第3話 コスプレ少女
今夜の月がどんな形かだなんて気に留めることはそう多くもない。
三日月だろうが新月だろうがなんの意味もないし下弦の月と言われて「どんな形の事だよ」程度の知識だ。それはこんな体質になっても尚変わることはなく、狼男に変身できるからと行ってそれは満月に限った話でもない。
自分の意思で、変身できる。
それが俺、ウルフマンと呼ばれた怪人の特異性でもあった。
「一目見た時から感づいていたんです! この人がそうだって!」
「じっとしてろ、染みるぞ」
「ぢっ」
なんだかんだとあの後、現場に駆けつけた警察に取り囲まれた、おちおち自宅に帰ることもできず見ず知らずのこの女子高生の部屋にお邪魔してしまっている。
高層マンションの一室。眼下には都内の光が広がっており、家具はそう多くない。
と言うよりも、部屋を持て余している雰囲気さえ感じられた。
生活感がないわけではなく、ただ「持て余してる」。
一体何部屋あるのかわからないが、殺風景なリビングでさえソファーとテレビ、食卓用のテーブルが置かれ、あとはなんともむなしい限りだ。
「当たった宝くじでFXに手を出した所、一山当ててしまいまして……、不相応かとも思ったのがですがーー……建ててしまいましたっ♪」
あまり詮索するのも良くないと聞かずにいたのだが視線が泳いでいるのはバレていたらしい。消毒液を頬に押し付けられつつも女子高生は舌を出す。
「ちょっと奮発しすぎですかねっ?」
「奮発ってレベルじゃねーな……」
都内にマンションを建てる奴が何処にいる。
頭のイカれたお嬢様かと思ったが本質的に狂ったおばかさんらしい。
金が余ってるなら窓から撒いてやったらさぞ気持ちいいだろうなぁ……。人がゴミ粒のようにしか見えねーもん、ここ。
傷の手当てに慣れているわけでもないがそれでも人生長く生きているとそう言う知識も身につく。
汚れたコスプレは脱がせ、下着で色っぽい吐息を漏らされた時はなんとも複雑なものを感じたが生憎ガキに欲情するタチでもなく、擦り切れたり腫れたりしたした箇所は絆創膏と湿布で押さえ込んだ。跡は残るかもしれないが命に別状はないだろう。あいつらが歩く細菌兵器でもない限りは。
「ウルフマンさんは良いんですか? あちこち破けてますけど」
「ああ、気にするな」
部屋着を頭から被り顔を出した女子高生が首をかしげる。確かに着まわしでくたびれたシャツは既にボロボロだった。何よりあの姿に変身したことではちきれたり伸びたりで散々だ。だから嫌いなんだ、変身するのは。全身の筋肉が増える影響でぴったり目のTシャツであっても一発で伸びてしまう。下手をすれば襟元で自分の首を絞める羽目になったり。
「昔はこう、みょーっんて感じのマスクって言うか、コートみたいなの着てましたよね」
「生憎持ち合わせていなくてな。あれはこうなった時のカモフラージュだよ」
いくら事件に巻き込まれた怪我人を装った所で流石にホームレスとそう変わらぬ格好では帰宅するにも人の目につく。コートというのもどうかと思ったが他に手もなく、夏場だと言うのに変質者のような出で立ちになっていたのはもはや黒歴史だ。我ながらつくづくバカなことを繰り返していたものだと思う。
若かったんだな、きっと。
目を細めればあの頃の記憶が甦って来そうで早々に思考を畳んだ。騒ぎが収まったなら帰るべきだろう。良い加減疲れたし、布団で横になりたい。あの姿になれば腹も減り、冷蔵庫に何か残っていれば良いがーー、「……」「……」「……なんだ」女子高生の丸い目が俺を見つめていた。
「私、
「ああ、それで?」
「これで私たちお知り合いですから危なくないですよねっ」
「あ? ああっ?」
若い思考に付いてゆけず盛大に首を傾げると緋色はパタパタと立ち上がり、長い髪をまとめると台所で何やら料理を始めてしまった。鼻歌交じりに妙に上機嫌なのが気に触る。
「待て待て待て、どう言うことだ。説明しろ」
「どうも何もお腹が空いたならご飯にすべきですから」
トントントンと軽快なリズムで叩かれるまな板。玉ねぎに人参、肉を出したと言うことは……カレー……? は時間がかかりすぎるか……。卵まで取り出して来たあたりで「ああ、チャーハンか」と察しがつく。もしかすると他の料理の可能性もあるが、なんせ食事といえばレトルトかカップ麺の人生だ。工程を眺めて料理が浮かぶ知性など入っちゃいない。
夕食がまだだったのかそれとも夜食なのかはわからないが流石に邪魔をしちゃ悪いと自宅に帰ろうとした刹那「どこ行くんですっ」包丁が目の前を横切った。
「あああっ! すみません!! 怪我ないですか!?」
すっぽ抜けたのか投げ飛ばしたのか、壁に突き刺さったそれを引き抜きと丁寧に流しで洗い始め「何処って……うちに帰るつもりなんだが……」なんとも調子が狂う。
なんだかんだと怪人に襲われたからと言って女子高生の部屋に居座る理由にはならないだろう。またあいつらに襲われるかもしれないと言うのなら警察に駆け込めばいい。そうすれば政府機関が保護してくれるだろう。拉致され怪人が増えるのはあいつらも望む所ではないだろうからな。
だがそんな俺の忠告は耳に入っていないらしく緋色は黙って料理を続け、ついにフライパンを大きく煽り出した。今流行りのIHらしく火は出ていないが油は心地よい音を響かせながら米が宙を舞う。
「あー……俺は帰るぞ……?」
年ごろの若い奴らの考えることはわからん。
無言に耐えられず、居心地の悪さに再び玄関に足を向けてようやく緋色は口を開いた。
「友達が連れて行かれたんです」
「……」
しかし聞いてやる義理もない。俺も怪人、あいつらの行動原理を知らないわけでもなく。そして連れ去られた奴らの未来など想像したくもない。そして、そんな奴らを救った所で結局は「何も変わらない」。
怪人に選ばれ、連れて行かれるのは「素質を持った人間」だ。
この社会に、世界に不満を抱き。壊してしまいたいと願っていた人間。既に終わっている奴らを救い出した所で、結局そいつらは怪人の力などなくとも社会へ馴染めずに牙を向くーー、もしくは社会に殺される。怪人であるか否かは関係ない。早いか遅いかの違いだ。
「気の毒だったな」
靴に足を突っ込むと爪先に穴が空いていた。
なんともみすぼらしい。貧乏、ここに極まりとはこのことだろう。
振り返ればそこに緋色が立っていて、困ったように笑みを浮かべていた。その意味はどうにも計りかねる。
「貴方には戦い方を教えていただきたかったんですが、……やはりご迷惑でしょうか」
年の割には落ち着いた。
しかし大人というには無理のある、融通の効かない子供特優の泣きっ面だった。
駄々をこねるような、情けない笑顔。
「はぁ……」
なんだか俺がいじめているような気がしてどうにも落ち着かん。第一、戦い方と言われても俺は俺で我流すぎて人に教えられるようなもんでもないし、そもそもこいつはどこで俺を知ったんだ。ネットか? こえーな現代社会。
俺が怪人として世に認知されていたのは10年も前の話だ。ブランクもあるし、変身自体も本当に数年ぶりだった。引退した身なのだ、俺は。ささやかな余生を望んでいるにすぎないのに、
「お金なら、お支払いしますので」
札束を、見せつけられている。
「…………」
バッサバッサと、先ほどの言葉を撤回したいと思いたいほどに無邪気な笑みで。いや、ある意味子供らしいともいえなくもないが、多くを語らなくとも必要以上の圧力をかけてくる笑みで、俺に札束をチラつかせた。
この場で無理やり奪われたとしてもこいつは痛くも痒くもないのだろう。なんせ「こんなマンション」のオーナーだ。さぞかし資産は蓄えてあるに違いない。ならば脅して搾り取るか? 否、そんな事をしてなんになる。金なんて幾らあった所で仕方がない。所詮は金。金は金だ。金の為に人生を棒にふるなど馬鹿らしい。コンビニに押し入ってくる馬鹿どもがいるが数日働けば手に入るような小金のためによくもまぁお前らの人生は軽いもんだと呆れるばかりだ。
「幾らだ」
「日当3万円」
割といい金額だった。凄くいい線を言っていて一蹴するには現実的すぎる提案に思わず息を飲む。
「まずは手付金として30万、部屋もこのマンションにご用意致しますよ?」
ゴクリと唾を飲み込む。
いや、しかし金だ。金なんかのためにこんな意味のわからない奴に付き合う必要など何処にある。
「わかった。とりあえずは30万だ」
言って、その手の諭吉を掴み取った。
残念だが背に腹は変えられん。バイト先が復旧するまでの繋ぎだと割り切る。
何処からどう考えても合理的な判断だった。間違いはない。邪心もなく、ただ「仕事として」請け負うことにした。そんな俺の心情をしってか知らずか、緋色は「じゃ、ご飯ですね!」台所に戻って言った。しかし貰った金でラーメンでも食おうかと出て行こうとする俺に「食べましょうっ?」頭を出し、できたての皿を持ち上げて見せた。
ふんわりと漂ってくる炒められた玉子の香りーー。
空腹に負けた腹が音を立てたのは不可抗力としか言い様があるまい。
実際のところ、金が全てだと俺は思う。
身も蓋のない話で申し訳がないのだが、やはり先立つものがなくては生活すら成り立たない。この世界の平和というものはそもそもが平和の上に成り立っているといえば体よく聞こえるだろうか。生活に困らなければそう争いなど起きはしないものなのだ。争いの原因はおおよそが金、残りは主義主張の食い違いだ。ならば、その金をくれると言われて無下にする必要もないだろう。俺がコンビニで働いている理由もまた「金」なのだから。
「大事ですもんねぇ、お金。お金ないと私もこんなところに住めませんし、お料理だって好き勝手にできませんもん」
向かい側で緋色はホットサンドを頬張りながら頷いた。
「ああ、わかるわかる。金ねーと自炊する気も起きねぇんだよ。余計に高くつくっつーか、無駄な時間を使いたくないっていうか」
俺も同じようにかぶり付きながら頷く。ハムと卵がが良い感じに暖かく、パンはカリカリふわふわだ。
低賃金で働いているからこそ無駄に労力を消費し、それがその他のことに割く余力を奪い取っていく。
何をするでもなく床に転がっているだけなのだろうがそれでも「やるよりまし」と思ってしまうのがバイト生活の悲しいところだ。とは言っても自炊など実家を出てからの数ヶ月。一人暮らしを始めた初めのころに少し「やらねばならん」と思って挑戦したっきりさっぱりだ。捨てるところの多い料理を繰り返すのであればインスタントか弁当でも買ってきた方がまだ安上がりなのかもしれない。
まぁ、そんなこともないのかもしれないが。
何なりと言い訳は重ねつつ結局台所に立つ頻度は少なくなっていくものだ。
都内一人暮らしの1Kマンションは台所に調理スペースがないというのも大きく影響しているようにも思えるがーー、
「ごちそうさん」
食事を終えたのでこの話は終わりにしよう。自炊率を嘆いた所で料理をする気はサラサラ起きない。
「お早いですね」
「こんなもんだろ、普通は」
おかわりの珈琲を入れつつも制服姿の緋色を眺める。
あれから数日。こいつに世話になる生活が続いていた。
部屋を用意するというから何処かマンションの一室を貸してくれるのかと思っていたら通されたのは「余っていた自室」だった。リビングと緋色の自室の他にまだ3室あったらしく、そのうちの一室を「今日からここがあなたの我が家です!」ばりに通され、若干の抵抗を感じつつもそこに収まるに至る。客間なのかベットや机が備え付けてあったのは驚いたが。
「それで、今日はどうするんだ。まだ続けるのか?」
「続けます! 今日も悪ははびこってますから!」
シュシュシュッとシャドーボクシングの真似事を繰り返す緋色。
この数日でわかった事といえば、こいつが女子高生ではなく「コスプレ少女」だということぐらいだ。
制服を着ているが学校に通っているわけではない。不登校なのかとも思ったが入学すらしておらず、制服姿は「ただの趣味」らしい。確かによくよく見てみれば実在の制服というよりもアレンジが加えられており「オシャレ用」と言われれば納得も行く。つまりはコスプレなのだが。
「んじゃ、メシ食ったら上に来い。先に行ってる」
「はいっ!」
この奇妙な関係もいい加減うんざりしつつあるのだが、何もせずに金をもらうというのはどうにも気がひけるし、ヒモにはなりたくはなかった。そこまで落ちぶれていられるのならバイトなどしてはいない。
高層マンションには室内プールやラウンジなどが併設されているというのは聞いていたが、まさか武道場というか、軽い運動用のダンススタジオ的な場所まであるとは思わなかった。
大きな鏡が貼られたフロアで一人ストレッチし、一階下のジムで汗を流すのも良いかもしれないと思いつつもそこまでは手を出せずにいる。体を鍛えたところで意味ないしな、変身したら狼だし。
「狼か……」
鏡に映る顔は思ったよりも老けてきていた。俺が怪人にされたのが20歳かそこらの時だったからあれからもう10年以上経つことになる。老化を抑える作用でもあるかと期待していたが、結局は細胞の崩壊を早めるばかりでシワはそれなりに増えてゆく。傷の治りは次第に遅くなり、禿げはしていないだけマシかもしれない。
見た目だけで言えば30代というよりも40代か50代に近づいているかもしれない。
専門機関に検査してもらおうかとも思ったがモルモットコースはごめんだった。怪人に人権が適応されるとも思えず、行く末が人体実験というのであれば今の生活を繰り返す方が余程有意義だろう。
「準備ができたのなら構えろ、そして打ち込んで来い」
のんびりと待っていたつもりだったがいつのまにか緋色がスポーツウェアに着替えてウォーミングアップを初めていた。動きやすい格好が良いとは言ったのは俺だったが妙に体のラインが出る服を選ぶのはなんなんだ。趣味か。それともそういうのが流行ってるのかこのご時世。
「自分の体ってちゃんと見てあげないとすぐ怠けますからね。大事ですよ? 目視」
「うるせぇ」
体が鈍って来ているのは重々承知の上だ。それはあのカニやエビどもの戦いで自覚させられている。その上で、俺は「必要ない」と判断しているのだからそれでいいだろ。
「じゃ、いっきますよー?」
と軽快な掛け声と共に一気に間合いを詰めて打ち込んでくる緋色。
拳を痛めないようにボクシング用のグローブは付けさせているが「っと、」足の方は受けるよりも躱す。
最小限の動きで、受けて躱して、時折間合いを離し、「ダァッ!」思いっきり突き出された拳をさばいて「アホか」「あだっ?!」指先でおデコをはじいた。
「いったいじゃないですかぁー……!!」
「一体何のつもりだ」
「今日はボクシングスタイルです!」
「……はぁあ……」
自信満々に胸を張る緋色だったが残念ながらそんなことは教えていない。というかボクシングなんて俺やったことねーし。
数日かけて教えて来たことは三つ。こいつが怪人相手に立ち回りたいというので必要最低限の事だけを身につけさせようとは思っていた。だが道のりは随分と長そうだ。
「もし俺が怪人の姿だったら、今の一発でお前の首は床に転がってんぞ」
「そこはこうっ、シュシュッ! て!」
「避けられんだろ。馬鹿か」
ハリウッドのヒーロー映画でも見て憧れたのかは知らんが現実はそんな甘くない。つか怪人の攻撃を見切れる眼を持ってるならそれこそボクサーになるべきだろう。人間とアレを同列に語ってはダメなのだ。人間が忘れてしまった動物的本能。性能。戦闘能力を様々な動物の遺伝子から抽出し、濃縮した結果が怪人だ。人間相手の戦法が通じるレベルではないのだ。
「そもそも殴ったところで銃弾を弾くような奴だぞ? 効くわけがないだろ」
「なるほど」
この説明は既に以前したことなのだがーー……仕方がない、俺の雇い主は相当オツムがアレらしいから。
「良いか、もし本気で怪人と渡り歩きたいなら目を狙え。もしくは喉だ」
正しくは顎と言うべきかもしれない。
生物である以上、脳が揺さぶられればそれだけでダメージは残る。そして視界を奪われればそれだけこちらが有利となる。
ただまぁ、相手がコウモリだったりクラゲだったりと対処のしようがない奴らもいるが、そのときはその時だ。臨機応変に、知識を総動員してやるしかない。
なんて、偉そうに教えながらも俺の戦術はいたってシンプル。殴り殺すだけだったのだが。
「脳筋ステータスですもんねぇ、ウルフマン」
「だからその名前で呼ぶなつってんだろ。赤城誠だ。アカギ・マコト。言ってなかったか?」
「言ってませんね。初耳です」
「なら覚えとけ」
「はい!」
素直なんだけどなぁ……?
素直なだけにタチが悪い。
本気であの怪人どもを「倒したい」と語るこいつの目には妥協や諦めといったものは浮かんでこなかった。こんな恵まれた家を手に入れたのであれば大人しく人生を謳歌すれば良いものを。わからん。
「だって怪人社会になれば今の通貨が通用するとは限りませんよ? 日本という国がこのまま転覆してしまえば、私たちは奴隷にされてしまうかもしれませんし」
「そうならなかったのがこの10年だろう」
「この先10年がそうでないという保証はありませんからね」
妙に説得力のある言葉で言い返えす気にはなれず「打ち込んで来い」と構えさせる。
確かに怪人の出現頻度は以前よりも多くなっている。市街地に出るようになったのは最近だ。
そもそも警察でさえ最初は「都市伝説」と言って取り合っていなかったのだ。それが今では組織だって動いている。壊滅どころか解明にすら至っていないのが現状で、あと10年、この状況が続けば事態は悪化し、俗にいう「怪人社会」というのが訪れるやもしれん。
ーーとは言っても、本気で戦略兵器と怪人が渡り合えるとも思えねーんだけどな。
所詮は一個体。時折大きいサイズのものがいるとは言ってもバカすかミサイルを打ち込まれれば跡形もないだろう。そうしないのはインフラを破壊しない為。あくまでもまだ「日本社会」というものの上で人間が対処しようとしているからだ。そもそもアレを警察が対応するという時点で特例中の特例らしい。本来なら怪人は「害獣」扱い、つまり猟師会とかクマ狩りが対処すべき事案だとか。
俺には関係のない話だが。
「はい、おしまい」
「っ、はーっ……ゼェー……」
「だらしねぇなぁ。若いんだからもっと体力つけろよ」
「わかっちゃいるんですけどねぇー……」
膝に手をついて肩で息をする緋色の額にはびっしょり汗が滲んでいる。
長い髪は後ろでまとめられているものの全身から湧き上がる湯気でしっとり濡れていた。
剥き出しになっている肩なんかは健康的で実によろしい。だがまぁ、体力があるのとないのはまた別の話で、比較的「可愛い部類」に入るだろうに。そんな体で怪人と向き合うなんて勿体ないと老婆心ながらに思う。この前殴られた頬も腫れはひいてはいるが一応まだ湿布を貼り付けたままだった。お嫁にいけない体にされたらどうするんだ。物理的に。……? いや、物理的に。
「なぁ、やっぱり思うんだが諦めたらどうだ。怪人の相手は国に任せてよ」
後手に回っているとは言え腐っても国は国だ。
国防という次元に踏み出せば怪人組織が壊滅させられるのも時間の問題だろう。そのための法整備も世論も少しずつではあるが動き出しているという。
しかし、緋色は頑固にも首を縦に振らない。
キッと眉を吊り上げて俺を見上げると無理矢理に笑みを作って見せた。
「ダメですよ、こればっかりは赤城さんのアドバイスでも聞けませんねっ」
「頑固もん」
「えへへ」
何をムキになっているのか知らないが無謀すぎる行動は避けてもらいたい。
少なくとも俺がこいつに「雇われている」間は。
もう1セット付き会ってやるか悩んでいると部屋の隅に置かれたスマートフォンが音を立てた。映画のテーマソングのような盛大なBGMがフロアに鳴り響き、緋色は画面を覗き込むと目を鋭くして俺に向き直った。
「出動です!」
表示されたマップには「怪人出現中」の文字が踊っていた。
トレーニングウェアのまま飛び出そうとしたのを無理やり着替えさせ、肩にはあの変身用の着替えが入ったであろうバックを背負い、緋色と俺は現場に急行した。
とは言え、空飛ぶ秘密兵器があるわけでも俺が怪人化して担いで走るわけでもない。至って現代的な電車移動だ。
幸いにも、というべきなのかは分からないが怪人が出現した場所は最寄駅から4つ先で、駅構内から歩いてそう遠くはない場所だった。やはり人目を気にせず、都内での出没が多くなっていた。電車に揺られながらも緋色は怪人の現在のポイントをマップで確認し、俺はと言えば怪人が現れた場所に向かうなど随分久しぶりだなぁと空を眺めていた。
「今時の携帯は便利なんだな」
空が青い。雲一つなくすんだ色をしていた。
政府からの「緊急通知」みたいなものが届くという話はニュースで見たが、アプリで配信されているとは知らなかった。
仕組みはよく分からないが、こんなものがあれば怪人のプライバシーなど有ったもんじゃないだろう。思えば周りの人たちも「怪人が現れている駅へ向かっている」というのに、なんとも落ち着いた様子だ。目の前で人が襲われていようが動画を撮ってネットにあげるような世の中。その駅で降りる用事でもない限りはこんなものなのかも知れない。
電車が速度を上げ、落として停車し、ドアの開け閉めののちに再び動きです。
駅名がアナウンスされると視線は自然と街中へと吸い寄せられた。見た所騒ぎは見受けられず、混乱は見受けられない。
平日の昼間だとしても違和感を感じ、駅のホームに降り立つと足早に改札口へと向かい、緋色に視線を向ける。
「こっちです」
至って真面目な顔をした緋色に導かれ、向かった先は商店街の中心部だった。平日の昼下がり、買い物客が多く流れているだけで怪人の姿は何処にもない。
「ーーっと……あそこがいいかな」
首を傾げる俺を置いて雑居ビルの裏手側に回り込む緋色。事態が飲み込めずついていくと角を曲がった所で突然緋色は制服を脱ぎ始め、そこに至ってようやくこいつの行動原理を把握する。
「少しは周りの目を気にしろ……」
緋色に背を向けるよう立ち、今来た道を睨み返す。営業途中のサラリーマンが通り抜け、滅多なことがない限りこんな裏路地に入ってこないとは思うが年頃の女の子が生着替えを晒すのもしのびない。というか、こいつはもう少し羞恥心というものを持ってはどうかと思うのだが、そういうのは今時の女子高生(ではないのだが)には適応されないのだろうか。ジェネレーションギャップというものにどうにも居心地の悪さを感じた。
「というかだな、怪人が出現したんじゃないのか。なんの騒ぎもないぞ」
「出現したんですよ、未来では」
「あ?」
「私のケイタイ、時間を一時間ほどズラしてあるので」
「はぁ……?」
カニたちと対峙していた時に来ていたあの「コスプレ姿」で携帯を差し出してくる緋色。確かに時間が1時間ほどズレているようだが、……なんとなくこいつの言いたいことへの察しが付き、しかしいやいやそんなアホなと頭を切り替える。
何はともあれ、このまま怪人が出なければ別によし、ここに変なコスプレをした女が一人迷い込んでいるという珍事件で済むのだ。が、しかし、突然表通りの方で呻き声が聞こえた。そして続いて発生するバチバチという空気を切り裂く電撃。
怒りに身を任せたような咆哮と共にその電撃の破裂音は大きくなり、一瞬周囲を白く塗りつぶして光は収縮する。
覗き出した先に立っていたのは鳥だった。というか鳥人間だった。
背中に翼が生えたとかじゃなくて首から上が鳥で、体は人間。バシッとスーツを着こなし、ネクタイがサマになっている点で少しだけ苦手意思が芽生える。社会的劣等感ってやつだ。見るからに「仕事のできるホワイトカラー」と言った立ち姿がどうにも近寄りがたい雰囲気を感じさせる。
対して地面で尻餅をついているのは若い男性だった。ギターを背負ったロックミュージシャン風のロン毛。どちらの方がしっかりしたように見えるかといえば悲しいかな鳥人間だろう。
「待てーっィ!」
と、空気を読まずに飛び出したのは緋色だった。
後ろを振り向けばいつのまにかおらず、(恐らくは自称)ミュージシャンを挟んで立ちふさがる。
一体なんの意図があって?
「ッカかあいつはッ……!!」
舌打ちと同時に体は動いていて「おっ?」緋色が腕の中で目を丸くすることにはアスファルトに二人仲良く転がっていた。
バッキバキに切り裂かれた地面が視界の端に映る。
「ほほぅ」
豊かなヒゲ(体毛?)を指先でいじりながら鳥(ほほぅって言ったからフクロウだな)は目を細める。
「何かと思えば貴方……負け犬が今更なんの御用でしょう?」
「しらねぇよ! つか、用事があるのは俺じゃねぇ!」「私だー!!」「黙ってろ!!!」
勢いよく主張する緋色を押し込めつつ目はフクロウ野郎から離さない。離したら最後、今度こそ切り裂かれる確信があった。と、俺たちのやりとりに逃げ出すスキを見出したのか一目散に駆け出したのはロン毛のミュージシャン。当然ながら「ほほぅっ」とか楽しげに腕を振るったフクロウに足を切り裂かれて転がった。ギターケースが宙を舞い、顔から道路に滑り込んでスンゲェ痛そうだ。足の方が重症っぽいが。
「大丈夫、良いのが生えますから」
ホホゥ。
相変わらずウゼェなこいつ。
さてどうしたもんかと辺りを見回せば遠巻きながらに野次馬がカメラを向けている。舌打ちし、緋色が大人しくしてくれることを祈りつつ両手を挙げた。
「お前の言った通り所詮負け犬だ。邪魔する気はねーから見逃してくんねーかな」
額を伝う汗。
今更戦う気もなく、ここで変身すればネット上に顔が晒される。それだけはどうしても避けたかった。
かつては過疎地にばかり現れてくれたおかげでこんなこと気にする必要もなかったんだが、都心だとどうしても記録が残る。残った記録はメディアを通して世間に周知される。
働き口がなくなるのだ。俺の。
既にコスプレバカとして緋色はカメラを集めているような気もするが、フードが外れない限りは平気だろう。変人が一人、迷い込んでいるだけだ。気にするな。と俺なりに弁明を測ってみたのだが願いは虚しく緋色は俺を押しのけて構えた。
「ここで貴方の武運は尽きる! 命惜しくば掛ってくるがいい! 掛ってこなくとも私がゆく!」
「…………」
何処からどう見てもスキだらけの構えで恐らくはずっと考えていたのであろう口上を読み上げ、頭を抱える俺とは対照的にフクロウは楽しそうに目を細める。つーか首の角度がこえーよこいつ。くちばしもスンゲェ不気味だし。
「よろしい、お相手してあげましょう」
さながら躾を行う執事のように。礼儀正しく腰を曲げたフクロウは「ダッ!!」気合い十分の緋色の掛け声とともに一瞬でその後ろへと回り込む。早すぎて残像が残り、「ハァ!!」悲しいかな、緋色はそれに向かって拳を打ち込んでいた。
「ホホホ」
いつもの気まぐれだろう。弄ぶように、急所は狙わずいやらしく皮膚を一枚切り裂くような攻撃をフクロウは繰り返し、数分と立たずして茨に身を切り裂かれたような立ち姿の緋色が出来上がりだ。
真っ白なスーツから覗く赤く裂けた皮膚がなんとも痛々しい。顔は極力狙っていないようだがせっかく治りかけていた頬を切り割かれ、湿布も真っ二つに切り落とされていた。
そんな中、必死に這うように逃げていたのがロン毛のミュージシャンだ。足はくっついているものの筋が切れているらしく、もぞもぞと血の跡を残しつつその場から去ろうとしていた。
「ぉー、おー」
そんな情けない男の前にしゃがみ込んだのは俺だ。
「少しぐらい漢気ってのはねーもんかな」
なんともまぁ情けないものだ。見てみれば涙と鼻水で顔がヒドイことになっている。つか鼻血スゲぇな。ーーああ、転んだからか。
「だって!! あいつ! あいつが悪いんだ!! 俺の女に手を出すから!!」
「ぁー……」
詰まるところ知人だったらしい。そして悲しいかな、女に手を出すようなタイプではない。いや、現在進行形で手を出してはいるが、こいつの女が手を出したのだろう。人間としては比較的美形の顔立ちをしているフクロウだし。なんせ立っているだけでも圧倒的な「貴族階級」が滲み出ているような奴だ。街中で立っていれば自然と視線を集め、腰の軽い女でなくても声をかけたくなる。同性の男であっても色気を感じるような輩だ。だからこそ気に食わないのだが。
「ロックミュージシャンならギター振りかぶって投げるぐらいの姿勢見せて欲しかったな」
言って見捨てられていたギターケースを拾うとフクロウに弄ばれている緋色を見る。そろそろ限界だろうかーー、
「待ってください!!」
「……?」
フクロウとやりあう気はサラサラない。そもそも緋色に頼まれているのは護身でも討伐でもなく、戦い方を教える事だ。故に「雇い主」をこの場から引き剝がすべく、ギターケースをぶん投げてやろうと思った矢先、緋色からのストップがかかった。
被雇用者としては無視できるわけもなく、諭吉のパワーによって寸前のところでギターケースを振り回すに収まる。
「ぁー……?」
これは客観的意見なのだが、待ってくださいと言えるほど余裕があるようには見えない。
そろそろフクロウの「飽きてきましたね」とかいう一言で腕の一本切り落とされてもおかしくはない頃合いだ。なのに緋色はまだ秘策があるとでも言いた気に腰のポーチからスタンガンを取り出した。
「いやいやいや、当たんねーと意味ねーだろ、それ」
そして当たるとも思えない。
「だとしてもっ……赤城さんに戦わせる訳にはいきませんからっ……!!」
よくわからない意地だ。その瞳から闘争心が消え失せていない点だけは評価すべきなんだろうがちっとは見習えロックミュージシャン。
「はぁー……」
やってらんねーとギターケースを持ったまま俺もフクロウの間合いへ入る。
秘策があろうがなかろうがこれ以上はお嫁にいけない体になりかねんからな。
「手を引け、トリオ」
「聞けませんねぇ、マコト?」
空気が張り詰められ、それが引き裂かれそうになった瞬間、全身の毛が総立ちになり、俺は怪人へと変身するつもりだった。
緋色が退かないと言い、そしてこいつが手を引かないと宣言した以上、力づくにでも切り抜けるしかない。
時の人になるのはごめんだが緋色に金をせびってほとぼりが避けるのを待てば良いだろう。後はプライドの問題だ。
だが腕に力を込めた瞬間、グイッと後ろに右手を引っ張られ、代わりに肩を乗り出してきた緋色がフクロウの胸元に初めて拳を打ち込んだ。
「……?」
ぽすん、と何の威力も感じられない一撃。
見るからに痛くも痒くもないそれに対し、呆れたフクロウの腕が緋色に向かって一閃、振り下ろされたかと思った刹那、
「ほッ?!」
小さく驚きを零してフクロウの体が後ろに吹き飛んだ。
バシュンと、まるで圧縮された空気が一気に拭きだしたかのように。
「っ……?! ……!!!?」「っ……ダァー!!!!」
何が起きたのか理解できず、振り返れば盛大にひっくりがえった緋色がいた。後頭部を打ったのか頭を抱えてのたうち回る。
「だからもうゥううう改良の余地あるのわかってたけど、いィいいいい……!!!」
相当痛かったらしい。しばらく叫び続け、平気ならそれでいいとフクロウに視線を向ければ野次馬の中に吹き飛ばされていたそいつはいつの間にかロン毛のミュージシャンを回収して宙に浮いていた。
翼も何もないのに不思議な光景で、一斉にシャッター音が繰り返される。
「実に面白い。あのお方に報告させていただきます」
ホホゥ、と笑う姿は実に悪趣味で。いやはや俺は俺でギターケースを投げつけて見るのだが残念ながら残像になってあいつは消えた。
遠くから聞こえてくるパトカーのサイレン音。どよーんと重い空気を纏って座り込んだ緋色を拾い上げた俺は慌ててその場から去りーー、ほとぼりが冷めた頃になって緋色の着替えを取りに戻るのであった。
夕方のニュースでは大きくコスプレ姿の緋色が映し出されていた。
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