第2話 ウルフマン
「…………」
反射的に足が止まったのは悲鳴が聞こえたからだった。帰り道の公園の中を突っ切っている時だ。
オフィス街と住宅密集地を隔てるように設けれた自然公園、その中を真っすぐ家に向かって歩いているときにその声は耳に届いた。
「うーむ」
気にしまいとしても異常を察知すれば体が反応するのは本能というものなのだろう。己の身に降りかかるかもしれない危険を感じておきながら悠々自適と歩けるのは余程の大馬鹿か多大な自信家である。目の前に鳥のフンが落ちてきたら「当たらなかった」とはいえ足は止まる。そういう類いのものだろう。
オーナーはエビの一件を連絡したらすぐに飛んできた。普段は支給されている制服姿が常なので私服というのはなんとも物珍しい感じもしたが、本人に至ってはそんなことを考える余地などなかったようだ。横転したワゴン車を動かそうにも外もひどい有様で、しばらく店は開けられない。本社直営ではなくフランチャイズなのでそこらへんの補償金とか損害額はオーナー持ちってことになるのだろうか。ついでに俺も今月のバイト代はドンと減りそうで被害を被っているのはお互い様だ。悪い人ではないんだかなーと小太りのオーナーを思い出しては心の中で詫びる。すまぬ。俺がいてもどうにもならんよエビは。日雇いの仕事でもなんでも見つけなければ多少の貯蓄はあるとはいえ心もとないので明日の予定は決まったようなものだ。
ということで、
「……ご愁傷様」
悲鳴は聞かなかったことにして足を進めた。
エビの次はカニが出たとしても不思議ではない。首を突っ込まないことが一番。君子危うきに近寄らざるべし。飛んで火にいる夏の虫とはよく言ったものか。
見上げれば都会の夜空は随分と明るく、月こそ輪郭をたもってはいるが星の数など数えられそうもない。人工の、地上の光が暗闇を侵食していた。だからこそ「あんなやつら」も現れるのかもしれない。否、そんなことは関係ないことはよくわかっている。そんなセンチメンタルな理由で人を襲っているわけではないのだろう奴らも。
「わっぷ」
「だふっ!」
視界が突然黒く塗りつぶされた。
「…………」
超状的な力ではなく、単純な人のなせる技だった。
有り体でいえば柔らかい女の体が斜め四十五度前方向から突っ込んできて、それを顔面で受け止めたらしい。反射的に抱きかかえるような形でホールドしてしまってはいるが、……なんだろうな、この状況。腕を回した太ももが妙に艶めかしく、さながらダンスの1シーンのようにも感じられるがミュージックは流れてこない。あるのは重苦しい沈黙だった。
「下ろしていただいても……?」
「おう」
悲鳴をあげられでもしたら俺は一発でおまわりさんに組み伏せられそうなものだが、一段高くなった植木から飛び出してきた自覚はあるらしく。申し訳なさと恥ずかしさで頬を赤らめている。
いまどき珍しい黒髪を綺麗にまとめた女子高生だった。
「いや、珍しくもなんともないか」
「はい?」
夜勤帯に働いている俺が見かける女子高生=不良、もしくはコスプレしたお姉さんというだけで校則を真面目に守っている子達というのはこういうものなのだろう。夜は冷えるとはいえマフラーを巻いているのは半年先の流行を先取りって奴なのだろうか。若い奴らの考えることはよくわからん。赤いマフラーが似合っていないこともなのだが、昼間はそこそこ暖かいだろうに。ーー邪魔にならないのだろうか。
「えっと……?」
「ああ、なんでもない。邪魔したな」
ジロジロとこれでは完全に不審者だった。やらかしたことは不審者に変わりないのだが不可抗力ということで見逃してもらえるらしい。気まずさもあいまって歩き出すと同時にタバコをまさぐったがどうやら店に忘れてきたらしい。制服のポケットにしまってそのままだった。普段と違う動きをするとこういうミスが出る。なんともメンドクサイ。
視線を感じ振り返れば女子高生はまだそこに立っていた。
立っていたというよりも植木の向こう側に向かって睨みを利かせつつ「着替えていた」。
「ぁー……」
つまりはアレだ。変質者とは俺ではなくこいつのことなのだ。あせくせと慌てながらスカートの下からタイツを履き、片足で引っかかったのかぴょんぴょんと飛び跳ねる姿はどうにも嘆かわしい。そもそも年頃の女の子が人通のない公園で、夜中に、いや触れないでおこうと視線を逸らした。誰しも心に闇は抱えているものなのだろう。そこに触れて良いのは家族か教師ぐらいなものだ。あとは親友。
こいつになんの趣味があってなんの理由で露出狂となっているのかはわからないが街中ですれ違えば気づかない垢の他人同士。ここは知らぬふりをして立ち去ろうと視線を上げーー、
「んゥー」
カニと目があった。
「カニかァ……」
エビと違って食いづらいんだよなぁ、カニは……。
じゃきんじゃきんと威嚇でもしているのか切れ味の良さそうなハサミが街路灯の光を反射させる。大きく突き出した目玉はカニのそれなのだが、それが人型というのであればなんともグロテスクで正直そのハサミで目玉の付け根を切り取ってやったらああもう完全に放送事故じゃねーかンなの。
くるりと足の方向を変えれば女子高生。カニに気が付いているのかいないのか、いや多分いない。カーディガンが引っかかってうまく脱げないらしく頭を埋もれさせて「うーうー」唸っている。見かけによらず着痩せするタイプなのか最近の女子高生は発育がよろしいんだなぁとコスプレお姉さんたちにも負けない胸元に視線が吸い込まれるのは男のサガ。見てませんよーなんてわざとらしく視線を泳がせつつも隣を見ればカニさんこんにちは。ギョロリとした目が「お前おっぱい見てただろ」だなんて言ってくるので「見てねーよ」真顔で答えた。
「わっちッ!!!」
人間。どんなに進歩した社会の中で生きていようが第六感というものは備わっているもので、鳥のフンよろしく眼前に迫った危機を咄嗟に回避する程度の動きは造作もなくもないがなんとか首は斬り飛ばされずにすんだ。
思わず仰け反ってかわした反対側で街路灯が切断され、周りの木々にまとわりつくような形で傾き倒れた。
ほんとに怪人って奴らは税金を泡に変えるのが得意らしい。血も涙もねぇのかこいつらは。血税だぞ、都民の。
そんなことを怒鳴り散らしたあたりで相当俺も疲れてるなぁと自覚する。カニに言葉が通じるわけがない。税金どころか人を肉に変えてもなんとも思わない奴らに言葉などーー、「貴様を生かして置く訳にはいかん」通じたー。
「はー」
通じないほうがよかったんだけどなぁと落胆する。
異形の怪物であればこそ現実味も薄れるというのに喋られてしまえばなんとも現実的なお話になってしまうではないか。ギョロギョロとせわしなく動き回る瞳に今度はお前をチョッキンチョだなんて言いた気なハサミ。 B級ホラーにしても出来が悪い状況に女子高生は「着れたー!」頭を出した。
「……あれ……?」
そしてキョロキョロと周囲を見回して見つめられているこの状況にはてなマークを浮かべる。
「あれ、じゃねぇよ」
なんのコスプレかは知らないが日曜の朝にでも放送されていそうな戦隊ヒーローっぽい衣装だった。というか昭和の科学忍者隊の方かこれは。生憎世代でないのでよく知らないのだが自分の娘がそんな格好をしていたらお父さん泣いちゃうレベルのラインが浮き彫りになった恥ずかしいシルエットだった。直視することすら躊躇われ、露出の多いキャンペーンガールなんかをバシャバシャカメラに収めているおっさんたちの気がしれない。そしてそんな女子高生をまじまじと観察するカニさんの気など知りたくもない。
どこからそんな着替えを取り出したのかといえば肩にかけていた鞄だ。
他にも何やら入っているようにも見受けられるが教科書やノートが伺えないのはやはり見た目に騙されてはいけないということか。最近の不良はこえーなぁ、おい。
「お待たせしましたな!」
シュバっと構えの姿勢を取ってみせるが残念ながら微妙に日本語がおかしい。
俺とカニに向かって完全に臨戦体制のようだがなんなんだこいつは。
「大人しく私についてくる気は「ありません!」
「そうか」
カニが良い終わらないうちに即答し、カニもまた良い終えないうちに動いた。衝撃波が発生するほどの加速でコスプレ女子高生へと接近し、その後ろ側へと回り込んでいる。当然ながら反応などできていない。ついでといってなんだが移動ついでに俺を殺しにかかったのは本気でやめてほしい。運良く後ろに体を引いたから助かったようなものを、残された街路灯の支柱が更に短くなっていた。
「へっ、へっ、へっ」
視界から姿を消したカニを視認しようと首を振って探す女子高生だが、頭にかぶったヘルメット(マントのフード?)が邪魔で後ろの方まで目が届いていない。完全に戦闘向きではなさすぎる服装に所詮はコスプレだと頭を抱えた。
「もう逃がさん」
がっしりと抱きしめられる形でホールド。外骨格であるハサミではあの胸の感触は味わえないだろうと気の毒になりつつも今のうちにおさらばさせてもらおうと踵を返「チッ」……。頬をハサミがかすめ飛んで行った。びよーんとか音を立てて数メートル先の幹に突き刺さって震えてらっしゃる。
「お前も逃さんに決まっとろう」
「決めんなよ……」
ホールドアップ。一応両手を上げて無抵抗の意を示して見るがーー、無駄だろうなぁ蟹味噌しか詰まってなさそうだし。
走って逃げたとしてもあのハサミから逃げ切れるとも思えない。なんせお仲間のエビは軍事ヘリを撃ち落とし、警官隊を撃ち負かしたんだ。こちとら生身の人間。せいぜい逃げろ逃げろーって感じに弄ばれでズバンッと首を切り落とされるのが関の山か。
女子高生は相変わらずウーウー唸りながら抵抗してるし、なんつーかなんだこの状況……。
いまいち緊張感に欠けるのが問題かもしれないができる限りの事はやってみようと「誰にも話さんし忘れるよ」話しかけてみた。
「家に帰りたいだけなんだ、見逃してくれないか」
「ダメだな」
「どうして」
「愉しくなって来たからだ」
「わー……」
出たよ、出ましたよー。今時の悪役でも言わないだろうセリフベスト3。愉しくなって来たから見逃しません宣言。冒涜。完全に命への冒涜だ。全ての命はお前の掌の上だとでも思ってんだろうか、思ってんだろーなー。カニだし。優越感ぱないもんな。カニ。
「んじゃ逃げるっ」
どばっと一目散に植木を跳び越え、公園の出口目指してつっぱりし始めるが後ろから飛んでくるのはおきまりの笑い声と赤いハサミだ。どばばんどばばんと樹齢何十年という木々を切り裂きながら俺の体をかすめとっていく。それだけでコイツが遊んでいるのだということが明白で、このままいけば公園から飛び出したあたりでーー、「うぎっっ……」首筋を完全に狙ったそれをなんとか躱し、地面に転がる。
肩から無様に転けて正直あちこち痛い。頬も擦りむいて最悪だ。
歯を食いしばりながらも立ち上がるとカニはこちらに近づいて来ていて、女子高生を脇に抱えつつもう反対側のハサミを俺に剥けてくる。
万事休す。絶体絶命だ。
「褒めてつかわす」
「何様だお前」
閃光が走ったのはハサミが飛び出す寸前だった。
潔く断頭されてやる筋合いはないので避けるだけ避けてみようと地を蹴ろうとした時にそれは走った。
「あだダダダダダ」
恐らくは電流。それもかなりの高圧のものがカニを襲い、その発生源は「あだだだだだだ!!!?」女子高生だった。
「あー……?」
いつのまにか取り出していたらしいスタンガンのような銃をカニの足の付け根に押し付け、一緒に感電している。バチバチと火花をチラシつつもボタンは押したまま。……というか感電してボタンから指が離れないらしい。涙目になりながらも必死に耐え、ようやく腕から解放されたところで「あだっ、いでっ、うだっ」と女子高生には似合わない声をあげ転がった。
パチパチと未だに帯電しているので触れたくはないのだが「こっち!!」「いでッ!!!」思いっきり手を繋がれ、おかげで静電気のバチッて奴のもっとキツイのをお見舞いされた。
後ろでカニが呻くのがきこえ、仕方なくそれに従う。
全力で走っているらしいのだがやがて息が切れ、次第に俺の方が先んじて「こっちだ」「わわわっ」逆に腕を引いて身を隠せそうなところに連れ込む。
公園を抜けた先、住宅街とオフィスが混在しているような場所にある雑居ビルの一つだった。
三階までかけあげると扉は蹴り開けて中に滑り込む。元々何かの企業が借りていたらしいのだが、1週間ほど前に契約が切れたのか倒産したのか引越し作業をしていたのを見ていてよかった。
がらんともぬけの殻になった拾いフロア内に腰を下ろして窓に擦り寄ると外を伺う。
幸いにもカニは追って来ていないらしい。
「お兄さんと手をつないでしまいました……!!」
「お兄さんじゃねーよ、もうおじさんだ」
繋いだままだった腕を振りほどき、タバコを探す。
ああ、そうだ忘れて来たんだった。と落胆するまでそう時間はかからなかった。
「にしてもまぁ……お互い面倒なことに巻き込まれたもんだなぁ……」
話しかけるつもりもなかったのだが自然と言葉がついて出て、相変わらずコスプレ姿の女子高生と二人、なんだか面倒以上に妙な状況になってしまったもんだと思わないでもない。こんなところを人に見られでもしたら空きビルで深夜のコスプレイ。最悪だ。おもしろおかしく朝のニュースで報道されかねん。人生の汚点、恥部に他ならん。
そんな絶賛後悔中の俺をじぃっと見つめるコスプレ女子高生。
「ウルフマンですよね」
「ぁ?」
「いえ、ウルフマン」
ぱちくり、まばたきを繰り返しながら覗き込んでくるそいつは微かに柔らかい匂いがして、少しだけ、ほんの少しだけだが目眩がする。若い女を前にした性的欲求とか無論『生的欲求』とかそういう類いのものではなくて。苦手な匂いだ。この、甘ったるいふんわりした花みたいな、「頭大丈夫か、お前」。
身をよじるようにして追及から逃れ、やはりタバコをまさぐって溜め息を付く。
帰りに何処かのコンビニで買ってこよう。自宅にストックはなかったはずだ。別段吸わなくとも支障はないのだが……、なんとも手持ち無沙汰なのだ。癖だ。
「ぬぬぬぬぬ、いえ、ウルフマンですよ!」
「ちげェって言ってんだろ。うっとうしい」
男は狼なんかじゃねーんだよ!
通じんのか? いまの奴らにこのネタ。
付き合い切れんと立ち上がろうとしたが膝の上に跨られ、完全にマウントポジションを押さえられていた。細い指が伸び、俺の両耳を引っ張る。
「やっぱりウルフマンさんですっ」
そして笑顔。
変なフード越しに無邪気な笑みをこちらに向け、俺が「ああ、そうだよ。久しぶりだな」とでも言ってくれるのを期待しているらしい。
生憎そんなサービス精神はおろか、思いやりの心さえ持たなくて悪かったな。ああ、ほんと。悪かったよ。すまんすまん。
「どけ」
「わちっ」
無理やり腰をあげると引っくり返ってスカートの中が露わになる。タイツ履いててよかったな。エロくもなんともねー。一部の特殊性癖をお持ちな方にはご評判頂けるだろう。気をつけろ、女子高生?
そんなどうでもいいことを言い残した気もするが部屋を出る頃には忘れていた。否、忘れるに限る。こんな変な出来事は。
何事もなかったかのように帰宅し、明日また夜になれば出勤する。店は回想工事中で仕方なく公園で夜空を見上げて星は相変わらず見えねーのなーなんて、そんなどうでもいい日常を俺は、
「お久しぶりデーっす!!」
「……」
振り返れば、階段の上から女子高生が手を振っていた。
現実はまだビルの廊下だ。時計の針は1時を回った辺りだろうか。近所迷惑だからやめて差し上げろ。後、お久しぶりなんかじゃねーんだよ。マジで。
完全に空気を読めない痛い子なのを確信し。全力で走って逃げてやろうかと思ったが、一歩踏み出した矢先そんな気持ちは萎えていた。
言わせておけばいい。好きに。
今時「ウルフマン」なんて流行んねーし、あんな姿した奴の言うことなんて誰も信じない。つか、コスプレしてる時点で完全に不審者だからな。興味は引いても関わろうとはしないだろ。アレ。
「私っ、」
「ぁー」
どーんと壁が突き破られ、女子高生が吹き飛ぶのをなんとなく見上げていた。
時間がスローモーションに流れ、見飽きた映画のワンシーンのようだ。
浮き上がる瓦礫の中から現れたのはエビ。散らばる破片の中で女子高生を抱きかかえるのはカニだ。
振り返れば、
「……えび……?」
ぐいっと体が折り曲げられ、海老反りにこそならなかったものの、そのまま地面から足が浮くと天井に叩きつけられる。
跳ね返り、転がる。無様に、目の前が白黒明転し、口の中に血が広がった。
「海老ではない。ロブスターである」
「ああ……、……マジかよ……」
上半身をなんとか起き上がらせ、睨むとたしカニ……カニ、エビ、ロブスターの取り合わせだ。
エビが二体いるように見えるが片方にはハサミがない。ないのが伊勢海老。あるのがロブスター。つまりザリガニか。
「ロブスターがでかいザリガニだって知った時はちょっと驚いたよ……」
そもそも語源がまんまロブスターらしいんだがーー……んなこたぁ、どうでもいいか……。
これだけの騒ぎに誰も出てこないってことはこのビルの中に残業中の奴らはいないらしい。ホワイトでよかったなぁ、ほんと。世も末だけど景気は上向いてるらしいんで、世の中どうなるかわかんねーもんだ。
ふらふら足元はおぼつかないがここから逃げようにも階段にはカニとロブスターが塞いでやがるし、非常階段は海老。なんの恨みがあるのかは知らないが完全に因縁つけてくる不良で俺としては不可解極まりない。
「見逃せよ、マジで……」
「できぬ」
「うわぁ……」
ヒゲをついついとつつく海老。サマになっているかといえばそうでもない。何より生臭い。
「先ほどは我が配下をまんまと出し抜いたようじゃが、今度はそうはいかんぞ?」
なんか偉そうだな伊勢海老。値段の差か? なんの階級だ。お前ら。
「第一、出し抜いたのは俺じゃねーし。そっちのミスとそいつのファインプレーだろ……」
こちとら巻き込まれた一般市民だぞ。ふむふむと頷いてはいるものの聞く耳などハナから持っていないのか「黙れ!!」怒鳴られた。
この歳でお叱りを受けるなんて屈辱以外の何物でもないんだけど。マジかよ。
しかし思ったより歳を重ねるだけで大人にはなれないらしい。怒鳴られてムカッとするのは昔のままだ。やりあうつもりはなくとも一発殴り飛ばしてやろうかと思わないでもない。
骨が折れそうだが。二重の意味で。
「うううっ……」
「死んだかと思ったぞ」
「生きてます!!」
意識を取り戻したのか女子高生が呻いていた。
派手なことをしでかしている割には怪人どもの目的は「仲間の勧誘」。と言うか拉致して改造だからな。殺してしまったら元も子もないのは承知の上だ。
適合手術には色々とハードルもあるらしいしーー、「っと」。間合いを詰めてこようとする伊勢海老から距離を取る。が、そうすると必然的にザリガニに背を寄せることになる。
絞め殺されるか斬り殺されるか。
どっちにせよ最悪だな、これ。
「だぁあああっ!! わ、た、し、がっ、倒すんですぅー!!」
とバタバタ足掻く女子高生。いやマジで空気読めよ。お前何にもできないだろ。「あっ」とか言って取り出したスタンガンみたいなの奪われてるし。ほんと役にもたたねぇ。
こんなやつに関わったのが運の尽きというが仕方あるまい。窓を突き破ってーー、
「ウルフマンはもう……戦わなくていいんです。だから」「……」
執念じみた怒気を感じ、振り返れば女子高生が涙を浮かべて歯を食いしばっていた。
バタバタとなんとかカニから逃れようと暴れるが「黙れ」ベシッと頬をぶたれる。
その反動で被っていたフードは取れ。手加減されたんだろうが、頬は赤く腫れてしまった。
なんと言うか、普通に可哀想な女子高生だった。それでも。
「黙りませんッ……」
涙を浮かべながら殴ったザリガニを睨む。
「お、おい。ロブ、落ち着け。そんなに赤くなってはーー、「貴様も黙れ」
沸点低すぎて笑うとこなんだろうかこれは。
俺を蚊帳の外に仲間割れしそうな雰囲気にそろりと窓枠によるが、「ッ」どんっと床が跳ね上がるほどにエビが尻尾を打ち付けた。揺らぎかけていた空気が静まる。
「……その怒りはその男にぶつければよかろう」
「ーーーー、」
理不尽だ。
いつだってこの世界は自分勝手に人に役割を押し付けてくる。
これまで食べてきた海老の数は覚えていないが、ロブスターに手を出した覚えはない。だからこいつの怒りを買う理由は俺には一切ないし、そう周りの空気が沸騰しそうな歩みで近づいてくるなと言ったところでこいつは聞く耳持っちゃいなくて。そもそもロブスターに耳なんてねーだろとか自分にツッコミを入れているうちにぶっとい前足?は振り上げられていて。
「死ね」
豪快な音を立てて窓ごと壁が吹き飛んだ。
吹き飛んだついでに骨が砕かれた。
盛大に。
「ぶはっ」
美味しそうな匂いがした。
「わー」
はじけ飛ぶのはぷりっぷりのロブ肉。
さぞかしアメリカンが喜びそうな巨大な腕。
貫いた腕をそのままカニにぶん投げ、カニ味噌を貫く。右手で、掴み取る。
「っ……」
「貴様……」
分かっていて襲っていたなら知恵が浅い。
知らずに来たのなら運が悪い。
砕けた壁から月が覗き込み、俺の姿を浮かび上がらせる。
「貴様は――、」
ウルフマン、と言われる前に伊勢海老は叩き潰した。
「……嫌いなんだよ、その名前」
俺もまた、怪人と呼ばれる存在だった。
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