思い出は心に残るもの

その日から、俺が授業を受けている間に死神は一人書類を元に亡くなった方が亡くなられた場所を探していた。大体の人はその場に留まり続けていたため、きちんと死神が送り届けた。そして何人かは少年みたく思い出の場所を巡っているのか、すでにその場から離れてしまっている人たちもいた。この人たちは昨日みたく書類、或いはまるで盗撮でもしたような何の情報もないほぼあてにならない写真を元に探し出すしかない。


「書類は減ったのに写真がほぼ残ってる…」

「あーあかん、写真だけじゃあ探しようもない」

「大体この写真何なんですか。盗撮ですよね」

「盗撮や」


あっさり自供しやがった。


「真正面から撮ればいいんじゃ」

「お前人間の真正面て、どこ見とるかも分からん仏頂面が大概やで? それやったらちょっとでも綺麗にお洒落に見える盗撮の方がええやろ」


どんな理論だ。


盗撮は時期や場所は死因やとは全く関係がないため、背景の場所もただ写真を撮った時に当人がそこにいただけだとの事だ。つまり写真には、本人の顔以外何の情報もなく、年齢も見た目で憶測し、住所はおろか名前なぞ分からない。書類とバラバラになってしまって一番厄介だ。


「兎に角何とか早く他の人たちを見つけないと…」

「…兄ちゃん、えらい気合い入っとるな」

「前回の少年の件で、気付かされました。例えこの状況が理不尽なものでも関係ない、死神さんが送り届ける事で救われる魂もあるんじゃないかと」

「俺も兄ちゃんの気合いに水差したないから一部聞かんかったことにしといたる」


初めて出会った時より死神の事を怖いと思わなくなった。理不尽さも亡くなった方に対する優しさから来るものなんだと思えば多少は受け入れる事が出来る。どんな成り行きや状況であれ、俺自身が彼に命を救われた事に変わりはない。なら、生者として出来る限り手助けになれれば、そう思って書類を元に何処かへ行ってしまったひとを探す。


死神は昼間学校の時間は校内にいたり、いない時は外に探しに行っているのだろう。しかし俺にも人としての生活はあるから、ある程度探して夜には家に帰る。そして死神も付いて来る。何故俺の家なのだ、拠点はないのかと聞いたら


「電気の灯りの方が安心するやろが」


死神が何を言っているんだ。

こうしている間も探しに行けるのではとやんわり聞いたら


「お前は俺に時間外労働させる気か!」


と怒られた。寧ろ死神にも労働時間が決まってる事に驚いた。というか“労働”って何だ、死神は仕事じゃないだろ。

そして今日は家に帰るなり、母が困ったような顔をしていた。


「お帰り春久。今日お風呂沸かないから、悪いんだけど銭湯行ってもらえる?」

「え? 別にシャワーだけでもいいよ」

「それがお湯が出なくって。明日管理人さんに話してみるわ」

「そう、分かった」


俺が生まれてからずっとこの家に暮らしてて、ガスや消防器具の点検は来たことあったけれど風呂の点検なんかなかったしな。ガタが来てしまったんだろうと思い、夕飯を食べ終えて何年かぶりに近所の銭湯へやって来た。早い時間は爺さん婆さんが多いが、夜9時頃を過ぎれば人が少なくなる。あの大きい湯船に一人で浸かれるのだ。

“男湯”の暖簾を潜り、番頭のお婆さんに代金を渡す。


「あ」


思わず声が出てしまった。番頭とが何事かとこちらを見る。


「…や、やはり春といえど、夜は冷えますね」

「……そうですねえ。ゆっくり温まってください」


あの番台って二人も座れるのか、いや明らかに爺さんは立ってたな。婆さんも会話をしようとしないし、もしかしてあれって、と思考を巡らせながら脱衣所で服を脱いで中に入り、まずは体をよく洗う。


「あの爺さん亡くなっとんな」

「うわっ!」


風呂椅子から転げ落ち、桶のガコンという軽快な音が響く。誰もいないからよかったなんて言えない。隣に急に黒い影は本当に怖いんだよ。そして風呂とかやっぱり死神は関係ないんだな、その黒ずくめのマントも濡れている様子もない。


「まさかこんな所におったとはな。しかもちゃっかり女湯の方に居座りやがって」


確かにな。言われてみればそうだ。


「あの爺さんの家に行ったらもうおらんかってん。だから移動しとるのは分かってたけど、もしかしたらずっとあの婆さんの側におったんかもしれん」


二人は夫婦であり、夫であるお爺さんが先立たれてしまったという所か。


「ここ来る時にお爺さんに驚かれたりしなかったんですか?」

「あの爺さんの視界に入らんようする事くらいわけないわ」


その技術決して私利私欲に使うなよ。


死神と話しながら体を洗い、一人湯船に浸かる。この人は壁に大きく描かれた富士山を見て驚いたり、色々な湯の種類に感心していた。


「それじゃあ後はお爺さんを送り届ければいいだけですね」

「せやな。ただ移動する人は大概現世に未練のある方が多い。あの爺さんも何か未練があってこじれるかもしれん。その時は兄ちゃん、よろしゅうな」

「嫌ですよ。俺たちは3人で話しているけれど、お婆さんから見たら自分の背後に向かって一人話しかけてる可笑しな奴になるんですよ」

「男がそんなん気にすんなや」


そこに性別は関係ない。


せっかくの大浴場は人間は俺だけだが死神がいたことにより独り占めとはいかず、逆上のぼせる前に湯船から出た。腰にタオルを巻き、やはり銭湯のザ・定番とも言えるコーヒー牛乳を飲む。そして横目に死神と爺さんのやり取りを見るが、案の定爺さんは驚いていた。あのままぽっくり逝くんじゃねえかとかそんなブラックジョーク思いついたなんて口が裂けても言わない。


「んなっ、何じゃああ!!」


ちなみに爺さん、あんたの奥さんも自分の後ろに死んだ旦那が幽霊でいるのを知ったらそのぐらい驚くからな。


「よお爺さん、迎えに来たで」


知り合いか。


「迎え…? 本当に来るんじゃな、そういう奴が」

「せや。けれど爺さん家から移動してもうたから探すん苦労したで。ほな、逝くで」

「嫌じゃ! わしゃまだあの世へは行かんぞ!」


コーヒー牛乳を飲み終え驚いた。確かにどの亡者も未練があるからこの世に魂が残ってしまっているけれど、まさか駄々をこねるとは…。死神なら無理にでも連れて行くことは造作無いのかもしれないが、きっとこの人はそんな事はしない。あの少年のようにきちんと納得して、未練なく綺麗な心を連れて行くんだろう。俺が口を挟める状況じゃないし暫く見守っている。


「爺さん、この世に未練あんのか。何や、女湯覗きたいとかやったらはっ倒すで」

「そんなもん生きとるうちにやったわ!」


やったのかよ。立派な犯罪だぞ。


「わしは…ここを離れるわけにはいかんのじゃ」


急に神妙な面持ちになる爺さん。以前母に聞いた事がある。この銭湯はそこにいる爺さんが親から代々継いで来た所で、今番頭に座るお婆さんは嫁いで来たのだと。けれど二人は子宝には恵まれず、二人でここを守ってきたって。

爺さんがここを離れられないのは大事な銭湯だから? いや大事な場所は人それぞれあるだろうけれど、そんなに思い入れがあるのだろうか。


「爺さん、俺は何千、何万と人間を見てきた。せやから多少は分かんねん。あんた、銭湯よりも婆さんが心配なんやろ」

「なっ…!」

「俺の目は誤魔化されんで。そんな人も今までもたくさんおったからな」

「他の奴らと一緒にするな!」


爺さんが死神を怒鳴りつけた時、横目に話を聞いていた俺は驚いて手に持っていた瓶を落としてしまった。すかさず二人してこちらを見て、爺さんがわなわなと震えた。


「…小僧、わしが視えるのか」


今この状況でバレたくなかったが仕方ない。俺はゆっくり頷く。するとあれだけ離れ難かったお婆さんの隣からさっとこちらへ来たかと思えば顔を近づける。よく見るとやっぱり生者より透けてる気がするな、とか呑気なこと言っていられない。

めちゃくちゃ怖い!

俺は思わず後ろへ仰け反る。


「小僧、あいつには今の話は他言無用だ。約束しろ。でなければ呪うぞ」


死神の前で何を言うか。多分あんたより呪いのスペシャリストだぞ。そういう術に長けていそうじゃないか。


「爺さん認めたな! やっぱり婆さんのこと“愛しとる”やんけ」

「何を言うか! 黙れ小僧!」


その人小僧じゃないです、見た目若いけどもう何百年と生きてるんじゃないのかな。死神として。それは生きてるのか? ややこしいな。



「お爺さん、そこにいるんですか?」



「え…」


不意に放たれたお婆さんの言葉。その声は爺さんたちにも聞こえ、動きがぴたりと止まった。俺も思わずお婆さんの方を見る。


「…あら、ごめんなさいねえ。奇妙な事を言ってしまって」

「いえ。あの…視えるんですか?」

「姿は見えないけれど、あの人が亡くなってからもずっと、すぐそばにいてくれている気がするのよ」


それはお婆さんの勘違いや思い込みなどではなく、魂だけになった今も爺さんはおそらくずっとそばにいた。彼の存在を教えるべきかと視線を移すが、この現状を喜んでいるようには見えなかった。


「…また、会いたいですか?」


すごく失礼なことを聞いている気がする。爺さんは自分の意思がここにいることを知らせてほしいわけじゃない、それでもここにいる理由。


「会いたいさ」


お婆さんは優しく微笑み俯く。


「あの人と過ごした60年は、本当あっという間だった。頑固者で口数は少ないけど、毎日一緒にいて楽しかったさ」

「お前……」

「だからと言って、くよくよしているわけにもいかないからねえ。女っていうのは本当、根底の部分はしたたかに出来てるもんさね」


爺さんの顔はここからでは見えなかったが、微かに鼻をすする音と涙を拭う仕草が見れた。愛する人が亡くなるというのはどれほど寂しいものか。

祖父が亡くなった時、祖母が泣いたのを見て泣いた。笑顔で送り出そうと葬式も通夜も誰も泣いていなかったのに、出棺の前の事だった。どうして死んじまったんだ、と初めて祖母の本音を聞いた。それを見た俺は、火葬場に行く最中ずっと泣いていた。もらい泣きがきっかけとはいえ、寂しさを一気に感じた。


けれど、会いに行った時に見せる笑顔や名前を呼んでくれた声は忘れない。


きっとお婆さんもそうだろう。くよくよしていられない、頑張らなければと思えるのは爺さんの存在があるから。亡くなったからその人の存在が消えるわけじゃない。誰かの記憶に残っていれば、その人の中でずっと生き続けている。


「…小僧、お前はわしが視えるんだったな」


俺は頷いた。


「なら、わしが言った通りに、あいつに伝えてくれないか。それで俺はあの世に行けそうな気がする」


彼が最期に残す言葉。


「はつ子さん」

「え? 何で私の名前…」


「いつも苦労かけてすまんかった。婚約を申し出た時に言った言葉を、わしは守れただろうか。それから、いつも感謝していた。ありがとう、はつ子さん」


お婆さんは微笑み、


「こちらこそ、“幸せにしてもらいましたよ”。ありがとうございます、源一げんいちさん」


爺さんはしかめっ面を緩めて笑った。


その後お婆さんに俺は「また来ます」と告げて銭湯を死神と一緒に出た。爺さんは中に一人残っている。俺には話せない、聞こえなくとも自分の口で告げたい言葉があるのだとか。


「さすがに婆さんも兄ちゃんに“愛してる”言われても困るわな」

「源一さんが言えと言うなら伝えましたけど、それは自分で言いたいでしょうし」

「若造どもが何を抜かすか!」


爺さんは最期まで俺たちにはあの笑顔以外相変わらずだった。


「ほな春久、お前は先戻れ」

「そうだぞ。風呂上がりだから湯冷めするぞ。ちゃんと暖かくして寝ろよ」

「はい」

「それから、まあその、悪かったな」

「…いいえ。役に立てたのなら良かったです。それじゃあ俺はこれで」

「おう。達者でな」


夜道を歩くと少し寒気がした。これは本当に風邪を引きかねない、早く帰ろう。俺は柄にもなく鼻歌交じりに帰路に着く。

あと忘れてはならないが、あの爺さん女湯覗いたって言ってたからな。こういうのはあの世に行って咎められたりするのだろうか? まああの爺さんなら「それがどうした」とか言いそうだな。


家に着き、母は入れ替わりで銭湯に向かった。家の風呂も落ち着くが、たまには銭湯も良いものだなと思う。もし風呂の湯沸かし器が壊れなければ銭湯に行く事も、死神が探していた爺さんや番頭をやっているお婆さんに会う事もなかった。これぞまさしく“結果良ければ全て良し”というやつかな。

次は温泉にでも行ってみたいな、と少し風呂の魅力に取り憑かれたとある春の夜だった。





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