板東さんはいるけど万能な人はいない
「この数字をxとした時、yの値は…」
「なあ兄ちゃん、不二子先生はさっきから何を言ってるん」
“授業中です。静かに”
死神は呑気なものだ。
「ほあ〜別嬪さんやなほんま」
あまり見惚れるな、腹が立つ。
「この要領で教科書の問題を解いてみてください」
昨日のHRで5月末に中間試験がある事を知らされた。もちろん今やっている問題もその範囲に入るのだろう。一つ躓いたらついて行けなくなってしまう、そうならないためにも悔しいが学業を頑張らなければならない。先生は教室内をゆっくりと歩き回り、生徒の質問なんかに答えている。公式に当てはめて解けるものなら何も問題はない。すらすらと三問解いていく。
「それじゃあこの問題、1番を平川さん、2番を松田さん、3番を三村くん。黒板に書いてください」
「やっやばい、中原見せて助けて」
三村くんにせがまれノートを見せる。彼は先生にバレないよう素早く写し終えると黒板へ向かった。得意げな顔で書いているが、彼は何も理解せずに書いているのだと思うと心配になる。
「董哉は勉強以外は万能なのにな」
「昔からそうなの?」
「気付いたらクラスの中心にいたよ。頼られるだけじゃなくて頼るのも上手かったからな、それで勉強面は何とかなってたよ」
確かに三村くんは人当たりが良く、誰とでも仲良くなれそうな感じがする。人懐っこいというか親近感があるというか。まだ入学して数日しか経っていないのに、クラスの誰もが彼と話している。一方で杣谷くんも中心人物ではあるが、彼よりは一歩引いて後ろにいた。特に自分から積極的に話すわけでもなく、でも気さくに話せる。それもそれで凄いと思うが、少し杣谷くんは三村くんに対し“羨望”の感情を抱いているようにも思えた。
「三村くん、ノート写すだけじゃなくて解らないのなら先生に聞いてね」
「いえ、先生のお手を煩わせる訳には」
「それが先生の仕事だから」
「あ…」
「畜生三村め…っ、先生と楽しそうに会話しよって」
今の会話楽しそうか?
「ああ不二子先生、俺が天国へ連れて行ってあげますよ」
それは何だ。殺すつもりか。
死神が先生をひたすら口説く声と先生の授業の声とで頭が混乱しながら授業が終わってしまった。最悪だ。他の先生の時は写真を元に魂を探しに行くか寝るかしているのに、楠木先生の時は必ず教室にいる。“ずっと張り付いていればいい”なんて安易な事は言えない。そのまま俺たちと同様に高嶺の花として想い続けてくれ。
その日の放課後、部活に所属していない俺は帰り道に本屋を目指して歩いていた。
「そういえば、資料ってあとどのくらいあるんですか?」
「書類が2枚、写真が5枚や。せやけどまだあったような気すんねん、落とす前に数えたりせんかったからなあ…」
「やっぱり写真の方が残ってますね。さすがに顔だけじゃどこの誰か分からないしな」
死神と会話する時はもちろん周りを気にして話している。誰もいないようであればそのまま話すが、もし人がいれば電話をしているフリをして話している。もちろん危ないので出来ればやりたくないから極力、人が周りにいる時は死神とは話さない。それでもこの人は一方的にがんがん話しかけてきたりする、寂しがりか。
本屋に着いて、真っ先に新刊漫画のコーナーへ向かった。
「「あ」」
「? ひっひいいぃ! おっ…お化けー!!」
亡者いたよ。
「ああああなんて黒い…! どっどこ見ても…黒い!」
黒いしか言うことないのかこの女性。
「え、何何何何。あたし殺されるの!?」
もうご臨終です。
好き勝手に喋らせていると埒が明かない。本屋の中で一人声を発する訳にもいかないのでとりあえず出口の方へ手招きをする。
「もしかしてそれコスプレ? ナンパ? ごめん好みじゃない」
いいからとっとと一緒に来いや。
「嬢ちゃんちょっとツラ貸せや」
「………はい」
死神に説得という名の脅しを一発食らい、彼女は渋々ついて来た。名前は分からないが写真の中に彼女の姿を見つけた。この人と魂探しを始めてから初めて写真だけしか手掛かりのない人物に会えた。とにかく状況を説明しようと近くの
「で、単刀直入に聞くけど、何が未練なって残ってしまってるんや」
「あたしは、あの日事故に遭うなんて思わなかった…まだ、諦めきれないの」
彼女の鬼気迫る気迫に息を飲む。
「“グリム・ウォーズ”の最終話を読むまでは死にたくなかった…!」
彼女は膝から崩れ落ち、泣き叫びながら地面を拳で叩く。一方流れについて行けない者たちは呆気にとられていた。
「おう、ぐりむうぉーず…て、何や」
「死神さんグリム・ウォーズ知らないんですかあ?」
死神が知っているわけがなかろう。かく言う俺もタイトルは聞いたことあるがその漫画は読んだ事がなかった。
【グリム・ウォーズ】とは。現在までで29巻、累計発行部数3,000万部を誇る超人気漫画である。初代の“主人公”たちが亡くなっては生まれ変わりを続け紡がれてきたグリム童話の物語たち。しかし見目は変わらずとも本質には少なからず違いが生まれ、やがて現在、物語は大きく違いが現れそれらは“
「と言うのが公式のあらすじです」
「ほおお、なかなか面白そうやんけ…春久、ちょおその漫画買って来てくれ」
「…検討します」
「ふふふ、面白そうじゃなくて面白いんだよ!」
いやいや、漫画に興味を持っている場合じゃなくて。
「まだ完結してないんですか?」
「本誌では今月号に最終話が載って、来月すぐに単行本が発売されるのよ。あたし単行本派だったから最終話含めた5話くらいまだ読めてなくて…! 30巻で完結なのにっ」
彼女はまた地面を叩きつけるが現世のものには触れないからか何も音がしない。力強く殴っているのに、不思議な光景だ。死神は彼女の肩を叩いて慰める。本当に不思議だ。そして彼女も死神の存在を受け入れるのが早すぎる。こんな世にも奇妙な漫画的展開が自分の身に起こっているのに。しかしそんな嘆く彼女を慰める死神も、優しいことばかり言うわけじゃない。
「それが未練なんは分かったけど、こちとら嬢ちゃんを送り届けるんが指名で義務なんや。そんな待ってられへん」
「そんな…! 来月、グリウォーの最終話が読めたら必ずすぐ成仏しますから!」
何だこれ、借金の取り立てにしか見えないな。
「どうか、どうかお願いします…!」
「あかん」
即答。
「…あの、死神さん。一週間だけ、待ってもらうことって出来ませんか」
「はあ!? 一週間でどないすんねん!」
「何とかなるようにしてみます。あなたも、一週間待ってもらえませんか?」
「…一週間後には何があろうと送り届けさせてもらう。それなら待ったってもええで。嬢ちゃんどないする」
「これも不思議な縁だ。少年に託そう、あたしの希望を」
「はい」
彼女には一週間後、学校の図書室に放課後の時間帯に来てもらう事にした。
そして我に返り、改めて自分でも何言ってるんだと思った。まだ世間に未発表の最終話をどうやって彼女に読ませるつもりだ。出版社に乗り込むか? 作者に会いに行くか? 担当編集か印刷所に頼むか? どれも無謀すぎる。
考えろ、考えるんだ。俺が架空の最終話を作るにしたって話は考えられない、絵も描けない、そもそも漫画を描く技術がない。それ以前に漫画の一話分を一週間で描くこと自体が無茶だ。誰かに頼んで一緒に手伝うか……
…誰に、頼むんだ?
俺にそんなツテはあっただろうか、いやない。知り合いに漫画家も絵の上手い人も、小説家も作文の上手な人も思いつかない。
頼れる人が、いない。
「兄ちゃん、嬢ちゃんの未練をなくしてやりたいんは分かるけど、無理な約束はあかんで。余計に期待させて悲しませるだけや」
全くその通りだ。俺はひょっとして、取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないだろうか。
「今からでも遅ない。あの嬢ちゃんにはあの世に逝ってもらう。ほんまはあまり使いたくないけど、無理やり還す事も出来るしな」
「それはだめです! あなたは今まで、きっと亡くなられた方の事を考えてそんな手段は選ばなかったはず。俺のせいで、あなたの手を煩わせたくない…ちゃんと、安らかに逝って欲しいんです」
やはり条件を自ら提示した以上、俺がなんとかやるしかない。何からやればいいとか迷っている暇はない。出版社に乗り込むなどの犯罪じみた考えは捨て、自分で描いてそれを最終話と見せかける事にした。まずはグリム・ウォーズの話を知らなければと今月の小遣い、そして今まで使わずに貯めていた今年分のお年玉を
「兄ちゃん、次俺にも読ましてな」
話に集中してるから無視した。
「おーっす中原…ん? 何読んでんだ、ってグリウォーじゃん」
「えっ、三村くん知ってるの!?」
「おっおお、太一が元々ハマってて借りて読むようになってな。あいつは単行本派だけど俺は本誌で読むようになって…」
「それ! 今月号の前に4話前まで取ってあったりする!?」
後に死神は語った。この時三村くんに迫った俺は、滅多に徹夜なんてしないからかクマが出来ており、鬼の形相のような表情で狂気じみていた。恐かった、と。
三村くんは“多分家にある”と、俺は彼にその分を借りる事にした。これで彼女が読んでいないという4話分は何とかなった。残りは肝心の最終話、その前に俺は読破しなければならなかった。授業中も机の下で読み続ける。先生が通れば素早く隠し、没収される事を逃れた。何故今日は授業があるんだ、何故学校は授業をやるんだ! 自ら進学したのだろうと普通なら突っ込むが、この時の俺は精神状態がおかしかったと思う。
とにかく、焦燥感に駆られていた。
「中原くん、こんな必死にグリウォー読んでるけどそんなにハマったの…?」
実際話はあらすじで聞いた以上に面白かった。絵はトーンをなるべく使わず線で影や背景を細かく描き、そして台詞の言い回しが印象的だった。名言と呼ばれる言葉は世の中に溢れているが、盛り上がりのシーンでの言葉選びはどれも心に残るものばかり。話に集中しながら読んで、ふと頭を過ぎる。
「こんな話の最終話を、俺が描けるのか…」
「え?」
「え…?」
「中原くん今、“最終話を描く”って言った?」
「あっいや、その、ちっ違うんだ…! あの、俺、」
「隠したってしゃあないやろ、話せる部分だけ話したったらええやん。友達なんやろ?」
死神にそう言われ、死神や彼女の存在を上手く隠してことの成り行きを2人に話した。
「実は、死ん…し、死にかけの友達がいて」
「死にかけ!?」
「お前こんな所で何やってんだよ!」
「だっ大丈夫なんだよ、あと一週間はもつから」
「余命一週間かよ!」
「そんな、なんて残酷な…っ」
まずい、思った以上に俺説明とか下手なんだ。全く話が進まない。いちいち突っ込んでたらだめだ、強行突破でも話を続けなければ。
「その子がグリウォーが好きなんだけど、単行本で読んでたから最終話を含めた5話分読めていないんだ。そのうちの4話は三村くんに借りて本誌で読めるけど、最終話をどうにかして読ませてあげたくて…」
「んで、何で中原が漫画読んでんのよ」
「…えと、おっ俺が、最終話描いてみようかと思って」
「おっ前まじか! 漫画描けんのか!?」
「イエ、全く」
二人揃って盛大な溜め息を吐かれた。他人が聞けば当然の反応だろうと思う。死神も彼らの背後で誰よりも深く長く呆れた溜め息を吐く。一番腹が立つ。それでも、これしか方法が思いつかなかった。
「うちの学校て漫研とかあんのか? もしあんならそいつらに頼んだ方が早くないか?」
「でも迷惑じゃ」
「“持ちつ持たれつ”って言うだろ。こっちの頼み聞いてもらったら、今度向こうに何かあったら助けてやりゃいい。おーい、このクラス誰か漫研の奴いる? もしくは友達が漫研とか!」
三村くんは事を提案したと思ったら素早くクラス全員に尋ねた。考えてからの行動力が早すぎる。俺には到底真似出来ない。
彼のおかげでこのクラスではないが、友達が漫研に所属しているという人を見つけた。放課後彼女に紹介してもらう事にして、俺は24巻まで読んだ。やはり授業中に読むのは時期も相まって抵抗があり、休み時間に読み進めたがじっくり隅々まで読み進めたら時間がかかってしまった。
そして放課後。声を掛けた三村くん、頼んだ張本人、そして杣谷くん(と、あと死神)で隣のクラスに会いに行った。事情を話し、どうにか協力してもらえないか頼むと
「…いいですよ。グリウォーは私も好きで読んでるし、絵の練習にもなります」
「本当か!」
「ただ、コマ割りやそういった漫画を描く技術は勉強していても、話作りに関しては自信ないかも…しかもグリウォーの最終話って、架空とは言え私には荷が重いというか」
作画は見つかった。しかし俺もその点はかなり不安しかなかった。こんなグリウォー読みたての素人同然の初心者が最終話を考えるだなんて。
「話はどなたか別に考えてくれる人がいるといいんですけど」
何だこれ、『バ◯マン。』か、なんて突っ込んでいる場合じゃない。
「そいや太一、中学ん時作文で表彰されてなかったっけ?」
「えっ杣谷くんそれ本当!?」
「いや、あれは課題の短編を偶然たまたま表彰されただけで。しかも佳作だから」
「それでも話作りには欲しい力だろ、中原たちに協力してもらえねえか? 俺は漫画描くの手伝う。出来ること全力でやろうぜ」
杣谷くんは戸惑いつつも渋々承諾してくれた。俺一人で考えるよりも何万倍も心強い。こうして、俺の無茶な提案にもかかわらず協力者を募る事が出来た。今日は火曜日、来週の月曜まで時間がない。俺と杣谷くんはさっそく話作りに取り掛かろうかとしたが、俺はまだ24巻までしか読めておらず、話を考えるどころではなかった。彼も単行本派だった為、29巻までしか内容が分からなかった。結局その日は話し合いをせず、とにかく最終話までの話を読み込むことにした。そしてその日は素早く、けれどパラ読みなんてことはせずに隅々まで深く読み込んだ。死神が何か話しかけて来たりしても無視を徹底する。翌日学校に行き、三村くんに本誌を借りた。杣谷くんは彼の家に行き昨日読んだそう。俺も本誌掲載分の4話を読み終え、さっそく放課後話し合いをした。話が出来なければ構図も考えられないからと今回協力してくれる漫画研究部の
「さっそくだけど、みんなは最終話どうなると思う?」
最終話の前で、本編の謎、主人公の正体などが判明し全て終了した。おそらく次に描かれるのはこの物語の世界から贋作が消え、本物が広まり始めた数年後の世界。
「普通なら主人公が何らかの形でハッピーエンド、だけど…」
「うん、この作者はきっとハッピーエンドでも複雑な、最終話だけどしっくり来ないような形で終わらせそうなんだよね」
「なら、主人公が死んでバッドエンドですか?」
「それは、出来れば考えたく、ないかな…」
杣谷くんが少し言い淀んだ。もしかして、“死”という印象をこの漫画で彼女に植え付けさせないため、とか? 考え過ぎかとも思ったが、天野さんが意見は出してみたものの“主人公が死んでバッドエンド”というのは4人とも何となく違う気がして選択肢を捨てた。その後いくつか思いつく限りの結末をそれぞれが提案し、杣谷くんが中心となって何とか話がまとまった。そして天野さんが
「この結末で“ネーム”を描いてみます!」
「ネーム、って?」
「簡単に言うとラフ絵ですかね。コマ割りをしてその中に人物の向きとか吹き出し、台詞を適当に描いてみるんです。その後にきちんとした人物を下書きして、色々細かい作業はありますがペン入れなどをして漫画を描き上げて行くんです」
「俺たち結末しか考えてないけど、物語の流れとかも一緒に考えた方が…」
「いえ、話作りが苦手とは言いましたが、これでも漫画家志望の端くれ。ここは一つ、任せては頂けないでしょうか」
この中で漫画を描く技術を持ち合わせているのは彼女だけ、さらに色々な漫画を創作して来たのであれば苦手といえど話作りに関しては俺よりは長けている。
「それじゃあ、任せてもいいですか」
「はい! それと、ネームが描き上がったら一度確認して欲しいんです。台詞の言い回しなんかも皆さんグリウォー読者なら細かく気が遣えるかと。もちろん私も最善を尽くして、なるだけ手直しが要らないようにします」
「ごめん天野さん、よろしくお願いします」
そして天野さんにネームの作成を依頼し、金曜日の放課後に確認。細かい台詞などを指摘し合って、土曜、日曜と過ぎ。
約束の月曜日が来た。
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