第9話
自分が真っ二つにされた感覚があった。背中から地面に叩きつけられる。
「ごぼっ」
口から大量の血が溢れる。上手く息が出来ない。浅い呼吸を何度も繰り返す。びくり、と体を震わせ血と吐瀉物を吐いた。
腹を大きく斬られた。傷口からは、とめどなく血が流れていく。なんとか横に転がり、腹を両手で押さえ体を丸めた。
「うあ……あ……」
気を失ってしまいそうな苦痛に、無意識に呻いてしまう。味わったことのない激しい痛みに襲われながらも、まだ生きていることに驚いてもいた。ふらついた拍子に少し後ろに下がったので、最悪の事態は免れていた。
しかし、このままでは命を落としてしまうのも時間の問題だった。
苦しむラウルを、死神が見下ろしていた。そして、止めを刺すべく再び鎌を振り上げた。
ラウルも、その様子は辛うじて見えている。震える腕をついて、その場から逃げようとする。だが、体に力が入らない。わずかでも前に進もうと足を動かすが、微かに土を掻くだけだった。
その様子を、ノーマの無感情な瞳が見つめていた。そして。
刃が閃く。命を奪わんと、鎌が勢いよく振り下ろされた。
肉体が斬られるとのとは違う音がした。刃同士がぶつかる、固い音だった。
新たに現れた人間に、ノーマが飛び退く。薄く開いていただけのラウルの目が大きく見開かれた。
「ガンドルさん……」
その目に涙が溜まっていき、目尻から流れ落ちた。張りつめていた緊張感が途切れたように、止まらなくなった。
「悪い。離れた所にいて気付くのが遅くなった」
ガンドルが謝りながらラウルを抱き起こす。ラウルは弱々しく首を左右に振った。ガンドルはノーマから目を離さないまま、ラウルの傷口に手を翳し治癒し始めた。
「ガンドルさん……、いいから……逃げて……」
「喋るな」
息も絶え絶えに話すラウルに、ガンドルが言葉を落とす。短いが、心配と優しさと、それから静かな怒りが込められていた。
ノーマはそんな二人の様子を伺うように、鎌を片手に持ち腕を下ろしていた。
しかし、両手に持ち替え、振りかぶる素振りを見せる。
「ごめんな、少し待ってろ」
ガンドルはラウルを地面に優しく寝かせると、自身も剣をとり立ち上がった。
ノーマが一歩、前に出た。そうかと思えば、あっという間にガンドルの目前まで迫っていた。
「ガンドルさん……!」
悲痛な叫びを上げたラウルが聞いたのは、再び刃がぶつかり合う高い音だった。
ガンドルはラウルと同じように剣で鎌を受け止め、互いに押し合っている。しかし、違う所があった。ラウルは押し負けてしまったノーマが、今度は少しずつ後ろに追いやられている。
これ以上押し合っても力では敵わないと判断したのか、ノーマがまた飛び退いた。ガンドルはすかさず強く地を蹴り距離を詰める。ノーマが着地するのが早いかガンドルがノーマに向かい剣を振るうのが早いか、ラウルにはよく見えなかった。
ガンドルの剣の切っ先が、ノーマの柔らかな頬を掠めた。切れた傷から、血が滲み流れる。
「ちっ」
大したダメージを与えられなかったと、ガンドルは舌打ちした。だが、ノーマは、信じられないと言うように口を開け立ち尽くしている。
それを、ガンドルが見逃すはずがなかった。もう一度ノーマに向かって行く。ノーマは我に返ったようで、ガンドルに間合いを詰められないよう飛び退いた。先程より鎌を素早く振り何度も仕掛けて来る。だが、その攻撃は急所を狙っていると言うよりは、ただ闇雲に振っているだけのように見えた。
多くの村や町を壊滅させてきて、人間は自分より弱いと思っていたのだろう。その人間に追い詰められたことで焦っているみたいだ。ラウルはぼんやりとそう考えていた。
要領を得ない攻撃は、ガンドルにとって見切るのは容易だった。剣で受けたり素早く避けたりし、振りかぶる時一瞬生じる隙を溢さず懐に入り込もうとする。しかし、惜しいところで、軽い身のこなしで避けられてしまった。
二人はまた、お互いに離れた。今まで刃が重なり合う音が響いていたが、一転、静けさが戻る。ノーマの呼吸が、荒くなっていた。風が吹き抜ける音がしたかと思うと、二人は同時に踏み切り、再び死闘を繰り広げる。
ガンドルの振った剣が、ノーマの腕を斬った。一度距離を取り、腕を押さえる。ガンドルはすぐにノーマへと突っ込んで行った。ノーマの手元が淡く光っていた。治癒をするつもりだった。ようやく付けた傷だ。させる訳にはいかなかった。
その戦いを、ラウルは少し離れた所から見ていた。
仰向けに寝かされたのを、腹を下にした姿勢に変えた。ガンドルの魔法による治癒を受けられたのはほんのわずかな時間だったため、傷はほとんど回復してはいなかったが、ガンドルがいるという安心感だけで、さっきより楽になった気がしていた。
やっぱり、ガンドルさんはすごい。
自分はただ防御することしか出来なかったのに、ノーマを押し負かし、ちょっとだが剣を当てた。あともう少しで倒してしまいそうだ。
このまま勝てるかもしれない。そう思った時だった。
「うっ……」
突如、視界が歪んだ。頭を起こしていられなくなり、ずるずると下がっていってしまう。体が震える。あまりに血を流しすぎていた。
ラウルの様子がおかしいことに、戦いの真っ最中のガンドルもすぐに気が付いた。ラウルのことはずっと気にかけていたのだった。
急いで傷を治してやらなければならない。そのためには、早くこのノーマを倒さなければ。剣を握るガンドルの手に、一層力が入る。
しかし、ラウルの変化に気付いたのは、ガンドルだけではなかった。
死神の目が、ラウルを捉えた。ガンドルから狙いを変え、一直線に向かっていく。ガンドルもノーマの目線の動きに反応し、ラウルの元へ走った。
「ラウル!」
呼ばれたラウルは苦しそうに顔を上げた。後数歩という距離まで迫ってきたノーマと、正面から目が合う。二人の戦いを見られておらず、ノーマが急に目の前に現れた感覚だった。
逃げなくてはならない。頭では分かっている。しかし、体を動かすことなど出来ない。
鎌が高く上げられるのを、じっと見つめた。刃は、光の中で煌めいた。
視界が真っ赤に染まった。
鮮血が辺り一面に降り注いだ。
ラウルは顔にかかった血を拭った。それから、すぐそばにある瞳を見つめた。
ラウルの上に、ガンドルの体が覆い被さっていた。
「ガンドルさん……?」
ラウルが少し身を捩ると、ガンドルは力なく崩れ落ちた。どろりと口から血が流れ出る。脇腹を大きく斬られており、内臓までも溢れ落ちそうになっていた。
ラウルを凶刃から守る為、ガンドルはラウルに走り寄ると、地面に肘をついているラウルの左肩を思い切り押した。突き飛ばされたラウルは土に倒れ込み、刃から逃れることが出来た。
代わりに、ガンドルが深く斬り付けられてしまったのだった。
「ガンドルさん!」
ラウルがガンドルの名前を呼んだ。呼吸が苦しく咳き込みながらも何度も呼んだ。だが、ガンドルは少しも反応を示さず、全身を痙攣させるだけだった。それも徐々に弱まっていく。目も薄く開いたままで、声の方向を見ることもない。
「ガンドルさん、しっかりして」
ラウルがほとんど泣き声を上げながら、ガンドルの傷口を押さえる。到底押さえきれるものではなく、手の隙間から血が流れ続けていった。意味がないことは分かりきっていた。だが、認めたくなかった。
ガンドルを呼び続けるラウルを、ノーマが冷たく見下ろしていた。腕の傷を手で押さえている。手をどけた時、もう傷口はなかった。
回復した死神は、再び鎌を振り上げた。ラウルの命を奪う為に。
ラウルは、そんなノーマを睨み付けた。怒りと憎しみと悔しさを全てぶつけた。ラウル自身瀕死のはずだが、そう思えない程、目に力が込もっていた。
次の瞬間、何故かノーマが姿を消した。
突然のことにラウルは戸惑ったが、すぐガンドルに目を向け、また呼び掛けた。
痙攣ももうほとんど収まってしまった。それでもまだ呼んだ。自分も痛みと出血で意識が朦朧としており、すぐにでも気絶してしまいそうだった。
だから、声が聞こえた時は、幻聴かと思った。
「大丈夫ですか!」
もう一度、聞こえた。若い男の声だ。遠くから声がする。力を振り絞って、その方を向いた。
霞んでよく見えないが、男が走ってきている。黒髪で茶色のローブを着ていた。
「しっかりして下さい!」
男はラウルの元に走り寄ると、座り込み覗きこんだ。
近くで見てようやく、男が眼鏡をかけていることに気が付いた。そして、耳に付いたいくつものピアスが、きらきらと光っていた。
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