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 ふっと目を逸らして、カウントは背を向けるとつぶやくようにいった。

「私の前任者がいっていたよ。ハリー・マーシュには気をつけろと。残念ながら、私は君の父上に会うことができなかったが、今ならよく分かる。確かに君はハリー・マーシュの息子だよ」

 父さんが宇宙からこの火星の姿を見たら、どう思っただろう。

「初めて今の火星の姿を見たよ、カウント。思ったほど悪くない。ちっとも悪くないよ。だって、これが僕たちの星なんだから」

 背中を向けたままのカウントの表情は見えなかった。

「カウント、軌道周回速度さらに低下。このままだとあと十分で大気圏に突入します」

 シルが告げる。低軌道ステーションは通常、毎秒三.五キロメートルという猛烈なスピードで火星上空を周回している。この速度を維持しなければ火星の大気圏に突入するし、この速度を超えると宇宙に飛び出してしまう。そして今、僕たちはどんどん速度を落としながら降下を続け、このままだと大気圏に突入しばらばらになってしまう。

「シル、リブーストしろ」

「了解」

 ステーションがかすかに振動し、体がふわりと持ち上がった。

「高度修正。大気圏突入まで十二分に延長」

「あと何回リブーストできる?」

「あと二回で燃料が切れます」

「ふん。気休めだな」

 また沈黙が訪れた。僕は手のひらの中の懐中時計を見つめた。

 父さん。僕はこんなところまで来てしまったよ。

「シャトル接近」

 シルが沈黙を破った。

「緊急救難信号をキャッチ。連邦宇宙法第四条第三項に従ってビーコンを発進。衝突回避マヌーバ解除。ランデブーを開始します」

 身構えた僕に、カウントがいった。

「いや、あれはファントムじゃない」

 すぐに大きな振動が伝わってきた。さっきのドッキングよりもかなり乱暴だ。

 エアロックから飛び込んできたのはTBだった。無重力の空間で器用に体をひねると、僕をかばうようにカウントの前に立ちふさがった。足を手すりに引っ掛けている。

「レン、無事か!」

「ラオスー!」

 エアロックからラオスーが顔をのぞかせて、叫んだ。

「ずらかるぞ、急げ」

 TBは僕のベルトをつかむと、エアロックからシャトルに飛び込んだ。

「待って」

 僕はカウントを振り返った。

「カウント! 乗れ!」

 カウントが飛び込んできた直後、エアロックが閉じた。

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