第5話 秘密基地

 体質柄、病院という場所からはなるべく距離を置いていた。傷を負っても時間が経てば回復し、それは俺の特異性によるものだと博士(マッドサイエンティスト野郎)は言っていた。どのみち体を調べられては困る身で、そのおかげで会社の健康診断なんかは盛大に悩まされた。素直に検診を受けるわけにもいかず、再三にわたる提出の要求を断った結果が現状なのだがーー、……まぁ、そんなことはどうでもいい。問題はこいつもまた、病院に連れて行くわけにはいかなくなった、ということだ。


「えっとー……着替えたいんで外に出てもらってもいいですか……」

「なんでだ。今までは気にしてこなかっただろ」

「いえいえ、流石に下着脱ぐところを見られるのはちょっと……」


 緋色をあの高級マンションに連れて帰る際はビルの屋上を飛び回るハメになった。既に怪人化してしまった後だし、人も集まってきていたので仕方がないとはいえ、ニュースで俺が悪者扱いされている光景を見るとどうにも居心地が悪い。


 見慣れてたハズなんだがなー……。


 追い出された緋色の自室の扉を伺いつつ、綺麗に傷口がふさがっていたことに眉を寄せる他ない。


 アイツが現れなければ緋色は間違いなく死んでいた。しかしその代償が「コレ」ではあんまりではないだろうか。


 リビングのテーブルの上には緋色が腕につけていた「良く分からない武器」の試作機らしきものが置かれており、触れればガシュンと音を立てて拳の部分が跳ね上がった。

 フクロウと対峙した時にもヘンテコな武器を使っていたが、スタンガンを振り回している時点で少しは考慮すべきだったのかもしれない。


 緋色は「何か良く分からないものを作っている」。


 怪人の出現位置を知らせるアプリだってそうだ。気になって検索をかけて見たがあんなもの何処にも出回ってやしなかった。あったのは「既に出現した怪人」を知らせるアプリだ。時計の針を一時間先に回したところで、未来予知などできるはずもない。


「なんなんだアイツは……」


 そうなってくると宝くじで当てた、という意味もわからなくもない。というかギャンブル系の事象であれば「結果を先読みする」ことで大金を巻き込めるのではないか。レートの動きが読めればFXでぼろ儲けさえもーー。


「…………」


 思っていた以上にキナ臭い。考えれば考えるほどこの「緋色」という少女は「こちら側」の人間なんじゃないか。


 そう考え始めたところで、


「こちら側ってなんだよ」


 と苦笑する。


 大人しく引退した身のくせに何を当事者ぶってるんだろう。あほらしくなって冷蔵庫からビールを取り出す。この家に世話になっていた時に買い込んできたものがまだ冷やされたままだった。そう言ったことに無頓着なのか、それとも俺が戻ってくると思っていた、もしくは知っていたのか。そう思うとビールの味がわからなくなっていく。


「えーっと……お待たせしました……?」


 苦い顔でビールをすすっていると部屋着に着替えた緋色が顔をのぞかせた。

 うさぎの耳がついたふわふわのパーカーだ。細い足が覗いており、「相変わらず理解に苦しむな……」近頃の若い奴らの気がしれん。


「とりあえず座れ」


 こうなればどちらが家主かわからないがとりあえず主導権はこちらにあった。

 大人しくダインングテーブルの椅子に腰掛ける緋色とそれに向かい合うようにして座る俺。ハタから見ればイタズラをした子を叱るような光景だろうが事態はもっと深刻だ。


「お前の体の中に怪人の遺伝子が入り込んでいる」


 そしてそれはとてつもなく面倒なことだ。


 説明するが緋色は終始聞いているのかいないのか、ぽかーんとした表情で俺のことを見つめ。話し終わると首を傾げ「それって悪いことなんですかね?」話を聞いていたのかいなかったのか本気で計りかねる発言をした。


「怪人だから悪いってわけでもないのは赤城さんでよーく知ってますし、事実、そのおかげで私が助かったのなら寧ろ良かったのでは!」

「アホかッ、お前は怪人になったんじゃなくて『怪人の手下』にされてんだよ! いわば奴隷だ! 分かってんのか!!」


 みのるは、俺とともに改造手術を受けさせられた青柳実もまた特異的な能力を備えた怪人であり、その力はあの組織の中でも群を抜いて有能だった。


「今はその気がなくて放っておかれてるけどな……もしアイツがその気になればお前の意思なんて関係なく人を襲うようになるんだぞ」


 そしてそれをアイツはやりかねない。恐らく、これから先、ここぞというタイミングでそれをやってくるという確信があった。この10年でどこまでアイツの能力が伸ばされているかわからないが嫌な予感しかしない。それほどまでに厄介な相手なのだ。


 脳裏をよぎりそうになる血の海となった光景を振り払い、もう一度だけ緋色に念を押しておく。


「なるべく人の多い場所には近づくな。嫌な気配を察したら一目散に逃げろ。アイツはもう一度お前に触れないと操ることはできないから絶対に触られるな」


 神出鬼没なアイツに対してどこまで有効かはわからないが仕方あるまい。とにかく「操ろう」という気にさせなければ恐らくは手出しもしてこない。


 と、真剣に俺は話していたつもりなのだがいつの間にか緋色はクスクスと笑っていて。その理由を尋ねれば「だって」と更に可笑しそうに笑うのだった。


「なんだかんだ言って赤城さんは変わらないんだなーって思いまして」


 そして実に嬉しそうに微笑む。


「やっぱり、あなたはヒーローですっ」

「お前なぁ……」


 誰もヒーローだなんて名乗ったことはないし、なりたいとも思ったことはない。

 俺が組織と戦っていたのは個人的な話であり、世間からしてもそれは「怪人同士の内輪揉め」として処理され続けてきた。


 その結果がコレだ。


 幸か不幸か緋色の身元を探るような動きは見受けられない。

 追跡されないようにそれなりに気を使って帰ってきてはいるが、俺があいつらとやり合っていたときは身を隠すのにも一苦労だった。


 あくまでも人間は、人間の力で怪人を倒そうとしている。


 ホントにその気があるのかわかんねーけどな……。


 派手にやりあって実とはそれっきりになっていた。


 殺してはいないという実感はあったが、まだあの組織にいるとは思わなかった。

 そしてアイツがそこにいるということは、「政府の内側にも」怪人が送り込まれている可能性は高い。


 ズブズブじゃねーか、世の中……。


 なんともまぁ、物の見事に我らが博士様マッドサイエンティストは政府転覆を目論んだものだと呆れるばかりだ。


「どちらに行かれるおつもりで?」


 腰を上げた俺に何食わぬ顔で尋ねる緋色は意地が悪い。

 その笑みからは考えなどお見通しだと俺でも見て取れる。


「お前はここにいろ。さっきも言ったが知らずうちに操られて背中を刺されたりしたら敵わん」


 みのるを片付けるしかない。


 この社会がどうなろうが俺にとっては関係ないが、あいつだけは俺がケリをつけなくてはいけない相手なのだ。


 たった一人の親友として。

 止められなかった、かつての旧友を。


「でしたら、いいものを用意してあるんですが。せめてそちらだけでも持って行ってくださいません?」

「断っても押し付けるつもりだろうが。なんだ」

「スーツですっ」


 その笑顔から推し量るべきだったと我ながら情けなくはなるが、引き出しから取り出されたそれは腕時計型の変身アイテムとかなんとかで。


「合言葉は“ごゥ!! ファイブ! チェンジ!!”です!」


 と力説されたあたりでこいつの頭は相当アレだったなと思い知らされた。


 ご丁寧に変身ポーズ付きで解説してくれたのだが残念ながら俺はそんな変身ヒーローなんて餓鬼の頃に卒業しているし、良い年したおっさんが「ごゥ! ファイブチェンジ!」だとか叫ぶのはなんとも気恥ずかしい。


「ほら! 早く早く!」


 急かされ、目を輝かせる緋色にたじろぐがこれでは完全に羞恥プレイか何かだ。


「手動で操作できないのか」

「できません!」

「できるようにしろ」

「嫌です!」


 じゃあいらん、と外そうとしたあたりで「嫌ぁーっ!! 嫌ですゥううう!!」と子供ながらに抱きつかれてやれやれと引き剝がす。


「ポーズは。……取らなくてもいいんだな? ……音声認識だけなんだな……?」


 恥は一度でいいと転ばぬ先に杖を指しておく。


「はいっ! はい!」


 激しく頷かれ、恐らく此の先この変身アイテムを使うことはないだろうなぁと思いつつも俺は渋々その腕時計に口を近づけ。


「ごゥ、ファイブチェンジ」


 ほとんど音にならないような無声化で吐き捨てた。


「あぁあああああ!!!」


 緋色がイメージしていたものと違っていたようで思いっきり悲鳴をあげられるが、それでも機械は俺の声を認識したらしくキラキラキラーっと謎の粒子をばら撒きながら俺の体を包み込んでいく。


 ぐるりっと何かの引力に引っ張られたように腕が体を回転させ、「おおっと」と足をついてみればいつと視界が違う。


 ゴーグル越しに見る世界というか、様々な情報が視界の中に表示されているというか……。


「おおーっ……!!」


 緋色に背を押されて姿見の前に立たされた俺は、まさしく「変身ヒーロー」になっていた。


「……なんだコレは……」

「アメコミのをイメージして見ました!」


 正直言ってただのコスプレとそう変わらないように思える。


 無駄に体にぴったり張り付いているから余計にダサく感じるのは俺だけだろうか。

 黒を基調としたボディスーツに赤のラインが走り、所々白色の毛が生えているのは狼を意匠しているのだろうか。


 果てしなく「センスがない」。


「えええーっ!!? せっかく私頑張ったのにぃー!!」

「いやお前のセンスがこうなのはなんとなく知っていたが……」


 まさかここまでとはな……と傷口を広げてやるのも可哀想になる程、デザインとしては中の下だった。


 一度見たら忘れないという意味合いでは良いかもしれない。いわゆる悪いお手本という奴だろう。


「一応伸縮自在の生地ですから赤城さんの体が怪人になっても破けたりしませんし、そのゴーグルには赤外線センサーとか色々組み込まれてるので便利ですよ?」

「《私と通信できたりもします》」

「せんでいい」


 耳元のスピーカーから聞こえた声にため息が出る。

 通信できるということはこっちの映像も見れたりするんだろうなぁと思ったらテレビに映し出されていた。合わせ鏡の理屈でどうにも情けない俺が沢山だ。


「気持ちだけは感謝するよ……変身はどうやったら解ける」

「1時間経過すれば自然と」

「……手動は」

「ないです!」


 とんだ欠陥アイテムだこって……。


「はァ……」


 今すぐにでもここを立って奴らの研究所がある場所へと向かうつもりだったのだが、流石にコレで向かうのは無い。


 徒歩で移動できる距離でもなく、流石にハロウィンでもないのにこんな姿で電車には乗りたくなかった。


 大人しくソファーに腰掛け、この展開を望んでいたのであろう緋色の顔を見上げる。


 ニコニコとお茶でも淹れましょうかなんて首を傾げられ、こんなマスクをつけていてどうやって茶を飲むんだと俺は肩を落とす。


「せめて解除は手動でできるようにしてくれ。そうしたら使ってやってもいいから……」

「わかりました!」


 いつのまにか緋色こいつのペースに乗せられていることに出来れば気がつきたくはなかった俺だった。


「ぁー……なんか今日はもう……疲れたな……?」


 そのまま天井を仰ぎ見て、確かに今日は色々ありすぎだと眠気が込み上げてくる。

 疲労感で重くなった肩をソファーに預け、一息ついたのが運の尽き。

 そのままウトウトと眠りに落ちてしまった。



 決して、こいつの家ではもう眠らないでおこうと決めていたのに。



「やぁ、誠。久しぶりだね」

「……みのる……? ……これは……、……夢か……」

「まぁ、そういうことになるね」


 見慣れた研究室。

 これが夢だというのであれば問題はない。


 はっきりとした意識が恨めしくも思えた。思い出したくもない。くそったれのあの場所だ。


「最悪だな……」


 疲れていたとはいえこんな夢を見るなんて、久しぶりに実に再会したせいだ。あいつに関わると昔からロクな事がない。怪人にされたのだって元を辿ればこいつの変な正義感に付き合わされた結果であり、最終的にそれが歪んだ正義なのだと目の当たりにすることになった。


 知りたくもない。友人の真実って奴だ。


「今のお前はどのお前なんだろうな。……いや、……どのお前だったとしてもやっぱり世界を憎んでたりすんのか」


 呆れる俺に実は肩をすくめるばかりだ。


 肩で切りそろえられた髪は大学に入る頃に切ったものだ。

 子供の頃は伸ばし放題だった。


 昔から目つきが悪くて男勝りな性格をしていたから女番長って感じだったし、そのサバサバした性格が俺には合っていたからよくつるんでいた。


 急に色気が出てきたのは高校ぐらいからで、そのぐらいの時期から男よりも女に人気が出るようになった。その気があれば宝塚とかで男装の麗人やれそうだとか思っていたし、実際、学園祭なんかの舞台劇ではそういう役を押し付けられていた。


 大抵すっぽかして逃げていたけれど。


「こういう時ぐらい、誠の好きな私を想像してもらえると嬉しいのだがね」

「だったら思い出の中だけにしてくれ。お前の顔を見てると思い出したくないものまで思い出しそうだ」

「へぇ?」


 ぐいっと顔を近づけてくる実は妖艶さに包まれていて。


 あたりの空気さえも彼女にこうべを垂れているかのように思われた。


「昔から言っているじゃないか。私は君が大好きなんだよ、まーーーくん?」

「ふざけろ」


 クスクスと笑う様は怪人化してからのそれが混ざり合っている。

 元々はこんな奴じゃなかった。冗談でも人を憎んでるなんて言いやしないし、そもそも人と関わるのが億劫だと態度で示していたような奴だ。


 弄んで、それをあまつさえ楽しむような性格はーー……、……うまく、隠し通していたのだろう。


 それを知らなかったのは俺だけか。それともコイツ自身もなのか。

 実際の所、改造されたことはきっかけに過ぎなくて、最初からこういう奴だったと突きつけられてしまえば受け入れるほかない。


 それはなんとも、辛いことなのだが。


「面白くもない顔だね。悩み事なら助力を乞えば応えるよ?」

「俺はどうしたらお前を止められたんだろうってずっと思ってた」

「へぇー?」


 意外そうに。

 けれどお見通しだとでも言いた気に、実は俺の目を眺める。


 映りこむのは俺の後悔だ。


「俺はお前を殺してでも止めるべきだったのか?」


 あの時。


 俺がコイツに心臓を貫かれ、そして俺もまたコイツの喉を切り裂いた時。

 俺たちは互いに分かり合えないと感じ取り、そして互いにトドメを刺すことができなかった。


 なんのためにそれまで戦い続けてきたのかを俺は分からなくなり、そしてそのまま目を背けた。 


 背け続けて10年。思えば随分歳をとった。年相応とは言い難いほどに老いた。対照的に実はあの頃のままだった。怪人化による負荷が老化を早めていると思っていたが、俺の場合はコイツに心臓をやられたのが原因だったのかもしれない。流石の治癒能力も血液を送り出す心臓そのものを修復するとなれば相当の苦労を強いられたということか……。


 なんとも情けない話だ。


 狼男だなんて実とは対照的な、随分とハズレくじを引かされたもんだとあの頃はよく思ってた。


「誠になら止められてもいいと私は思っていたんだ」


 実は耳元で囁く。


 甘く。


 悪魔の名にふさわしい響きで以って。


「だけど君は止めてくれなかった。……なら、私は進み続けるしかないじゃないか」

「……屁理屈を言うな」


 見た目はそう変わらなくともお前もいい大人だろう。

 呆れるほかなく。そしてこんな幻を見せる自分につくづく嫌気がさす。


 俺は実を止める口実を探している。

 誰かに頼まれたわけでもない。

 政府の要請があったわけでも、強いられているわけでもない。


 緋色が奴の管理下にある。そんなものは後付けで、あいつに再会した時から俺の考えは固まっているのだろう。


「俺がお前を殺してやるよ。今度こそな」


 真っすぐに見つめ返した実の瞳はやはりあの頃と変わらず、何を考えているのか俺には分からなかった。


 けれど、分からないなりに実が実であると言う当たり前の事実が俺を突き動かす。


「いいな」


 俺の頬に伸びていた細い手首を掴み、その細さにこみ上げた苦味を噛み潰す。

 ひんやりとした肌が俺から熱を奪い、それこそがコイツの本質なのだと思い出させてくれる。


「いいよ、殺して。……今度こそ、ちゃんと殺しておくれよ。まーくん? ……私は、それを、待っているから」


 四散し、消える。


 黒い霧となって搔き消えた後に残されたのは緋色のリビングだった。


「……夢……なんだよな……?」


 あまりにも曖昧で、何処で俺は目を覚ましていたのかすら分からず。

 それってかなりあぶねーんじゃないかと心配にもなるがそれ以上に。


「……おいおいおい……、風邪引くぞ」

「んゥー……」


 隣で緋色が眠りこけていた。

 俺の膝の上に覆いかぶさるようにして、それはもう気持ち良さそうに。


 シャンプーの甘い香りがふんわりと鼻先をくすぐり、俺としてはこう、ムズムズする。

 男と女的なそう言うムズムズではなくて、……なんと言うのだろう。これはその……。


「……子猫みたいだ」


 大きな子猫。と言う表現が正しいのかはわからないが、おおよそ女子高生というよりも犬猫の類いだと感じた。

 寝息を立てながら上下する肩や、すらっと伸びた脚はほのかに色づいていて健康さが伺える。


 実に噛まれ、準吸血鬼。いわゆる眷属予備軍にされているのだから当たり前かもしれないが、血の巡りは良さそうだ。むしろ操られていない限りは身体能力の向上を始め、悪いことはないのだがーー、……悪いことがない訳がないな。当たり前だ。

 人の道を僅かではあるが逸れてしまっている。本来歩むべきはずだった「まっとうな世界」から徐々にこいつは外れはじめている。


 当の本人は全く気に掛けていないようだが、今はそれでもいいかもしれないが5年、10年と経つたびに恐らく後悔することになるだろう。


 あのとき、引き返しておけばよかった、と。


 人の寿命は短いようで長い。


 命は簡単に消し飛ぶくせに社会という枠組みの中で生き長らえる限りは早々死にはしないのだ。

 怪人社会から距離を置き、一般人として生活を送れば命の危険に晒されることもないだろう。


 怪人との遭遇はあくまでも「事故」であり「災害」でしかない。

 稀なのだ。そのこと自体が。


「って説明したところで聞く耳持たねーんだろうけどなぁ……」


 こいつの怪人への執着心は異常だ。親兄弟でも殺されたというのであれば納得も行くが、それにしては奴らに向ける感情が純粋すぎると感じていた。

 恨みではなく、正義感で戦っている。


 そう称するに相応しいほどに、大馬鹿ものなのだ。こいつは。


「っこらせ……」


 起こさないように膝を引き抜いたつもりだったが「んぅ……?」と緋色は身動ぎ、瞼を押し上げてこちらに微笑んだ。


「出発ですなー……?」


 どうあっても着いて来る気かよ。そう、吐き捨てるほどにわかりやすい態度で。


「……運びますよっ?」


 ストラップのついた鍵を掲げられた。



 戦隊モノのヒーローはいつも怪人がいるところに徒歩で向かっているらしい。あれは子供向けの番組だからと言われればそれまでなのだが、そう考えると移動手段も最初から含まれているライダー系の設定は優秀だなぁと思っていた。


 某光の巨人だと巨大化して飛んで現れるからなんとも大雑把な気もするのだが。


「都内だと車を持つだけでも一苦労だからな」


 現場に急行するといっても大抵の場合は手遅れだろう。以前の電車移動然り、なんのために各市町村に消防署が作られているのかという話だ。


 どこどこで怪人が出現したからといって現実問題どうしようもない。それこそこいつの持っている「謎の未来予知機器」でもない限りは先周りなどできはしないだろう。


「赤城さんはどーしてたんですかー?」

「気合で跳んでた」

「うはー」


 ブロロロローと流れていく景色は暗闇で、時計の針はすでに1時を回り、電車は動いていなかった。車を拝借する、という手もあったがそれではただの犯罪者でしかなく。俺としては社会の枠組みから外れることは極力避けたい。となれば、緋色の「運びますよー」という提案には従うほかなく。


「まさかバイクだとは思わなかったがな……」


 はたから見ればなんとも情けない限りなのだが、俺は緋色の駆るバイクに跨り、そして緋色の腰に腕を回して「運んでもらっていた」。


「いんやーっ、久しぶりに乗ったんですけどやっぱいいですよねェー、バイクー」

「この不良娘が。ろくな大人にならんぞ」

「所詮はバイク。エンジン付きの自転車ですよー?」


 エンジンがついていたらそれはもう自転していないだろうと突っ込むが風の音でかき消されてしまった。


 ライダースーツは一人分しかなく、またヘルメットもないということで仕方なく俺は「あの変身スーツ」だ。


 随分派手な仮装ライダーを後ろに乗せて時折トラックの運転手が目を丸くするのがうかがえた。

 なんとも恥ずかしい限りだ。明日のネットニュースにでもなっていそうだな。もしくはSNSの格好のネタか。


「…………ふ」

「ふ?」

「いや、なんでもない」


 ふと、これから奴らの本拠地に向かうというのになんてバカらしいことを考えているのかと笑みがこぼれた。

 遊びでもなんでもない。


 殺し合いだ。


 社会に不満があるアイツらに同情の余地がないわけじゃない。

 だけどただ、「怪人にされてしまった」その一点において既にあいつらは人間ではなく。そして、社会を構成する人類に牙を剥くのであれば俺はーー……、「バカみてぇだな」「へ?」「いんや」


 苦笑する。

 やはり笑う他ない。


 散々理由を付け加えたところで結局は、……俺のやろうとしていることは正当化できるようなものではないだろう。


「なーんか、赤城さんって自己完結型なところありますよねー」

「あ? なんだ?」

「完全な独り言だと思っていただいて構わないんですけどぉー、人の話聞かないっていうか、自分でこうって決めたら意地でも意見を変えないっていうかー……、……いやまぁー……そういうのは必要だと思いますし赤城さんがウルフマンであるなら仕方がないって見方もできるんですけども……」

「何が言いたいのかさっぱりだな」

「そろそろ誰かに頼っても良いんじゃないんですか? 一人でヒーローをやるのはもう疲れたでしょう」

「……」


 ブロロロローだなんて音だけが辺りに響き、眠りに落ちた街を向けて高速へと入っていった。

 都心部は夜中だというのに明かりが目立っていたが、しばらくすると暗闇の方が圧倒的に多くなる。


 時折バスや大型トラックを追い抜かしながら俺たちは無言のままその中を疾走し、俺が黙っている限り緋色はそれ以上余計なことを口走る気はないようだった。


 ヒーローなぁ……。


 頭の中でそう呼ばれようとしたこともあったと黒歴史が蘇る。

 誰もが悪と戦うヒーローに憧れ、そして実際にその力を身につけた時、どうするかといえば割と単純だ。


 やってみようとするのだ。世界を守ろうと。


 俺にも若い頃があった。

 今でこそ老いぼれになってしまったが正義感に燃え、旧友を救おうと奔走した日々が。


「……俺は怪人だよ。どう取り繕ってもな」

「……そんなことはないと思うんですけどねー……」


 そこからしばらく、速度が上がり、風を切る音がうるさくなった影響もあってかパーキングエリアに入るまで会話はお預けとなった。


 線となって消えていく光を眺めながら浮かんでくるのは守ろうとした人たちの恐怖に怯える顔と、守れなかった人たちの憎しみに染まった表情だ。


 何をどう取り繕おうが俺は狼に遺伝子を組み込まれた狼人間でしかなく。それは怪人社会と関係ない普通の人々にとっては畏怖すべき存在でしかない。ならば、関わる必要もなく。そして俺も、彼らを守る義務など何処にもない。


 それがこの10年間で俺の思い至った結論だ。


「ふはーっ、夜の缶コーヒーってなんか大人って感じがしますよねぇーっ!」


 パーキングエリアでバイクを止め、一息ついた緋色が笑った。

 一本にまとめられた髪が夜風に揺れ、今更ながら完全に深夜徘徊で補導対象じゃねーのかなんて見当違いなことも思いながら、俺も珈琲を啜る。


 わざわざ店内に入ることもなく、自動販売機とベンチが併設されているような休憩所だった。


 こんなところで休むやつらは俺たちの他にはおらず、車から降りた人々は吸い込まれるようにして建物の中へと消えていく。中には車中泊しているやつらも多いようで、車で寝息を立てている姿も多く見受けられた。


「平和そのものだな」


 タバコを吸おうとポケットをまさぐったが見当たらなかった。


 自販機に買いに行けば手に入りそうなものだがーー、「……すわねぇよ」「その方が良いかとっ」緋色にじぃっと見つめられたので仕方なく諦める。


 これから決戦だというのになんとも調子が乗らん。


 缶コーヒーから上がる湯気がゆったりと明かりに浮かび上がり、時折聞こえてくるエンジン音の他には静かなものだ。


 全く、これから血を見ることになるってのに良いもんかね……?


 生憎月は出ていない。


 侵入にはもってこいの条件だが狼男としては些か部が悪いかもしれない。

 あくまでもテンション的なものでしかないのだが、案外そういった部分で勝負が決したりすることもあるので気になるといえばなるし、ならないといえばーー、


「……なぁ、本当にお前ついてくるつもりなのか?」


 うだうだと悩み始めた頭が吐き出したのは思いもよらぬ弱音だった。


「ここまで運んでくれればあとはもう自力で行ける。お前を守りながら戦えるとは思えないし危険な目にだってあうだろう」


 吸血鬼の眷属とされ、なかなか「死ねない」ということはメリットでもあり最大の弱点にもなりうる。例え手足を潰され、内臓を引き出されようとも体は回復を続け、頭や心臓を潰されない限りはその痛みを永遠とも思える時間味わうことになるのだ。

 それは「人質」としては優秀すぎる。


 そして何よりも、


「……ハァ……」


 目の前でコイツが傷つけられるのはなんだか癪だった。


 自分の力不足を痛感させられたとでもいうのだろうか。


 もう慣れている、とは言わないが俺が戦い、それによって誰かを守る事ができないのは重々身にしみていたはずなのだが、やはり知り合いが目の前で襲われ、命を落とすところは極力見たくないのだ。


「できればここまでにして欲しいんだ」


 情けないとは思う。守りきれないというのは。

 しかし出来ないことを出来ると言い聞かせ、取り返しのつかない結果になってしまっては元も子もない。……のだが、


「意外でした。私のこと、守ってくださるつもりだったんですか」


 緋色は目を丸くしておどけて見せた。


「やっぱりお前ここで待ってろ」


 白々しい緋色を置いて腰を上げる。


「あーあーあーっ! 冗談ですってば! 大丈夫! これでもやれます!」

「いや、やれねぇだろ、お前は」


 本人がいたって真面目なのが欝陶しい。

 まぁ、止めたところでついてくるだろうし目の届かないところに置いていくぐらいならーー……というのはもはや言い訳でしかないのだろうか。


「……建物の側までだからな。中には入ってくるなよ」

「はいっ」


 威勢のいい返事ではあるが間違いなく従う気が無いだろうというのは見て取れた。

 缶を握り潰すとゴミ箱に投げ入れるとしばらく沈黙が訪れた。


 運転させているのはこちらだし、「そろそろ行くか」とも言い出しづらい。実際、緋色の珈琲は残っているようだし、ぼんやりと夜空を見上げた。これといって見る星もないのだが。


「一つ、お伺いしても?」

「一つで済むとは思えないんだがな」

「そこはほら、キッカケとして」

「……」


 にへへーと曖昧に笑われ、真面目にやり合うのも馬鹿らしく感じた。


「なんだ」


 聞き返しこそすれ、俺も真面目に答える気はないのだが。

 許しを得たというのに緋色はモジモジと指先を弄ぶばかりで一向に口を開かない。手に持っている缶が冷え切ってしまいそうだ。


「おい」


 あまりの居心地の悪さにこちらから催促すると緋色は少しだけ真面目な顔で俺を見上げ、唇を尖らせた。


 まるで拗ねた子供のように。いや、まぁ十二分にまだ子供なんだろうが。


「ミノルさんのことをお伺いしてもよろしいですか」

「……、俺、お前にアイツのこと話したか?」

「うなされていらっしゃったので! ……なんとなく文脈で、……ミノルさんという方がそうなのかと思ったのですが……? あれ? 違いました?」

「……なんだか微妙に噛み合ってない気もするが……、まぁ、いいだろ。ーーお前を噛んだのは俺の昔の親友で青柳実あおやぎみのるっていうんだ。今は吸血鬼よろしく最強の怪人になってる」


 話すべきかは少し悩んだがこいつにとっても関係のある人物だ。話してどうとなるわけでもないが話しておくべきなのだろう。


 もしも俺が“しくじった場合”のことを考えるならば。


「……赤城さん?」

「いや……」


 しくじった場合……か。


 ふとよぎったその考えに目を伏せた。


 いや、考えたくはないがその可能性の方が高いんだよなぁ、と。


 単身奴らのアジトに乗り込んで無事に帰れるという可能性の方が低い。というよりもあり得ないと言ってもいい。勝算があっての行動ではあるが生き延びられると踏んでいるわけでもなかった。ただ目的を果たせればいい。どの道、もうそう長くない命だ。


 何度も再生を繰り返した体は老化の限界に達しようとしている。

 テロメアの限界。細胞が生まれ変わるごとに短くなる遺伝子の端だ。


 改造され、生まれた怪人とはいえベースが人間であり、怪人もまた生き物である以上は仕方がない。遅いか早いかの違いだ。


「みのるは良い奴だったんだ。すごく。頼りになった」


 いや、頼りにしていた。

 昔から、いつも。


「それがアイツにとって重荷だったのかは分からないけどな。……当然のように周囲の期待を背負って、放り投げては笑うようなそんな奴だった」

「ん……んぅ……?? なんだかいい加減な人にしか聞こえないんですが」

「良い加減にいい加減だったんだよ。だから人気もあったし信頼もされてた」

「はぁ……?」


 釈然としない。それは言っている俺が一番わかっている。

 アイツの不思議なところは実際会って話してみないと伝わらないだろう。……もっとも、今のアイツにかつての面影は残されていないのだが。


「怪人になってからのアイツは誰の快楽主義者だよ。ただ命じられるがままに、ただ、思うがままに人を襲い、もてあそび、弄り回した。最悪の、……最強の怪人だ」

「ラスボス。いえ、この場合は好敵手とかいてライバルですね!」

「そんな生易しいもんじゃねーよ」


 言うなれば天敵。

 言い換えれば弱点だ。俺の。


「俺にアイツは殺せなかった」


 静かに、波打つ心を感じた。しかしそれだけだ。


「アイツも俺は殺せなかったけどな」

「なるほどっ」


 何がなるほどなのかはわからないが、適当に相槌を打っているようにも見える。

 それならそれでいい。緋色こいつには元より関係のない話だ。


「つまり赤城さんにとっての大切な人っていう認識でよろしいですかっ?」

「……なんでそうなる」

「あまりにも恥ずかしいお顔をされておりますので」

「…………」


 自然と自分の頬に手がいった。

 触れてから緋色のニマニマした意地の悪い笑顔にハメられたと気が付いた。


「あのなぁ、大人をからかうのもいい加減にしろ」

「いたって真剣ですよ? 真剣すぎてヤキモチ妬いてしまうぐらいには」

「ほうー」


 そもそも、こんな風に話してはいるが相変わらずこの女の真意というか、正体は曖昧なままだ。

 ただの頭のおかしい馬鹿なのか、それとも何かの組織と繫がっている工作員なのかーー、


「ぁー……」

「……ぁー?」


 みのるのせいで色々と曖昧になっていたがコイツに良い加減聞いておかないといけないことがあった。つか、慣れというものは恐ろしいもんで、こいつはそういう奴なんだといつのまにか受け入れてしまっていたがあからさまに異常だ。


「お前のそのよくわからん発明は一体どこから持ってきてるものなんだ。未来デパートとか言ったらぶん殴るぞ」

「ここでドラえもんを放り込んでくる赤城さんのセンスは図りかねますけど、少なくともタイムマシンなんて便利なものがあれば怪人の生まれるキッカケを潰しに行きますよ、私は」


 そしたらタイムパトロールに追いかけられんだろ、なんて今の子には伝んねぇネタかもなぁ。と時代を感じる。


 今のドラえもんって随分緩くなってんだろ、確か。


「敢えて言わせていただくならば企業秘密で乙女の秘密です!」

「お前個人のものなのか何処かに属してるのかハッキリさせろよ」

「そんなに私にキョーミありますー?」


 ちらっちらっとわざとらしい上目遣いは心底腹が立った。

 真面目なんだか不真面目なんだが良くわからん奴だ。


「まぁいい。事が済んだら怪しいもんは廃棄しろよ。どのみち、これに懲りたらヒーローごっこなんて辞めるべきだ」

「ごっこじゃありません! 真剣です!」

「なら尚更だ」


 小突く。頭を軽くつついて叱りつける。

 不満そうな顔を向けられるがそれで死なれてしまっては後味が悪すぎるのだ。

 いつでも。


「はー……」


 相変わらず今夜の空は黒一色だ。


 月明かりもなければ星々の恩恵も得られそうにない。なんて、ロマンチストもいいとこだがこれからのことを思うと少しずつ気持ちが侵食されていくようだった。

 暗雲とした、泥のような感情に。


「赤城さーん?」

「トイレだトイレ。ついてくんな」

「んぉー、そうですかーサイデスカー」


 よくわからない返事を聞き流しながら明かりへと吸い込まれるようにして建物へ入っていく。


 どうにも調子が狂う。というのも怪人どもとの殺し合いを誰かと一緒になってやったということはこれまでなかった。


 改造され、あの場所から逃げてからはずっと独り。人の目につかないように行動し、誰にも相談することもなく切り抜けてきた。


 それは俺の体が人一倍丈夫だったというのも影響しているし、それこそ心臓を破壊されようが回復してしまう生命力ゆえに可能だった。


 頼る必要がなく。頼るつもりもわかない。

 だからこそこうなっている状況に若干の戸惑いを覚えている。


 あの緋色という女子高生もどきの扱いに。


「……やっぱ見殺しにはしたくねぇよなぁ」


 特別な思い入れがあるわけではなく、ただ、見殺しにしてしまったら居心地が悪い。

 夜中にしては明るすぎる光に目頭を押さえつつ、用を済ませて覗きこんだ鏡の俺はひどい顔をしていた。


 緋色が心配するわけだ。これではまるでゾンビじゃないか。


 ここ数日で酷くシワが増えたような気がする。

 今更老化を嘆くつもりはないが、こうも実年齢より老けて見えると思わないことがないわけでもない。


 まともな人生を送れていたらなぁ、とも。


「……」


 考えるだけ無駄だった。

 それらの過去に決別をつけるためにも今夜俺は、カタをつけようとしてるんじゃないのか。


 気後れしそうな目をしていた顔を洗い流し、ギュッと瞼を押し込んでは気合いを入れる。


 もう、これ以上見ないふりをするのはヤメだ。今度こそ終わらせてやるーー。


 親友みのるとのことも、この怪人とのコトも。


 目を背け続けるのはヤメだ。


 10年前、投げ出し、放り捨てた感情を今更になって拾うことになるとは思いもよらなかった。しかし、そうとなってしまった以上は仕方がない。


 戦おう。

 殺してやろう。

 この想いで。



 バイクの元に戻ったとき緋色は、嬉しそうに手を振っていた。

 能天気に。


「……ばっかみてーだ」


 心底、真剣な面持ちでそれに向かっていた自分がアホらしく感じた。



 俺が拉致され、改造されたその施設を抜け出した時、目の前にあったのは日本一の山・富士山だった。


 それと同時にそれが何処なのか理解し、奴が調達していた「社会に恨みのある人材」を何処でスカウトしてきたかを知った。


 青木ヶ原。


 キャンプ場や宿泊施設も用意され、観光目的で訪れる人も少なくはないその場所は所謂「富士の樹海」と呼ばれ、自殺の名所としてよく名をあげられる。


 方位磁石が効かないとか、GPSが位置情報を拾えないだとか言われているが実際はそんなことはなく。しかし林道から森に入れば同じような景色が広がるため、迷いやすい。そしてそんな知られ方をしている場所だからこそ、人生の終着点としてやってくるものもーー。


 そこにあの男は研究所を作り、そして人に知られないように「磁気を狂わせ」「位置情報をズラした」。


 地図を見て歩けばいつのまにか避けて通ることになり、そして地下に作られているせいで衛星からも捉えられることはない。


 秘密基地と呼ぶにはあまりにも不恰好な、地下洞窟を改造した場所だった。


「あったぞ」


 地下へと通ずる出入り口の一つ。

 おかしなねじれ方をした大木の足元にそれは隠されている。


 月明かりもない中、ライトに照らされたそれをそっと引き開けてみるとまず鼻をついたのは異臭だった。それも俺がそこにいた時とはまた違った。……腐臭に近い。


「……なんだ……?」


 こちらの動きをつかんでいる可能性はあった。それ故にここに来るまでに待ち伏せに合うかと思えば一直線に辿り着いた。馬鹿正直に、俺が出てきたときと変わらない場所にそれは存在し、そして移転した様子もない。


「……待ってろ」

「えーっ!! お化け出ますよー!!」

「お化けより怪人のが実害あるだろーが」


 渋る緋色を残して鉄のはしごに足をかけると10年経っても老朽化はそこまで進んでいないように思えた。


 ゆっくり、暗闇の先に耳を澄ましつつ降りていく。


 しばらくすればコンクリートの壁に囲まれた通路に降り立ち、以前は不気味な青白い光で照らされていたその空間は赤く、非常時を知らせるライトで満たされていた。

 まさかとは思うが……。


 嫌な予感がよぎる。


 いや、俺としてはそうあってくれることに何も不都合はない。が、……一体誰が……。


 ぴちゃぴちゃと廊下に続いた血の跡を踏み進み、扉を開けると飛び込んできたのは眩い光だ。


 戦闘計測室。


 道場程の広さの空間には真っ白な光が満ちて降り、その中央で独り待ち構える存在があった。


「ミノル……」


 死体の海の中、赤く染まった頬で笑いかけるのは最悪の吸血鬼だった。


「やぁ、遅かったじゃないか。なんだい? その姿は。悪趣味なコスプレにしたってヒドイじゃないか」


 コロン、と蹴飛ばされるのはライオンの頭。否、ライオン型怪人の成れの果てだ。

 他にも数体。原型を留めていないものが多く、まさに血の海を呈していた。


 異様に白く、明るい空間だけにその存在が異様に浮き彫りに感じられる。周囲のライトを全身に浴びているのに関わらず実の姿が薄暗く見えるのはアイツの存在自体が「影である」ことも影響しているのだろうが、全身に浴びた返り血がそれを濃くしているようにも思われる。


「何故だ」


 問いかける。


「お前は博士の意向に沿っていたものだと思ってた」


 俺の反応を味わうかのようにゆったりとした動きで全身を舐め回すように眺め、実は首を傾げた。というよりもとぼけた、というのが正しいだろうか。


 はて。さて。なんのことやらと頭の上にはてなマークを浮かべては嘲笑い、そして蔑む。


「私は私のヤリタイようにヤってるだけだよ。今も、昔もね」

「……」


 それはかつての実からは想像できない姿であり、そして怪人にされてからは俺がよく見てきた実の姿でもあった。


 血だまりの麗人。吸血の女王。


 唯一にして完全なる「怪人」。


「博士はどうした」

「気になる?」

「一応な」

「そこ」


 顎で指された先に転がるのは白衣の男性だった。


 全身血だらけで見るも無残な姿としか形容しようがない。

 顔がえぐり取られているのはなんの趣向かーー、……こいつの気まぐれでしかないのだろう。


 実は俺の反応を嗜むようにして笑い、


「けしかけてきたのは彼のほうだよ? 正当防衛さ」


 肩をすくめて見せた。


「過剰防衛って言うんだよ」


 釈明の余地もないな。……さてーー、


 よっこらせっと腰を上げ、博士のことは放っておく。


 こんなことをしでかした奴の最期がコレとは、なんとも呆気無いものだが俺の目的は世界平和じゃない。


 だって俺はヒーローなんかじゃねーから。それだけ自分に言い訳すると、ぎゅっぎゅっと手を握って感覚を確かめた。


 大丈夫、平気だ。コイツと再会していつも通りでいられるかは不安だったが思ったよりも冷静だった。


「あいつの洗脳を解け」

「洗脳? なんのこと?」

「眷属にしてんだろ。解放しろ」

「もしかしてまーくん、年下趣味に目覚めたのかな? それとも実は親子の関係を築いているとか」

「んじゃ力づくか」


 全身の細胞が歓喜を帯びて吠えているようだった。


 ミシミシと、緋色が作ってくれたスーツは確かに破けるようなことはなく、怪人化した俺の体を覆ってくれる。


 実は動かない。ただ死体の上でこちらを見下し、微笑む。

 いつでも突っ込んでくればいいと、口の端を釣り上げる。


「ほ、」


 景色と共に一歩の元に蹴り飛ばした床は弾け飛び、壁にぶつかって粉々に砕ける。壁を蹴り、一気に距離を詰めると実の首筋は間近だった。そのままそれを断つべく腕を横薙ぎに払う。回り込んだ先の実は目を丸くして俺を見上げ、吐息を小さく漏らした。


「運動不足だよ、まーくん」

「ーーーーッ……?!」


 実の姿がブレた。


 正しくは横方向から蹴り飛ばされた。


 完全に死角をついた一撃に上下すら入り乱れて転がり、なんとか姿勢を立て直すと即座に追撃がやって来た。


 実は動いていない。相変わらず死体の山に腰掛けたまま。

 けしかけてきているのは死体だ。


 死体だったものが、四肢が、内臓を引き摺り回しながら飛び回り、俺を襲っていた。


「悪趣味だろ!!」

「そうかな」


 宙を舞う腕は鎌のようで、伸びた腸は鎖か何かのようだ。それぞれが意思を持つように俺を追い、連携して退路を潰していく。


 一撃一撃はそう重くない。


 しかし一発をはじき、他を躱せばその隙をついて立て続けに食らってしまう。

 徐々に、徐々に体力を削り取るようにして肉片は打ち込まれ続け、


「邪魔だっつーのォ!!!」


 蹴り飛ばしたそれを実に向かって打ち出してみたが、それは転がっていたライオンの顔によって絡みとられ、


「ふは」


 即座に生首は俺の首筋めがけて飛び込んでくる。

 鋭利な牙が食い込むのを感じつつ、肩と頭で挟み込んで砕く。


 これじゃまるでホラー映画だ。


 全身を血に染めつつ、それでも実との距離を徐々に詰め、腸を引きずり回してその体を絡め取る。


 ビシャビシャと飛び散った鮮血が不快ではあるが仕方あるまい。

 ぬめる内臓を引き寄せ、つられて飛び込んできた実の顔面に拳を叩き込む。

 全力で、握ったそれは宙を打ち、四散する。黒い霧が。


「ッ……」


 用意した粉末のニンニクをばら撒いてやるとむせた実が笑いながら距離をとって現れた。

 相変わらずこの匂いは苦手らしい。


「特性もあるんだろうけどさー……やっぱ無理だわー、ニンニクは……」

「ラーメンに入れたらめちゃくちゃ怒ったもんな、お前」

「あんなの食べられるのは悪魔か余程の味覚馬鹿だね」


 ぐいっと引き寄せられるようにして俺の体が実の元へと連れ込まれ、首を細い指が絡め取る。今度は逃がしてやるもんかとその手首を掴み返し、俺も首へと腕を伸ばすが半身で避けられ届きはしない。


 足が宙を浮き、締め付けてくる指を押し返すように首の筋肉を膨らませる。

 何を思っているのか、実の表情は冷静で、これっぽっちも殺し合いをしていると言う雰囲気は感じられなかった。


 ただ冷酷に、ただ、冷静に、打ち向かってくる俺を潰し続ける。

 それは10年前から何も変わってはいない。


「ッ……はっ……くそッ……」


 腕に蹴りを蹴り飛ばすがビクともしない。鉄筋でできてるんじゃないかってぐらい固い感触にこちらの骨が痺れた。


「今度こそ私の首を切り落とすんじゃないのか?」

「だったら届くようにこうべを垂れろこんにゃろっ……」


 徐々にめり込んでくる指に危機感を覚えつつ、かといって引き剥がせずにいると場違いな。それこそあからさまに出番を勘違いした足音が響いてくる。


 トテトテと。


 本人的には全力で駆け抜けた後に放たれたそれは、


「必殺ッ!! ウルトラパンチ!」


 ばふぅんっと実の体を弾け飛ばした。


「おまッ……、」

「うおーっ!」


 むせながらも乱入してきた緋色を止めようとし、しかし肩を掴み損ねた。


 霧のように舞いながらパンチをかわし続ける実はまるで緋色で遊んでいるようにも見える。


 と言うか、遊ばれている。ひらひらと時折実体化して見せてはピンチを誘い、攻撃をかわしてはその匂いを嗅いでいるようにも見える。


 変態じゃねぇか……。幻滅する。


 同性に人気があったのは確かだが、本気でそっちの人間だとは思ってもみなかった。

 飽きて緋色が操られてしまわないうちにと俺も参戦し、実の「実体を」引き倒した。


「わーお、押し倒すなんて男前じゃないか」

「よく見ろ、押しつぶしてんだよ。いいから緋色の洗脳を解け」

「解けって、どう言う風に?」


 ぐさっと、脇腹から奥にかけて、嫌な熱の帯び方をした。

 血に刺さった骨が、俺の体に突き刺さり、それをしでかしたのは緋色だ。


「ッ……、」


 気色悪いそれを引き抜き、込みあげる血反吐を吐き捨てながらするりと抜け出してしまった実を睨む。


「そう驚くこともないさ。わざわざ会いに行ったんだから」

「ありゃ夢じゃなかったのか……」

「そゆこと」


 いつでも操れる状態ではあった。だから最悪のタイミングでスイッチを入れてくれやがった。

 傷の治りは遅く。よく見れば骨の先に何か仕込まれている。銀色の……、


「っ……余計なものを発明してくれたよーだな、うちの博士は……」

「まーくんが手出ししてこなくなったから実用化はされなかったんだけどね。所謂狼殺しだよ」

「っ……」


 ぐらりと膝から力が抜け、床に手をついた。


 とんだピンポイントな道具を作ったもんだと呆れるほかないが、こうして実用に足ることを思えばその努力も報われるのだろう。


 今となっては物言わぬ死体でしかないが。

 部屋の片隅で冷たくなっていくそれを眺めては残念に思う。

 復讐してやりたいと思ったことがないわけでもない。


 なのに、そんな男の最期が自分の最高傑作による裏切りとはなんとも締まらない。

 締まらないどころかツマラナイ。


 この男はそんな事の為に半生を投げ出していたのかと思えばこそ、同情の余地もあるような気がした。ーーヒトの事を拉致って改造さえしなけりゃだけど。


 顔がないのでどんな人物だったかもこの10年で曖昧になってはいるが、頭のおかしい部分を除けば至って普通の……可哀想な人だったんだろう。他の怪人たちと同じように。


「なぁ、結局お前は何がしたかったんだ……」


 そんな事、聞くまでもなく知っているーー、否、わかっている。しかし、問いかけに律儀に実は答え。


「この世界をめちゃくちゃにしたかった」


 呆れた。


「どうしようもなく社会ってのは私たちを除け者にするから、復讐してやりたかったんだ。大層な主義主張があったわけじゃない。ただの八つ当たりだよ。憂さ晴らし。ーー鬱憤をぶつけて、解消したかったんだ。きっとみんなね」


 心にも思っていないようなことを嘯き、しかしそれもまた本音であると俺は気づいている。


 だからこそ、俺は戦うことをやめ、止めることを諦めた。説得なんて、出来ないと思ったから。


「博士もそうさ。弱者の救済だとか既存勢力への叛逆だとか色々建前はあったようだけど、私たち怪人の目的はただ一つ。暴れること。……満足すること。……自分が毛嫌いしたものを壊し、砕いて、『はーっ、やってやったぜー』ってスカッとできればそれでよかったんだ」


 あまりにも無責任で、身勝手な主張。


 しかしあまりにも馬鹿馬鹿しい答えだっとしても、それは嘘ではない。

 何故ならば、そうだったから。


 全ての怪人たちが、皆、


「人を辞めたんだからそれぐらい許されるだろ?」


 人であることを捨ててまで、そう、望んだのだ。


「……俺はさ、最初馬鹿正直にお前が洗脳されたんだって思って、他の奴らだって、いつかは目を覚まさせることができんじゃねーかって、そう思って必死になってきたけどよ。……まぁ……余計なお世話だったんだよなぁ……?」


 そう、知っている。気づいている。とうの昔にそんなことは。

 だからこそ俺はこいつらから目を逸らし、知らないふりをすることを決めたのだ。


 だって俺は「ヒーロー」じゃないから。

 世界のことなんてどうでも良かったから。だから。


「言い訳するのはやめたよ、俺も」


 膝に力は入らないが、それでも震える足で立ち上がる。


 柄にもなく、やってやろうと思ったのだから、その意志を曲げてしまったらまた10年、今度は本当に爺さんになるまでそんな気も起こせないような気がするから。

 俺がここにやって来たことで実もそれを察していたのか、笑みを崩さずに招く。


「おいでよ」


 と。


 震える足で地面を蹴って警戒したのは緋色の存在だ。

 これまでの肉片たちとは違い、まだ息のある“人間”。


 それをどう使ってくるのか図りかねーー、「だッ……!!」細かい細工は無しに粉塵ニンニクをばら撒きつつ、実の首を狙いに行く。


 狼と吸血鬼。


 物語によってはなんらかの関係性を持たされる二つだが、俺たちにとってはそれも関係ない。

 ただの人殺しと怪人ゴロシ。


 そして俺はただ、かつての親友を“殺すめる”為だけにここに来ていてーー、


「っ……、」


 実もまた、俺に殺される為だけにここで待っていたように思われる。

 いくらでも避けようとすれば避ける事ができるのだ、こいつは。


 肉弾戦に長けた俺と、奇策に特化したこいつとの相性は最悪だ。逃げにてっされてしまえばニンニクをどう振り回したところで逃げ切られるだろうし、致命傷に至ることは難しい。


 しかし、そんな俺の攻撃を実は真剣な眼差しで、殺意を持って迎え撃ってくれる。

 つまりそれはーー、


「っ……、」


 察する。


 理解してしまう。


 何故ならば、俺はこいつの唯一の親友で、……俺にとってこいつはーー、


「ほんと、君が私のところに来るキッカケが女の子だなんて、笑ってしまうよ」

「ウルセェ」


 斬撃となった黒い霧を躱し、身を挟んで止めようとした緋色を押しのけて突き出した腕は実の胸の中へと吸い込まれていった。


「ッ……」


 決して、超えることのなかった一線を、完全に越えたことをそれは表していた。


 ……貫いた心臓は赤かった。ドクドクと脈打つそれは確かに親友のものだとはっきり感じ取れる。


 嫌なことにしっくりキテいた。手の中に、収まって。わかりすぎるほどにそれは親友の、俺の大切なひとの一部なのだと伝わってきていて。


「悪かったな……待たせちまって……」

「……ほんと……いつだって遅いんだよ……君ってやつは……」


 囁くようにして俺の肩にもたれかかってくる実を受け止め、相変わらず細い体に目を瞑る。


 実は、世界を憎んでいた。


 こいつの生まれ育った環境がどうだったとか、こいつ自身が話したくないことは話さなくていいと俺が言って、こいつもそれに関しては何も言わなかった。


 ただ、こいつはこの世界を憎んでいて、怪人になった時、それのタカが外れた。


 ーーもう人間でないなら、我慢する必要はないだろう、と。


 最初から博士の目的はこいつで、俺はそのおまけみたいなもんで。

 実のついでに改造を受けて、怪人にされて。だからこそ気付くのが遅れたのだ。

 世界をどうこうしたいと言い出したのは改造されたからなのだと、思っていたから。


 そんなこと、「ちゃんと改造された俺が」一番知っていたのに。

 そうではないのだと。


「わかってる……知ってるんだ……そんなこと……」


 か細くなっていく声で実は別れを告げる。


「私たちがやってるのはただの八つ当たりだって……博士だって……気づいてた……だから……」


 本気で政府を転覆させるようなことはなかった。

 あくまでも暴れるだけ。拠点を移すこともなく、ただ、憂さ晴らしの如く。


「……だけど私はね……本気でこんな世界……壊れてしまえばいいって思ってた……。壊してしまえばいいって……だからそれを実行に移そうとしてーー、……博士は私を止めようとしたんだよ」


 無敵の吸血鬼といえどそれは所詮物語の中での話だ。


 実の能力は「吸血鬼に似た動物」に由来する。心臓を貫かれて生きられる生物は存在しない。


「……知ってた……? 博士もね……“その為に”君を改造したんだ……私たちとは違う、君をーー、」


「最高傑作は私じゃなくて君だったんだよ、まーくん……?」


 腕の中で、実の体が冷たくなっていることに気がづいたのはしばらく後になっての事だった。

 手のひらの中で鼓動を続けていたそれも、いつのまにか静かに息を引き取っていた。


 動かなくなった親友の体を床におきつつ、差した影に顔をあげてみれば緋色がそこに立っていた。


 操られていた時の記憶は恐らくないのだろう。

 ぼんやりと、事態がうまく飲み込めないのか俺を見下ろし、黙っている。


「安心しろ、全部終わった」


 実の体を床に置き、周囲の死体も含め処分はどうすべきかと首を捻る。

 このまま放置して帰ってもいいが、その場合匂いを嗅ぎつけた野生動物どもに荒らされることになるだろう。


 崇高な信仰を持っているわけでもないけれど、それは流石に死者への冒涜がすぎるというのは分かる。かと言って、これだけの墓を作ってやるわけにも行かず、また作るつもりもない。


 死体ではあるが人間ではない。もはや動物と等しい。

 そして俺はそこに「同情しない」と決めた。

 奴らはもう「人間じゃないから」と。


「流石ヒーローですね、あっという間に悪の組織を壊滅ですか」


 緋色が告げる。


 しかし空気を読んでか声のトーンはいつもよりも低かった。

 こんな血だらけの空間ではしゃげ、というのも無理な話だがそんな緋色は初めてで気になった。


「お前……」


 あのヘンテコなコスプレ衣装のせいで顔は見えない。何を考えているのかわからないのはいつものことだ。


 しかし伺い知る限り緋色はーー、……泣いているように思えた。


「わかんやつだなぁ……」


 歳が離れているというのもあるんだろう。

 ましてや女子高生(ではないのだが)の考えなど俺にわかるはずもない。


 適当な慰めをかけるのも違うような気がしてバツが悪くなり、この基地だけでも破壊しておこうと腰をあげる。


 狼男殺しとやらの液体を打ち込まれたせいで全身はだるく、できる事ならしばらく休んでおきたい所だが、自分の体質に感謝すべきかもしれない。博士の研究の成果は俺の能力を抑え込む程度にしか発揮されておらず、それももう“体の細胞が入れ替わる事”で解消されつつある。


 何処かにガソリンぐらいあるはずだ。

 後はそれを適当にバラまいて燃やしてやればいい。


 何もかも、全部。


 なかったことにしてしまえばいいんだ。

 ふと、それらを探し求めて歩く俺の腕を誰かが引いた。

 誰かでもない、そんな人物、一人しかいない。


「なんだ」

「いえ……その……」


 緋色は言葉を濁すばかりで何も言おうとしない。

 言いたいことはズケズケというものとばかり思っていたのでやはり異常だ。


 一体こいつに何があったのかは分からないが、言わないのであれば聞くつもりもない。もう、用は済んだのだから。


「安心しろ、しばらくは吸血鬼の名残もあるだろうが自然と元の体質に戻る。だからもう普通の生活に戻れ、お前は」


 建前上、俺はこいつを利用した。

 実への気持ちに踏ん切りがつかなかった俺は、“こいつを助ける”という大義名分の元にここにやって来た。


 やってやろうと思えばいつだって出来たのだ。こんなことは。

 ただやる意味を見出せなかったから。


 親友を殺す覚悟が俺にはなかったから、避けていた。

 あいつが、それを望んでいるとも知らずに。


「赤城さんがここにいた時のことを……覚えていますか」

「ぁ?」

「改造されて、青柳実さんを止めようとしていた時のことを……覚えてますか?」

「……」


 突然の話題に理解が追いつかない。ただ浮かんできたのは怪人となり、博士に付き従うようになった親友の姿とーー、……その親友を止めようとする、若い頃の俺自身だ。


 聞く耳を持たないあいつに俺はただ声をかけ、力づくでも止めればよかったのにと今ならば思う。結局、そういうことになってしまったからこそ言えることなのかも知れないが。


 あの時の俺はまだ実の状態がどういうものなのか正しく理解していなかった、それだけだ。


 言い訳にもならないのだろうが。


「済んだ話を蒸し返すな。もう終わったことだ」

「終わってません」


 くるりと先に回り込み、覗き込んだ緋色の瞳は真剣だった。


「まだ終わっていません。少なくとも、これで終わりではないはずです」

「お前の言うことはいつになっても分かる気がしないよ」


 強引に押しのけると廊下を進み、角を曲がった。

 確かこの先に倉庫があったはずだと記憶を辿る。


 そうだ、俺たちがここに連れてこられ、改造を受けた後は軟禁状態にあった。

 ほぼ洗脳状態とも言えた実を置いて俺が逃げるとは思わなかったのだろうか。


 それとも、あいつが言ったように“博士も”俺にそれを期待していた……?


「馬鹿いうなよ」


 俺は巻き込まれただけの小市民で、アイツと違って世界に恨みも持っていなければ世界に愛着も持っていない。


 ただ平穏に、ただ平凡に過ごせればそれでよかっただけの一般人に過ぎない。

 運悪くこのようなことに巻き込まれ、結果、人の道を踏み外すことになったとはいえそれは今も変わらない。


 俺は怪人にされてしまったが人の道を羨ましく思っている。

 誰もこんな生活、望んじゃいなかった。


「あったあった」


 とんでも技術を使っているとはいえ、現実的なところ石油やガソリンは蓄えてあった。いくつかの容器を確認してみるとそれなりに中身はあり、外まで引っ張っていけば良いように燃えてくれるだろう。山中での爆発ともなれば騒ぎが起きるかもしれないが、後々のことは駆けつけた消防隊にでも任せればいい。


 怪人対策法でもなんでも適応して、どうにかしてくれるだろう。俺の役目はここまでだ。

 ドバドバとガソリンをばら撒きながら何か昔もこんなことあったような、と過去の景色が目の前の光景に重なって見えた。


 ここを脱出する際に俺は確かおんなじように火事を起こしてーー、


「思い出した?」


 振り返り、扉のところでこちらを見つめている緋色は廊下の明かりもあってか不気味にそのものだった。

 相変わらず廊下のライトは赤色だし、実との殺し合いに割って入ってきた関係で白いスーツは黒く染まってしまっている。


 なんだかその出で立ちが妙に“サマになっていて”俺はなんだか苦笑する。


「これじゃ俺が追い詰められた怪人みたいだな」


 笑ってみせるが緋色の表情は硬い。

 冗談は得意な方ではないのだが少しぐらいクスリとしてくれても良いものだが、緋色はその余裕すらないらしい。


 じっと俺を見つめ、問いかけてくる。


 思い出したんでしょう? と。

 私が誰なのか、ようやく気がついた? と。


「誰だろうが関係ない、……とは言わねーけどな。少し驚いてる」


 そして納得もしている。それだけ月日が流れていたのであれば当たり前だ。それにそうだとすれば、この奇妙な技術力も頷ける。これは、あの博士の研究の一端にあった物たちをそのまま受け継いだ代物だ。


「まだ終わってない。“お父さん”があんな人に殺されるわけない」


 緋色は俺に訴えかけた。

 だから気を抜いちゃいけないと。

 だから戦いはこれからも続くのだと。


 怪人は今まで通り現れ続けるし、このままだと本当に世界はめちゃくちゃにされてしまうと。まるで見てきたかのような悲痛な叫びでもって俺に「戦ってほしい」と告げる。目に涙を浮かべて。


「……女に泣かれるのはなんつーか苦手なんだよなぁ……。だからその手は俺にとって最悪だ」


 それは嘘ではない。だからこそどんな状況でも涙を見せなかった実の側が心地よく、俺はアイツのことを好いていた。


 ガソリンの入った容器を投げ捨て、向き直る。両手を組み合わせて祈るように懇願する緋色は確かに魅力的なのかもしれない。


 けれどそれはあくまでも純粋な願いであればこそ、だ。

 打算や計算の上に成り立つものではない。


「やめろ。悪趣味だぞ」


 俺は睨む。緋色を。緋色の向こう側にいるであろう、その人物を。



「ーーいい加減子離れしろよ、博士」



 その人物がいつからそこに立っていたのかは分からない。しかし緋色は間違っても「俺に戦ってほしい」だなんて言いはしない。だってこいつは、恐らくは緋色は、自分をここから“連れ出してくれた俺に”憧れて馬鹿な夢を抱き始めたのだから。


「人聞きが悪いよね、赤城くん」

「盗み聞きのがわりーよ。あと、死んだフリも最悪だ」


 ゆったりと姿を現した博士は白衣が血で汚れこそすれ、傷ひとつなく、不健康そうな顔つきはそのままだが実に痛めつけられた後だとは微塵も感じられなかった。あそこに転がっていた死体が偽物だという可能性もあるが緋色がこうして操られているということは答えは一つ。


「実は改造されたんじゃなくて眷属になってたってワケか」

「ごめいとう」


 くるくると指先を回しながらメガネは笑う。


「キミたちには僕はあくまでも“改造する側”だと思い込ませていたけどね。改造する側が自分自身を改造しないなんてことは“ありえない”“なんれことはない”だろ?」

「ッ……」


 だとすれば実の言動は、実の願いは。全てこいつの手のひらの上だったということになり、つまり実はーー、 


「僕に操られていた」

「ッ!!!」


 気がつけばそこにあったハズの顔を殴り飛ばしていた。

 無論吸血鬼であるこいつの顔は四散するばかりであたりもせず、「ッ……はっ……、」カウンター気味に緋色の拳が腹に食い込んだ。


「なんというか、期待はずれもいいとこダ」


 くるりと後ろに回り込まれ、背筋をなぞるような嫌悪感にそういえばこの不気味さが恐ろしくてなかなか逃げ出すことができなかったのだと過去の記憶を思い返してしまった。


 踏み出す一歩をあの頃の俺も持てなかった。


 こんな奴のところに実を一人置いていけなかった。逃げ出すキッカケになったのはここに“子供が閉じ込めらている”と知ったからだ。

 あのとき、まだ幼かった緋色に「外に出たい」と言われたからだ。


「部下を通して君たちのことは監視していたし、なんならその子の身の回りのこともある程度便宜を測ったのは僕だよ? 父親として当然のことをしたまでだから褒めなくてもいいけど軽蔑はしてほしくないなぁ……? これでもその子は、僕の子なんだから」


 僕の子とかいて「所有物」とでも言いた気な態度には心底ヘドが出る。

 本当に実にやられていてくれればよかったものだが、親が子を殺せてもその逆は難しいだろう。現にこうして緋色はこいつの支配下にあり、実も気づいてはいなかっただろうが、この男の支配を少なからず受けていたはずだ。


「目まぐるしく考えを巡らせているようだけど、そんなことしていていいのかな?」


 戦いを終え、あとは帰宅するだけだと考えていた俺たちを心底弄ぶかのようにその男は指先で火をつけ。


「また僕の娘を守って見せておくれよ、ヒーローくん?」


 ガソリンに火をつけた。


 爆発は一瞬で空気を食い尽くし、衝撃は音となって全身を打ち付ける。

 全速力で蹴り出した床を置き去りにして意識を失ったらしい緋色を抱きかかえたまま通路を抜けると血の海を超え、爆風を背に感じながら一気に外にまで文字通り押し出された。


「ッ……だッ……!!!」


 流石にスーツは焼きただれ、皮膚も焼かれるが緋色自身はなんとか庇いきる。

 まだ倉庫の外にガソリンを撒いていなかったのにこの威力だとすれば最初からあの男は基地ごと爆発させるつもりで、あちこちに爆薬を仕掛けてあったのかも知れない。


 ばちばちと燃える地面を、かつてそこにあった秘密基地を眺めて俺は思う。


 一体あの男は何をしようとしているのか、と。

 そしてこれから俺はどうすればいいんだろう、と。


 考え、苦笑し、わかりきっていたことに呆れる。


「俺はヒーローなんかじゃねーよ、バーカ」


 とりあえずは帰宅する。バイクは運転できないから徒歩で、だ。

 そのことを思うとただただ気が重く、眠ったままの緋色が憂とおしく思えた。


「なんて厄介なことに巻き込んでくれたんだよお前は」


 ぽっかりと、心の中に大穴が開いたように感じるのは、一仕事終えたことへの安堵感か、それともーー。


「……ミノル」


 言い訳する気にもなれず、俺はただ帰路へと着いた。

 怪人化し、跳んで移動したのにも関わらず着いたのは明朝で。目を覚ました緋色に俺は、


「少し寝る」


 構うことなく、ソファーに倒れこんだ。

 これ以上、何も考えたくはなかった。


 何も、関わりたくなどなかった。

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