第6話
「それで、俺はガンドルさんに着いて旅を始めたんだ」
フィリアはとても真剣な面持ちでラウルの過去を聞いていた。口元をきゅっと結び、膝に置いた手を固く握っている。
「悪いな、こんな話して」
ノーマに襲われたことなんて、フィリアは聞いていて辛いかもしれない。そう思って言ったが、フィリアは首を左右に激しく振った。ラウルはほんの少し表情を和らげる。
「こう話してみるとさ、俺達境遇が似てるんだよな。みんな親がいなくなっちゃってて」
「え……」
そうだったなんて。フィリアはヴァンの方を向いた。
「そうですね。詳しい話は、また後でしますね」
穏やかだが短く言って、ラウルの話の続きを促す。フィリアは視線をラウルに戻した。
ラウルは続きを話し始めた。まるで思い出話をしているかのように。
「ガンドルさんは、とにかく強くてさあ……」
ラウルは村で助けてもらった時は、ガンドルの戦いをあまり見ることが出来なかった。だから、初めてそれを見たのは、一緒に旅を始めてから少し経ってからだった。
砂地を歩いていると、急に地面が揺れだした。ガンドルは、驚き立ち竦んでいるラウルの右腕を掴むと、後ろに飛び退いた。やがて二人がいた場所の砂が大きく膨れ、流れ落ちる粒の隙間から紅く光る目が見えた。姿を現したそれは、大きな体中に太い刺を何本も生やした、四足歩行の獣型だった。砂と同じ薄い黄土色をしている。
「砂に身を潜めて獲物を待っていたんだな」
ラウルを優しく下ろすと、ガンドルはそう言って剣に手をかけた。ノーマは間合いを詰めるように足を一歩前に出す。ラウルは思わず身を震わせた。
「大丈夫だ。下がってな」
ガンドルはそう言って笑いかけると、ラウルを庇うように一歩前に出た。
それが合図というように、ノーマが力強く地を蹴った。巨体にそぐわぬ素早い動きで、あっという間に二人との距離を詰めると、勢いそのままガンドルに体当たりした。
「ガンドルさん!」
「なんだ?」
ラウルは大声で名前を叫んだが、返ってきたのは拍子抜けしてしまう程落ち着いた声だった。
ノーマは力の限りガンドルにぶつかってきたはずだった。しかし、ガンドルは元から立っている場所から少しも動かずにノーマを剣で受け止めていた。
「グウ……?」
ノーマも戸惑っているのか、低い唸り声を漏らす。その隙を見逃さず、ガンドルはラウルの腕を掴むと、剣を下ろしてノーマから右に避けた。
押す相手を急に失ったノーマは、前のめりになり転んでしまいそうになる。ガンドルはその横腹を力強く蹴った。ただでさえバランスを崩していたところに横から衝撃を喰らい、ノーマは砂埃を巻き上げて倒れ込んだ。視界が晴れると、仰向けで転がっているのが見えた。無防備に腹を晒している。ガンドルはそこに大剣を突き刺した。
耳をつんざく悲鳴に、ラウルは咄嗟に耳を手で覆う。ノーマは手足を激しくばたつかせたが、ガンドルは剣を離さない。ノーマの動きは次第に収まっていき、ついには消え去った。
ラウルは呆然としながらも、両手を下ろしてガンドルを見る。ガンドルも振り向いてラウルに向かってきた。
「大丈夫だったか」
「うん。それよりすごいね。あんな堅そうな体だったのに、剣で倒しちゃうなんて」
腹にずぶりと剣が刺さった時、ラウルは目を見開いていた。
「ああ、腹は柔らかかったから、簡単に刺さったよ」
「えっ、そうなの?」
「走ってきた時、腹の肉が揺れているのが見えたんだ。腹まで堅かったら、飯をたらふく食えないからじゃないか?」
わかんないけどな、と笑いながら、背中の鞘に剣を収める。ラウルと話しながらも、周りに神経を集中させ、ノーマの気配がないことを確認し、ようやく仕舞ったのだった。
ラウルはそんなことに気が付くはずもなかっただろうが、ガンドルが強いということだけはわかった。
だから、言うべきことは一つだった。
「ガンドルさん!」
急に大声で名前を呼ばれたガンドルは、おう、とラウルに向き直った。大きく息を吸うと、ラウルは続ける。
「僕に剣を教えて!」
「どうしてだ」
間髪入れずに問われたラウルは少したじろぐが、ガンドルを真正面から見て答える。
「ノーマを倒したい」
その目にみるみるうちに涙が溜まっていく。ズボンをぎゅうと握って、声の震えを抑え込もうとする。
「ノーマが、憎い……。みんな殺してやりたい……」
涙を流しながら、必死に訴える。
ノーマが憎い。故郷を、両親を襲ったノーマが。幸せな日常を奪ったノーマが。今の気持ちを、包み隠さず伝えた。
だが、聞こえてきたのは深い溜息だった。
「駄目だ」
「なんで!」
思わず声を張り上げてしまう。自分を助けてくれたガンドルならば分かってくれると思ったのに。裏切られた気分だった。
「親の仇はもういないだろう。ノーマだってだけで憎むんじゃない」
「ノーマはみんな一緒でしょ? なんでいけないの」
確かに、両親を殺したノーマはガンドルが倒してくれた。しかし、ラウルにとっては、最早ノーマという存在そのものが憎悪の対象になっていた。根絶やしにしてやる。それほどの恨みをノーマに持っていた。
「一緒じゃない。人間と戦いたくない、仲良くしたいと思ってるノーマだっている」
「そんなの知らない! どうでもいい! ねえ教えてよ!」
「駄目だって言ってるだろ。行くぞ」
ガンドルは駄々っ子のように食い下がるラウルの横を通り、そのまま振り返らずに歩いていってしまう。ラウルは口角を思い切り下げ不満そうにしていたが、袖で涙を乱暴に拭うと、走って追いかけた。
道中は、ノーマとの戦いの連続だった。
長い腕を駆使するノーマにはそれをかいくぐり、何倍もの大きさのあるノーマとは、大振りな動きの隙をつき、また、どれ程素早く攻撃を繰り出されても、見極め倒していった。
ラウルは、その度に剣の教えを乞うたが、いつも断られてばかりだった。
ガンドルは、多少だが魔法を使うことも出来た。
魔法で周りの物を飛ばしてくる小さな獣型のノーマと戦った時、大きな岩がラウルに向かってきたことがあった。ラウルは何も対応出来ずに固まってしまう。あともう少しで当たる、という瞬間、ラウルをバリアが取り囲んだ。状況が飲み込めないラウルがガンドルを見ると、ガンドルは安堵したような表情を浮かべ、すぐにノーマに向かっていった。
「魔法も使えるの? すごい」
ノーマを倒した後、ラウルはすかさずガンドルに聞いた。
「ああ。少ししか使えないけどな」
「少しってどれくらい?」
ラウルが聞くと、ガンドルはしゃがんでラウルの目線に合わせた。
「さっきみたいにバリアを張ることと、あとは」
そう言うと、自分の左腕をラウルの目の前に持ってきた。十センチ程の切り傷が出来ている。
「怪我してる、大丈夫?」
「石が飛んできたとき、当たっちまった。でも大丈夫だ、見てな」
右手を傷にかざすと、淡い光が腕を包み込んだ。たちまち傷は塞がり、どこを怪我していたかもわからなくなった。
「わあ、治ってる」
ラウルは驚いた声を上げ、ガンドルの腕をぺたぺたと触った。
「ちょっとした怪我なら跡形もなく治せる。酷いのはそうもいかないがな」
ふうん、と返事をしたラウルは、まだ不思議そうに腕を触っている。それをやめさせることなく、ガンドルはラウルに声をかけた。
「ラウルもやってみるか、魔法」
「えっ?」
「俺にも魔力があったんだ。お前も持っているかもな。教えてやるよ」
「うん!」
元気良く返事をしたラウルに、ガンドルは手の指を見てみるように言った。
「ささくれか何かあるか?」
見ると、右手の人差し指に、少し皮がめくれている箇所があった。
「そこにもう片方の手をかざして、傷が治る様子をイメージするんだ。傷から目を離すなよ」
ラウルは言われた通りに、傷に手をかざし、それが塞がっていくのをイメージした。しかし、いくら時間をかけても、皮がもとに戻ることはなかった。光もほんの少しも出なかった。
「まあ、始めから上手く出来る訳ないよな。また今度やってみよう」
諦めきれずまだ続けようとするラウルの肩を叩き、ガンドルは笑った。
だが、それから何度やってみても、ラウルが魔法を使えることはなかった。
魔法は教えてくれても、相変わらず剣はいくら頼んでも教えてもらえなかった。
夜、ラウルは度々悪夢に襲われた。
内容はいつも決まっている。両親と家にいると、突然ノーマがドアを破って現れ、父と母が無残に殺されてしまう。そして、ノーマがいよいよ自分に向かってくる、そこで夢から覚める。うなされているのを心配したガンドルが起こすのだった。
目覚めた後は、激しく泣いたり、呼吸が上手く出来なくなったりした。あまりに生々しい内容に、嘔吐してしまう夜もあった。
ガンドルはいつだって、落ち着くまで寄り添っていてくれた。大丈夫だと言って抱き締めてもくれた。
そうしてもらっているうちに、安心して、再び眠りに就くのだった。
この日も、夢を見た。ノーマが両親を襲う夢だった。
だが、いつもと違った。ノーマが家に入ってきたと同時に、崩れ落ちたのだった。ノーマが消滅すると、家に入ってくる人物がいた。ガンドルだった。
驚いている自分達に向かって、もう大丈夫だと笑ってくれた。ラウルは、感謝と憧れが入り混じった感情を抱いていた。
「ガンドルさん」
朝までぐっすり寝たラウルは、起きるなりガンドルの名を呼んだ。ガンドルはまだ少し眠たげな顔でラウルの方を向いたが、ラウルの真っ直ぐな目を見て、真剣な表情になった。そして、ラウルの言葉を待った。
「僕に、剣を教えて」
「どうしてだ」
また、前のように返された。しかし、ラウルは動じなかった。
「強くなりたい。大事な人を守れるくらいに」
あの時、自分に力があったなら。ノーマを倒せる程に強かったなら。
今日見た夢のガンドルのように、両親を助けることが出来た。
もう、両親を守ることは叶わない。けれど今は、また別に守りたい人がいる。
守ってもらってばかりだけど、自分だって、少しでもガンドルの助けになりたい。大切な人が殺されるのは、もう嫌だった。
幼いラウルが言えたのはこの一言だけだったが、ガンドルは込められた想いも伝わったというように微笑んだ。
「わかった」
優しく言うと、ラウルの頭をゆっくりと撫でた。
その日から、剣の特訓が始まった。
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