でも家族でもない、不意に出会った人でもなく、あろうことか死神というふわふわした存在だぞ。なのに、何で。


「人の気持ちは例え同じ人であろうが神だろうが全て理解することは不可能です。なので妾が貴方に言えることは何もありません。ただ唯一申し上げられるのは、死神から解放された事は喜ばしい限りです。不用意に人と神が交わることはあってはなりません」


「私と弁財天はいいの?」


「それは別件ですわ不二子、意地悪な質問しないでください…でもそんな不二子も素敵ですわ」


「……」


「…ともかく、あの万年発情期の輩が自分の仕事に戻ったことで貴方の今後の生活に変化が生じるわけではありません。これからはのことは気にせず、どうか人としての生を、自分の為に謳歌してください。妾が申し上げられるのは以上です」


「…はい。ありがとうございます」


「それでは不二子、妾も暫しの間、自分の仕事に戻らねばなりません。大変寂しい想いをさせるかとは思いますが、すぐに戻って来ます故。どうか夜の慰みの際は妾を思い出して…」


「そんなこと言っている間に少しでも仕事出来るんじゃない? あと中原くんいるから、あんまり教育に悪い発言は控えてね」


「不二子…っ、分かりましたわ。では」


そうして弁財天様は神々しい光を放つと、空から一筋の光が差した。彼女はその光に包まれながら天へと昇って行った。死神とはえらく待遇が違うがそういうものなのだろうか。そしてようやく静けさが戻って来た。いよいよ本当に楠木先生と二人きりになる。


「ごめんね中原くん。彼女のことは忘れて」

「…努力します」

「彼女も死神さんと比べても大概変態だとは思うけれど、普段仕事をしている時はそんなことないのよ? みんながイメージするような神様だから」

「はい…」

「とまあ、私が中原くんを此処に呼んだのは死神憑きで困ってなければいいなと思っただけだから。引き止めてごめんね」

「いえ、色々とありがとうございました。弁財天様にもよろしくお伝えください」

「うん」


俺は勉強を教わる事なく、一人で家へと帰った。ご飯を食べる時も寝る時も、明日から学校へ行く時も楠木先生の授業中も、放課後も。

これから死神と過ごすことはないんだ。






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