第1話 怪人社会

 人の命がまた一つ消えた。消えているらしい。こうして俺がレジに商品を通し、袋詰めしている間にも袋詰めされている人間がこの地球上の何処かに転がっている。余裕で人は死ぬ。軽々しく死ぬ。幸いというには危ういバランスの上で俺たちの生活は成り立ち、俺たちが気がついていないところで人は殺されているし、死んでやがる。


 遅延していく満員電車、返す当てのない借金の影に、生まれ落ちた愛の結果でさえ、踏みしめて立つこの大地の上に、何気なく振り下ろした足の下で潰れたアリのように、他人の命は意図も容易く血肉へと変わっていく。


「年齢確認おなしゃーす」


 分ってる。知ってるんだ。そんなこと。

 このおっさんがどう見てもハタチを超えてることなんて見りゃわかる。

 未成年でその侵食具合はありえないだろ。

 舌打ちされながらも笑顔で答え、窓の外ではデカいエビが車を殴り飛ばしていた。なんだありゃ、海に帰れよ。


 今年、俺は33歳になった。別に人生にあぐらをかいて怠けてたわけじゃない。割と本気で全力で生きてきた自信はある。


 大学だって行ったし、就職もちゃんと通った。十何社受けて内定が出なかった時は流石に凹んだが、世の中そんなもんだと仲間内で慰め合って、最終的にはそこそこいい会社に入ることもできたのだ。まぁ、二ヶ月持たなかったのだが。主に俺が悪い。営業職で契約を取れないのは致命的だった。いや、取れなかったわけでもないんだが。結局早々にクビになり、そこから何度かは色んな会社に世話になったのだが残ったのは汚れきった経歴書だけだ。どれも長続きはしなかった。流れ着いた先はフリーター。いつしか就職は諦め、コンビニの深夜アルバイトが関の山だった。


 深夜のコンビニというのはどうにもアホらしいことばかり考えが巡って仕方がない。

 しかもここは都心のど真ん中、オフィス街の一角にある大手チェーン店だ。昼間でこそ店内に渦巻く人の波だが就業時間を過ぎれば残業に続く泊まり込みで夜食を買いに来る屍人ぐらいしか残っていない。


 あのおっさんだってそうだ。もうすでに顔なじみもいいとこなのだが、……そういえば今日は肉まん買わなかったな。少し暑くなったからか。


「ーーーー…………、」


 鼓膜が破れるかと思うほどの破裂音とともにワゴン車が一台、店内にフルダイブしてきた。

 窓側に陳列し終わったばかりの雑誌は宙を舞い、棚を一列、二列と巻き込みながら結局おにぎりや弁当コーナーまで潰してようやく止まる。


 パラパラと床に落ちたガラス片が虚しく蛍光灯の光を反射していた。そんな光すらもグラグラと体を揺らしては息絶えたように床へと吸い込まれていく。

 ああ、掃除がめんどくさい。


「はぁ〜……」


 生憎この時間帯は俺一人だ。いわゆるワンマン。言い換えるならワンオペ。

 店内に人が残っていなくてよかったというべきなのだろうが道路ではひどい騒ぎになっていた。中には仮眠中だった奴らもいることだろう。ネクタイもろくに締めていないようなおっさんや仕事帰りの女が腰を抜かして道路脇にへたり込んでいた。その視線の先は一寸の狂いもなく、エビだ。


 巨大なエビ。

 エビというか、なんだろうなアレは。……やっぱりエビか。


 事細かに説明するにはあまりにもグロテスクで、お茶の間に放送でもされれば阿鼻叫喚。子供達は泣きわめくこと間違いなしで、俺としては海の中では切り身が泳いでるって思われてる時代だからなーなんて感想も浮かんだり浮かばなかったり。


 一応強盗用の緊急連絡ボタンは押してあるのだが、警察の到着まで数分。というか、通報なんてとっくに行ってるだろうし、今更だったかもな。

 バリバリバリとヘリの音が鳴り響いているのは恐らく自衛隊が動いているのだろう。最近は随分と出動が早くな


「ぁー……」


 俺の感想も言い終えぬ間にどーんと盛大な爆煙を伴いヘリが落ちていた。

 原因はエビだった。夜だし見えづらかったけどエビのハサミが飛んだ。んで、新しいハサミが生えてきた。

 よかったな食糧難は解決しそうだ。加工して配ってくれ。エビのハサミ。俺はいらん。


 よっこらせっとカウンターを乗り越えると店内に突っ込んだワゴン車の中を確認してみる。幸いにも搭乗者は降りた後だったらしく、店内で挽き肉を扱う必要はなさそうだった。ミートボールなら冷凍のものが並んでいるがーー、……見事に破裂していた。賞味期限も近かったし、廃棄でも構いはしないのだが持って帰るつもりだったので少し残念だ。流石に地に落ちたものを拾って食べるほどみすぼらしくはない。


 エビはといえば到着した警官隊と激しく撃ち合いを繰り広げていた。一昔前では法整備がどうたらと騒がれ、一発撃っただけでも大騒ぎだったのだが、こうなってしまえば背に腹は変えられない。警棒でどうにかなるレベルなら人は死なないだろう。


 仕事中には吸わないと決めていたのだが、もはや臨時閉店ということでいいだろう。どうせ避難指示が出るだろうし。ズボンのポケットからタバコを取り出し口に咥える。火をつければキシリトールの味が口の中に広がり、こんなものに頼らなければならない自分も情けなくてヘドが出る。なんとなく吸い始めてからは口惜しくなるといつも咥えてしまっていた。エビは奮闘しているらしい。街路樹を引き抜くと横薙ぎに大きく振り回してガラスが地上へと降り注いだ。ついでに縦に叩きつけてアスファルトも粉々だ。


 ふと、エビと目があった。チカチカと点滅する店内で煙を吐き出す。こっちに来るかとも思ったが別件があるらしい、反対側のビルの中へと入っていくと気を失った女子高生をハサミの先でつまみ上げ、持ち帰ろうとする。外が静かなのは警官隊が潰されたからか、それともエビの動向を見守っているのかーー。


 怪人は適正のある人間を連れ帰り、改造手術をへて仲間を増やす適性があるという。今回の標的はあの女子高生だったのだろう。気の毒の極みでしかない。こんな時間までうろついているのだ。生活苦から抜け出すためのアルバイトというわけでもなければ落ちるところまで落ちたという印象を受けなくもないが、報われない人生というものは何処まで行っても報われないらしい。そんな元女子高生の怪人はさぞかし社会への鬱憤を破壊と殺戮でもって撒き散らすだろう。


「……クワバラクワバラ」


 そうこうしているうちにタバコが一本吸い終わり、コンビニの外へと出ると吸殻入れで火を消して中に捨てる。火の用心大事だ。


「はーっ……」

 ところどころ割れてしまった街灯。横たわった街路樹に多数のけが人。警察や自衛隊がフル出動で自体に当たっても重火器の使用に制限がかかっている以上事態の収拾はいつも後手に回る。


 運が悪かった。他の街(場所)は静かな夜を迎えていただろう。それがただ今日、今夜に限ってはこの場所が被害を被った。翌朝のニュースで報道されこそすれ、いつも通り日常へと忘れられていく。

 これが、今の日本。


 怪人という異形の存在が暴れるようになった現代の姿だ。

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