第5話

 一人の少年とその両親は、家の中で怯えていた。


 壁が崩れる音、絶望に染まった叫び、それを嘲笑う声。外から聞こえる度、身を寄せ合う親子は体をびくりと震わせる。



 小さな農村ヤウタ。人口はそれ程多くなく、村人はひっそりと暮らしていた。皆、村で育てた作物を町に出ては売り、慎ましくも穏やかな生活があった。


 だが、そんな日常は突如として崩れ去った。ノーマに襲われたのだった。


 常駐していた警護団員も戦ったが、それでも敵わない程強く、数も多かった。村人も次々と襲われる中、親子三人は助かるようにと祈ることしか出来なかった。

 母親のゆるやかにウェーブのかかった長い髪が少年の顔にかかる。少年の年の頃は七、八歳くらいだった。


 外から聞こえる激しい音が段々と近付いて来ると、両親は顔を見合わせ頷き合った。父親は床に手を置くと、畑仕事で鍛えられた腕で板をずらした。床下には、人一人がなんとか入れそうなスペースがあった。


 両親は少年をきつく抱いた。少年も親の背中に手を回す。しばらくして、母親が抱き上げて床下に下ろした。

「ここにいて。静かになるまで、絶対に出て来ちゃ駄目よ」

 母親は少年の目をしっかりと見つめて言った。父親が板を元に戻そうとする。

「嫌だ! 待って!」

 少年が泣きながら訴えるが、手は止まらない。もう少しで閉じられてしまうという時、隙間から両親が少年に笑いかけた。



「大好きだよ。ラウル」



 いくつもの雫が、少年の金色の髪を優しく濡らした。


 ほどなくして家の扉が壊される音が響き、大きくて汚い声が聞こえてきた。ノーマは数体いるようだ。

 何かを切り裂くような音。父親の悲鳴。重い物音。母親の泣き声。何かが床に叩きつけられる音。何度かした後、今度は木の板が割られる音がした。恐らく床に穴が空いたのだろうが、四方に壁がある床下からは、それがどこなのか分からない。

 ラウルは耳を塞いでいたが、遮ることは出来なかった。


 足音が重なって聞こえる。家を歩き回っているらしい。他に住人がいないか探している。家具を乱暴に壊しているようで、倒れる度音が響いてくる。ラウルは怖くて仕方なかったが、両手で口を抑えて必死で堪える。

「もういないな。行くか」

「ああ、なんかまだ暴れ足りないけどな」

「適当に目を付けた村だったが、あまり人間いなかったもんな」


 ラウルは耳を疑った。こいつらは、ただ暴れ回りたかっただけなのだ。家を怖し、人々を殺すことを、ただの娯楽としか捉えていないのだ。


 そんなことの為に、村は。お父さんとお母さんは。

 怒りで体が震える。涙が溢れる。

 今すぐ出て行きたかった。だが、そうした所であっという間に殺されてしまうのは明らかだった。

 自分は魔法も剣も使えない。何の力もないのだから。歯がゆくて、また涙がこぼれた。



 どれ位経っただろうか。周りが静かになった。ラウルは床板を押し上げ、恐る恐る外に出た。


 ついさっきまで三人で幸せに暮らしていた家の中は、無残に変わり果てていた。

 タンスや食器棚は倒され中身が散らばっている。テーブルやベッドは強い力で真ん中から砕かれていた。壁にも数えきれない程の傷が付いている。


 そして。ラウルは足元を目を見開いて見つめる。広がる赤い液体を踏んだまま動けなくなった。


 父親は仰向けに倒れていた。胸元から腹部にかけて何やら鋭いもので引き裂かれたような跡が何本もあった。口や傷から溢れた血が床に海を作っている。


「あ……」

 ラウルは思わず数歩後ずさる。すると、足が何かに当たった。はっとして、後ろを見る。


 その目が、一層大きく開かれた。


 母親が横たわっていた。

 うつ伏せで、艶やかだった髪は掴まれたのかぐしゃぐしゃに乱れている。床に空いた穴に、頭が突っ込まれていた。

「お母さん」

 ラウルは泣きながら母親を揺さぶる。しかし、ぴくりとも動かない。頭を引き上げて顔を見るのは、勇気がなかった。止めどなく涙が流れ落ちる。


「ああ? まだいるじゃねえか」

 

 ラウルは弾かれたように振り返る。家の入り口に、ノーマが二体立っていた。

 全身が緑色の鱗に覆われ、丸い目が光っている。ひょろりとしているが、筋肉はしっかりとある体つきをしていた。

 体に対して手が大きく、鋭く硬そうな爪がある。

「んん? ここ来たよなあ」

「来た来た。隠れていたのか」

 ラウルの体が強張る。こいつらこそ、両親を殺した奴らだ。怒りに満ちた目でノーマを睨み付ける。涙は止まっていた。

「おっ、なんだ、やるか?」

 内一体のノーマが近付いて来た。へらへらと馬鹿にしたように笑っている。ラウルに戦う力などないと分かっているようだった。

 怒りと恨みと、殺されるかもしれないという恐怖。色々な感情がごちゃごちゃになって、ノーマを見たまま動けなくなってしまう。立ち向かうことは愚か、逃げ出すことも出来ない。


 そんなラウルに向かい、ノーマは硬い爪のある手を振りかぶった。

 ラウルは最早、憤怒より諦めの気持ちの方が大きくなっていた。このまま死ぬのだろうと、ぎらりと光る爪を眺める。



「ぎゃっ」

 外で短い悲鳴がした。次いで何かが瓦礫にぶつかる音もする。

「はあ?」

 異変を感じたノーマは振り上げた腕をそのまま下げると、後ろを振り返る。だが何が起こったか確認する前に、力なく崩れ落ちて消えた。

 その向こうに、人影が見えた。

 

 三十代半ば位の男性だった。背が高く、体は筋肉質でがっしりとしている。オレンジに近い茶髪を、前髪まで全部後ろに持っていっている。白いシャツの上に黒い厚手のジャケットを羽織り、ゆったりとしたパンツにブーツという、動きやすそうな格好をしていた。

 そして、幅があり重そうな剣を軽々と肩に担いでいた。


「大丈夫か、怪我はないか」

 男性は家に入ると、優しく問いかける。ラウルは突然のことに瞬きしながらも、頷いて答えた。

「うん」

「そうか、よかった。もうノーマはいなくなったからな」

 男性は口元を柔らげて頭を撫でた。温かく大きな手だった。

 ラウルは緊張の糸が切れたように、大声を上げてぼろぼろ涙をこぼした。男性はその小さな体を引き寄せて抱き締めた。

 両親の温もりを思い出す。ラウルは男性の服を握り締め、わんわんと泣いた。

 


「なあ、名前は? あ、俺はガンドルっていうんだ」

「……ラウル」

 未だ涙は止まらないが、声をあまり上げなくなった頃を見計らい、ガンドルは聞いた。

「ラウルか。いい名前だな」

 ガンドルはラウルの名前を噛み締めるようにゆっくり発音した。そして、少し遠慮がちに話しかける。

「家族は?」

 ラウルはまた顔を歪めて、部屋の中を指さした。両親が倒れている。

「……やっぱりか」

 ラウルが泣いている間に家の中を見回して状況を掴んでいた。しかし、この遺体が両親でなければいいのにとの想いもあった。


「ノーマは?」

「ん? ああ、倒した。さっきいなくなったって言ったろ」

 軽く答えたガンドルに、ラウルはしばし言葉を失う。

「え? だって、警護団の人だってやられちゃったのに」

「それはきっと、大勢で襲いかかったからだろうな。一体ずつなら、そんな強い奴らじゃなかった」

 でも、戦かったことのない人達にとっては脅威だろうな。遺体を見ながらこぼしたその言葉には、悲しげだった。


「警護団が戦闘したら本部に知らせが行くようになってる。ここにもすぐ調査に来るはずだ」

 村人達の亡骸も、警護団が弔うという。だがラウルは両親を見て言った。

「せめてお母さんとお父さんのお墓は自分で作りたい」

 ラウルはガンドルに背を向け父親に近付いた。その惨たらしい姿に一瞬怯んでしまうが、腕を持ち上げ運ぼうとする。そこにガンドルが割り込んだ。

「お前じゃ無理だよ。俺が運ぶから、お墓作るのにいい場所教えてくれ」

 これもらうぞ、と壊されたタンスから辛うじて無事だったシーツやタオルを取り出し、父親を包み込んだ。背中と膝の裏に腕を回し、抱き上げる。ラウルにスコップを持ってこさせた。

 ラウルはガンドルの前を走り、村の隅にある小さな花畑に案内した。黄色や濃いピンクなど、鮮やかな花が踊っている。

「おお、綺麗だな」

 ガンドルは父親を優しく下ろすと、スコップで花畑の側の地面を掘った。ラウルも一緒に土を掘り起こす。

 ある程度掘ったところで、父親をゆっくりと横たえた。その様子に、ラウルは目に涙を溜めて見入る。

「それじゃ、埋めよう」

 ラウルは一度大きく頷いた。その拍子に流れた涙を拭いもせずに、柔らかく土をかけていく。

 母親も、父親の隣に埋葬した。

 床の穴から頭を上げた時、ガンドルは母親の顔にシーツをふんわりと巻いた。


 二人の墓に花を供えると、ガンドルはラウルに聞いた。

「他にあてはあるのか」

「ない」

「これからどうするんだ」

「……わかんない」

 目を真っ赤にして言葉を落とした。これからのことなんて、考えられもしなかった。


「じゃあ一緒に行くか?」

 

 ラウルは頭を上げてガンドルを見た。目を細めて、優しい顔をしていた。

「あちこち見て回りたくて旅してるんだ。お前もどうだ」

「……いいの?」

「ああ」

 ぶっきらぼうな声の中に、温かい響きがあった。


「行く」


 決心を込めて、ラウルははっきりと言った。


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