第37話 運命と自由 #R

#Rレオン視点


 見張り台から見た海に、俺は目も魂も吸われてしまっていた。胸が痺れるくらいに、海に魅せられた。船は地球にいた頃何回か乗ったことがある。でも、なぜだろう。それとは全然違うんだ。


 海の色が、模様が、音が、形が違う。常に色変え形を変え、みずみずしくきらびやかに海が生まれる。壮大でいて、けれどどこか寂しさを持つ。

 この長い青の幕の下には、きっと沈没した船や人間の死体があるんだろう。それを隠すみたいにして、海は透き通った膜をしならせた。


 海は何も言わない、黙りこくっている。


 こんなに透明で、光っていて、そして何もない空間を俺は見たことがない。見渡す限り、藍を落としたような色が続く。近くに島はない。他の船も。


 地平線の彼方へなんて言葉があるけど、俺も初めて地平線の向こうに行きたいと思った。こんな地平線を見たら、海の向こうは崖になっている──そんな話を信じるのも無理はない。

 銀飛沫しぶきは船体の脇から生まれては消える。そこからグラデーションのような青と白が、交互に波の模様を作る。透明な青なはずなのに、海の中の様子は見えない。海底の奥に何が潜むのか、恐怖と共に胸がき立てられた。


 人間の手に及ばない、美しさと恐ろしさの入り交じった海。


 ──これが、"自然"なんだな。



「レオン。いつまで立っている、早く元の船員と交代しろ」

「あいよー」


 いつの間にか海賊の口癖が移ってしまった。俺は来た時と同じように、慎重に縄やら木の棒やらを伝って歩いた。帆の上の方は大分風が強く、足を滑らせてしまいそうだ。

 でも、こんな冒険って、楽しいかもしれない。この前の移乗戦は怖かったけどよ。


 それにすごく運が良かった。転移してきて、こんなに強い船に乗れたなんて。

 それとも、これもなにか意味があってのことなんだろうか。運命うんめいであり運命さだめだった────?

 いや、たまたまだな。転移の理由もまだ分からないままだし。



 俺がようやく甲板に足をつけると、ラムズが船員に見張り台へ登るよう指示を出す。それを見届けてから、俺はラムズに礼を言った。


「ありがと。乗らせてくれて」

「ああ」

「ラムズはさ、なんで海賊になったの?」


 船尾楼の方に歩こうとしていたラムズは、ふっと目を細めて俺のことを見た。目線で、船の端に寄れと合図をする。マスト近くにいると邪魔だからだろう。


 俺は甲板を少し歩いて、船縁ふなべりに手をかけた。さっき見たよりもずっと海が近い。飛沫がわずかに俺の顔にも当たった。

 ラムズは隣に来ると、船縁に背を預けて寄りかかった。


「俺は宝石を集めたいから、海賊になった」

「宝石? それだけのために?」

「ああ。俺にとって宝石は何よりも優先すべきことだからな」

「そんなに宝石が好きなの?」

「他の船員に聞かなかったのか」


 そういえば聞いた気がする。俺が学ランのボタンを取られたと言ったら、みんなは呆れ顔をしながらも納得していたし、宝石のために海に落ちたとかって話もしてくれた。

 でも海賊なら宝石が好きなんて普通の話だよな。そんなに異常なのか?


「確かに聞いたけど、海賊だったらみんなそんなもんじゃないの?」


 ラムズは俺を見ないまま、淡々と言葉を流した。


「人間は中途半端だ。好きだと言っても裏切ったり、それを一番に考えなかったりする。他の欲に負けることばかりだろ。例えば一人の女を愛すると言っていたのに、違う女のことが好きになるとか、宝石が一番だと言っているのに、それを他の者に渡すだとか。海賊も同じだ。俺ほど宝石だけを愛する者はいないだろう」

「中途半端か……。人間は、その時々で大事なものが変わるんじゃないか? 生きているうちでさ。子供ができたら、人間は自分の命よりも子供を大切にするだろ。そんな感じだと思う」

「そうかもしれない。中途半端なことが悪いわけじゃない。たしかに、人間は変わりすぎる。自由だ。俺はそれが時々羨ましくも思う」

「……羨ましいのか?」


 人間を羨ましいだなんて言葉が、ラムズの口から出たのに驚いた。ラムズの青い瞳の中がゆらゆらと揺れている。海が映っているからだ。

 ラムズは頭を上に向け、空を仰いだ。


「例えば俺は運命に縛られている。だが、人間は違う。他の使族でも運命を知らない者はいるけどな」

「運命に縛られているってどんな感じなんだ?」


 彼の銀髪が風であおられ、さらりと揺れる。太陽に見初められ、神秘的だと思うほど美しく銀にまたたいた。何を映しているのか分からない瞳が、髪の奥で淡い藍を放っている。


「迷うことがない。どんな選択にも。自分の身に起こったことを素直に受け入れられる。そこに何の感情も生まれない。だが人間は違うだろ。こんなはずじゃなかったとか、すごく運がいいとか、そうやって喜怒哀楽を示す」


 ラムズの声は、ただ思考を垂れ流しにしているだけのような声だった。まるでこの場に彼がいないと錯覚するくらい、現実離れした声。

 俺は彼の存在に気圧けおされて、しばらく言葉が出なかった。


「……たしかに、そうかもな」


 ──選択、か。

 それさえも人間と他の使族で違うところなのか。自分の身に降りかかることに疑問を持ったり喜んだりすることさえ、ラムズには許されないのか。


 俺は地球にいた頃、運命について考えたことがある。俺がこの道を選んだのか、それともこうやって悩み選択したことが、既にもう運命だったのか。神様が決めたことなのか──。

 この世界では実際に神様がいるみたいだから、つまりラムズの人生は最初からレールがかれているってことだ。『親が敷いたレールの上を歩く』なんて言葉があるけど、ラムズはそういう気分なのかもしれない。


 俺はぽつりと呟いた。


「ラムズは何にも迷えないのか。たしかにそういう意味では、自由がないのかな……」

「ああ。運命だけではなく、使族はそれぞれ特徴があると話しただろ。人魚は高潔、のような。彼らはそういう風にしか生きられないんだ。俺も含めて。だが人間は選択できる。どのように生きてもいい。少なくとも俺が知る使族の中では、どんな使族よりも感情があり、変化できる。俺は宝石が好きだし、そのためにしか生きられない。宝石が好きだからそれに疑問を感じたことはないが、たまに──」


 羨望と寂寥の混じったような瞳が俺を射抜いた。


「たまに、人間を羨ましく思う」


 無機質な声に、寂しさを感じたのは俺の勘違いではなかった気がする。もしくは、それをわざとたたえたのか──。

 ラムズはまた、船の向こうの海を視界に入れた。彼は海についてどう思うんだろう。綺麗だって、今も思っているんだろうか。


「俺は……。俺は、他の使族が分からないよ。俺の考え方が全てだと思ってた。普通だと思っていたことが、違うんだ」

「そうだな。だが、レオンは変わることができる。自身を、そして相手を変えることも。他の使族にそれはできない。もしかするとこの世界に元から住んでいる人間にも、変えることはできないかもしれない」

「変えること?」

「ああ。俺たちは井の中の蛙だ。当たり前だが、他の世界を知らない。人魚が差別されないという世界を、俺は想像できない。奴隷がいなくなる世界も。だが、お前はそれを知っている」

「たしかにそうだね。俺の世界だって、前は奴隷とかがあったんだ。でも変わったんだよ。歴史が……」


 もっと真面目に歴史の勉強をしておくんだったな。奴隷解放の歴史だとか、差別がどうして起こっているのかをちゃんと知っていたら、何か違っていたかもしれない。

 俺はたしかに、唯一この世界を変えることができる存在なのかもしれない。この世界が遅れている、価値観がおかしいと感じるのは俺だけだから。俺が地球で、今の文明以上のものを想像できないように、ラムズたちもできないんだ。


 髪が風にさらわれて、頬をするりと撫でた。同時にラムズの帽子の羽が、ひらひらと舞う。


「レオンの世界には人間しかいないんだろ。それなら、変わるのかもしれないな。色々なことが。人間は新しいものが好きだ。新しいものを生み出すのが好きだ。そうやってお前の世界は、時代を経て変わっていったんだろう。だが俺たちの世界は人間以外の使族がいる──」


 ごくりと唾を飲んだ。俺は何か言おうと口を開いて、閉じた。何を言えばいいか分からない。ラムズが先に言葉を続けた。



「俺たちは、何も変われないんだ」



 ラムズは唇を僅かに歪ませた。

 彼はあまり笑わない。いつから笑わなくなったんだろう。面白いと思うことがないんだろうか。それとも、笑わないのも使族の特徴のせいなのだろうか。


「まあ、こんなもんでいいだろ。お前は、お前ができることをやれ。それが、神がお前に与えた依授いじゅだ」


 ──俺に与えた依授。

 ラムズは海賊帽を深く被り直して、船縁から離れた。また風が吹き付け、彼の白い羽がふわりと踊った。



 ラムズがいなくなっても、俺はしばらく海を見ていた。運命が見えるだなんて素敵なことだと思っていたけど、案外そうでもないのかな。

 そして俺が転移した理由って、なんなんだろう。理由なしに物事が起こることなんてあるか? ラムズが『依授された理由』だなんていうなら、つまり俺がここに来た理由だって──。


 その時、ふっと視界が暗くなった。顔を上げる。俺と同じように、地平線をじっと見つめるノアがいた。


 ノアはエルフだ。俺が見てきた漫画や小説のエルフより、ノアはずっとエルフらしい気がした。本物のエルフなんだから当たり前だけどさ。なんていうか人間と違うってのが良く分かる。落ち着いているし、口数も少ない。

 本当のことを言うと、何を考えているか分からない。話す時は何らかの知識を伝えてくれる時だけだ。



「海、綺麗だよな」


 あまりノアとは話したことがないから、俺はそう声をかけてみた。ノアは俺の方に身体を向けると、首を横に傾げた。


「分からない。まぁ、普通だろう」

「ふ、普通?」


 そこは綺麗って答えるところじゃないのか? 俺はなんだか面食らって、船縁から身体を起こした。ノアがまた口を開く。


「普通だ」

「そ、そっか。まぁそういう意見もあるよな。それよりノアはよく船には乗るのか? 海賊ではないよな」

「何度か船には乗ったことがある。海賊ではないな」

「ノアは、海賊についてどう思う? やっぱり犯罪を犯している人だから、嫌だと思うか?」


 エルフのノアからなら、もしかしたら第三者の視点ってものが聞けるかもしれない。エルフは博識だから、色々考えるところがあると思うんだ。長寿だとも聞いたな。長寿だから落ち着いた雰囲気なのかな。

 ノアは表情を全く変えないまま、俺に答える。


「海賊については、何も思わない」

「えっと、別にいいと思うってことか?」

「そういうことではない。何も思わない。いいとも悪いとも」

「まぁそれぞれの正義があるもんな。この人たちにとってはそれが生き方なんだし」

「そうかもしれないな」

「お、おう」


 なんだか調子が狂う。ノアって曖昧な反応しかしないんだな。それとも海賊ってそんなもんだってことか?

 俺はノアと視線を交わせた。ラムズよりも何も考えてないような視線が、こちらを見ている。


「俺って転移者だろ。だから人と考えてることが違うみたいなんだ。ノアも俺がおかしいと思うか?」

「別に、普通だ」

「そ、そうか」


 どうしたらいいんだ?! これ。なんだか何を話したらいいのか分からない。ノアはなんていうか──意思がないのか? どうしてこんな回答ばかりするんだろう。話も進まなくなっちゃうし。



 ちょうどロゼリィが俺の目の前を通った。暇そうにしているみたいだから、俺は彼女を呼び止める。


「ロゼリィ」

「どうしたんですの?」

「いや、なんかノアと話していたら調子が狂っちゃってさ」

「あら、そうでしたのね」

「よく分からないが、気分を悪くさせたなら謝ろう」


 ロゼリィはノアの肩に触れて、ふわりと包み込むような笑みを向けた。


「ノアは気にしなくていいんですのよ。レオン、何の話をしていたんです?」

「そんな大したことじゃないよ! それより、ロゼリィは……好きな、というか。尊敬する人っていたりする!?」


 俺は結局勇気が出なくて、そう聞くことにした。ロゼリィは頬に手を当て、長い睫毛をパチパチと瞬いた。

 ドクンと心臓が鳴る。そういう小さな仕草ですら、ロゼリィは美しかった。

 エロっぽさはない。でも、見ていて惚れ惚れするんだよな。なんだか絵画の中の美人って感じ。人形のような美しさと言ったらそれでも合っているかもしれない。けど、そんなに冷たくはないな。


 なんというか彼女は、さっき見た"海"みたいなイメージがある。ロゼリィが持っている美しさって、そういうものだと思うんだ。



 ロゼリィはいつもの物憂げな声を出す。


「しいていうなら、レオンの知り合いの中ではラムズのことは尊敬しているでしょうか……」

「えっ? ラムズ?」


 彼女は真剣な顔付きで、淡々と言葉を繋げた。


「彼の宝石に対するひたむきさは、ならわなければいけないと思いますわ。それに彼は宝石のためにいかなる手段でも取りますの。その方法も、思いつくところも、行動力も尊敬に値しますわ」

「そんなに色々やってんのか……。まぁ宝石のために海賊になったって言ってたしなあ。ロゼリィは、一つのことに夢中になる人が好きなのか?」

「そういうわけではないですわ。わたしが好きな人は──。そうですね……」


 ロゼリィは考え込んでしまったので、そばで聞いていたノアに聞いてみることにした。


「ノアはどんな人が好きなんだ?」

「誰のことも好きではない」

「そ、そうか。嫌いな人は?」

「いない」

「まじかよ。でも、中でもこいつはちょっと気になるな、とかいう人いないのか?」

「いない」

「あら、レオン。ノアにそれを聞いても意味がありませんわ」

「そうなの? なんで?」


 ロゼリィが俺の質問に答えようとした時、俺の身体に何かがぶつかってきた。ピンクのツインドリルだ。つまりヴァニラ。

 両手に酒瓶を持って、俺の足にアタックしてきたのだ。ヴァニラは顔を上げて、ヘラリと笑った。大きな瞳が揺らいでいる。もしかして酔ってんの?


「レオン~。何してるの!」

「ヴァニラ、貴女酔わせたんですね?」

「その方が楽しいの~。レオンレオン、お酒! 欲しいの!」

「ヴァニラって見た目通りなら6歳だろ? こんなに酒飲んでていいのかよ……」


 ヴァニラのくるくるのツインドリルがぴょんぴょん飛んだ。髪と同じ桃色の瞳は真ん丸で大きく、そこにはハートが映ってるのかと思うくらいかわいい。


「いいのいいのー! ヴァニはいいのぉ」

「気にしなくて大丈夫ですわ。ヴァニラはまだまだ子供なんですの」


 そりゃ見れば分かるけどさ。というか子供だから心配しているわけだけど。いやけど、どうだろう。俺はそれとなくヴァニラの胸元に視線をずらした。子供にしては──、うん、絶対にデカすぎる。


 ヴァニラは空になった瓶をダンっと甲板に打ち付けた。そしてヘラヘラーと笑ってノアの方に向かう。でもノアは無表情で見下ろしている。温度差が凄いな。ヴァニラは本気で酔ってるみたいだ。


「ノア、ヴァニのこと好きなの?」

「普通だ」

「アハハハー! 普通なの~! 楽しいの~! お酒は? お酒は?」

「普通だな」


 ヴァニラはわざと腰をくいっと曲げて、両手を広げた。


「そうだよの~! ヴァニは大好き! お酒って美味しいんだの~。ノアとヴァニは親友なのー。運命共同体? なんちゃって。ねっ、ノア?」

「そうだな」


 ノアは呆れてるんじゃないだろうか。ヴァニラはノアの足元でくるくる回りながら喋っている。と思ったら、急にドテっと転んだ。持っていた瓶がゴロゴロ転がっていく。

 物理的にも回っていたし、酔いも回っているから倒れたんだろう。阿呆だろ……。俺はヴァニラの身体を持ち上げる。


「レオンは優しいの~。ヴァニのこと好き?」

「まぁ、好きな方かな……」

「アハハ~。好きな方だって! どっちか分かんないの~?」

「いやー、まぁ最初はただかわいいと思ってたけど、ヴァニラちょっと変じゃん……。幼女なのに酒飲んでるし、人殺しも平気でやってるしよぉ」


 ヴァニラは俺に持たれたまま、ノアの方に視線を投げた。


「えへへ~。ヴァニはやっぱりノアが好きなの。ねーノア。ノアはずうっと、ヴァニのこと『普通』だもんの!」

「そうだな」


 わけが分からない。酔っ払いは相手にしないに限るな。俺はヴァニラを甲板に下ろした。ロゼリィもその精巧な顔を少し歪ませて、ヴァニラを見ている。

 ヴァニラはそんなのお構いなしに、酒瓶を転がしながら歌い始めた。


「ヴァニの涙は毒入りよの~。お酒も毒入りなのよの~」


「お前ら、いつまで喋ってんだ。とっとと仕事に戻れ!」


 船尾楼の近くで、ラムズがそう言った。ここから距離は離れているけど、直接耳元で話されたかのように声が聞こえてくる。これは魔法かな?

 仕事戻んなきゃな。俺はヴァニラの身体を小突こづいた。

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