第2話
自分がふわふわと浮いているような感覚があった。
身体がぽかぽかと温かく、とても気持ちが良い。
そんな心地好さの中、少女は瞼をゆっくりと開いた。
初めに目に入ったのは、雲一つない青空。その後は。
「お、起きた」
「よかった。大丈夫ですか?」
自分を覗き込む、二つの知らない顔だった。
「えっ!?」
少女は驚いて飛び起きた。ラウルとヴァンはぶつからないように素早く身を引く。
「な、何……」
周りを見回し戸惑った声を上げたが、すぐに途切れた。前を向いて目を見開いている。ラウル達は、少女を心配そうに見つめた。
「え……」
家が壊され、人が消えた村。恐らくこの村の住人であった少女にとっての日常が、全てなくなっていた。
「何、これ……」
目の前の惨状に、これだけ言うのがやっとのようだった。
少し口を開けたまま、変わり果てた村を見ていたかと思うと、少女は急にはっとした表情になり、慌てて立ち上がる。今いる場所は、村からちょっと離れた草地だった。
「お父さん! お母さん!」
ほとんど叫んでいるように呼びながら、瓦礫が広がる村へと走って行く。ラウルとヴァンも急いで後を追った。
足首より少し上までの薄いピンク色のスカートが汚れることなどお構い無しに膝を付き、素手で瓦礫を退かす。その手を包むように、ラウルが自らの手を重ねた。
「そんなことしたら怪我する。難しいかもしれないけど、落ち着いて」
「だって!」
少女は勢いよく顔を上げる。大きな目から涙が零れた。
「瓦礫の下は全て探しました。ですが、誰もいませんでした」
「そんな……」
ヴァンの言葉を聞き、少女はラウルから視線を離し俯く。
「なんでこんな……」
涙が止めどなく溢れる。体を震わせる少女の手を、ラウルが優しく握った。少女がまた顔をラウルに向ける。ラウルは何も言わず、その目をただ見つめ返した。
今はただ泣いていていいと、言っているようだった。少女は一層顔を歪ませると、ラウルの手を両手で握り返し、大声を上げて泣いた。
「私はヴァン、こちらはラウルといいます。あなたのお名前は?」
段々と落ち着いてきた少女に、ヴァンが穏やかに声をかける。紹介されたラウルは軽く頷いた。
「……フィリア」
真っ赤になってしまった目でヴァンとラウルを見て、小さな声で答える。二人はすぐ名前を繰り返して呟くと、ラウルが続けて話す。
「俺達は、ここが真っ黒な霧に覆われていたのを見つけたんだ」
フィリアはラウルをじっと見つめながら聞いている。
「晴れた時にはもうこの状態で、フィリアが倒れていたんだけど、もし話せるようなら何があったか聞かせてくれないかな」
努めて優しく問いかける。辛い出来事だから、話すことも苦しいだろう。話を聞くのはゆっくりでもいいと、二人は思っていた。
フィリアは右手でもう片方の手を強く握りながら、ぽつぽつと話し始めた。
「家の中にいたんだけど、急に暗くなったから何だろうと思って外に出たの。そしたら、真っ黒な霧に包まれてて、空から大勢のノーマが下りてきて……」
そこで一度深呼吸をした。顔色が悪い。
「大丈夫?」
「大丈夫。ごめんなさい」
ラウルが心配そうに聞くと、弱々しくも笑って答えてみせた。平和に暮らしていたのに、壊された。その時のことを話しているのだから、大丈夫なはずがないのに。
「周りで、ノーマに襲われてる人がいた。捕まったと思ったら、姿が消えちゃったの」
それで他に誰もいないのか。ただ襲うだけでは飽きたらず、別の所に飛ばしてしまうなんて。ラウルとヴァンの目に、憤怒の色が宿る。
「警護団の人も戦ってくれたけど、同じようにされたのを見た」
警護団というのは、民を守る為、ノーマと戦う組織である。首都カーディルに本部を置き、そこからほぼ全ての村や町に団員が派遣されている。
厳しい訓練を積み、ノーマとの実戦経験もある者だったろうが、それでも敵わない程多くのノーマが現れたということか。
突然のことに体が固まってしまったが、家族に知らせなくてはと、家に入ろうとしたらしい。
「でもそこで、目の前に男の人が現れて……、そこからは、覚えてない」
フィリアは少し申し訳なさそうに言った。ラウルは首を左右に振り、話してくれてありがとう、と礼を言う。それから問いかけた。
「男の人って、どんな感じだった?」
「髪が少し長くて、真っ黒なコートを着てた……かな」
やはり、あの時見たあいつだ。ラウルとヴァンは顔を見合わせる。
「俺達もそいつを見た。すぐどこか行っちゃったけど」
「えっ」
フィリアが驚いた様子でラウルを見る。続けざまに問いかけた。
「他には、誰かいなかった?」
「誰もいなかったよ」
「……そう」
フィリアは力なく俯くと、消え入りそうな声を落とす。
「家族は、どうなったのかな。襲われて、消えちゃったのかな。どこに行っちゃったんだろう……」
次第に嗚咽が混じり、再び泣き出してしまう。
「ごめんなさい、また……」
「謝らなくていいですよ」
服の袖で涙を拭いながら謝るフィリアに、ヴァンが優しく微笑む。それを見ていたラウルが、おもむろに口を開いた。
「一緒に探しにいく?」
「え?」
フィリアは目を丸くしてラウルを見る。ヴァンはその申し出に対して特に動じた様子はない。
フィリアが眠っている間、二人で話して決めたことだった。もっとも、始めから同じ意見であったが。
「一人より、一緒に探した方がきっといい。俺達も目的があって旅してるし、そこに一人増えたって変わんないよ」
「目的……?」
フィリアの問いに、ラウルはひとつ頷いて答える。
「ロードを探しているんだ」
「ロード?」
「ああ。知ってるだろ?」
「もちろん」
フィリアがそう返事するのは当たり前だった。知らない者などいない程、有名なものだから。
ロード。
それを手に入れた者は、願いを何でも叶えることが出来ると言われている。
昔、何の権力もない者が、その力によって世界の支配者となったことが名前の由来だという。
「でも、誰も見たことがなくて、ただの伝説じゃないかって……」
フィリアの言う通りだった。あると言われているだけで、どんな見た目なのかすら分からない。手に入れたという話も、由来以外に伝わるものはない。それでは、本当は存在しないのではないかと思われても仕方がなかった。
ラウルはフィリアの目を見て静かに言う。
「そうかもしれない だけど、本当にあるかもしれない」
それでも、二人は本気で探している。
「私達は、どうしても手にいれたいのです」
何故なら。ヴァンが続ける。
「それぞれの大切な人を生き返らせる為に」
フィリアが息を飲んだ。
「亡くなった人を生き返らせるのは、いけないんじゃ……」
どれ程強力な魔法が使えようと、絶対に成功することはないという。そもそも死者への冒涜や神の領域を侵すといった観点から、やってはならないとされている。魔力を持たない人間でも知っていることだった。
「分かってる。でも、ロードがあれば、それすら叶うんじゃないかって」
フィリアは何も言えない。そんなこと思い付きもしなかった、という顔つきをしている。
「どうだろう。いきなり言われてもすぐには決められないかもしれないけど」
ラウルは一緒に来るかどうか、再びフィリアに聞いた。フィリアは考えるように視線を落とす。
やがて、か細い声が聞こえてきた。
「……私は、村をめちゃくちゃにしたノーマが許せない」
スカートを強く握る。声が微かに震える。
「必ず見つけて、お父さんとお母さんを絶対に取り戻す」
その声に、力がこもる。
「それから、ロードも手に入れて、全部、全部元に戻してもらうの……!」
ばっ、と顔を上げて言った。涙がまたぼろぼろと零れ落ちる。だが、その表情は決意に満ちていた。
「中々欲張りだな」
対照的に、ラウルとヴァンは笑みを浮かべた。
「だけど、一人じゃどうしようもない。戦ったことなんてないし役に立てないかもしれないけど、一緒に行かせてください」
言って、頭を下げた。そこに優しい声が降る。
「もちろんいいよ。さっきからそう言っているだろ」
柔らかく温かい言葉だった。
ありがとう、と、フィリアはまた雫を落とした。
「よし、じゃあ行くか」
フィリアの服や日用品など、何もなくなってしまった為、まずはそれらを買おうと移動することに決めた。以前立ち寄った町が、様々な店が立ち並び何でも揃いそうだということで、そこに行くことになった。
「では行きますよ。しっかり掴まっていて下さいね」
ヴァンの呼び掛けに、フィリアはヴァンの肩に置いた手に力を込める。この村から出るのは、初めてのことだった。
フィリアは村をしっかりと見つめ、目に焼き付ける。
必ず、元に戻すから。
強い決意と不安と好奇心を連れて、故郷に別れを告げた。
一体のノーマが突然姿を現し、靴の音を鳴らして着地した。癖のある黒髪が揺れる。大きな城の、広いバルコニーだった。
世界の果ての闇に包まれた冷たい場所。ノーマで溢れ返り、人間は足を踏み入れることなど出来ない。
周りに他の建物は愚か草木もない。そんな場所に、巨大な城はそびえ立っていた。城門は固く閉ざされ、中には強力なノーマが蠢いている。
細かい装飾が施された床を踏み、ノーマはバルコニーから部屋へ続く扉に近づく。
「お帰りなさいませ、ジェラルド様」
バルコニーで立っていた男性の姿をしたノーマが扉を開ける。二十代前半位で、黒い燕尾服に身を包んでいる。ジェラルドと呼ばれたノーマは返事もせず中へ入った。待機していたノーマも、肩まである銀髪を揺らして後に続く。
ジェラルドは部屋の中心に据えられたソファに身を沈めた。金の肘掛けに手を預ける。
手を宙に翳すと、目の前に映像が映し出された。
映っているのは、ラウル、ヴァン、そしてフィリア。町の入り口で話しているところだった。
ジェラルドともう一体のノーマがそれを静かに眺める。
「一人残して来てよかったのですか」
ジェラルドはノーマの軍団を率いて、一つの村を襲い、村人を消し去って帰ってきた。一人の少女を除いて。
問われたジェラルドはノーマを一瞥して答える。
「何か言いたげだな、ジーク」
「いえ、私から申し上げることはございません」
ジークは目を伏せて引き下がった。ジェラルドは目を映像に戻すと、口元に薄く笑みを浮かべた。
「問題などない。何一つ」
低い声が部屋に溶ける。深紅の瞳が、妖しく光った。
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