第4話 犠牲者

「遊びじゃねぇんだぞ!!」


 怒鳴った矢先、涙を浮かべて小さく正座した姿にバツが悪くなるが振り上げた矛先をしまうわけにもいかず、勢いは半減しつつも言葉を続けた。


「何の目的があってあいつらと戦いたいなんて思ってんのかは知らねーが、マジで死ぬ時は死ぬんだからな?! あのミュージシャン野郎みただろ……? ああなりてーのかお前は……」

「ああいう方を護りたいです!」

「そうじゃなくて」


 あー……とバツが悪くなって視線を逸らした。俺が責めているはずなのにいつの間にか俺のが悪者扱いだ。叱られ、涙を浮かべながらも意思を曲げないところは立派だと言ってやるべきなのかもしれないが無謀と勇敢を履き違えては無駄死にも言いところだろう。前払いでもらった分ぐらいの仕事はさせて欲しい。一応ほら、社会人的に責任が俺にもあるわけで。あってほしいと思っているわけで。


「頼むから無茶しないでくれ……」


 とりあえずお願いするに至る。

 散々説明したところで理解して頂けるとも思えず、膝をついてがくりと項垂れる他なかった。


 肩に手を置いて思い出すがよくよくみなくとも緋色は全身傷だらけだ。文字通り弄ばれ、皮膚を切り裂かれた姿はどうにも痛々しい。


「悪かったな……」


 ここに帰ってくるまでは一目につかないようにばかり意識が行っていて気にかけてやる余裕すらなかった。というよりも、こいつが「気に掛けさせるような素振りを一切見せなかった」。一言も痛いだとか手当てをして欲しいだとか、そう言ったことを一度も口に出さなかったのだ。


 既に傷口は乾き、かさぶたが出来かけている。消毒液を取ってくるが緋色は顔を横に振り「自分でやりますっ」と微笑むばかりだ。


「それとも手当てしたいんですか?」


 むふふーっと何やら下心を感じる発言に俺のテンションが一気に下がるのを自分でも感じた。


「風呂場で傷口よーく洗っとけ。膿んでも知らねえからな」

「あわわっ」


 バカ言ってんじゃねーよなんて吐きながら救急セットを押し付け、俺は俺でソファーに腰掛けてテレビをつける。ちょうど先ほどの怪人出現に関するニュースが報じられている所だった。


「赤城さんって、どうしてウルフマンになろうって思ったんですか?」

「ぁ?」


 受け取り損ねて床に散らばった包帯や絆創膏、消毒液を拾い集めながら緋色が言葉を投げかけてくる。興味本位の質問だとしたら余計なお世話だ。


「進んで怪人になった奴なんていねーよ。その他大勢と同じように拉致されて改造だ」


 思い出したくもない博士の顔。薄暗い秘密基地は現実にしちゃふざけた趣向の塊で、あの場所だけフィクションの世界のようだった。だとすれば、この世界に流れ出してきた怪人はフィクションの進行とでもいうべきか。

 残念ながらどちらも馬鹿げた現実でしかないのだが。


「いえ、そうではなくて。正義のヒーローになられたキッカケですよ」

「…………」


 上を見上げれば緋色の顔がった。フードは脱ぎ、長い髪が俺の頬に掛かろうかという具合に垂れ落ちて来ている。欝陶しいとは思うが払いのける程でもなかった。というか、それに触れてしまえば洗いざらい話す必要があるように感じられたからだ。


「ぁー……」


 適当にお茶を濁すように言葉を逃し、「お前映ってるぞ」テレビを指差した。


「わ、わ、わー!!? ほんとだ!! 私じゃないですか!!」


 なんとも単純で扱いやすいといえばそれまでだが、分っていて乗せられている節もある。態とらしすぎるハシャギっぷりにどっちが子供だか分からなくなり自然と溜め息が溢れた。


「早く風呂に行け」


 ボリボリと伸び晒しになった髪を掻きながら割り当てられた自室へと戻る。

 俺も汗をかいていない訳ではないが優先度でいえば緋色の方が上だろう。仮にも家主であられるからな。


「赤城さん」

「なんだ」


 扉をくぐる際に呼び止められ、振り返ればやはりよく見なくともボロボロなコスプレ少女がいた。生地はそれなりに良いものを使っているらしいがどうにも見るに耐えん。視線を逸らしそうになるが軽々と近づいてきた笑みに思わず仰け反った。きらきらと、曇りを知らないまなこってのはこういう奴のことを言うんだろうなって漠然と思う。それほどに澄んだ瞳で緋色は微笑み、


「あなたも立派なヒーローでしたよ?」

「……あァん……?」


 意味のわからねーことを告げてひょいひょいっとリビングを抜けていく。


 さっさと風呂に入れと言った手前引き止める気も起きず、また、「立派なヒーローでした」と告げられたところで今更どうでもいい話だと俺も部屋に引っ込むことにした。後ろ手に閉めた扉がどうにも虚しく感じられたのは、多分、高い防音性と高級感の成せる技だろう。これだから金持ちの住む家は落ち着かねぇ。


 ゴロンとベットに転がり、布団が汚れちまうかと一瞬気にするがフカフカのマットレスに体がしみこむとどーでも良くなった。あいつの言葉も、怪人に連れ去られた男も。俺にはなんにも関係ない。


 張り詰めていた神経が緩み、体が休息を欲してか瞼は自然と重くなった。考えることは色々ありそうなものだが一度放り出した思考はそのまま闇の中へ消えていく。

 代わりに浮かび上がってきたのは思い出したくもない、薄暗い研究室だった。


 何処にそんな余裕があるんだと呆れるほかない程の態度を見せる友人。

 見るからに頭がおかしくなった研究者。


 体を縛り付ける鎖に異様な感触を纏わり付かせてくるモヤ、液体、闇……?


 ぐわんぐわんと頭の中をかき混ぜられるような感触にヒドい船酔いのような感覚に陥り、必死にそれらを振り払おうとするが自分の腕さえ見えず、混乱する。


 ここは何処で、俺は一体なんなのかと。


「狼男さ」


 聞き慣れた声に振り返り、唯一存在を見つめることのできたそいつはやはり笑っていて。


「落ち着きなよ、マコト」


 そういって、俺の心臓を鷲掴みした。

 鋭く突き出された、右手で。


「はっ……??!」

「わっ!!」


 ゴロンっと漫画みたいな音を立てて緋色が引っくり返るのが見えた。

 反射的に跳ね起きたのかあたりには自室が広がっていて、いや、それは当たり前で、えっと、緋色はバスタオルだった。


「は……」


 見れば髪も乾かしていないのか濡れており、そんなことよりも俺は……、


「……暴れていたのか……」


 あたり一面、ひどい有様だった。

 ここが賃貸であれば頭を抱えるところだろう。否、大家だからと言って修繕費がかからないわけでもない。


 右腕は元に戻っているようだが、床の傷や切り裂かれた壁紙を見れば何が起こったのかは一目瞭然だった。もう随分と長い間こんなことはなかったので油断していたが、悪夢にうなされ、怪人化してしまっていたらしい。


「すまないな」


 言って先に受け取っておいた諭吉を取り出す。


 元々自分の金ではないが流石にこのままというのは頂けない。一体幾らかかるのかは知らないがとりあえずこれは返しておくべきだろう。


「ダメですよ」


 俺の意思を汲み取ったのか緋色は険しい表情で立ちふさがった。


「ここにいてください」


 頬が赤いのは風呂上がりだからというわけではないのだろう。生傷が増えているのが何よりの証拠だ。


 暴れる俺をなんとか押さえ込もうと必死に体を張ってくれていたらしい。その事実がとてつもなく情けなかった。


「お前を絞め殺すかも知れんぞ」

「いいえ」

「咬み殺すかも」

「いいえ」

「現にお前は死にかけただろう!!」

「いいえ!」


 必死に、きっと怪人化して暴れる俺をどうにかしようとした時もこんな感じだったのだろう。泣きそうになりながらも、必死に奥歯を噛み締めて、信念を、折れないように。


「……どうしてだ……」


 こんな奴の相手をする必要は何処にもない。奇妙な雇用関係を結んでしまってはいるが、所詮金持ちの道楽に過ぎない。いや、そんなことは微塵も思ってはいない。だが、しかし、


「どうして俺にそこまで固執する」


 関わるべきでないと、言い訳を重ねるほどに分っているのに、緋色は俺を離そうとしなかった。


 まっすぐに見つめ返し、その先へは行かせないと扉を塞ぐ。傷だらけの床、無残にも切り裂かれた壁紙。先ほどまで俺を包んでくれていたはずのベットは中身が飛び出して見るに耐えない。


 一歩間違えばこいつが、緋色がああなっていたかもしれないのに。それなのに一歩も引こうとはしなかった。


「あなたが、ウルフマンで、私にとってのヒーローだったからです」


 微塵の曇りもなく。ただまっすぐに、見据えた視線で緋色が答えた。


「私にとってのヒーローだったからですっ……!」


 強く、そう繰り返した。


「………………」


 言葉が、うまくでてこなかった。感化されたわけではない。ただ、どうしたらいいのか分からなかったのだ。


 目の前の少女の熱い想いに、応えられるほど、俺はもう、若くはなかった。


 実年齢で言えばまだそう年追いて言無いハズだ。脂が乗り始める、仕事盛りの良い年代だと世間一般では言われるかも知れない。だが、度重なる変身と負傷により、肉体だけではなく心も。俺はもう、疲れていた。


「……昔助けた子供の中にでもいたのか……。……悪かったな、幻滅させるようなおっさんになっちまって」


 できる限り優しく肩に手を置き、その体を押しやって扉から出て行くとそれでも必死に追いつがろうと手首を掴まれた。振り返らなくとも緋色がどんな顔をしているかなど見当がつく。それほどまでにこいつは素直だ。だから。


「悪いことはいわねぇから、ヒーローごっこはもうやめとけ」


 俺はその手を振り払って部屋を後にした。

 1週間ぶりに帰る我が家はとてつもなく狭く感じた。



 ーー否、とてつもなく狭かったのだが。



 身分の差を思い知らされるかのように薄っぺらい布団の上に腰を下ろして狭い夜空を見上げる。生憎ここからはあいつの高級マンションは伺えない。伺えたところでどうしようもないのだが、それだけで「別れてきたのだ」ということがはっきりと感じられた。もうあいつに関わることもないだろう。すれ違う街並みの一人一人と同じように、この都会に住んではいても所詮は他人。他人事として流れていく世界で俺は、身を委ねる。


「はー……」


 不思議と、後悔はなかった。


 あるとすれば、布団の寝心地の悪さと出し忘れられたゴミの異臭ぐらいだった。

 遠く、薄い壁の向こう側から鳴り響く電車の音に耳を傾けながら俺は目を瞑る。

 不思議と狭いながらも自室は落ち着いて眠ることができた。



 翌日、日が傾くかどうかという頃合いになってオーナーから電話が入った。夕飯を買いついでに足を運んで見るとコンビニはなんとか元の形を取り戻しつつあり、半壊したショーウインドウにも新しいガラスがはめ込まれていた。


「もう一層のこと畳んでしまおうかとも思ったんだけどね……、辞めたところで仕事もないし」


 そう苦笑しながら頭を掻いた。また少し髪が減ったような気もして店を持つことへの気苦労を計り知る。いやはや、これからも雇われる側で俺はいよう。


「他のバイトは続けるって言ってるんすか?」

「あー……それね……? やっぱまた募集かけなきゃかなぁって……」


 踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂とはまさにこの人のようなことを指すんだろうなぁ、とか。


 店内で人が死んでいないにせよ怪人が出現し、大暴れした店(正しくはその付近なのだが)では働きたくないというのが不思議な人間心理らしい。同じ場所に何度も現れるわけもなく、何ならあいつらはもはや何も考えていないであろうし何処で働いていようが出くわす時は出くわす。交通事故が毎日起きているのにそれを見たことがないのと同じだ。


 シフト、少しだけなら増やしていいですよ。と俺なりの気遣いを見せ、オーナーは曖昧に笑って答えた。


「また飲みに行こうねぇ……?」


 はい、とだけ頷くけれどこの人が店に出ていない時は俺が出ているし、店のために存命させられているような人と酒を飲み交わす機会があるとは思えない。唯一のチャンスはこの改装中の今なんだろうがーー……、……永遠と泣き言を聞かされるのはごめんだな。


 悪いとは思いつつもそこまでする義理はない。いい人なのだが損をする役回りの人っているよなー、なんて。


「ところで赤城くんは社員になるつもり、ないのかな」

「はい……?」

「こんな状況でこんな話も何だと思うんだけど、他の子達より仕事ちゃんとしてくれるし、いつまでもバイトっていうか、形だけでも社員になってくれた方が保険とか色々都合がいいと思うんだけど」

「考えたことはあるんですけどねー……」


 いつまでもフラフラしているわけにもいかない。

 現代を生きる一人の人間として何処かの企業に勤め、日々ではなく未来を生きるための対価を得る必要はあると。


 だが、何だか気が進まないのも事実だった。


「すみません、お気遣いは嬉しいんですけど、まだ」

「そうかそうか、いや、私の方こそすまないね?」


 いい人だな、とは思う。


 こんなズタボロな職歴を見ても「大変だったんだね」と受け入れてくれたのはこの人だけだ。


 佐々木さん、なんて何処にでもいそうな名前だけど下の名前は「竜之助」でとてもじゃないが温和な性格にしか見えないあたりもまた、悪くない。


 これから本部の人がみにくるというので俺は先においたまさせてもらうことにして店を出た。


 偶然怪人に出くわしてしまったことでまたあの「どうかした世界」に触れることにはなったが、俺の日常はもはやこっち側だとつくづく思う。コスプレ姿の億万長者よりも幸薄薄髪のおじさんを選ぶのはそう悪くない。なんだかんだ見た目の年齢で言えば俺も相当「おじさん」だろうし。


「な……」


 ふと、すれ違ったサラリーマンのスマフォで目が止まった。一瞬のことで見間違えだったとも思えなくもないのだが、テレビのニュースか何らかの映像をみていたそれはあのコスプレバカの姿で。対峙していたのはカニでもなければフクロウでもない。虎の怪人だった。


「……晩飯、カツ丼にすっかな」


 それが何の映像なのかはわからない。わざわざ確認しようとも思えなかった。

 あいつはヒーローになりたいと言ったがヒーローなどなりたくてなれるものでもない。望まれ、持ち上げられたところでそんな怪しい奴に誰が頼るというのか。


 俺は、ヒーローになりたいなんて思ったことは一度もない。なりたいとも思わない。ただ俺は、


「……ダメだな」


 無理やり思考を遮って当てもなくカツ丼屋の前を通り過ぎる。とてもじゃないがカツ丼という気分ではない。うどん、いや、違う。ラーメン、……似たようなものだ。ハンバーガーにケンタッキー、アイスクリームにハンバーガー。……ハンバーガーチェーン二つもいらねぇだろ。


 ブラブラと飲食街を歩きつつ結局食いたいものが思い当たらず、駅前の自販機で乾いた喉を潤おそうと缶コーヒーを買って一息付くハメになった。「はーっ」と溜め息を吐き出しつつ、何をしてるんだと自分でも情けなく思う。


 気になるのなら向かえばいい、あいつのところへ。待遇は悪くなかったのだから金だけ貰って時間をかけ死なないようにうまく立ち回らせればいいんだ。悪い大人かもしれないがボディガードかベビーシッターとでも思えば理屈はつく。


 だが、自ら背を向け、もう関わりを持ちたくないと思ったあの世界に再び踏み込むのはどうなんだ。真っ当な、一人の人間として人生を歩もうと戦うことをやめたあの頃から、俺は、間違い続けてきたのか?


 わからない。わかるはずもない。


 俺一人が戻ったところで組織を壊滅させられるとも思えない。

 壊滅させたところで俺の人生は戻ってはこない。


 まともな就職先などありつけず、体は既に老化が始まっている。

 だとすれば、俺はこのまま。


「…………」


 缶コーヒーはいつの間にか空になっていた。

 傾けたそれから最後の一雫がこぼれ落ち、腹が減ったと何でもいいから胃に入れようともたれ掛かっていた壁から背を離し、ゴミ箱に缶を投げ捨てると、


「あわちっ!!」


 盛大にそこに転がり込み、缶をばらまく姿があった。


「ぁー……」


 何ともまぁ、清掃の人泣かせな惨状だと呆れるがこんな状況になるまで気がつかない俺にも呆れる。


 気づけば周囲では人々が逃げ惑い、あちこちで悲鳴が上がっていた。


「またお会いしましたね! ウルフマン!!」

「だからチゲェって」


 違うくないけど。

 ゴミ箱に手をついて起き上がったのはコスプレ姿の緋色で、対して向こう側から姿を見せたのは虎の顔をした半裸の男だった。


 タイガーマスクだなんて漫画が昔あったが、それよりかは随分どずんぐりむっくりしていて、スマートさのかけらもない。ぷつぷつと額に浮かんだ汗がそれがマスクではなく自前のトラ顔なのだということを証明していた。


「おっ、おとなしく、ボキュの言うことを聞くんだなァっ?!」

「どう言うキャラだお前」


 突然叫んだトラに呆れつつ、周囲で人を襲う黒タイツの怪人に首をかしげる。ゴ●ブリ? いや、アリんこか……?


 元となったベースの検討もつかないほどに特徴がなく、ただの「得体の知れない全身タイツ」なそれは悪趣味な変装だと言われても納得してしまいそうだ。奴らは次々と人を襲っては跳ねまわり、あたりを地獄絵図と変えていた。


「異常事態発生だってんで慌てて出てみればこのアリ様ですたいっ」


 アリだけにとか言うなよ。


 相変わらずボロボロな緋色を横目に慎重な物腰で、言い換えれば屁っ放り腰で近づいてくるトラ男を眺め、「とりあえず手は貸さねーぞ」その場を離れようとはせず、ただ傍観を伝える。俺の知り得ないところでやられてくれれば良いものを、どうしてこうも俺につきまとうのか。


 半ば苛立ちつつもタバコは忘れたままだ。

 店に寄ったのだから取ってくればよかったと少し後悔する。


「むしろ、赤城さんは逃げるべきですねっ……」


 ふらふらと立ち上がりながらも緋色は俺をかばうようにトラ怪人の間に入り、「ここはヒーローにお任せください」両手を広げた。


「いやいやいや、構えろよ。隙だらけじゃねーか、それ」

「赤城さんが逃げる方が先です!」


 良く分かねぇ正義感で動いてんなあ、お前。

 そう言ってやりたかったがお言葉に甘えてスコスコとその場を離れる。ついでに女の人を襲っていたありが狙いを変えて飛びかかってきたので前足で踏み潰す。アリはアリだった。


 グロテスクな顔をしているから正面から飛びかかってきたときは若干ひいたが、踏んでみればなんてことはない。雑魚も雑魚。警官でも対応できるレベルだろう。

 そうこうしているうちにトラ男は緋色に近づき、その細い腕を掴もうとヨダレを垂らしている。


 完全に変質者だ。危ない奴にしか見えない。(いや、普通に危ないのだが怪人でなくとも危ないと言うか、そう言う類の)


 それに対し、大真面目に対応する緋色。腕を払い、距離を保ちつつも後退し、俺が教えたように「目潰し!!」宣言はしなくていい。おかげで思いっきり察せられて躱されていた。「うわっ?!」とかバランスを崩したところで腕をついに掴まれ、「ぁー」呆れる俺をよそにサンドバック状態だ。


 べシンベシンと本人は然程力を入れていないんだろうが、トラのDNAを組み込まれた怪人の平手打ちは確実に緋色の体に打ち込まれていく。まるでゆいぐるみを弄るように、


「つか息遣い荒れェよ」


 流石に気持ち悪くて蹴り飛ばした。スネを。


「っ……??!!」


 涙目に振り返るトラ男の一撃をしゃがんでかわしつつ、顎を蹴り上げる。腕から力が抜けたところで緋色を肩に抱えて前に跳び、距離をとった。


「ぁぅ……」


 見事にやられてしまった姿に目も当てられない。一生もんの傷とか普通に残りそうでどう責任取るつもりだお前ェ……。


 トラに軽蔑の眼差しを送ってやるが当の本人は全く気にしていないらしく、「ぼっ、ボクのだぞ!! 返せよォ!!」なんか見当違いなお怒りをぶつけられてしまった。


「お前のじゃねーし奪ってもねーよ」


 どっちかって言うと呆れただけだし。助けたつもりもない。ただ単純に俺の目の前で不愉快なことをされたくはないだけだ。


 近場の交番から駆けつけたらしい警官がアリ人間に向かって発砲を始めた。襲われている人を助けるためなのか、何やら鈍器になりそうなものを持ち寄った男性がアリをぶん殴っている。だから俺は、「何にもする気ねーんだけどなぁ……?」放って置いてもどうにかなりそうだし、と告げるが緋色は意識朦朧としてるし、トラ男は紛れもなく俺に対して闘志満々だし、仕方なく緋色を肩から下ろしてトラ男に向き合う。


 構えこそ必要ない。隙だらけのその姿に随分怪人の質も落ちたもんだと感じつつ、「ッ……」トラ男の叫びながらの体当たりをくるりとかわした。


 しばき、蹴り上げ、腕を取って背負い投げる。


 歩道のタイルがめくれ上がったのはこいつの自重によるものだった。


「ってェなぁ……おィ……」


 仰向けに転がりながらトラが睨む。刹那感じた殺気に距離を取り、ぶわっと膨れ上がった体毛に目を細める。


 トラ柄だったのは頭の部分だけだったのだが、見る見るうちに全身が膨れ上がり、巨大な「トラの怪人」が出来上がる。


「ライオンだー!!」

「ライオンだったなー……」


 トラじゃなかった。

 ライオンのたてがみが成人してから生えてくるのはディズニーのライオンキングなんかで知っているがまさかその理屈だとは。


「ぁーゥゥう……!!!」


 大きく膨れ上がった両腕をお相撲さんみたく前に突き出して「ガル!!」と言葉を忘れたかのように飛びかかってくる。


「なっ、んぐッ……!!?」


 予想以上の速度にまともに正面から受け止めることになり、肩を大きくえぐられる。鋭く研ぎ澄まされた爪が俺の肉を引き裂き、頭突きを食らった肋骨はミシミシと嫌な音を奏でる。「だっ、がっ、しっ」となんとかふんばしながら相手の首筋を掴み、「ッ!!」膝を蹴り上げて喉を潰す。


「ハッ、」


 が、膨れ上がった筋肉はそれを防いだ。


 足を浮かせたところを上から押し倒される形となり、衝撃で目を細めた先で大きく牙が開かれる。身をよじり、抜け出そうとするががっしり伸し掛かられては体重差で跳ね返せない。全身の毛が総立ち、急に腹は変えられんと俺も怪人化すようとするが突然ライオンの顔が横に歪んだ。


「とォーッ!!」


 本人はいたって真面目なのだろう。しかし着地に失敗しライオンと共に地面に転がった姿はどうにも情けない。


 跳び膝蹴り。しかも見よう見まねというよりも勢いでそうなっただけのように思えた。


 例のコスプレバカと一般市民(俺)がライオンに襲われているのに気づいた警官が発砲しながらも駆けつけてくれるが、残念ながらアリんこには効いてもライオンには傷ひとつ付いていない。パスパスと吸収力抜群の絨毯にでも吸い込まれるようにして銃弾は沈み、地面に転がっていく。応援要請も虚しく目の前で二人の警官が払いのけられるのを虚しく眺めていた。


「どォうした。怪我人は増えるばかりだゾ」

「なんだよ喋れんじゃねーか」

「ジャベリ辛いンだ、このジ勢は」


 なら喋らなきゃいいのに。


 幸いにも二人の勇敢なる警官は気を失っている。外野は外野で目の前のアリに奮戦している人たちばかりだし、俺が狼男になったところで気にしないだろう。ってことで。


「しゃーねぇなぁ……」


 見逃してくれなさそうなので諦めて「また戦う決意を固める」。というかこの場合は正当防衛というものではないのだろうか。


 と、再び目をつぶり、全身の血液を操るようにして埋め込まれた「遺伝子」を呼び覚まそうとするのだが、


「待ってください!」

 などとやはりというか、案の定、緋色から制止が掛かった。


「あのなぁ……この前のフクロウのときだって危なかっただろーが。いい加減認めろ、お前じゃ無理だ」

「無理なのは知ってますッ! だから私っ、戦える準備をしたんです!!」


 がしゅーんっと装着されたのは剣道の籠手みたいなののハイテクバージョンで、なんらかのギミックがあるのは見て取れるが、


「いやいや、当たんねーとダメだろそれ」


 当てたところで反動で吹き飛ばされる。もしくは一撃の代わりに致命傷をもらうのが関の山。都合よく機能が発揮される未来が全く見えない。それでどうにかするつもりでいるようだがライオン野郎も余裕の表情だし、いや、余裕を見せてるならその隙をついてーー、


「来なさい!」


 正面から行くよなぁ、このバカは……。


 何処ぞのカンフー映画に出て来そうな馬鹿正直に迎え撃とうとする姿勢に呆れたのは俺だけではなかったらしい。百獣の王様は盛大に笑ってみせると「いいだろォう」と緋色に向かって一直線に跳んだ。


 距離にして数メートルあった間合いを走るというよりも疾り、反応しきれていない緋色の眼前でニタァと君の悪い笑みを浮かべる。ああ、このまま食われるわアイツ、と。目を背けたくなる光景に言葉なく肩をすくめ、短い付き合いだったなと数えるほどしか過ごしていない時間を思い返せばなんとも俺はアイツのことを何も知らないんだなと当たり前のことを思い知らされる。なんとか緋色。苗字すら忘れていた。それでも顔見知りの相手が殺される瞬間というものは何度経験しても慣れるものでもないらしい。ゆっくりと流れて行く時間の中。なんなら今から助けに入れば腕一本は諦めてもらうことになるだろうが命だけは助けられるんじゃないかと思えるほどにスローモーションに流れる思考の中でそれでも俺はその場を動けずにいた。どうして? どうしてだろうな。……飽きたんじゃないのか、やっぱ。


 そんな当たり前の、俺が戦うことをやめた時から分かりきっている事実を目の当たりにし、「ッ……そッ……、、、」ギチギチギチと時の狭間で固定され、引きはがそうとすれば悲鳴をあげる体を無理やりに「ソコ」からひっぺがし、


「緋色ッ!!!」


 ライオンの牙が音を立て、血しぶきが上がる瞬間には俺はアイツの名を叫んでしまっていた。

 ゆっくりと膝をつく緋色。真っ白なコスプレの衣装が赤く、吹き上がる血液によってまだら模様に染まって行く。


 いや、違う。そうじゃない。


 混乱する頭を殴り飛ばして目の前の事実をなんとか噛み砕こうと地面に縛り付けられてしまった足を、一歩前へ。踏み出す。


「……なんだ……今のは……」


 頬を返り血で赤く染めた緋色がゆっくりとこちらを振り返る。

 その肩に「首の折れたライオンの頭」を乗せて。


「ヒーローのひみつ道具ぱーとつーでっす」

「緋色!!」


 ぐらりと大きく揺らいだ体を支えるようにして駆け寄り、ライオンの体を押しのけて受け止めてやる。


 牙で噛みちぎられる前に喉元から首を砕いたらしい。だがその細い体には鋭い爪が突き刺さり、左脇腹からどくどくと大きく緋色の命が溢れ出して行く。


「やめろッ、しっかりしろ緋色!!!」


 虚ろな眼差しで俺を見上げる緋色に叫び、傷口を押さえて止血するが血は滲む一方だ。遠くから救急車とパトカーの音が響いてくる。大丈夫、大丈夫だ、病院に運べばまだーー。


 自分に言い聞かせ、既に致死量の血液が流れて出ていることぐらい経験で知っていた。もう助からない。助かったところでい式は戻らないかもしれない。だから、「緋色!!」意識を失うなと叫ぶ。


 ヒーローになるんだろ、怪人を倒すんだろうと。そんなバカみたいな目標掲げている奴が本当に殺し合いで命を落としてどうするんだ。ヒーローごっこで死んでどうすんだよと。俺の手を掴んでいた腕から力がどんどん抜けて行くのを必死で握りしめ、俺の命を分けてやれないかと本気でそんなことまで考える。


 何も知らないのに。こんなやつ、どうなったっていいとさえ思っていたのに。



 ーーだから目の前で誰か殺されんのは嫌なんだよッ……。



 胸糞悪さは史上最低だ。俺の知らないところで何処の誰が死のうが知ったこっちゃない。だが手の届く範囲で、俺が助けられた範囲で、


「誰かが死ぬのは……やっぱきちぃよ……」


 どうしようもない。どうしようもなかったのだ。これまでも。そして、これからも。


 抱えた緋色の体が冷たくなって行くのを見守るしかできない俺はただの一般人で。

 こいつの憧れるようなヒーローではなかった。


「そんな顔をするもんじゃないよ、まーくんは」


 ふっと、一瞬誰に話しかけられたのか分からず呆然と顔を見上げると夜が覆いかぶさって来ていた。


 重く、心臓を鷲掴みにされるような錯覚。


 そしてあまり香りに誘われるようにして視線を戻せば、「ーーーー、」緋色の首筋に噛み付く横顔が映った。


「ッ!!!!」


 反射的に、訳も分からずそれを薙ぎ払い、その女は距離をとった。


「あははっ、相変わらず犬顔だね」


 がるるゥなどと喉を鳴らす自分がいつの間にか怪人化していることに気付かされ、止血していた手を離してしまったことに慌てて腹を抑えようとするが、「……? 血が……止まってる……?」緋色の傷口が何事もなかったかのようにふさがっていた。


「んっ……んぅ……」


 それだけではなくあれほど土色に変色してしまっていた血色も元に戻り、ほのかに赤く、むしろ健康的に……。


「ッ……」


 それだけでその女が何をしたかは明白だった。何が起きたかを思い至るには十分だった。


「みのるゥう!!!!」


 その名を叫び、噛みついてやろうと重心を動かした時には既にその影は四散し、周囲を包み込んでいた闇が消えてゆく。


 青柳実。俺の幼馴染であり、共に拉致され、改造されては抵抗し、そして「アイツらの手下となった」俺の、親友だった。

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