ロード

畑中真

第1話

 この世界には、人間、動物の他に、ノーマと呼ばれる魔物がいる。


 人間そっくりの姿をしていて、同じ様に言葉を話すノーマもいれば、様々な動物に似た見た目のノーマもいる。

 人間の様なものは『人型』と、それ以外は『獣型』と呼ばれている。


 途方もない昔から、人間とノーマは敵対関係にある。魔力を有する者は魔法を唱え、持たざる者は剣や銃などの武器を駆使して戦ってきた。ノーマも同様に、魔法や己の肉体を以て人間を襲った。

 中には友好的なノーマもいるが、ほんのごく僅かだ。



 そして今、まさにノーマと戦っている、二人の若い男性がいた。




 自然が豊かで森の多い地域に来た二人は、先に進むため深い森に入り込み、あと少しで抜ける、という所だった。しかし、獣型のノーマが五匹程、突然現れ襲いかかってきたのだった。

「もう外が見えてるのに、なんでここで出てくるんだよ」

 その内の一人が顔を少し顰めてぼやきながら、腰のベルトに付けた飾りのようなものに手をかける。それは小さいながらも、精巧な剣の形をしていた。手でしっかりと握り込むと、飾りがたちまち大きくなって、あっと言う間に大振りの剣になった。柄を両手で握り、ノーマに飛び込んでいく。

 相手は青年の倍近い身の丈のあるノーマだ。がっしりとした身体は茶色く長い毛に覆われ、額には太い角が生えている。ノーマ特有の紅い目で男性を睨みつけると、鋭い爪のある手を身長に見合わない速さで、青年の金髪の頭めがけて振り下ろす。青年はそれを最小限の動きで避け、すぐさまノーマの懐に入り込んだ。ノーマが再び殴りかかろうと腕を上げるが、上げきる前に心臓があろう胸元を一刺しした。

 ノーマは動きを止めたかと思うと、全身が砂の様に崩れ、跡形も無く消え去った。青年は気に留める様子もなく、次のノーマに狙いを定める。


「今まで一匹も出くわさなかったのに、驚きましたね」

 丁寧な口調で青年に返事をしたのは、眼鏡をかけた黒髪の男性だった。話をしつつも、こちらも飛びかかってきたノーマから視線を離さない。

 目線の先、空中にはノーマが二匹いた。二匹とも真っ白な羽根が生えており、頭には丸く青い石が付いている。背丈は小さいが、大きな翼を広げた姿は迫力があった。男性に喰らいつこうと、嘴を大きく開け、上空から物凄い勢いで迫ってくる。男性はそれを避けようともせず、向かってくるノーマに右手をかざした。すると、それぞれのノーマの身体を突如炎が包み込む。男性が開いていた手をぐっと握ると、火の球は中のノーマもろとも弾け飛んだ。火の粉が辺りに降りかかるが、木や草に燃え移ることはない。ノーマ以外のものを燃やさぬよう工夫された『魔法』だった。


 

 後の二匹も全て倒し、森は静寂を取り戻していた。二人はまだ他にノーマがいないかと、辺りを見回す。

「もういないみたいだな」

 先に口を開いたのは剣を持った青年、ラウルだった。白いシャツの上に腰の辺りまでのジャケット、細身のパンツとショートブーツというシンプルな服装で、シャツ以外は全て黒で統一されている。金色の髪は少しつんつんと立っており、黒ずくめの服装と相まって一見近寄りがたい風貌であるが、顔にはまだあどけなさが残っている。まだ十代半ばから後半くらいだろう。剣を腰に持っていくと、剣はまた小さくなり、ベルトの留め具に付いた。

「なら、さっさと抜けてしまいましょうか」

 眼鏡をかけた青年、ヴァンが答える。癖のない黒髪は耳に少しかかる程度の長さに切られている。白いワイシャツの上に羽織ったベージュのコートには、裾や襟元などに緑色の糸で細かい刺繍が施されている。深い茶色のパンツに、同系色のブーツといった地味な服装だが、耳にはいくつものピアスを付けており、そこだけ少し派手に見える。金属のものから赤や青の宝石が付いたピアスまで、色んな種類のものを付けていた。ラウルに対し敬語を使ってはいるが、相手より年上、二十代前半程だ。


 二人はどちらからともなく歩き出した。森の出口は、もうほんの少し先に見えている。

 

 森を抜けると、途端に日差しが体に降り注いだ。空は生い茂る葉に隠れていたので忘れかけていたが、今日は快晴だった。解放感からか、ラウルは大きく伸びをした。

「遠くまでよく見えるな」

 抜けた先は小高い丘になっており、ラウルのその言葉通り、下はどこまでも見渡すことが出来た。道や畑、家が集まっている所などが見える。何の変哲もない、平和な風景が広がっていた。


 だが、その中に、異質なものがあった。

 それに先に気付いたのは、ヴァンだった。

「ラウル、あれは……?」

 ここから下っていってすぐ、遠くを見ていたら見落としてしまいそうな場所。恐らく小さな村一つ分の広さ。

 そこ一帯が、真っ黒なドームのようなもので覆われていた。のどかな風景には似つかわしくない、邪悪な気を放っている。

「なんだ……」

 ラウルは訝しげに言うと、身を乗り出した。あまりにも異常な光景に、二人は呆気にとられて動けない。

 だが、そんな暇はない。これはただごとではない。瞬時に判断する。ヴァンはドームを睨んで鋭く指示を飛ばす。

「掴まって下さい、あの中まで行きます!」

 ラウルは再び剣を握り、ヴァンの右肩を掴んだ。それとほぼ同時に、二人の姿が一瞬で消え去った。


 

 真っ先に目に入ったのは、黒々とした霧の壁だった。

「え?」

 二人はまたも、ほとんど一緒に戸惑いの声を上げた。

「どうして! 中まで行こうとしたのに」

 ヴァンが声を荒らげる。ドームの中に行くつもりで魔法を使い瞬間移動をしたのに、実際に二人が現れたのはそのすぐ前であった。


 遠くから見ていた時にはドームだと思っていたそれは、実は黒い霧であった。とても濃厚で、向こうの様子はとても伺い知ることは出来ない。


「まさか、弾かれた……?」

 ヴァンがはっとした様子で呟いた。ヴァンは高い魔力を持っており、魔法が失敗することなど、ほとんど有り得ないことであった。だが今は、更に強い魔力によって自分の魔法が阻まれてしまったように思えた。

 禍禍しい霧は、強大な魔力により作られた結界であった。中に何人たりとも近づかせない為の。それに気付いたヴァンは、動けずにただ霧を見つめることしか出来なくなった。

「これでは、中に入ることなんて……」

 ヴァンはもどかしそうに結界を見つめる。その横で、ラウルが走り出した。

「こんなの、払っちまえば入れるだろ」

 ラウルには魔力はなく、魔法も使えない。魔法で襲ってくるノーマに対し、いつも剣を振って立ち向かっている。今も、それと同じだとしか思っていなかった。

「何してるんですか、馬鹿!」

 無意識に馬鹿と言ってしまう程慌てながら、ラウルを止めようと手を伸ばす。しかし、あと少しの所ですり抜けてしまう。ラウルは霧に飛び込もうと地を蹴った。


 その瞬間、霧が晴れた。

 二人は目を丸くする。ラウルは突然のことにバランスを崩しながらも、なんとか転ばずに着地した。平らな石をいくつか踏む。

「なんだよ、急に……」

 顔を上げたラウルは霧の向こう側の光景を目にし絶句した。ヴァンもその後ろで立ち尽くしている。


 辺り一面が瓦礫で埋まっていた。建物は全て壊され、残っていたとしても外壁だけだった。

「これは……」

 ヴァンがぽつりとこぼした。ラウルは崩れた壁や屋根の欠片を踏みしめ、周りを見回しながら歩き出す。

「誰か! 誰かいないか!」

 全て壊されてしまった家もあるかもしれないが、壁や門など家の名残から見て、ここはやはり小さな村だったはずだ。村人がいないか大声で呼びかけるが、何も返事はない。少しの物音も聞き逃さぬよう耳を澄ますが、瓦礫をかけ分ける音はしなかった。

 ヴァンは下敷きになった人を助ける為、自分のそばから瓦礫を浮かせて探し始める。しかしそこには誰もいなかった。他の場所も同じであった。

「おかしいですね、建物を壊しただけでは、瓦礫がこんなに広がらないと思うのですが」

 ヴァンの言う通りだと、ラウルも頷く。ちょうど霧で覆われていた場所、そこ一面が瓦礫だらけであった。壊した後、わざわざ広げたとしか思えなかった。だが、一体何の為に。


 気にはなるが、まずは人がいないか探す方が先決だと、再び捜索し始める。辺りを見ながら進むラウルが、はたと動きを止めた。ヴァンはラウルを一瞥し、視線の先に目を向ける。


 村だった場所の中心あたり。そこに人影があった。瓦礫の上に倒れている。

 二人は足を取られながらも、急いでその人物に駆け寄っていく。


 まだ十六、七程の少女が横たわっていた。見たところ傷はないが、意識を失っている。ラウルは膝をついて、少女を抱き抱えた。肩より上までの薄い茶色の髪がさらりと揺れる。

「しっかりしろ」

 声をかけるが、目を閉じたまま動かない。ヴァンは少女に手をかざした。

「回復させます、そうすればきっと……」

 

 

 急に寒気がした。それと共に、空気が身体を押し潰しそうな程に重くなる。とてつもなく強い魔力を持つ者がすぐ近くにいる。

 二人は気配を感じた先を見上げた。空に一人、こちらを見下ろす影がある。


 三十代後半程に見える男性だった。肩あたりまで伸びた黒い髪は、少し癖がある。足元まである漆黒のロングコートを前を閉めて着ており、裾がゆっくりと揺れている。

 逆光で表情をあまり伺い知れないが、それでも二つの紅い目は、はっきりと見てとることが出来た。

「ノーマか……」

 こいつがやったに違いない。ラウルは憎々しげにその目を見つめた。傍らに置いた剣の柄を握る。ヴァンも少女に向けようとしていた手の平を、上空のノーマへと標的を変えた。


 だがノーマは、三人を見下ろすのみで何もせず、姿を消した。

「おい!」

 ラウルが叫ぶが、空しく響くだけだった。再び姿を現す様子も、見えない所から攻撃してくることもない。完全にいなくなったようだった。

「とにかく、まずはこの子です」

 ヴァンはまた、ラウルの腕の中の少女に手をかざす。温かくて優しいオーラが、少女を包みこんだ。


 ここで一体何があったのか。あのノーマの目的は何なのか。どうして、この少女一人残されていたのだろう。

 疑問は尽きない。ラウルは少女の顔を見つめる。肩を抱く手に力が入った。

 

 聞きたいことは山のようにある。しかしまずは、この子が辛い現実を受け入れられるのか。それがとても心配だった。

 

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